第6話 鬼が住むか蛇が住むか(後編)

 どれ位の時間、空を飛んでいたのだろう。固まったまま無心で騰蛇とうだの体を押さえていると「もう目を開けていいぞ」と、後ろで私の体を支えてくれていたはるあきが囁いた。

 ゆっくりと目を開けると、既に山を抜けていた。地に足が着くと緊張が解け一気に疲労感が襲ってくる。

「もう山抜けたんだね。最初から騰蛇に乗せて貰えばよかったのに」

 実際、騰蛇に乗っていた時間は5分程度なものだったらしく、そんなに早く山を越えられるならあんなに苦労したり、怖い思いをしなくて済んだのではと思った。

「ずっとはさすがに無理。2体同時に顕現させるのも大変だし、まして式神に乗って移動するとなると、今の俺の力量では2人乗せてはこれが限界なんだよ」

 はるあきを見ると確かに、凄く疲弊している様に感じる。陰陽師と云うと昔観た映画で知っただけで、詳しい事情は分からない。けれど、きっとこれだけでも充分凄いのだろうと思う。きっと、はるあきは優秀な陰陽師なのだ。

 騰蛇に乗って空を飛んだ事で忘れていたが、今は追われる身だというのを思い出し、山の方へと視線を転じた。幾ら月灯りが眩いとはいえ、山の中まではさすがに暗くて見えない。

 もう追ってきていないのか、諦めてくれたのか――私は山の麓を凝視する。

「ここまで来れば、もう大丈夫だと思うぞ。幾ら山に慣れているとはいえ、人間の足であの悪路じゃ無理だ。それに、元々この米俵を盗むだけのつもりだったんだ。諦めてるよ。まさか、を俺たちに見られているとは気付いてなさそうだったからな」

 そうだ、物置小屋と言われた場所で見た人間の死体……。あれは何をしていたのか。首は斬り落とされ、腹は一度開腹されて縫い付けられていた。そして、棺桶程の木箱に石灰と共に入れられていたのは何故なのか? そもそも、あの老夫婦は本当に人間だったのかも怪しい。

「ねぇ。あの老夫婦って人間なの? その――物の怪とか、幽霊とか……」

 前世では、全く信じていなかった。実話怪談やホラー映画は好きだったが、それは飽く迄、だったからだ。自分が体験するとなると話は違ってくる。

「いや、あの老夫婦はれっきとした人間だ」

「普通の人間があんな山深い場所に住んでるなんて。すごく不便そう。それに、どうやって生計を立ててるんだろ」

 はるあきは暫く考え込んでいたが、「恐らくだが――」と付け加えて話してくれた。

 今晩のように旅人を襲って、持ち物を盗んでいたらしい。老婆が勧めてくれた梅酒には神経毒が入っていた。致死量ではないにしても、身体が麻痺して動けなくなっていただろう。それを飲んだ人の成れの果てが、物置小屋で見た棺桶に入れられた人だ。

 はるあきが気付いてくれていなかったら、自分もあんな風になっていたのだと想像すると、恐ろしい。

 ここからは、はるあきの憶測になるのだが――。

 はるあきが都に住んでいた頃、都市伝説的な噂話に同じような話があったらしい。うまい儲け話があると話をして人を攫い、人里離れた山小屋に数人を中に入れ食料も水も与えずに外から施錠して殺し合いをさせる。

 数日後、山小屋に戻り生き残った1人の首を刎ね血抜きをするらしい。ある程度血抜きが出来たら、開腹して内臓にたっぷりの毒を塗り込む。

 たっぷりと塗り込んだら、開腹した腹を縫い合わせてからミイラになるまでしっかり乾燥させると、また腹を開いて内臓を取り出し粉末にする。

 こうして作った毒は猛毒であり、一つまみで確実に人を死に至らしめるというのだ。怖いことに、毒を服用して即死する訳ではないらしく、時間を掛けて徐々に蝕んでいき最後は多臓器不全により亡くなる。一種の呪いだ。

 傍目には病気で亡くなったように見える。毒見役も即死しないのだから意味をなさず、殺したい相手を確実に死に追いやれる。病気で死んだのだから、当然犯人探しもされないのである。無罪放免だ。

「俺もその時は、ただの作り話だと思って聞いていたんだが――。あの、何重にも補強された生臭い小屋と、老夫婦、物置小屋で見た死体……。俺が聞いた話に酷似している。あの夫婦は毒を作って生計を立てていたんだろう。恐らく組織的に毒を作っているんだろうな。信じたくはないけど、陰陽道に精通した人物が裏で糸を引いているんじゃないかと思う。一種の呪術だろう」

