第1話 旅立ち

 私が産まれてきた意味はあるんだろうかと、時折思う。世間からすると私は劣等生なんだと思う。けれど、私には頑張る意味が分からない。私なんて不必要な人間なのだ。頑張ったところで意味はない。

 私の両親は跡取りとなる息子を望んでいた。けれど、妊娠18週目に病院で『女児』だと告げられた。両親と、父方の祖父母は肩を落とした。今の時代にはおよそ相応しくない男尊女卑の考え方だ。

 母親は「役立たず」と罵られ、女である私を憎んだ。しかし、女だったからと云って産まない選択をすると世間体が悪い。母は私を産んだ。それなりに育ててはくれたがそれだけ。お金さえ渡しておけば子供は育つと思っていたようだ。私にとっての母の味は自宅近くにあるコンビニの弁当や総菜がそれだ。

 私が産まれてから5年後、待望の弟が産まれた。両親や父方の祖父母は両手を挙げて喜んだ。私の時にはなかったお宮参りも百日祝いも、七五三も気合を入れてしていた。その間、私は母方の祖父母に預けられていた。

 母は自分の実家を恥じていた。父の実家は裕福な家で父方の祖父は会社を経営している。一家全員有名な大学を卒業しており、所謂エリート一家だった。

 一方、母の実家は農家で慎ましく生活している。祖母は飾り気がなく年中すっぴんで動きやすさ重視の服装だ。

 母は見栄っ張りで外出するときはこれでもかとお洒落をする。そんな彼女にとって、農家である実家はになるのだろう。弟のお宮参りも、百日祝いも全ての行事に呼ばず、父方の祖父母だけを誘う。

 けれど、私は優しい母方の祖父母が大好きだった。祖母が抱きしめてくれる度に香ってくる土の匂いが大好きだった。

 電車で祖父母宅の最寄り駅まで1人で行く。構内で私の姿を見つけると、祖父は満面の笑みで手を振り迎えてくれる。私も祖父を見つけると、嬉しさのあまり駆け寄る。

「よう来た、よう来た。1人で大丈夫だったか? 迷わんかったか?」

 祖父はそう言って、ごつごつと骨ばった大きな手で私の頭を撫でてくれた。

 けれど、そんな優しくて大好きだった祖父母は私が中学に上がって直ぐに、交通事故で帰らぬ人となった。

 もう、この世界で私を愛してくれる人は誰1人居なくなった。祖父母が亡くなり、私は生きる意味を無くした――。

 家に私の居場所はなかった。私の味方は母方の祖父母だけだったのだ。

 家に帰りたくなくて、陽が落ちても駅地下をうろついていた。何度補導されたか分からない。初めは嫌々母が迎えに来てくれたが、次第に来なくなり学校の担任教師が迎えにきてくれた。

 何度迎えに来ても、その教師は一度も私に怒った事はない。私を心配し、何度か母と面談してくれたらしいのだが、母が学校にクレームを入れ、翌年にはその教師は別の学校に転勤させられた。

