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「今回の『災厄』、一体どうなってるんだ? 出てくる化け物、どんどんおかしな姿になってないか」

「一年前の二十分だけのカウントダウン以降、最近の『災厄』は明らかに異常だよ。正直、嫌な予感しかしない」

「そもそも、どの『災厄』で出てくる怪物が“見た目いい”なんてことあった?」


数台の車両が大地を駆け抜け、各地に残された『災厄』の痕跡を踏み越えて進んでいく。その軌跡は、まるでこの世界に新たな“別の災厄”を刻み込んでいるかのようだった。


「ティフォン」。

最も名の知られた『災厄』狩猟組織。彼らは一週間前、ドロースト方面で発生した怪物の討伐を終え、現在はレゴレイルに駐留する部隊との合流地点へ向かっている最中だった。


「だよなぁ。前回のやつなんて、気持ち悪すぎて隊長ですら腰抜かしてたし」

「おい! 変なこと言うな! べ、別にビビってなんかねえよ!」


隊長と隊員たちの口論が始まり、その騒音を真正面から浴びる副隊長の表情は、見る見るうちに険しくなっていった。


「……あんたたち、元気が有り余ってるバカども。少しは静かにできないの?」


「「あっ……すみません……」」


副隊長は視界を遮っていた金色の長い髪をかき分け、地図を取り出して確認する。


「この近くに遺跡があったはずね。少しそこで車を止めましょう。どうせ、このバカたちのガス抜きも必要だし」

「「やったー! 副隊長、ありがとうございます!」」


歓声を上げる隊員たちを横目に、隊長は不満げな表情で副隊長を見る。しかし返ってきたのは、冷え切った視線だった。


「……一応、俺が隊長なんだけどな……」

「いつものことでしょ」

「そうだけど、そうじゃないだろ!」


さらに十分ほど走行した後、「ティフォン」はレゴレイルから約四十キロ離れた大型遺跡で一時休憩を取ることにした。


静かな環境に包まれ、副隊長の体に溜まっていた一週間分の疲労が、ようやく表に出てくる。


「装備の点検をさせて。私は少し休むわ」

「了解! お前ら、今のうちに装備チェックだ! レゴレイルに着いてからじゃ遅いからな!」

「「了解!」」


――隊長の命令、いや、副隊長の命令が下ると、隊員たちは車両から次々と機械装置を運び出し、草花の生えた石畳の上で整備を始めた。


「うわ、照準ズレてる」

「出力が低いな……あの時の衝撃か? それはマズい」

「俺のは問題なし! よっしゃ!」

「ドローストでは後方支援だっただろ、お前」


この光景だけを見れば、彼らが『災厄』を狩る最前線の組織だとはとても思えない。まるで、教師と教育実習生が、やんちゃな小学一年生を連れて遠足に来ているようだった。


副隊長は立ち上がり、軽く体をほぐす。表情も、ほんの少し和らいでいる。


「ん? どこ行くんです?」

「少し散策するだけ。レゴレイルに来るの、久しぶりだから」

「了解です!」


車両の停車地点から少し離れた場所は、さらに緑が濃く、倒壊した高さ二十メートル級のビル跡にも劣らない大樹が枝を広げ、この土地を守るかのように立っていた。


「皮肉ね……『災厄』が通り過ぎた場所のほうが、防衛戦線内のコンクリートの森よりずっと綺麗だなんて」


幹にそっと触れると、手のひらに伝わるのは自然のやさしさと冷たさ。ほどよい湿気と花草の香りが、油断すれば意識を夢の中へ連れて行きそうになる。


「……本当は、こんなことのために『ティフォン』に入ったわけじゃなかったのに」


腰を下ろす場所を見つけ、周囲の美しさを味わおうとした、その時――

隣の茂みから、何かが動く気配と、かすかな物音がした。


「……何?」


疲労があっても、長年鍛え上げられた反射が勝る。副隊長は即座に腰の拳銃を抜き、茂みに銃口を向けた。


だが予想に反して、その“何か”は銃を恐れる様子もなく、こちらへ近づいてくる。副隊長は距離を取るように二歩下がり、引き金に指をかけたまま、一瞬たりとも油断しない。


やがて草をかき分けて姿を現したのは――


「……あなたは……」


人間だった。

一人の少年。


衣服はぼろぼろに裂け、露出した皮膚には無数の傷跡と乾いた血がこびりついている。

視線が交わった瞬間、副隊長は感じ取った。少年の瞳に宿る“光のなさ”――何かを、とっくに諦めてしまったかのような目だった。


「動かないで。それ以上近づいたら、撃つわ」

「あ……その……」


副隊長は少年の姿を改めて観察する。すると、一瞬で目を奪われる特徴があった。

胸元から首を通り、左目をかすめて額まで伸びる、黒い紋様。


間違いない、それは『禍の使者』の印だった。


副隊長は即座に左手で耳元の通信機を起動し、隊員たちへと連絡を入れた。


「こちらで使者を発見しました。現時点で敵意はありません。最低限の装備だけ持って来てください」

「えっ……あ……」


銃を構えて威嚇しているというのに、少年の表情には恐怖の色がまったく見えなかった。


「……怖くないの?」

「うーん……まあ、平気かな。喉も渇くし、腹も減るし、痛みも感じるけど……たぶん、死なないんだ」


そう言うと、少年は銃口を完全に無視し、地面に落ちていた比較的鋭い石を拾い上げた。


「ごめん。ちょっと、わがままさせて」

「……え?」


次の瞬間、少年は躊躇なくその石を自分の首へ突き立てた。

大量の血が噴き出し、致死量と思われる出血が一瞬で地面を濡らす——しかし、それは瞬く間に止まり、驚異的な速度で回復していく。残ったのは、かすかな細い傷跡だけだった。


