第2話 報恩謝徳(前編)

 自宅があった竹林を抜けると、田園が広がっていた。

 田植えを終えた田園は、まだ柔らかな水鏡を胸に抱いていた。

 風がそよげば、植えたばかりの苗の列がゆらりと波打ち、息をそろえて首を振る。水面には、空の青と雲の白が淡く溶け合い、産卵の為に戻ってきた燕の影が鋭い線を描いては消えていく。

 肺いっぱいに空気を取り込むと、湿った土の香りが鼻孔をくすぐり、どこか懐かしく安堵する。

 (そうか……この匂い、ママの実家の匂いだ)

 陽光は柔らかく、世界全体が深い呼吸を吐いているようだった。同じ日本であるはずなのに、私が住んでいた時代とは何もかもが違った。自然と人間、獣や虫すべての生き物が互いを尊重し、していた。

「かぐや、これからどうするの?」

 竹ちゃんが私の肩に乗ったまま訊ねる。

「んー、とりあえず北に向かって行こうかなって思ってるけど……。歩いて行くとどの位時間かかるかとか全然分かんないんだよね」

 道路標識がある訳でもないし、ナビも地図さえないので北と簡単に言ったが果たしてこの方向であっているのかさえ怪しい。

「【仏の御石の鉢】って遠江とおとうみの国の霊山? にあるんだよね?」

 竹ちゃんに訊く。私が転生する前は竹取物語は空想の物語で宝なんて本当は何処にもないと思っていた。けれど、求婚者たちに宝を取ってくるようにお願いした晩、竹ちゃんの口から衝撃な言葉が出た。

「かぐやは外に出た事ないのに、よくあんな宝知ってたよね。どれもすぐ取ってこれる物じゃないし。かぐやはどこで知ったの?」

――と。

「え? 宝って本当にあるの? ただのお伽話じゃなく?」

 そう訊いた私に、竹ちゃんはあっけらかんとして言った。

「あるよ? 詳しい場所までは分からないけど……。だいたい何処にあるか位は分かるよ。精霊同士で情報を聞いたりするし」

 その時、【仏の御石の鉢】は恐らく遠江の国、前世の東海地方にあたる霊山にあるのだと教えて貰った。

 私の乏しい知識では東海地方の霊山といえば、富士山しか考えられないのだが、果たして正しいのか――。

 しかし、授業で習った時は確か『天竺(インド)』にあると書かれていたのだが……。竹ちゃんが言うには日本国内にあるらしい。思ったよりも簡単に手に入りそうだ。国内にあるにも関わらず、石作の皇子は面倒がって適当な鉢を持ってきたのだ。私を世間知らずな女だと見下して、騙せると思われていたのが少々癪に障る。

「最初に【仏の御石の鉢】を取りに行くならそうだね。東海の霊山だよ。1番大きな山」

 それなら、やはり富士山に違いない。それにしても、行けど行けど田んぼしか見えない。本当にこちらの方向であっているのか不安に駆られる。最初は安心感を与えてくれていた田園風景も、今では懸念材料でしかない。民家も小さな掘っ立て小屋のような建物がちらほら見えるだけ。

 と、私はここである事に気が付いた。

「ねぇ、竹ちゃん……。街灯が見えないんだけど、夜になると真っ暗になるんじゃ……」

 竹ちゃんは目を丸くして驚いた表情をした。

「え? 何言ってるの? 夜は暗いに決まってるじゃん。お日様が隠れているんだから。夜になると人間の時間は終わって、魔の時間だよ? かぐやは時々可笑しな事を言うよね」

 ケラケラと笑っているが、今から凡そ千年後には夜も人間の時間になっている。『眠らない町』という二つ名がついている町もある程だ。仮に妖が本当に居るのであれば闊歩できる時間帯はない。街灯や店の灯りで夜でも明るい。妖が隠れらる暗闇は随分と減ったように思う。