 話していると、急に白虎と騰蛇の姿が消えた。

「駄目だ。俺も限界……」

 はるあきは力が枯渇したらしく、保っていられなくなったらしい。はるあきの顔が真っ青だ。

「ちょっと大丈夫? 凄い顔色悪いけど。私がちゃんと走れなかったせいだよね。ごめん……」

 力無く地面に寝転がるはるあきに申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら言う。

「大丈夫だ。もし、捕まってたら死んでただろうからな。無事逃げられてよかったよ。入山前に神言を唱えていてよかった。あれが無かったら逃げきれていなかったかも」

 そうだった。はるあきはあの時も力を使っていたんだ。あらゆる災難から自分を守る呪文。

「そういえば、逃げる前に老夫婦が倒れたのはなんで? はるあきが何かしたの?」

 はるあきが手を叩き鳴らした瞬間に2人が倒れたように見えたのだ。あの時は逃げる事に必死で聞きそびれていた。

「あーあれも、陰陽道の呪文だ。元は違ったみたいなんだが。人を即座に気絶させる呪文だよ。気絶している時間は人によるけど、逃げるだけの時間は稼げるからな。成功して良かったよ。俺も、あれは使うの初めてだったから」

 はるあきは、苦笑した。ぶっつけ本番でやったらしい。その大胆さがはるあきの凄い所だと思う。しかし、今回のことで私は少しはるあきに頼りすぎだと痛感した。何も役に立たない所か完全に足手まといだ。

「ねぇ、あのさ――私に体術と剣術を教えて欲しい。自分の身位自分で守れるようにならないと駄目だと思う。今ははるあきに助けて貰ってばかりで」

 寝転んでるはるあきの横に座り、見下ろす。はるあきは目を瞑ったまま返事をした。

「確かにな。俺が守れないときもあるだろうから、身に着けておいて損はないか。あとはあれだな……体力も付けないと、今のままじゃすぐ殺されそう」

 悔しいが確かにその通りだ。旅に出る前に鍛えていたとはいえ、全く足りていなかった。店や宿屋は当たり前にあると思っていたので、完全に見切り発車だったと猛省した。

 空を仰ぐと、東雲の色に染まり始めている。今はまだ、行く先が見えないが、ずっと暗闇なではない。この空の様にきっと明るい未来が待っているに違いない。

 なんでこうなったと嘆くよりも、これからどう行動すればいいかを考えよう。私は決心した。

「もう、朝か……。酷く眠いな。俺も一歩も動けないし、ここで少し寝る。竹之丞、見張りお願いできるか? 何かあったら越してくれ」

 私の肩に乗り、呑気に風の精霊と話をしていた竹ちゃんに、はるあきは見張りをお願いした。

「うん! 分かった。任せといて! 獣や悪い人間が来たら起こせばいいんだね」

 竹ちゃんは、仕事を任されご満悦な様子だ。

「ありがと。じゃあ、藍も少し寝とけよ。また歩かないとなんだから。もう疲れたからって騰蛇には乗せないからな」

 心配してくれているのだろうが、言い方をもう少し優しくできないものか。それに、大きな木下で雑魚寝とは何とも色気がない。私は嘆息し、朝露で少し濡れた草の上に横になる。

 こんな場所で眠れるわけがないと思いつつ横になったのだが、存外草はふかふかとしていて、風が優しく顔を撫でていき汗ばんだ体を冷やしてくれる。

「気持ちいい……」

 横で寝ているはるあきは、もう寝息を立てていた。はるあきがこんなに直ぐ深い眠りにつくのは一緒に旅に出てから初めて見た。

「竹ちゃん、私にかけてる幻術解いてくれる?」

 そのままの姿だと、不都合なので竹ちゃんに幻術で容姿を変えて貰っていた。幻術がかかったままだと、私の力を発揮できないので力を使いたい時は幻術を解いて貰う。

「うん。分かった――。解いたよ。何するの?」

 竹ちゃんはあっという間に幻術を解いてくれた。全身に力がみなぎっていくのを感じる。へその辺りからじんわりと熱が全身に流れる。

 私は横で気持ち良さそうに寝息を立てている、はるあきの手を握った。少しずつはるあきに力を流していく。

「これで少しは体力戻ればいいけど……」

 冒険ファンタジーで云う所の『治癒魔法』に近いと思う。これも天上人チートスキルらしく、特に訓練する事なく歩き始めたのと同時に使えていた。

「かぐやの力で治してあげたの? はるあき辛そうだったもんね。白虎と騰蛇ははるあきの思念で顕現してるから――はるあきが倒れちゃったら出てこれない」

 竹ちゃんのほうがよく知っている。あの2匹はそういう存在だったのか。思念体なのに触れるし、乗る事も出来た。余程はるあきの力が強くなければ出来ないのではないだろうか? はるあきは修行中の身だと話していたが、十分陰陽師としてやっていけそうだ。

 陽はすっかりと登っていたが、まだ夜の名残が空の端に浮かんでいる。

 光を失いかけたその輪郭は、薄絹の裏側からそっと覗く燈火のようにひっそりと存在していた。

 私は重くなった瞼を閉じるとすぐに微睡まどろみ、夢の中へと没入していった。

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