第5話 鬼が住むか蛇が住むか(前編)
森の奥に進むと次第に辺りが薄暗くなってきた。山深くに入り込んだせいもあるが、大分陽が翳り闇夜が私達を追いかけて来る。あんなに幻想的で綺麗だった山の風景も色を失うと途端におどろおどろしい様相を呈している。
今日の宿はまだ決まっていない。けれど、ずっと歩き通しの私の足は限界を超えている。輝夜姫に転生してからは勿論、前世でもこんなに山道を歩いた記憶がない。平坦な道とは違い、足場も悪く、苔むしている岩は特に滑りやすくなるので普段使わない筋肉を使う。
「おい! もう少し早く歩かないと民家や寺を見つける前に陽が落ち切ってしまうぞ」
はるあきはずっと先に進んでおり、私が追いつくのを待っている。その横には米俵を担いだ白虎の姿があった。米俵はとても貴重で有り難いが、旅をする時には不向きなお礼の品だと思う。白虎が居てくれなかったら、折角のお礼の品を返上しなければいけなかった。
「ちょっと待ってよ……。私だって一生懸命歩いてるんだよ? これでも。てか、本当に泊まれる所あるの? もう疲れたし野宿でよくない?」
私は疲れがピークに達しており、正常な判断が出来ないでいた。「とにかく座りたい」が先行して何も考えられなくなっている。
「馬鹿か? こんな場所で野宿とか自殺行為だぞ。生きたまま獣に喰われたいのか? 知ってるか? 獣はまず、柔らかくて栄養のある内臓から喰うらしいぞ。生きたまま臓物引きずり出されて、いっそのこと殺してくれと懇願する程苦痛だぞ」
遠くてそれを言うはるあきの表情までは見えないが、きっとにやりとして悪い顔をしているに違いない。そして、私はついついはるあきの言った事を想像してしまい、身の毛がよだつ。限界だった私の足は元気を取り戻し、はるあきの許まで半ば小走り気味になりながら急ぐ。
「やれば出来るじゃん。藍はなんでもすぐに諦め過ぎなんだよ。自分の限界を勝手に決めるのは悪い癖だぞ」
右の口角だけを吊り上げ、不敵な笑みを見せた。はるあきの口車に乗せられたのは癪だが、確かに一理あるかもしれない。前世の時の癖がまだ抜けてないようだ。
けれど、この世界ではそれではいけないのも分かっている。前世では頑張ったところでどうしようもないし、私なんかが頑張っても無意味だと決めつけていた。
それを、はるあきにまんまと見破られていたらしい。
「うん……ごめん」
私は素直に謝った。私のその悪癖のせいで、はるあきにまで迷惑を掛けてしまうところだった。はるあきは、私の旅に付き合ってくれているだけなのに、付き合って貰ってる私がこのままじゃいけない。
「珍しく素直じゃん。まさかの死亡フラグ?」
私が、フラグの意味を教えてあげてから、気に入ったらしくことあるごとに使ってくる。それが返って私の神経を逆撫でしてくるのだ。
「人が素直になったらすぐ調子乗る癖直したほがいいよ!」
たっぷりの皮肉を込めて進言してあげた。が、本人の心には全く響いていないようだ。
口では威勢よくはるあきに言い返すが、私の足は持ち上げるのが困難になってきていた。摺り足でなんとか足を前に出すが歩くペースは格段に落ちていた。
陽も落ちてしまい、闇に包まれる。はるあきが提灯を灯すが、その灯りだけでは何とも心許ない。
「ごめんね――私のせいで……」
辺りを警戒しながら、はるあきにまた謝る。
「仕方ないさ。今までこんな山に登る生活をしていなかったんだろうし。その割には頑張って歩いてるほうじゃね?」
はるあきなりに励ましてくれているのだ。口は悪いが心根はとても優しい。心が温かくなり自然と笑みが零れた。
「おい! あれって、小屋じゃないか?」
はるあきの背中を見ながら、先程の言葉を頭の中でリフレインしていると振り返り様にはるあきが、前方を指差して大きな声で話し掛けてきた。
はるあきが指差す方を見ても、私からはただの闇しか目視出来ない。
「ここからじゃ、はるあきの姿見るのがやっとだよ。暗くて先が見えない」
私は提灯を持っていないので、はるあきの提灯頼みで歩いている。よって、はるあきよりも奥はただの闇夜が広がっているだけだ。