「妖って妖怪? えっ? 居るの? じゃぁ、もし人間が夜に外にいるとどうなるの?」

 何もかもが私の常識とは異なる。

「ん~……僕も詳しい事は分からないけど、人間が妖に悪戯されてるのは時々見てたよ。後は、憑りつかれちゃったり。でも、妖に悪戯されなくても、夜は夜で人間でも盗賊? って悪い人も居るから。その人たちに荷物盗られたりかな。後は若い女の子は昼でも人攫いに遭ったりするからなぁー。かぐやも危ないかも」

 いけしゃあしゃあと言ってくれた。

「そんなの、家を出る前に言ってよ! 人攫いって……」

 私は急に不安に襲われた。

「だから、男物の着物着て髪を高い位置で一つに結んで男みたいに振る舞ってって教えてあげたじゃん。でも……そうだな。かぐやは目立つから少し幻術で見た目を変えた方がいいかもね」

 竹ちゃんはそういうと私の顔を小さな指でちょんと触った。

「うん。これでよし! 妖には幻術効かないと思うけど人間の目なら、かぐやが今の顔と違って見えると思うよ」

「竹ちゃんって魔法を使えるの?」

 この時代には魔法があるのか……。大昔の日本と同じに見えても、やはり異世界なのだろうか。

「魔法? って何? 僕が使ったのは精霊術だよ。本当に顔を変えてる訳じゃなくて、人間の目を誤魔化してるだけ。化狸と同じ感じかな!」

 私にも魔法が使えるのかと期待したが無理そうだ。

「人間の私には使えないのかー。残念」

 肩を落として嘆息する。

「精霊術は使えないけど、かぐやは人間と違うから――。天上人の力はあると思うよ。かぐやを覆っていた光もその1つだよ。あの光は邪気を祓って、悪鬼を寄せ付けない。人を癒す力もあるから」

「ただ眩しいだけじゃないんだ! 天上人チートスキルすごっっ! 妖怪が寄ってきたら光を解放したらいいって事だね」

 ただ眩しいだけの迷惑な光だと思っていたけど、案外使えそうだ。

「僕の幻術が効いてる時はかぐやの力は100%の効果は出ないから、その時は幻術解くから言ってね」

 右も左も分からない現状で、竹ちゃんの存在は心強い。竹ちゃんが居てくれて本当によかった。

 竹ちゃんと話しながらずっと歩いていると、次第に陽が傾きかけてきた。辺りは田園風景だったのが、住宅が密集している場所まで来ていた。ここは少し大きめの村なのだろうか。

 その時、男が1人話し掛けてきた。

「君はここの村の者ではないだろう? 女の子1人で旅をしているのか? 陽が完全に落ちたら危ない。今日泊る所はあるのかい?」

 20代前半くらいの優しそうなお兄さんだった。聞かれて、私は何処に泊るか考えていなかったと気付く。

 確かに、早急に探さなくては真っ暗な中、野宿をする羽目になってしまう。竹ちゃん曰く、妖だけではなく、獣――熊や猪、狼まで居るらしい。

「いえ……。宿はこれから探す感じですね」

 男にそう説明すると、男は眉尻を下げ心配そうな表情をした。

「それはいけない。これからの時間帯は特に女の子1人で居るのは危ないよ? もしよかった家に泊るかい? 家には私の両親と妻と幼い子供が居るから寝るには少し狭いかもしれないけど」