「……いったい……」


そのとき、複数の慌ただしい足音がこちらへと近づいてきた。


「副隊長! ご無事ですか!?」

「そいつが使者か!? 今すぐ撃て——」

「待って。まだ、聞きたいことがある」


十数名の隊員たちが銃や刃物を構え、いつでも引き金を引ける態勢で少年を取り囲む。


「どうした、まだ何か聞くつもりか?」

「黙って……坊や、さっき言ってたな。自分は“災厄”になれないって。どういう意味?」

「よくは……わからない。ただ……ずっと前に……“禍の使者”になった……気がする……」


「どの『災厄』の後か、覚えている?」

「……二十分しかカウントダウンがなかったやつ……」

「二十分……それは一年前だ……」

「そ、そんなはずない! 『災厄』の後に選ばれた使者は、次の“災厄”で必ず“災厄”になるはずだろ!?」


少年の言葉により、「ティフォン」の全員の間に不安が走った。


そのとき、隊長が愛用の中型電磁砲を担いで前へ出た。


「使者になってからどれだけ時間が経っていようと関係ない。『禍の使者』である以上、排除する。それが『災厄』被害を減らす最善策だ」

「あなたたちが来る前に、彼は自分を殺せないと言っていた。実際、石で首を刺しても、すぐに回復したわ」

「石と電磁砲は別物だろ?」

「……なら、試してみますか?」


少年は胸に手を当て、しばらく沈黙した後、静かにうなずいた。

隊長は電磁砲の起動準備に入る。砲口が少年へ向けられると、他の隊員たちは急いで後方へ退いた。


「すまない。『ティフォン』の隊長として、『災厄』を排除するのが俺たちの使命だ」

「…………」


隊長は数歩後退し、安全距離を確保する。


電磁砲が起動し、砲身に走る光のラインがグリップから砲口へと伸びていく。

次の瞬間、閃光とともに凄まじい熱量が炸裂し、少年の姿を飲み込んだ。


周囲の景色は破壊され、草木は灰となり、土石は溶け崩れ、少年がいた場所には大きなクレーターが残る——


誰もが、そう思った。


しかし実際には、少年の周囲には黒く異様なエネルギーが展開され、薄い膜となって彼を包み込んでいた。

「災厄」をも破壊するはずの砲撃を、防ぎ切る薄膜。


「……おいおい……」

「……なんだよ、それ……」


少年は黒いエネルギーで囲まれた円の中心に座り込み、身体には焼け焦げた痕跡ひとつ残っていなかった。

先ほどの自傷では傷ができていたにもかかわらず、今回は完全にダメージを遮断している。


「ま、待って……」

「な、何が待ってだ!?」

「動かない方がいい……!」


この光景は、「ティフォン」のメンバーにとっても初めてのものだったが、豊富な実戦経験により、短時間で冷静さを取り戻す。


「……いや、君たちに言ったわけじゃない……」


少年の右手が地面に押し付けられている。その掌の下には、渦を巻くような黒い巨大な紋様が広がっていた。

さらによく見ると、その黒い渦から幾筋もの分岐が伸び、「ティフォン」の隊員たちの足元へと迫っている。