私が追い付くまで待っていてくれたので、はるあきの側まで行くと確かに小屋らしき物が見えた。
「本当だ! 野宿は回避できるね」
私は、やっと休めると思い心が躍る。現金なもので重かった私の足取りも軽くなった。
小屋に1歩また1歩と近づいていく度に、弾んでいた私の心は落ち着いてきた。その小屋は異様な雰囲気に包まれていた。窓はなく、板で何重にも補強されている。
戸は
「この臭い何? 凄い臭いがする……。生臭いような、何かが腐ったような――」
はるあきも同様に、眉間に深い
「人は住んでいなそうだが……」
「すみません! どなたかいらっしゃいますか?」
はるあきは、戸を軽く叩いた。案の定、中から返事はない。誰もいないと踏んだはるあきは閂を外そうとする。
「ちょっと! 勝手に入ったらだめだよ! 他人の所有物なのに」
止めようとしたが、私の言葉を素直に聞く男ではない。そのまま外した閂を下に放ると、戸を開けた。
戸が開かれた瞬間、臭いが更に襲ってくる。あまりの臭さに、
はるあきも戸を開けた瞬間顔を背け、咳込んだ。
「酷い臭いだな。さすがにこんな場所に一晩も居られないな」
はるあきはどうやら、この小屋で一晩休もうと思っていたらしい。私も直ぐに休みたい気持ちはあるが、さすがにここでは寝れない。
「何でこんな酷い臭いがするの?」
はるあきが戸口の前で中の様子を探っていたので、私も横に並んで中を覗き込んだ。
中には何も置かれておらず、物置ではないらしい。けれど、床や壁、天井にまでどす黒いシミで覆われている。
「これ、血だな……」
どす黒いシミは血の痕だった。乾いてはまた新しい血で汚れ、それを何度も繰り返した様な痕だった。
「血って……此処で獲った獲物を解体したのかな?」
猟師が狩った物を自分で解体するのはこの時代では当たり前の事だ。この建物はその為の場所らしい。外で解体すれば、血の臭いで他の獣が寄ってくるので、小屋の中で解体しているのだろう。だから、板を何重に打ち付けて補強されていたのかと合点がいった。けれど、作業台や道具が一切ない。
「うーん……。まぁ……そんな感じなのかもな――」
はるあきはなんとも歯切れの悪い言い方をする。何頭もの獣が解体された場所だからか、居心地が悪い。悪臭のせいもあるが、それだけが原因ではない気がする。
「ここに解体小屋があるって事は、直ぐ近くにこの小屋の所有者が住んでるかもしれないね。もう少し進んでみようよ」
小屋の中をずっと隈なく観察しているはるあきに声を掛けた。これ以上この場に居たくない――それが私の本音だったが、はるあきには本当の気持ちを隠した。
「そうだな。そう遠くない場所に民家がありそうだ」
その場所から10分程度歩いて行くと、灯りが付いている家を見つけた。やはり、人が住んでいた。今度こそ休める。しかし、ここで断られたら野宿確定だな……。神に祈る様な気持ちで戸口へ向かう。
「夜分に申し訳ありません。旅の者なのですが、一晩泊めて頂けないでしょうか?」
はるあきが、戸を叩いて住人に声を掛ける。すると、戸口の直ぐ裏で声がした。
「はいはい。今開けますねー」
そう言いながら、建付けの悪くなった戸をガタガタ音を鳴らして老婆が顔を覗かせた。私は、自分よりも背の低い老婆だろうと、少し視線を下げていたが、顔を覗かせた場所ははるあきの背よりも上だった。
慌てて、老婆の顔に視線を合わせる。
戸をしっかり開き、姿を現した老婆はこの時代の女性にしては珍しく背が高い。女性だけではない……。男性よりも上背がありそうだ。
肩幅もがっしりとしていて、私など簡単に組み敷かれそうだ。けれど、老婆の表情は柔和で物腰の柔らかい話し方をしている。屈強ではあるが優しそうな印象だった。
「夜分に申し訳ありません。妹と旅をしているのですが、今晩の宿に困っておりまして。もし、ご迷惑ではなければ泊めて頂きたいのですが」
はるあきは、予め米俵から2合程の米を別の袋に詰め直していた物を老婆に差し出す。