 男はにっこりと笑顔でそう申し出てくれた。

「いいんですか? ありがたいです。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰います!」

 私は男の提案に一も二もなく飛びついた。「じゃぁ、私の家に行こう」と言う男の後ろを付いて行く。

 その時、腕を強く引っ張られ足元がふらついた。驚いて後ろを振り向くと、私と同じ位の年齢の、とても顔立ちが綺麗な子が私の腕を掴んでいた。

「誰?」

 私の問いには答えず、更に腕を引っ張り私と、親切なお兄さんの間に割って入った。私の前を歩いていたお兄さんも、私の声で後ろを振り返った。

「君の知り合いの子かな? 1人旅かと思ってたけど、女の子の2人旅だったんだね。友達もよかったら家に泊るといい。妻に温かい食事を用意して貰うよ」

 お兄さんはその子にも優しくそう言った。

「女? だれが女だって? 随分視力が悪いようだな。人攫い」

 私もてっきり女の子だと思っていたが、美人な男の子だった。

「君は何を言ってるのかな? 人攫いだなんて。ただ私は女の子が心配で声を掛けただけだよ?」

 お兄さんがそう言っても、尚もその子はお兄さんを睨みつけている。

「お兄さん以外の仲間は追捕使ついぶしに渡したよ。後はお兄さんだけ」

 美人な男の子はにやりと笑うと、白く長い物がお兄さんの体と足に巻きついていく。お兄さんはバランスを崩し、その場に倒れた。

「くそ! このガキ!」

 優しかったお兄さんは一変して、乱暴な言葉使いになり柔和な表情は消え、目を吊り上げて眉間に深い皺を寄せながら、美人な男の子を鋭い眼光で睨んでいる。

「もうすぐで、お兄さんのお迎えの人が来てくれると思うから、そこで寝て待ってな」

 人攫いを拘束している紐は紙で出来ているが、人攫いがどんなに身を捩って暴れても、切れるどころか余計に体に食い込んでいく。美人な男の子は捨て台詞を吐くと私の手を引き、その場を離れた。

「ちょっと! ちょっと待ってって!」

 ある程度離れた場所で、私はその男の子を止めた。

「全然状況が分からなかったんだけど! 何があったの? そして、あなた誰?」

 私が言うと、男の子は足を止めた。

「お前! 女が1人でウロついてんじゃねーよ! しかも、もう陽が落ちかけてるっていうのに! 死にたいのか!」

 振り向きざまに怒声を浴びせてきた。

「さっきのお兄さんはただ、泊る所がなかった私を親切に自分の家に泊めてくれるって言っただけだよ? なんでそんなに怒ってんの?」

 見ず知らずの人に急に切れられて、さすがに私もカチンときた。

「だから、それが人攫いの手口なんだって! あいつに付いて行ってたら今頃お前泣いてるぞ。あいつが連れて行こうとしてた家には、仲間が居てお前みたいな世間知らずな女を攫っては金持ちの家や外国に売ってる連中だ」

「嘘……」

 私の顔から一気に血の気が引いた。

「だいたい、女が1人で旅なんて何考えてんだ。精霊が用心棒だとか言うなよ? 精霊にはそんな力ねーから」

 竹ちゃんが見えているような口ぶりだった。

「竹ちゃんが見えてるの? 何で?」

 聞こえるか聞こえないかの声で呟いたが男の子の耳にはしっかり届いていた。

「俺には見えるの! 精霊だけじゃない。妖も幽霊も全部俺の目にははっきり見える。そういう物から人間を守る術を学んでいるからな。今は研鑽の為に1人で津々浦々日本を巡ってる最中」