それに気づいた全員が、一斉に後方へ跳び退いた。


「悪いけど、説明してもらえる? これは……ただの使者の印じゃないわよね」

「副隊長! こんな奴、生かしておくわけには——」


副隊長が右手を上げるだけで、耳元の騒音はぴたりと止んだ。


「……その黒いもの、制御できるの?」

「……たぶん……」

「…………」

「これ……一応、操れるけど……優先されるのは……僕が死なないことみたいで……」


突然、まるで少年の意思とは無関係に、黒いエネルギーが「勝手に」右手へと集まり、球体を形作った。


「待って、落ち着いて」

「……え?」

「もしかしたらさ、質問が終わったら殺さないつもりかもしれないだろ……だから、だからさ。何度言わせるんだよ、あいつらは殺しちゃダメだって」


まるで存在しない何者かと会話しているかのような少年の様子に、「ティフォン」の隊員たちは互いに顔を見合わせた。


「……誰と話してるんだ?」

「一年もここに一人でいたんだろ。多少、精神的におかしくなってても不思議じゃない」

「あなたたち、静かにしなさい」


副隊長の一喝で、隊員たちは口を閉ざし、各々武器を収めた。


「……あ、ああ……」

「すみません。ほかに、何か知りたいことはありますか?」

「お前をどうやって始末するか、以外ならな」

「じゃあ……今度は、僕が質問してもいいですか?」

「……どうぞ」


全員が、わずかな緊張から指先を擦り合わせる少年を見つめる。どんな問いが投げかけられるのか、固唾を呑んで待っていた。


「……あの、二十分だけのカウントダウンがなかった『災厄』のあとから、どれくらい経ちましたか?」

「ん? 一年になるね」

「一年……じゃあ、『災厄』は、何回起きました?」


数名の隊員がそれぞれの討伐記録を照らし合わせ、やがて結論が出た。


「……十回だ」

「十回……もう、そんなに……」

「……待て。その言い方……まさか、あんた……『災厄』になってないのか?」


少年の一言は、まるで脳内で炸裂する閃光弾のようだった。

思考が、完全に停止する。


副隊長は、初めて真正面から少年の表情を見つめた。

口元にはかすかな笑みが浮かんでいるのに、その瞳には、光が一切映っていない。


「……あの、副隊長?」


情報が一気に押し寄せたのか、副隊長はその場で固まり、意識を手放しかけていた。


「……ごめんなさい、隊長。少し、話せますか?」

「え? あ、ああ……いいけど」


副隊長は突然隊長の腕を掴み、少し離れた場所へと引っ張っていく。

何を話しているのかは聞こえないが、視界に入るのは、終始驚愕と混乱に満ちた隊長の表情だけだった。


やがて二人は少年の前へ戻り、少年も顔を上げて二人を見つめ返す。


「……君は、『災厄』について、どう思ってる?」

「えっと……なんて言えばいいかな。微妙、ですね。僕は『災厄』がきっかけで使者になったけど……同時に、『災厄』のおかげで生きている。しかも、僕の中にあるこの『災厄』は……思ったほど、悪意に満ちていないみたいで——」