 になった私は弟にまで蔑まれていた。両親に「お姉ちゃんみたいになりたくないなら勉強しなきゃだめよ」と言い聞かされて育ったのだ。自然とそうなる。



「今日、クラブ行くでしょ? てか藍は来てくれなきゃ困る。藍が居るだけで傾国寄ってくるからねー」

 高校で出来た友達は皆家に居場所がない人ばかりで、毎日遊んだりバイトしたりしていた。

 友達と云っても、何でも話せるかと訊かれるとそうでもない。現にクラブに行く時は私を誘ってくるが、男を含め遊びに行く時は私に声を掛けてこない。

「藍が居ると、男全員が藍狙いになるから合コンとか呼びたくないよねー。てか、彼氏に会わせたくないよね。顔だけは無駄にいいからなー」

「男を釣るにはいい餌だよね」

「ウケる! それな! その為だけに友達キープしてるもん。実際。性格はクソ面白くないし、話し合わんし」

「だよねー。あんなのと何時間もとか無理! うちらの事引き立て役とか思ってそうじゃん。本当の友達とか居なそう」

 陰でそう言われているのは知っていた。けれど、怒る気力もないし正直揉めるのも面倒だった。私も暇潰しとして彼女たちを使っていたのでお互い様だとも思っていた。

 日付が変わって家に帰るのが当たり前になっていたある日の朝、いつもの様に自宅から歩いて駅に向う。朝だというのに、歩き始めて直ぐ額に汗が滲む。同じく駅に向かっているであろう人達も、ハンカチを片手に持っている人や日傘を差して歩いている人もいた。

 いつものコンビニに寄り、お気に入りの紙パックのグレープティーと新商品のパンを買って店を出る。既に喉がカラカラだった私はその場で買い物袋からグレープティーを取り出し、ストローの袋を破る。

 立ち止まっている私の横を母親と手を繋いだ幼い男の子が通り過ぎて行った。その後を季節外れの真っ黒なパーカーを着て、フードを目深に被った怪しげな男が後を尾いて行っている。男はトートバッグの中に手を入れ、バッグの中を探っている。

 バッグから引き抜かれた手がちかりと光った。通り過ぎ様に男の手を見ると、今まで私が目にした事もない刃物を握っていた。刃の部分が湾曲し、刃渡りは家庭にある包丁よりも長そうだ。

「危ない!」

 私は何故か言葉と共に体が勝手に動いてしまっていた。手にしていたグレープティーをアスファルトに投げ捨てると、無残にも中身が道路脇の側溝にドクドクと流れていく。

 男の腕を掴んだ瞬間、彼の眉間に鋭い影が走った。

 ぎろりとこちらを睨み付け、まるで触れるなと言わんばかりに腕を乱暴に引き戻そうとする。だが、私は離さなかった。

 一層指先に力を込め、逃れようとする腕をしっかりと掴み直す。互いの力が拮抗し、ほんの一瞬、時間が凝縮したように張り詰めた。

 前を歩いていた親子連れも、異変に気が付き後ろを振り返る。それに気が付いた男は諦めたのか急に腕の力を抜いたので、男の体が私のほうに引っ張られる形になった。

 腹の辺りに鋭い痛みが走る。じんわりと熱を帯びていき、腹をみると包丁の柄を握った男の手が腹に当たっている。

「え?」

 私は何が起きたのか分からず茫然と立ち尽くしていると、男が私の腹から包丁の柄を握ったままの手を離す。痛みが一気に襲ってきて、腹を押さえると指の間から真っ赤などろりとした液体が滴っている。それが血だと認識出来るまで数秒かかった。

 いつも通りの長閑だった朝が一瞬にして、絶叫と怒号で騒然となった。

「きゅ、救急車呼んで!」

「女の子が刺された!」

「その男を捕まえて!」

 そんな言葉を聞きながら、私は地面にくずおれた。腹からは容赦なく血が流れ出て、先程のグレープティーを押し流すように側溝に向かっていく。

 私を刺した男は、通勤途中の男性数名によって直ぐに制圧されたようだった。

「そんな……。ごめんね。どうしよう――」

 幼い男の子と一緒に居た母親は、男の子を腕に抱え、私の側にきて服が汚れるのも気にせず、止血しようと自分が羽織っていた服で私の腹を押さえてくれていた。

「け……怪我……は……? お子……さ……ん、だ、だい……じょ……ぶ?」

 薄れていく意識の中でそう訊くのが精一杯だった。

「うん。大丈夫……大丈夫。ありがとう……。あぁ、どうしよう。もうすぐで救急車きてくれるから頑張って。ダメ! 目を閉じないで! ダメ! お願い……目を開けて!」

 悲鳴に近い女性の声が遠くに聞こえる。急激に体が寒くなり、意識が遠のく。ただ毎日を何となく生きていただけの私でも、あの幸せそうな親子を守れたなら、少しは産まれてきた意味はあったのかなと薄れゆく意識の中で思った。

