第3話 報恩謝徳(中編)

 屋敷の中は意外にも質素であるが、埃などはなく掃除が行き届いている。

 領主だからと言って、贅沢をしている訳ではなさそうだ。私があまりにもきょろきょろと屋敷内を見ていたので、はるあきに腕で小突かれた。

「あんまり見るな。失礼だろ」

「構いませんよ。御覧の通りの面白みのない屋敷でお恥ずかしいですが」

 領主様は人の良さそうな笑顔を向けてくれた。よく時代劇なんかで見る悪徳領主のイメージだったが、当たり前の話しだが現実はいい領主様も居る。

「すみません。実家の家以外に人様の家の中に上がるのが初めてだったので」

 私は平謝りをして、以降ははるあきの背中だけを見て歩いた。長い廊下を奥に進み、領主は障子を開ける。

「どうぞこちらへ」

 通された部屋の床の間には立派な掛け軸が掛けられており、下には瑞々しく咲き誇っている季節の花が飾られている。今朝、花を生けたのだろう。質素ながらセンスが感じられる。

 部屋には既に座布団が用意されていて、領主に促され私とはるあきは座布団の上に腰を下ろした。

「お2人で旅をされていると聞きましたが、どちらまで行かれるんですか?」

 この時代、旅をする人は珍しく、ましてや子供2人で旅をする者など滅多に居ないらしい。領主は余程の事情があると思ったのか、私達の顔色を窺いながら訊ねた。

 丁度、その時「失礼します」と声がした後、襖が開いて綺麗な着物を着た中年女性が盆に茶器を乗せて入ってきた。

「私の家内です。我が家にも子供が3人おりまして長男があなた方と同じ年頃なのです。ですので2人だけで旅をしてると聞き、人事とは思えず。不躾な質問で申し訳ない」

 領主は軽く頭を下げた。その間に領主の妻が私達の前に茶の入った湯呑を置いてくれた。私は、妻に向かい「ありがとうございます」と言って、早速手に持ちカラカラになった喉に流し込む。

 私が前に生活をしていた時代で当たり前に飲んでいた緑茶はこの時代にはまだないらしい。緑茶の元祖である飲み物もある事はあるが、高級品で貴族ではない庶民は麦湯など穀物を炒って水に浸けていた残り汁をお茶代わりに飲んでいる。

 麦茶よりも味が薄く、麦茶を飲んでいた私にとって少し飲みにくい味だったが、カラカラに喉が渇いている状況では美味しく感じる。

 領主の妻はお茶を出して直ぐに下がろうとしたが、領主が「お前もここにいなさい」と呼び止めた。

「こちら、ご兄妹で旅をしているそうだ。今日の宿に困っているので今晩はこちらに泊って頂こうと思っているんだ」

 領主は妻に説明した。

「まぁ! お二人で? それは不便な事もありましょう。このような所でよければ是非泊っていってください」

 領主の妻も快諾してくれた。この時代の人たちはとても親切だ。何処の誰かも知らない人を自宅に泊めるなど、前の時代であれば有り得ない。

「ありがとうございます。私は、陰陽師としての研鑽を積む為に旅をしているのです。私が家を空けると妹は……その、故郷で1人になってしまうので、一緒に旅をしているのです」

 はるあきは口から出鱈目な話をいとも簡単に吐き出す。よく、言葉に詰まらずそんな嘘が吐けるものだと、感心しながら麦湯を飲み干した。

「そんなご事情が――。1人になると云う事はご両親は既に……」

 領主がそこまで言って口を噤んでしまった。

「ええ……。母は妹を産んだ時に。そして父は昨年、流行り病で」

 はるあきは悲しそうに目を細め、私に顔を向けると薄く笑った。今、この人の頭の中には誰の顔が浮かんでいるのだろうか。私は竹から産まれたので、両親はいないし、誰も亡くなってはいない。私は半ば冷めた目で見つめ返した。