 男の子は偉そうにフンッと鼻を鳴らす。同じ歳頃なのに、私よりも随分しっかりしている。このまま竹ちゃんと2人で旅をすると、また同じ様な事になり兼ねない。

 少し抵抗があったが、見て居ぬ振りも出来たあの状況で私を助けてくれたのだ。口は悪いがきっと心根は優しく、面倒見がいいのだろうと踏んだ。

「あのさ、もしよかったら一緒に旅をしない? 私、これから霊山とかそういう場所に行こうと思ってるから。もし、貴方が特に何処を目指している訳でもないならだけど……」

 私はそう提案した。この時代での常識を知らない私にとって彼は命綱。逃す訳には行かない。

 青年は暫く熟考してから口を開いた。

「分かった。霊山に行くなら、まぁ俺も似たような場所に行くつもりだったから。それに、お前も妖や霊が視えるんだよな? お前といると陰陽師としての経験も積めそうだ」

 青年は意外にも快諾してくれた。私は、地面に自分の名前を書く。さすがに『かぐや』と名乗るのは憚られたので、転生前の名前を口にした。

「私は、こう書いて『あい』と読むの。これからよろしくね」

 青年は私から木の棒を奪い、私の名前の横に同じように漢字を書く。

「俺の名前はこれ。今は見習いの陰陽師として経験を積んでいる。こちらこそよろしくな」

 地面に書かれた、青年の名前を読む。

「はるあき……。はるあきって呼ぶね。わたしの事も『あい』って呼んで」

 はるあきは美人な顔とは裏腹に、性格はとても男らしく、肝が据わっていて頼り甲斐がありそうな青年だった。

「霊山には何しに行くんだ? 見たところ、藍はいい所の娘だろ? 年齢的にも結婚する年齢なのに、旅なんて」

 確かに、この時代の結婚適齢期は13歳~15歳の間だ。正に、私の今の年齢。

「えっと……。霊山にある物を取りに行こうと思って。時間は掛かるだろうけど、5か所を巡るつもり。結婚は――まだしたくないなー。本当この時代は結婚適齢期早過ぎ! この歳で結婚なんてマジ無理。しかも、自分より一回りも二回りも上の人に嫁ぐとか。会話嚙み合わなそう」

 はるあきは破顔した。笑った顔は年相応で幼く見える。

「なんだそれ! 藍は変わった考え方をするんだな。にしても、霊山にある物って――都市伝説の宝か? 俺も詳しくは知らないけど、聞いた事はある」

 互いに自己紹介を交えつつ歩いていたが、いい加減泊る所を確保しなければ、野宿確定だ。

「今日は何処に泊るの? てか、宿屋ってあるの?」

 民家は目にするが、老夫婦の家を出てから宿屋だけでなく『店』と名の付く建物を1軒も見ていない。

「やどや? 何それ? 民家に泊めて貰うか、寺に泊るかだな。確か、もう少し山を上がった辺りに寺があるとさっきの村の人が教えてくれたから、そこに向かってる」

 宿屋がない? 当然のように、宿屋に泊ればいいと思っていたので衝撃の事実だった。やっぱり、はるあきに付いて来て貰って正解だった。竹ちゃんも人間の常識などは知らないだろう。

「さすが! 頼りになる。え? じゃぁ、店が1軒も存在しないって事? 欲しい物がある場合、どうすればいいの? 店がないなら何も買えないじゃん」

 はるあきは、年齢には相応しくない程な眉根を寄せて深い皺をつくり怪訝な顔をする。

「みせ? が何かは知らないけど、欲しい物がある時はそれを作ってる人に頼んで分けてもらうんだ。それと同等の物で交換だな。京の都には市が開かれたりするが、地方では見た事ないな。金も京でしか役に立たない。都以外では金は流通してないんだよ」

 物々交換⁉ 家を出る時に困らないだけのお金を持って出てきたが、それが何も役に立たないなんて……。はるあきに出会ってなければ――と考えるとゾッとする。

 無知とはなんと恐ろしいのか。身を持って体験した。これから先、きっとこんな場面に直面する事が増えるだろう。

「それと、金は全額財布に入れず、小分けにしといたほうがいい。少額を財布に入れて、後は適当な布に包んで帯の中にでも入れとけ」

 はるあきの話しでは、スリや山賊が居るらしい。襲われたら、荷物を放り投げて逃げるしかない。私は言われた通りに、財布には小判2枚を残して後はさらしを巻いて帯の1番内側に押し込んだ。