「……じゃあ、しばらく私たちと一緒に来ない?」

「……え?」

「……えええっ!?」


誰もが胸中の動揺を抑えきれず、思わず声を上げた。


「で、でも……僕は『禍の使者』ですよ……」

「どうやら、何か誤解しているみたいね。この世界には、『禍の使者』にしかできないことがある。それは、あなた自身が一番よく分かっているはずよ」


副隊長の言葉の真意を、ほかの「ティフォン」の隊員たちはまだ理解しきれていなかった。

だが、少年だけは違った。自分でもはっきりと理解している事実を、口にする。


「……『災厄』が起こる前に、その発生場所を知ることができる……」


その一言に、副隊長を除く全員が息を呑んだ。

事前に発生地点が分かれば、使者が「災厄」へと変貌する前に討伐が可能となり、人員や物資の消耗を大幅に抑えられる。


これまで、使者は発見次第その場で射殺されるか、あるいは遠方へと流放されてきた。

しかも、使者が必ずしも人間とは限らない以上、「災厄」の発生地点は極めてランダムだった。

加えて、「災厄」は終息と同時に粉塵となって消滅するため、探知装置の開発も進んでいない。

より深い研究自体が、ほとんど不可能だったのだ。


この特殊能力が「ティフォン」にとって大きな助けになることは間違いない。

しかし同時に、少年がいまだ“時限爆弾”であるという事実も変わらない。

それこそが、ほかの隊員たちが副隊長一人の提案に強い懸念を抱く、最大の理由だった。


その点を指摘しようと、少年や隊員たちが口を開くよりも早く、副隊長は解決策を示した。


「さっきの話からすると、あなたは『災厄』になれないのでしょう? それなら方法はある。カウントダウンが終わる前に、あなたを人里離れた場所へ移して、そこで『災厄』が終わるのを待てばいい」

「ふふふ副隊長……本気ですか?」


「ええ。ただしね、あなたが使者である以上、まず確認しないといけない。今のあなたが、どれだけ“人間”で、どれだけ『災厄』なのか。言い換えれば――回収して再利用できるかどうか、ということよ」


あまりにも突飛な提案に、隊員たちは一斉に隊長へと視線を向けた。

少しでも反論してくれることを期待して。


しかし、隊長の立場はどうやら副隊長寄りだった。


「え、えっと……ほら……今は殺せないし、このまま放っておいても、いつ『災厄』になるか分からないし……だ、だったら一緒に行動して、『ティフォン』で監視したほうがいいんじゃないかな……どう?」


その言葉を聞いた瞬間、「ティフォン」の面々の表情から感情が抜け落ちた。

おそらく全員が、心の中で同時にこう思っただろう。

――この隊長、やっぱりいつも通りだな。


異論が出ないことを確認すると、副隊長はしゃがみ込み、少年と視線の高さを合わせた。


「ここに残ることもできるし、私たちについて来ることもできる。その選択だけは、あなた自身に委ねるわ。ただし、ついて来たからといって、楽になる保証はない。さっきも言った通り、あなたの力は『災厄』を狩るために使われる。私はただ、あなたが『人間』に近づくための機会を与えているだけよ」


「人間……」


副隊長は、少年の瞳に生じたわずかな変化を見逃さなかった。

すべてを諦め、「災厄」へと変わり消える結末を待つだけだった最初の状態。あるいは、遺跡で独り朽ちていく未来。


そこに今、かすかでも遠くを見渡せる「可能性」が芽生え、

「未来」という言葉に、初めて色が差し込んだ。


言葉にせずとも、答えは明らかだった。


「……今年で、いくつ?」

「えっと……一年経ったので、十三歳です」

「十三歳でそれだけの精神力……この一年、相当大変だったみたいね。名前は?」


少年はしばらく沈黙した。

その間、かすかな微笑を浮かべ、やがて小さく息を吐く。


そして、「災厄」の名のもとに「災厄」を討つ者たちへ、

一年ものあいだ口にしてこなかった名を告げた。


「アスカロン」

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災厄カウントダウン そのAaron @SonoAaron

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