「まぁまぁ。それはお困りでしょう。こんなあばら家でよければ是非泊っていってください。まぁ! これは、ご親切にどうもありがとう。こんな上等な物を頂いていいのかしら」
老婆は袋の中身を確認すると、目を少し大きくした。
「おじいさん。旅の方からこんな上等な物を頂きましたよ」
老婆は囲炉裏の傍に座っている老爺にはるあきが渡した袋を見せた。
「こんな高価な物を貰っていいのかねぇ? たいしたもてなしも出来ないんじゃが……」
老爺もまた、山の男と云う体躯をしていた。顔には、獣にやられたのか無数の古傷があった。老婆よりも更に背が高く、老爺と言ってもまだまだ元気で背筋もピンと張っている。
動物の皮で作っているらしい着物を着ていて、その袖からは筋骨隆々の腕が覗いている。素手で熊と戦えるのではないかという程逞しい体躯だ。
「いえ。今晩泊まる所がなくどうしようかと途方に暮れていた所、こちらの家が見えたので。泊めて頂けるだけで有難いです。本当に助かりました」
はるあきと私は老爺にも深々と頭を下げた。
「さぁさぁ、お腹空いているでしょう? こんな物しかありませんが、どうぞ召し上がってください」
2人は丁度夕食を摂ろうとしていたのか、茶碗には雑穀米が入っており囲炉裏には豚汁のような肉が入った味噌汁が鍋の中で、ぐつぐつと煮えていた。
「夕食時にすみません。自分達はいいので、気にせず召し上がって下さい」
私は老婆に言ったが、言った所で「わかりました」となるはずもなく、老婆は「沢山作っているので大丈夫ですよ。田舎料理でもよければ召し上がって下さい」
と椀に沢山入れてくれた。
「それでは……お言葉に甘えさせて頂きます」
頑なに断るのも失礼かと思い、私とはるあきは有難く好意に甘える事にした。椀を近づけると出汁のいい匂いが香ってきた。汁を啜ると、肉が入っている割にあっさりとしていた。
「お味はどう? 若い人のお口に合ったらいいんだけど。肉はね、この山で捕れた猪肉なんですよ。少し小ぶりの猪だったからちょっと脂身が少なくてあっさりした味になってしまったけど」
老婆が説明してくれた。やはり、先程の小屋は獲った獣を捌くための小屋だったんだなと胸の内で思いながら、説明してくれた猪肉をよばれた。
「本当だ。あっさりしてる。もっと獣臭いかと思ったけど、美味しい」
ジビエを食べたのは初めてだったので、少し口に入れるのに勇気がいったが脂身の少ない豚肉を食べている様だ。
「血抜きをちゃんとやらにゃー獣臭くて食べれたもんじゃないが、ちゃんと処理してやれば美味いんだ」
魚すら捌いたことのない私は、どんな手順でとかは分からないが単純に凄いと思う。本当に自給自足の生活で、前世でいかに私が恵まれた環境だったのかと今さらながら痛感する。
確かに、少し旅に出るつもりが延々と徒歩で大変な思いをしたり、お腹が空いても直ぐにどこかで買ってという訳にもいかない。水を飲むのでさえも苦労するが、生きている実感がして悪くはない。
前世で、もっと自分のやりたい事と向き合って頑張ってみればよかったなと思った。そしたら、何か変わっていたのかもしれない。しかし、考えた所で元の世界には帰れないので、ここでは前世の分も頑張って生きて行こうと思った。
ご飯の量はあまり食べてはいないが、雑穀米というのは固くて、自然としっかり咀嚼する為、ご飯の量があまりなくてもお腹がいっぱいになった気がする。前世でダイエット食として重宝されていた理由が分かる。
「よかったら、これどうぞ」
老婆が湯呑にとろりとした黄金色をした液体を入れて持ってきてくれた。
「これは?」
私は、老婆に訊いた。匂いは少し甘いような匂いがする。
「私が作った梅酒なんですよ。体が温まってよく眠れるから。よかったら」
と勧めてくれた。未成年なのに? と思ったが、ここでは前世と違い取り締まる法がない。それならと思って湯呑に手を掛けようとするとはるあきがそっと制止する。
「飲まないほうがいい」
一言耳打ちする。
「すいません。私共は下戸でして。一滴も飲めないんです」