「そう……。それは、さぞお辛かったでしょう」

 領主の妻は、はるあきのでっち上げた物語に胸を痛め、涙ぐんでくれている。私が吐いた嘘ではないが、申し訳なさで顔をまともに見れず俯いた。領主の目には私が当時を回顧して辛くなってしまったのだと映ったらしく

「そんなお辛い過去があったとは。思い出させてしまい本当に申し訳ない」

 領主は慌てた様子で、私の顔とはるあきの顔を交互に見ている。そんな領主を見ていると心が痛む。と、ここではるあきが急に話題を変えた。

「昨晩、あちらの山の中にあったお寺に泊めて貰ったのですが、町の入り口にある川がよく氾濫すると聞いたのですが」

 元より、この話を聞くためにここに来た。やっと本題に入り、胸を撫でおろす。仕方がないとはいえ、こんないい人達の前でもう嘘は吐きたくない。

 領主と妻は、途端に顔が曇った。2人で顔を見合わせ、領主は嘆息し、妻は口を噤みそのまま俯いてしまった。

「そうですか……。聞いたのですね。仰る通り、雨が降る度に川は氾濫してしまいます。それで、何人もの命が犠牲になりました。私共としましても、何がいけないのか頭を捻り、策を講じましたが結局どれも効果がありませんでした」

 言い終わると、ずっと俯いている妻の手を取った。妻の肩が微かに震えている。泣いている様だ。

「お前はもう、あっちへ行って休みなさい。後の事は私がするから」

 領主は優しく妻に声を掛けると、妻は「申し訳ありません。これで失礼致します」と私達に言うと、部屋を出て行った。

「申し訳ありません。実は――私共の末の娘が昨年の暮れに氾濫した川に流されて亡くなってまして。妻はまだ心の整理がついていないようでして」

 まさか、領主の子供が犠牲になっていたとは知らず、言葉を失ってしまった。はるあきもそれは同じだったようで、すぐに言葉が出て来ない。一寸間静寂が空間を包む。

 静寂を破ったのは、はるあきだった。

「こちらこそ、不躾な事を訊いてしまい申し訳ございません。奥様は大丈夫でしょうか? まだ亡くなられて数か月しか経っていないのでしたら、気持ちの整理もついていないでしょう。ご心中お察し申し上げます」

 鹿爪顔をし、深々と頭を下げる。

「これはご丁寧にありがとうございます。そう言って頂けて助かります。妻も少し休めば大丈夫だと思います。お心遣いに感謝します」

 領主は乾いた笑顔を浮かべた。領主もまだ心の整理がついていないのだ。領主の笑顔を見ると、胸が締め付けられる。

 そんな気持ちを押し殺し、子供相手であるのに領主はとても丁寧で真摯に話をしてくれる。この屋敷を見た通り、謙虚で真面目、細やかな配慮が出来る人柄だと分かる。

 そして、領主はぽつりぽつりと語り始めた。

「丁度、2年前の今頃だったと思います。集中豪雨が町を襲いました。見る間に川の水位が上昇し、濁った水が勢いを増して流れていきました。その流れは木をも押し流す程の勢いでした。数年前にも同じように集中豪雨に襲われた事がありましたので、川のすぐ傍の家に住む町人に避難を促しました。

 町人を一時私の家に避難させてすぐ、川はついに氾濫しました。避難をした町人の家を呑み込み、橋も吞み込んで甚大な被害が出たのです。

 それから少しして、やっと雨足が弱まり川の水位も下がりました。たった数刻の出来事ではありましたが、何もかも奪われました。中には避難が間に合わず、犠牲になった町人も何人かいました。

 橋は決壊し、山へ続く道も土砂崩れで塞がれてしまいました。田植えを終えたばかりだった田も、植えた苗のほとんどが駄目になってしまいました。それから生活を立て直すのに数か月を要しました。その間、他の町へ行くことも出来ず、食べる物にも困りました。