 辺りはすっかり陽が落ちて、不気味な程の暗闇が全てを覆っていた。はるあきは提灯に火を灯した。私はと云うと、提灯など頭の片隅にもなかったので持って来ていない。

 はるあきに再度呆れられ、世間知らずにも程があるだろうと皮肉を言われながら歩いていると、眼前に寺の門が見えた。

「ここに泊らせてもらうの?」

 はるあきに訊くと、小さく頷き寺の門を叩きながら大きな声で「すみません」と叫んでいる。

 暫くして、足音が聞こえてきた。ギギッという軋む音がして門が開けられると、中から小坊主が顔を出した。

「夜分にすみません。旅をしている者ですが、寝る所に困り泊めて頂きたいのですが」

 はるあきが簡単に説明すると、小坊主は中に案内してくれた。質素な寺で、然程大きくない建物だが、歴史を感じられる。

「大したもてなしも出来ませんが、ゆっくりとお休み下さい」

 中に入ると僧侶が囲炉裏の前に座っていた。

「急に申し訳ございません」

 はるあきが言うと、僧侶は部屋の片隅から座布団を2枚出してきて私たちの前に敷いてくれた。

 恐縮しつつ座ると、囲炉裏で温めていた具沢山の汁を椀に注ぎもてなしてくれた。竹ちゃんは私の椀から里芋と人参を一欠片ずつ食べるとどこかへ出掛けて行った。

 私とはるあきは食事を摂りながら、旅の目的など話した後話題は世間話へと移った。

「麓の町を通るのであれば、町に入る手前の橋は雨が降っている場合には渡らないほうがいいでしょう」

 そう僧侶が助言してくれた。

「それは、何か理由があるんですか?」

 私は首を傾げながら僧侶に質問する。僧侶の話しでは近頃雨が降ると必ず川が氾濫し、その時橋を渡っている人がいると押し流されてしまうようだった。

 もう何人も犠牲になっており、町人も困っているのだという。以前は滅多に氾濫しなかったが、2年前の嵐の晩に橋が決壊して押し流されてしまった。

 町に入る唯一の橋であった為、すぐに橋は作り直された。最初は雨が降っても川が氾濫する事はなかったのだが、昨年辺りから度々川が氾濫し始め犠牲者が後を絶たないのだと教えてくれた。

 この時代の橋は丸太をただ対岸に渡しただけの物に過ぎず、私が知っている橋とは程遠い。けれど、麓の町にはとても腕のいい大工が居て、他では見た事がないような立派な橋なのだと僧侶が話してくれた。

「不思議なのですが……川が氾濫して人が何人も流されているにも関わらず、橋だけは無傷で残っているのです。仏や神が怒っていると、町の人が幾ら拝んでも一向に収まる気配がないのです。私も町の人に頼まれて経をあげたのですが、効果はありませんでした」

 僧侶の話しを聞いている間、はるあきは眉間の皺を深く刻み考え込んでいた。

「つまらない話しを聞かせてしまいましたね。今日はもう夜遅い。ゆっくりとお休み下さい」

 僧侶は小坊主に布団の用意をさせ、私たちは疲れた体をやっと布団に横たえた。うとうとし始めた時、出掛けていた竹ちゃんが戻ってきた。

「竹ちゃん? こんな時間までどこ行ってたの?」

 私は眠い目をこすりながら、竹ちゃんが潜り込みやすいように掛布団を少し持ち上げた。

「土地神様とこの山を治めている精霊様に挨拶に行ってきたんだよ。滞在するのに、挨拶も無しだと失礼だからね」

 精霊にも人間と同じように通すべき道理があるのだなと、眠気ではっきりとしない頭で考えながら、再び眠りについた。

 翌日、はるあきは昨晩僧侶から聞いた橋を見たいと言い出し、町に赴いた。

「そういえば、山の精霊様もそんな話してたよ。昨日、僕が挨拶に行った時に、僕が人間と旅をしているって話たら、『雨が降ったら、橋を渡るのを控えたほうがいいと旅をしている人間に教えてあげなさい』って。それに関しては精霊様も土地神様も関与してないって言ってたなー。人間同士の問題だって」