はるあきが当たり触らずな言い訳を言う。すると、老婆も何故か老爺までスッと笑顔が消えた。
「そう。それは残念ね」
老婆はそう言うと、台所に戻り湯呑に注いでくれた梅酒を流した。捨てなくても、自分達が飲んだらいいのに。勿体ないと思ったが、まぁ私には関係ないので黙っていた。
ご飯を食べ終えると、お手洗いに行きたくなり場所を老婆に聞くと、外にある物置小屋2棟を越えた先にあると教えてくれた。この時代、トイレという明確な物は存在しない。老婆が教えてくれた手洗い所も深い穴を掘って衝立がしてあるだけの物だ。トイレの穴が闇過ぎて、かなり怖い。
「はるあきー! 近くにいてくれてる? 戻ってない?」
1人で行くのが怖すぎたので、恥を忍んではるあきに付いてきて貰った。面倒臭そうにするはるあきの腕を強引に引っ張り、立ち上がらせた。
老婆と老爺には「仲良しだねー」と笑われて恥ずかしかったが、背に腹は変えられない。
「ちゃんといるって! いい歳した女が男を便所なんかに誘うなよ」
ぶつくさ言っているが、普段私を微塵も女扱いしないくせにこんな時だけ都合よく性別を言ってくる。私だってできれば頼みたくなかったが、竹ちゃんもどこへ行ったのか一向に戻って来ないので、はるあきに頼むしかなかった。
足の間から青白い顔や手が出てきたらどうしようかと考えなくてもいい事が頭を占領している。『トイレの花子さん』や私が知りうる全てのトイレに纏わる怪談がこんな時だけ都合よく思い出される。
「大丈夫、何もいない。大丈夫。気のせいだよ。そうだ、『トイレの神様』歌えば怖くない! 感動の歌詞だもんね!」
私は木が騒めく音や、動物の足音、梟の声をかき消すように大きな声で歌った。けれど、こういう時だけは私の頭はよく回転するようで――トイレの神様の歌詞を思い出しながら、昔観た怖い映画のワンシーンや夏になるとよく特番をしている心霊系のテレビ番組のシーンを思い出していた。
やっと、尿意から解放された私は勢いよく衝立の外に出て、はるあきの姿を探す。はるあきはウンザリした顔で物置の壁にもたれ掛かっていた。
手を洗おうとしたが、水道もないので手が洗えない。雨水を貯めている
「用を足して、気持ちよく歌い出す程我慢してたのか? そんな時でも騒がしいんだな」
はるあきは腹の底から太くて長い息を吐いた。
「私だって、楽しくて騒がしくしてた訳じゃないし。仕方がない状態だったの!」
仕方がない状況だったとはいえ、はるあきに付いて来て貰ったのは間違いだったかもしれない。
「まぁ、なんでもいいや。早く戻るぞ」
トイレを我慢していたので来る時は確認出来なかったが、老夫婦が言っていた物置小屋の前を通った際に異臭がした。最初に見つけた小屋で嗅いだ臭いと同じような鼻を突く嫌な臭いだ。
物置小屋には窓があったので、月の灯りで中が見えそうだ。人様の物を勝手にジロジロと見るべきではないと思いながら、好奇心が勝り私の前を歩くはるあきに気付かれないよう、中を覗いた。
中には大きめのテーブルが置いてあった。その台には5箱程木箱が置かれていて、真っ白い粉が満遍なく撒かれているのが確認出来る。丁度、棺桶程の大きさの箱に何か大きな物を入れている様だが、窓からではよく分からない。
私は好奇心に負けて、小屋の中に入った。テーブルに近づくと白い粉を手に取り、手触りを確かめる。匂いを嗅いだが無臭だったのでそれが、石灰なのだと分かった。
昔、中学の運動会で体育委員をしていた時に、運動場にラインを引いたのでよく覚えていた。
それにしても、すごい量の石灰だ。中に何が入っているのか気になった私は、確認する為に石灰を払っていく。
すると、人間の足の指と思しきものが払いのけた石灰の合間からのぞいている。まさか……ドクンと心臓が波打ち、心拍数が早くなる。逸る気持ちを抑え、人形か何かだろうと自分自身に言い聞かせながら足元から徐々に上に向かって石灰を払う。
落ち着こうとするが手の震えは激しさを増し、ついに払う手を止めた。そこに浮かびあがったのは――開腹された人間の遺体だったのだ。