 町人の心は荒み、小さないざこざが絶えなくなっていき……」

 そこまで言うと、領主は口を噤み俯いてしまった。

「それで、橋を作り直す際に人柱を立てた――ですよね?」

 はるあきの発した言葉に耳を疑った。その言葉を頭で処理出来ず、何を言っているのか理解できなかった。脳内でパニックになっていた。

 領主ははるあきの問いには答えず、膝の上に置いた拳を強く握っていた。僅かに肩も震えている。

「え――『ひとばしら』って人に柱で『人柱』? そんなまさか……は、はるあきも意地が悪いなー。ははっ……そんなの現実である訳ないじゃん。領主様に対して失礼だよ」

 面白い話しでもないのに、その場の空気を取り繕うように乾いた笑いが出てくる。そんな私の言葉にも領主は何も言わず、ずっと強く握った拳を見つめていた。

「あの橋の側に生えていた松の木――。無数の瘤が出来ているのを知ってますよね? そして、その瘤が人の顔に見える事も。その顔に見覚えがあるのではないですか?」

 はるあきは尚も領主に質問を続ける。はるあきは雨の度に川が氾濫する原因が何かを分かっているような口振りだった。

 はるあきの言葉を聞いた領主は緩慢な動作で顔を上げた。けれど、視線は私達2人に向けられず、畳に注がれていた。

「――仰る通りです。私達は……自分達の生活を守る為に、とても人とは思えないような酷い……」

 そう言うと、領主は再度俯き嗚咽を漏らした。

「私達はもう人ではない――。鬼のような所業を……あの子に――」

 肩を震わせ、膝に置かれた拳を濡らす。それだけで、領主や町人が何をしたのか語るには十分だった。

「そんな……」

 昔の日本でそんな悪習があったのは歴史の授業で聞いていた。生贄を捧げる事で天災がどうにかなるはずもないのに、無意味な事するな――その程度の気持ちだった。けれど、今私が居る世界はなのだと突き付けられた思いがした。

 領主を見るに、その行為を悔いているように見えるが、だからと云って許される訳がない。皆、飢えで苦しんでいたのだと言い訳されても人柱にされた人の魂が浮かばれる事はないし、その行為が正当であったと私は思えない。

 ただ、私は飢えに苦しんだ事がない。災害によって住む家を無くした事もない。そんな私が領主や町人を責められるはずもなかった。納得も出来ず、でも領主や町人の心情を慮ると――そんな相反する気持ちが心に蟠っていた。

「私が全て悪いのです。町の人の不安を払拭してあげられなかった。陸の孤島となってしまった町をもっと早くどうにか出来て居れば……。まだ幼かった彼女を守ってあげられた。私がもっと立派な領主なら……」

 授業で聞いただけの内容だと、人柱はその時代には当たり前の出来事だと思っていた。けれど、目の前に居る領主を見ると、全員が納得した上で行われているのではないと知った。領主の様に胸を痛めている人も少ないなりにもちゃんと居る。

「人柱を立てるのは町人皆で決めたのですか?」

 はるあきは領主の悔恨など聞いていない――いや、怒っているのだ。はるあきは身勝手な領主や町人によって殺された人を思い、静かに怒っていた。

「いえ……。確かに、人柱を立てたほうがいいという意見は大多数の人間が言っていましたが、本当に人柱を立てたと知る者はごく一部です。女、子供には話していません……」

「はーっ」

 はるあきはひと際大きな溜息を吐いた。領主の肩がビクリと跳ねる。

「女、子供には話していない? 町の犠牲になった人の体を踏みながら橋を渡っているのに? また、随分と残酷な事をするんですね。あの子の魂が浮かばれないはずだ」

 とても同じ歳とは思えない程、冷たい瞳をしていた。私ですら背筋がぞくりとする。

「あの、あなたは陰陽師としての研鑽を積む為に旅をしていると仰られていましたよね? 本当に勝手なお願いですが、もし何かお気づきの事があるのでしたら、この町とあの子を救っては下さいませんか? どうか……」

 領主ははるあきの前ににじり寄ると、頭を畳に擦り付けるようにしてひれ伏した。

「頭を上げてください。――分かりました。ご依頼とあらばなんとか致しましょう」

 はるあきはにこりともせず、冷たい眼差しのまま返事をした。

「ありがとうございます。私共で払える物ならなんなりと払います。何卒宜しくお願い致します。滞在中は私共の屋敷を使って下さい。今、お部屋まで案内させます。――誰か!」 