 竹ちゃんがそう説明すると、はるあきは「やはりそうか――」と何やら心当たりがあるように呟いた。

 寺から1時間も歩くと、民家が密集しているのが見えた。その手前にさほど大きくない川があり橋が掛かっている。

「あれが問題の橋かな?」

 私がぼそりと言うと、はるあきは小さく頷き

「そうだな」

 と一言返した。幸いな事に、雨は降っていないので問題なく橋を渡る事が出来そうだ。その川は道から1.5m程下に河川敷があり、そこから更に1m下に水路がある。

 それなりに高さがある川なので、余程の事がなければ氾濫などしないように見える。それははるあきも同じ考えだったようで、首を傾げつつ橋の上から川面を眺めていた。

 橋を渡ると、橋の下辺りから1本の松の木が生えていた。橋の下から幹を伸ばし、橋を避けるように曲がって生えている。

 はるあきは、土手を下って河川敷まで下りると橋の下に潜って、木の根元で足を止める。

「はるあきー? そこに何かあるの?」

 私は土手の上からはるあきに声を掛けたが、返事がない。仕方なく、私も河川敷に下りた。はるあきは木の幹に指先を添わせている。

「その木がどうかしたの?」

 私もはるあきの隣に行き、はるあきの指先に視線をやる。目を疑った。家の柱や天井の木の節が人の顔の様に見える事があるが、それはこの比では無かった。

 のではなくて、この木に出来たこぶは人の顔そのままだ。1つではなく、小さな瘤が無数にあり老齢の男女、幼子の顔まであった。そして、無数にあるどの顔も苦しそうに喘いでいる。

「これって……」

 その先の言葉をどう繋げばいいのか……口から言葉が出てこない。そんな私など、はるあきは眼中にないらしく、険しい表情で無言のまま瘤を見つめている。 

「かぐや……これって普通じゃない」

 竹ちゃんも何かを感じているらしく、私の後ろに隠れて瘤に近づこうとしなかった。

 すると、はるあきは懐から短刀を取り出した。護身用にいつも持ち歩いている物だ。

「何するの?」

 私ははるあきに問うが、やはり答えてはくれず相変わらず私など見えていない様子だ。

 はるあきは取り出した短刀で1つの瘤目掛けて刃を突き立てた。すると、瘤は表情を変え今にも叫ぶ声が聞こえてきそうな程、口を大きく開けている。ただの瘤のはずなのに、その痛々しい顔を見ていられず、すぐに瘤から視線を外した。

 刃を突き立てた場所からは、どろりと少し粘性のある真っ赤な液体が流れ出てきた。はるあきはそれを指で掬い、鼻先に持っていき嗅いでいる。

「錆びた金物の匂い。やはり……血だな」

 耳を疑った。松の木から血が出てくるはずがないし、そんな話を聞いた事もない。

「血って――。これ、ただの木だよ? 植物から血が出てくるはずないじゃん」

 はるあきの真剣そうな顔を見るに冗談で言っていないと分かるが、理から外れている。けれど、私の目でもそれが樹液ではないのは明らかだった。

「取り敢えず、町の人から話を聞かないといけないな。このまま放っておくと犠牲者が出続ける」

 はるあきは困惑している私を置いて、時間が惜しいと言わんばかりに足早に土手を登り始めた。

「ちょっと待ってよ!」

 1人で橋の下に取り残された私は急に悪寒が走り、急いではるあきの背中を追う。はるあきは既に土手を登り切り、道に戻っていた。

「なんであんなに歩くの早いかなー」

 鍛えていたとはいえ、翁に拾われてからずっと家の中に居るだけだった私はかなりの運動不足だったと痛感させられる。

 私がやっと土手を登り切った頃には、既に町の人を捕まえて話しをしていた。しかし、何処の誰かも分からない人に中々心を開いてはくれない。町人は俯いたまま逃げる様にして、はるあきの側を離れた。