思わず悲鳴を上げそうになった所に、はるあきが後ろから私の口を塞ぐ。
「こんな所で悲鳴を上げるな。あの2人にこんな場所に居るのが見つかったら、何をされるか分からないぞ」
はるあきは耳元に口を当て、押し殺した声でそう囁いた。はるあきに口を塞がれたまま、私は何度も首を縦に振る。はるあきはそのままの体勢でまた囁く。
「今晩、あの2人が寝静まった後に此処を出るぞ。丁度、竹之丞も戻って来た。詳しい話しは此処を無事出れてからだ。2人には気付かれないように平然としているんだ。分かったな?」
はるあきの緊迫した声で、そこにある物が本物の死体だと物語っていた。開かれた腹は乱暴に糸で縫い付けられており、幸いにも中身を見なくて済んだ。けれど、石灰の盛り上がり方からして――首は斬り落とされている様だった。
平然としていろと言われても、死体なんて自分が死んだ時に見たのが始めてだった。まして、他人の死体など見た事もない。しかも、こんなグロテスクな死体だと尚の事脳裏に焼き付いて離れない。今にも泣いてしまいそうなのをぐっと耐える。
はるあきは私が悲鳴をあげないと分かると、口を塞いでいた手を離し、私が払いのけた石灰を元通りにした。
「とりあえず、手を洗わないとだな。こんな真っ白い手では、直ぐにバレてしまう」
虫が浮かんでいた
「ちゃんと用を足せましたか? なかなか戻って来ないので穴に落ちてるんじゃないかと心配しましたよ」
老婆はニコニコとしながらこちらにやって来る。警戒しているのか物置小屋の戸と窓を閉めながら声を掛けてきた。
老婆の笑顔さえも怖く感じてしまうのは、やはり先程のあれを見てしまったからだろうか。老婆の顔をまともに見れない。
「はい。大丈夫です。少し場所が分からず探してしまいましたけど」
はるあきは平然として老婆と話している。こういう時、はるあきは妙に饒舌になる。私としてはとてもありがたい。
老婆に連れられ、もとの住居棟に戻ると老爺の眼光が鋭く突き刺さる。老爺も見られてはいけない物を見られたのではと警戒しているらしい。
老婆は、私達に分からないように老爺に目配せをすると、老爺の視線も穏やかなものに変わった。あれを見た事がバレると殺される。私は本能でそう感じた。
「私、暗闇が苦手で……。1人ですぐに見つけられなくて少し時間が掛かってしまいました。ご心配お掛けしてすみません」
先程のはるあきを真似て、私もそう言い訳をした。声が震えないように、笑顔で言うが引き攣っているのが自分でも分かる。どうか、怪しまれませんようにと胸の内で祈りながら次の老爺の言葉を待つ。
少しの間も、永遠のように感じられ生きた心地がしなかった。
「おぉ……そうでしたか。ばあさんと、まさか穴に落ちているんじゃ――と思うて心配しとりました。無事に用が足せたならよかった」
老爺は満面の笑みで答えるが、瞳の奥では何かを探っているような眼光だった。なんとか信じて貰えたようだ。しかし、いい加減私のトイレ事情を話題にされるのも恥ずかしくなってきたので、誰か話題を変えて欲しいところではある。
居間の奥の部屋にはベッドでいうとダブルサイズ程の
「今日はお疲れでしょう。ゆっくりとお休み下さい」
老婆は私達に向かい、奥の部屋を指した。兄妹という設定にしていた為、1枚の莚しか用意されていなかった。今晩は寝るつもりがないので、老婆に促されるまま部屋に行き、木戸を閉めた。
横になり寝た振りをして、老夫婦が寝入るのを待っていたのだが、いくら待っても老夫婦は寝ない。食事をした居間でずっと何やら作業している様だ。このまま2人が朝まで寝なかったらどうなるのだろうと、心配になり始めた時だった。
『藍、起きてるか?』
小声ではるあきが訊ねてきた。
『うん。起きてるよ。あの2人寝ないつもりなのかな?』
私は、横になったままはるあきの方へ体を向ける。背を向けたままでは、はるあきの声が聞き取り辛かった。あまり大きな声を出すと2人に勘付かれてしまうので、少しでも聞こえやすい態勢になる。