 領主が言うと、すぐ襖の向こうに人影が映った。

「お呼びでしょうか?」

 襖を閉めたまま、人影がその場に正座すると領主に訪ねる。

「客人を部屋まで案内してくれ」

「かしこまりました」

 人影はそう言うと、襖をゆっくりと開けた。門で対応してくれた青年が顔を覗かせる。

「うちの使用人の弥吉です。弥吉、この御二方を部屋まで案内しておくれ。それでは、夕飯までごゆるりとお寛ぎ下さい」

 弥吉と云う青年は軽く頭を下げると「こちらです」と立ち上がった。私とはるあきは領主に頭を下げ、部屋を後にした。

 案内された部屋は4.5畳程の部屋だった。角には布団が2組用意されている。

「え……もしかして、はるあきと同じ部屋なの?」

 私はてっきり1人1部屋だと思っていた。ここに案内してくれた弥吉は役目を終えたとばかりに既に自分の持ち場に戻って行った。

「仕方ないだろう。兄妹って事になってんだから。贅沢言うな」

 はるあきは何も気にしてなさそうに簡単に言ってくれるが、この狭い部屋で布団を敷くとはるあきの布団との距離はほぼない。

 仕切りもない部屋なので、着替えをするにはどうしたものかと頭をもたげる。

「着替える時は言ってくれたら、目を瞑っとくか部屋から出るから安心しろ。誰もお前の着替えに興味はない」

 全く露程にも興味がないのはよく分かった。けれど、それはそれで……女として魅力がないと言われているようで腹が立つ。

「そうですか! 分かりましたー。それなら安心ですー」

 抑揚のない言い方で返事をする。

「何で機嫌悪くなってんだよ。はぁー女って分かんねー」

 はるあきは心底呆れたように言う。荷物を部屋に置き、用意してくれたお茶と李子すももを食べ寛いだ。

「ねぇ、あんな事言って大丈夫なの?」

 何の前置きもなく、荷物の整理をしているはるあきの背中に向かって訊いた。

「あんな事って?」

「んーだから、『川の氾濫を止める』みたいな事言ってたじゃん? 本当にどうにか出来るの?」

「あーそれか。そうだな。多分大丈夫。一旦は俺がどうにかするけど、後は町の人の頑張り次第ってとこかな。俺1人の力じゃ、根本的な解決には至らない」

 フワッとした言い方しかしないので、私にははるあきの考えが読めなかった。確かに私は何も出来ないし、はるあきの力にはなれないかもしれないが少しは頼って欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。

 はるあきと出会ってから、助けて貰ってばかりで私は何も返せていない。成り行きとはいえ、同じ旅をする仲間としてはるあきをもっと理解したいと思う。こう思うのは私だけなのだろうか――。少し寂しい気持ちではるあきの背中を見つめた。

 その日の晩、豪華な食事が用意された。家を出てから、まともなご飯を食べていなかったのでアワやキビの雑穀でもとても美味しく感じた。

「この町でも米を作っているのに、食卓には出ないんだね。てっきり白米かと思ってたんだけど」

 部屋に戻り、はるあきに疑問を投げかけた。何となく、この家の人達に訊くのは憚られた。

「……お前……それ、俺意外の人の前で絶対口にするんじゃねーぞ」

 はるあきは、鋭い眼光で私を見た。あまりにも冷たく刺すような視線を向けられ、心臓を鷲掴みにされたように息苦しくなる。

「う、うん……絶対言わない」

「米はな、作っても税として国に納めなきゃいけない。白米なんて貴族しか食べられないんだぞ。何処に行っても重い税で民衆は苦しめられてる。そんな人たちの前で不用意に口にするな。知りませんでしたじゃ通用しねーぞ」