「話し聞けたの?」

 やっとはるあきに追いつき、肩で息をしながら訊ねた。

「あんな土手を登るだけで、そんな息切れしててこの先大丈夫か?」

 私の質問には答えず、憎まれ口を叩いてくる。確かにはるあきの言う通りだが、その言い方に少しムッとしてしまう。

「大丈夫だし! 心配には及びません! はるあきって本当に女の気持ちが分からないよねー。そんなじゃモテないよ」

 私も負けじと憎まれ口を返すが、口でははるあきに勝てそうにない。

「ちゃんとした女性にはそれなりに接してるから心配ない。それに、興味のない女に幾ら好意を寄せられても意味がないからな」

 ど正論――。返す言葉が無かった。それにしても、はるあきの中で私はとして区分されていなかった。通常なら腹正しい事だが、何故かそれが嬉しかった。

 転生する前もこの世界に転生してからも、下心なく接してくれた人は老夫婦以外初めてだったのだ。私を奇異の目で見るのではなく、1人の人間として接してくれている。それが私にとってすごく心地良かった。

「これからどうするの? 町の人、皆私達を警戒して家の中に隠れちゃったよ?」

 見渡す限り、道を歩いている人は居ない。戸をぴったりと閉め、天気が良く風が心地いいのにどの家も窓までしっかりと降ろしている。

「んー、ここの領主の家に訪ねてみようか。今晩泊まる所も確保したいし」

 領主の家……辺りを見渡すと、町の奥にひと際大きな屋敷が目に入った。あそこが領主の家に違いない。

 はるあきもそう思ったのか、その屋敷目指して歩を進める。

「藍は何も言うなよ。俺が説明する。今はただ泊る所に困っている旅人を装ったほうが中に入れて貰えそうだからな」

 確かに、町の人の様子を見るにそのほうが賢明だろう。

「えー今日、ここの町に泊るの? 僕、何かこの町嫌い。すごく居心地が悪いんだもん」

 竹ちゃんは、私の肩の上で身震いする。精霊なので何か感知したのか、少し顔色も悪い気がする。

「竹ちゃん大丈夫? もし、体調悪かったら言ってね。皆が寝静まった後に少しなら私の光で治療してあげるから」

 はるあきに聞こえないように、竹ちゃんに耳打ちする。

「うん――。ありがとう。川から離れていれば大丈夫だと思う」

 川岸にあった松の木もそうだが、川に問題があるのだろう。私でさえもあの場所は居心地が悪いと感じた。

「着いたぞ」

 竹ちゃんと話していると、領主様の屋敷の門前まで来ていた。はるあきは、寺の時と同じように、門を叩いて大きな声で家人を呼ぶ。

「すみません! 旅の者ですが、どなたかいらっしゃいませんか?」

 はるあきが言ってすぐに、門から人が出てきた。

「はい。何か御用でしょうか?」

 この屋敷の奉公人らしい若い男性が顔を出した。

「あの、兄妹で旅をしているのですが一晩泊めていただきたいのです。妹の足では、この時間から山に入ると陽が落ちるまでに山を抜けられそうも無いもので。宿代はきちんとお支払いします」

 はるあきがそう言うと、奉公人らしき青年は「主に確認して参りますので少々お待ち下さい」と言い置いて、中に戻って行った。

「ちょっと! なんで私が妹って事になってんの?」

 はるあきと私とでは、恐らくだが私のほうが少し年上な気がする。確かに、転生してからは成長が早かったので数年しか経っていないが、前の世界かと合算すると私のほうが年上だ。

「それは、俺のほうがどう見てもお兄ちゃんだろ? 藍は世間知らずだし、体力ない、背だって俺より低い。俺よりも世間知らずな姉とか嫌だからな」

 はるあきは片方の口角を釣り上げて不敵に笑う。認めたくはないが、確かにはるあきの方が落ち着いていて、肝も据わっているので反論出来なかった。竹ちゃんは私の肩の上でクックッと笑っている。

 門前で待つ事暫し、先程の奉公人ではなく、上等な着物を纏った中年男性が門までやってきた。恐らく、この人がここの主人――この町の領主様なのだろう。

「お待たせしてすみません。兄妹で旅をされているとか。疲れたでしょう? このような所でよければどうぞ」

 そう言って、主人と思しき男性は屋敷の中へ案内してくれた。

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