『恐らくな。俺たちが寝たの見計らって何かするつもりのようだ』
やはり、はるあきも私と同じように考えていたらしい。これからどう動けばいいのか私の少ない知識で突破口を見つけようと熟考するが、何も思いつかない。
『俺が隙をつくるから、合図したら全速力で走れ』
2人は恐らく私達を殺そうとしているらしい。目的は多分、土間に置かせて貰っている米俵が目当てのようだ。
ずっと白虎を顕現させていると、はるあきにかなり負担がかかる様だ。この家に着いてすぐに、米俵を土間に置かせて貰っていた。白米はかなり貴重で、それだけでも売ればそれなりに纏まった金が手に入る。
『それは分かったけど、お米はどうするの? あれ置いて行ったら後々困らない?』
金は都でしか役に立たないので、実質あの米が私達の全財産となる。置いて行くには惜しい。
『それは大丈夫だ。俺たちが逃げた後でも白虎に取りに行かせる。白虎はあの2人には見えないから』
さすがはるあきだ。ちゃんとそこも考えられていた。後は、はるあきが合図するのを待つだけだ。
『藍は耳を塞いでろ。俺がこれから口にする文言を聞くな』
合図を出すから逃げろと言ったり、耳を塞げと言ったり……。合図は耳を塞いでても分かるように出してくれるのか――。諸々気になったが、今は言われた通り耳を塞いでおこう。両手でしっかりと耳を押さえて目だけはしっかり開けて、合図を見逃さない様にはるあきをじっと見つめた。
「あんたりをん、そくめつそく、びらりやびらり、そくめつめい、ざんざんきめい、ざんきせい――」
はるあきはよく分からない言葉を戸を閉ざしたまま居間に向かって唱え始めた。居間にまではるあきの声が聞こえているのか、聞こえていないのか、はたまた居間に誰も居ないのか戸が開かれる気配がない。
私は、はるあきが何をするつもりなのか分からず、ただ次の動きを待つしか出来ない。すると、居間とを隔てていた戸が突如開かれた。老夫婦が立ち上がってこちらを見下ろしていた。
「さっきから何をやってるんだ」
老爺がギロリと睨みを効かせた瞬間だった。はるあきは呪文を唱え終わり、1回両手を大きく打ち鳴らした。――パンッ!——ドサッ、ドサッ――
打ち鳴らしたのと同時に老夫婦がその場に倒れた。突然の出来事に私は呆気に取られていたが、はるあきに腕を掴まれた。
「今の内だ! 急いでここを出るぞ!」
今日1日ずっと歩き通しでクタクタだったのに、また走らないといけないのかとウンザリしながらも、殺されたくないのでなんとかはるあきに付いて行く。
どの位走れば老夫婦から逃れられるだろうと思いながら、真っ暗闇の森の中を走る。枝や草で顔や腕、足を引っ掻けながら血が出ても構わず足を動かす。苔むした岩場を踏み、転倒してもすぐに起き上がりはるあきに食らいつく。
この暗さでは数メートル離れただけで、すぐに姿が見えなくなりそうだ。はるあきも後ろを気にしながら走ってくれるが、何分はるあきと私では元の体力が全然違う。ちょっと目を離した隙に闇に囚われてしまう。
「ここまでが限界か」
はるあきが急に立ち止まった。やっと私がはるあきに追い付くと、米俵を担いだ白虎がどこからともなく現れた。漆黒の闇の中で、白虎の姿は白く輝きその美しさに圧倒される。
「
はるあきが空に向かい、札を投げながら名を呼ぶ。流れ星の様に眩い光を身に纏い騰蛇がその美しい姿態をくねらせ私たちの目の前に舞い降りた。
「藍、上に乗れ!」
私とはるあきは騰蛇の上に乗ると、その体は徐々に高度を上げていく。
「え⁉ 待って。まさか、空を飛ぶ気?」
高所恐怖症ではないが、命綱やシートベルトがない蛇の体に乗って怖くないはずがない。当然ながら騰蛇は蛇だ。体は湾曲してツルツルしている。
少しでも動けばバランスを崩して地上に真っ逆さまに落ち、高所から落としたスイカの如き有様になる事必至。彫像のように固まり、瞼はギュッと閉じていた。
ただ、時間が過ぎるのを静かに待った。
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