 領主一家がいる場で発言してなくて心底良かったと思う。私はあまりにこの時代の有り様を知らなすぎると猛省した。

「うん……。そうだよね。本当にごめん。私、はるあきに対しても失礼な発言をしてしまう事があるかもしれない。その時は今みたいに教えて貰えたら有難い。はるあきから見たら私、すごく世間ずれしてると思うから」

 はるあきはすぐにいつもの顔に戻った。

「分かった。俺もきつく言い過ぎた。分からない事があったら、まず俺に訊け。お前がどんな生活を送ってきたのかは知らないが、滅多に自宅から出た事がないんだろうなって、初めて会った時で分かってるから」

 はるあきは柔らかい笑顔で、私の頭を二度軽く叩いた。私の胸は先程の鷲掴みされた感覚とは異なった息苦しさを感じた。顔が急激に熱くなる。

「は、はるあきって距離感バグってるよね……」

 熱くなった顔を見られたくなくて俯いた。時々、はるあきはこうして何の気なしに距離を詰めてくる。私はどう対応していいか困ってしまう。はるあきは私の頭に手を置いたままだ。

「ばぐ……? え? 藍はたまに意味不明な言葉使うよな」

 はるあきは破顔し、再度私の頭を軽く叩くと手を下した。途端に、息がしやすくなった。この感覚はなんだろう。私は、正体不明の息苦しさに困惑した。


  翌日、私とはるあきは領主から人柱となった子の話しを聞いた。町の人にも話を訊こうと思ったのだが、相変わらず私達は避けられていた。ただ単に正体不明な人と話すのが嫌なのか、藪をつつかれるのが嫌なのか。

 兎に角埒が明かないので、領主に話しを訊くしかなかった。

「人柱になったのは9歳の女の子でした。私の末の娘と同じ歳で、娘とは仲が良く時々遊びに来ていました。

 その子の両親は2年前の集中豪雨で家を流されてしまって……その時に2人共亡くなってしまいました。その子の父親は流されている最中に、最期の力を振り絞り橋の近くにある松の木にその子を登らせたので、その子だけ助かったらしいです。

 けれど、両親を亡くしてしまったその子を可哀想には思っても、面倒を見ようとする者はいませんでした。皆、自分の家族で精一杯だったんです。無理もありません。

 あまりにも不憫だったので、私の小間使いとして働くという条件で迎え入れました。皆、生活に困っていたのでその子だけ特別にとはいかなかったものですから」

 領主も苦渋の選択だったのだ。見捨てる訳にもいかず、かといって領主の家族も食うに困る生活だったのに納得させるだけの理由がなければいけない。

「両親が居ないから、その子を人柱に立てようと誰かが言い始めたんですね?」

 はるあきがそう訊ねた。

「はい……。皆、精神的にも極限だったのです。もちろん、中には私の様に止める者もおりましたが、聞き入れては貰えませんでした。そして、事件は起こりました。

 橋を直そうと、基礎を作り始めた頃です。その日は朝からシトシトと雨が降り続いていました。私は、町の反対側で土砂崩れの撤去作業をしていると、橋を作っていた町人の1人が血相を変えてやってきました。『とりあえず、橋まで来てくれ』と。

 只事ではないと感じた私は、作業を中断して橋へと急ぎました。橋の作業をしている場所まで行くと、数人の町人が何かを囲むように立っていました。そして、基礎に使う為に集めた石を手に持って投げ込んでいるのです。

 嫌な予感がして、囲んでる者を押しのけて前に出ると……。顔の穴という穴から大量の血を流し……顔がどす黒く変色した少女が……苦悶……の表情を残し息絶えていました」

 言い終えるか終えないかのタイミングで領主は「すみません」と口を押え、部屋を出て行った。領主の頭にはその時の様子が鮮明に蘇ってきたのだろう。

「なんと惨いことを……」

 領主が部屋を出て行ってから、はるあきはぽつりと呟いた。ただ、私には想像が出来なかった。大きな石を乗せられたら、圧死するのは容易に想像できる。けれど、小さい小石なら1粒が大した重さにはならない。

