「余白の声」第3話「安全という芸術」

秋定弦司

「聖域としての鉄路」

 ごきげんよう、鉄路を愛でる皆々様。


 その情熱、まことに麗しく、敬服の至りにございます。


 貴殿らがレンズを通じ、記録を残されることで、鉄道という文化は後世に息づく――その志、まことに結構にございます。


 ……されど、ひとつだけ申し上げねばなりません。


 愛という名の熱情、線路の内側には要らぬのでございます。


 線路とは聖域、すなわち命と責任と規律の延長にございます。


 我ら現場に立つ者は、その上で生き、その上で果てる覚悟を持っております。


 しかしながら、貴殿らのカメラや録音機は、その聖域の一寸先に、無垢を装いながらも無礼に首を突き出しておられる。


 その無邪気こそ、最大の暴挙にございます。


 誤解なきよう。

 わたくしは「撮るな」とは申しません。

 ただ、「踏み入るな」と申し上げているのでございます。


 レンズを覗く眼は、往々にして現実を見失い、

 音を追う耳は、警笛の警告すらも聴き落とす。


 たった一歩――されど、その一歩が列車一両分の質量を帯びるのです。

 どうか、それをお忘れなきように。


 貴殿らの「もう少し前へ」の一言が、我々には「非常停止」の一報。

 その瞬間、数百名の乗客が立ち往生し、

 指令室の空気は凍りつき、乗務員の額に冷汗が滲む。


 ――そのすべてが、「その一歩」から始まるのでございます。


 それでもなお撮りたいと仰るなら、せめて安全の外から。


 金網の向こうでも、美しさは損なわれません。


 風を含ませ、距離を取ればこそ、鉄路の鼓動はより純粋に響くもの。


 命を賭す必要など、どこにもございません。


 我らは「安全の維持」という名の戦場に立つ兵にございます。


 そこへ軽き興味で踏み入ること、それはもはや「愛好」ではなく「侵入」にほかなりません。


 鉄路は遊戯の庭ではなく、命の現場にございますゆえ。


 どうか、線路の向こう側にお立ちくださいませ。


 そこから見える風景こそ、我々が命を賭して護る「安全」という芸術でございます。


 そして、もし貴殿が真に鉄路を愛するお方であられるなら――


 この条文を胸に刻まれませ。


(一) 安全の確保は、輸送の生命である。

(二) 規程の遵守は、安全の基礎である。

(三) 執務の厳正は、安全の要件である。


 これらを携え、レンズを構えなさいませ。


 それこそが、現場に立つ者と貴殿ら愛好者とを結ぶ、唯一の「信号灯(シグナル・ランプ)」にございますゆえ。


……。

……。

……。


――これが最後の警告だ。さっきの3項目を理解できない者、そして職制を問わず、あらゆる鉄路の安全に携わる全ての人物に敬意を示す事のできない者は直ちに立ち去れ――「高い代償」を支払う前に。

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