「ねぇ、また呆れられるかもしれないんだけどさ――」

「何?」

「小石は大した重さじゃないでしょ? それなのに、人って死ぬの?」

 適切な言い回しが浮かんでこず、ストレートな聞き方になってしまった。はるあきは、ちらりと私を見ると大きく息を吐いた。呆れたというよりは、どう説明しようかと悩んでいる風だ。

「そうだな、小石でも、数十個程度なら死にはしない。けど、立に長い穴を掘ってそこに人を入れる。そこに、小さめの石を入れていくと、どんどん圧力が加わっていく。水なら上に押し上げられて溢れるが、人間ではそうはいかない。血が塞き止められ、行き場をなくした血液が上に溜まり鬱血する。圧力で内臓は潰れて行き、骨も圧力により軋み折れる。大きな石で一瞬の内に潰されるほうがまだマシだ」

 私は言葉を失った。それではまるで拷問だ。普通の人間にそんな惨い殺し方が出来るのか? 自分達が安心したいというだけの理由で。

「確かに惨いし、普通の精神じゃ出来ないと思う。けど、飢餓というのはそれ程心を荒ませて人間を悪魔に変えてしまう。その子の死に顔を見たんだ。領主がああなるのも仕方ない――」

 私は、それに対しての答えを持ち合わせてはいなかった。そして、はるあきもその後口を開かなかった。重苦しい空気だけが部屋を包んでいる。

「中座して申し訳ありませんでした」

 領主が青白い顔をして部屋へ戻ってきた。まだ気分が優れないのか、鳩尾みぞおち辺りを擦っている。

「もう体調は大丈夫なのですか? もし、まだ気分が優れないのでしたらお部屋で休んで下さい」

 はるあきは社交辞令のテンプレ的な言葉を掛ける。

「お心遣い痛み入ります。私は大丈夫です。――お話の続きですが、それから暫くは何事もなく過ぎていたのです。けれど、昨年の今頃から雨の度に川が氾濫し始め毎回最低1人は氾濫によって亡くなる者が出始めました。

 不思議な事に、川に呑み込まれてもこの町の者ではない貴殿と同じような旅人は助かるのです。まるで、この町の者を選んで死なせているような……。次第に町の者は雨が降り始めると、橋には近づかなくなりました。けれど、何故か犠牲者が出るのです。あの子の呪いなのではないかと――人柱を立てたと知る者が言い始めたのです。きっと寂しかったのかもしれません。仲が良かった私の娘を連れていきましたから……。妻や子供たちは人柱を立てた事実は知りません。

 ただ、何故家に居たはずの末娘が雨が降っている中わざわざ橋に行ったのか。妻や私は子供たちに『雨が降っている間は橋に近づかないように』と十分言い聞かせていたにも関わらずです」

 はるあきは何も言わず、領主の話しに聞き入っている。そして領主はこう付け加えた。

「私は、もしかしたらあの子の呪いではないかと思いました。あんな惨い事をした私達を許せないのだと――」

 領主は憔悴しきった顔で呟いた。領主は少女を死なせてしまった事を悔いているのだ。罪の意識に苛まれ、ずっと自分を責めていたのかもしれない。

「その町の人達に殺された少女の墓はどこにありますか? それか祠か」

 墓参りでもするつもりなのか、唐突にはるあきは領主に訊ねた。領主は何かを言いかけて言い淀み、また視線を私達から逸らした。

「まさか……犠牲にしといて、墓かその子を祀った祠もないのですか?」

 はるあきは怒気を強めた。領主は俯いたまま重い口を開く。

「その場に居た者たち以外には何があったか知らないので……。その子は遠い親戚の家に行ったと伝えています。あの雨の日……山側の一部の土砂を取り除けたので、そこから引き取りに来て貰ったと説明しました。その時にやっと土砂を一部取り除けたのは本当ですから」

 領主はこう言うが、実際の町人の様子を見る限り、ある程度何があったか勘付いているはずだ。けれどそれを口にしてしまえば何かが崩れてしまうのではないかと、皆口を噤んでいるのだ。自分は関係ない。自分は何も知らないと思い込もうとしている様だった。

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