 

 次に意識が戻った時には、自分の体の横に立っていた。体から魂が抜けた状態のようだ。通勤、通学時間だった事もあり野次馬が寄ってきている。当然のように血を流して地面に倒れたままの体の直ぐ横に立っている私には誰も気が付く様子はない。

 コンビニの駐車場には救急車とパトカーが停まり、辺りは緊迫している。男はすぐに身柄を警察官によって拘束され、私の体は救急救命士に心肺蘇生処置を施されていたが……私の魂は抜けているので、いくら頑張って貰っても――と少し申し訳ない気持ちになる。

 それよりも、私が成仏せずにこの場に残ったのには訳がある。犯行に及んだ男の動機が知りたかったからだ。パトカーに一緒に乗り込み……とはいえ誰にも私は見えていないので、勝手に助手席にいた警察官の膝の上に座る。

 取り調べ室で男が語っていたのは、刺そうと狙っていたのは子供の方で、男の子は犯人の子供らしい。そして、男の子と手を繋いでいた女性は元奥さんだった。

 女性とは数年前に、犯人の浮気が原因で離婚していた。女性が近々再婚すると友人からの話しで知った犯人は、親権を渡して欲しいと願い出たそうだが、女性はそれを聞き入れなかった。

 子供ともう会えなくなる位なら、子供を殺して自分も死のうと思い、犯行に及んだとの話しだった。しかし、あんな凶悪な刃物で自分の子を刺すつもりだったとは正気の沙汰ではない。

 何とも勝手な話だなと思い、同時に男の子が無事で本当に良かったと安堵した。これで心残りはないなと思った瞬間、上に引っ張られる感覚がした。そして私の意識はまた無くなった。


 再度意識が戻った私は、身動きが取れない状態だった。狭い場所に押し込められているような感覚。

(息苦しい……。え? 死んだのに、息苦しいとかあるの?)

 目を開けているのか瞑っているのかも分からない真っ暗な中で窒息しかけていた。半ばパニックになりながら「魂になっても酸素って必要なのか」と訳の分からない思考を巡らしていた。

 そんな事を思っていると、急に視界が開けた。目の前にもの凄く大きい老爺ろうやの顔が現れた。

(誰? てか、ここ何処?)

 声に出そうにも呻き声しか出ていない。

「なんと! こりゃ、たまげた。竹の中から赤子が出て来た」

 老爺ろうやは私の体を持ち上げると、背負っていた竹籠の中に私を入れた。見上げると、辺り一面青々と伸びた竹がさわさわと揺れている。先程まで窒息しかけていたからなのか、空気が美味しい。青く澄み渡った空には雲が風に流されている。

 竹の葉が擦れ合っている音がなんとも心地いい。老爺が歩く度に竹籠が揺れて、眠りを誘ってくる。

 ガタガタと滑りの悪い引き戸を開ける音がした。

「ばあさん! ばあさんや。見てみぃ。竹を切りに行ったら赤子がおった」

 老爺の自宅に着いたらしく、背負っていた竹籠を降ろし私を取り出した。

「まぁまぁ。なんて事でしょう。玉のように可愛い赤子だこと」

「そなたは毎日朝夕通っていた竹林の中にいたのだから当然儂の子じゃ」

 老爺はなんとも嬉しそうに言う。

「子供の居ない私たちに神様からの贈り物に違いない」

 老婆もそう相槌を打った。しかし、このくだり……何処かで……。二度目に目を開けた時から感じている既視感――これは――

(今は昔、竹取の翁といふもの有りけりじゃん! 野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけりってやつじゃない? 名をば、讃岐造麿さぬきのみやつことなんいひけるっぽくない? うっそ! ガチ?)

 確かに死んだはずの私は、どうやら竹取物語の『かぐや姫』に転生してしまったらしい。

(マジか! てか、なんで竹取物語? 私が竹取物語のラストが気に入らないって言ったから? 分かんないけど、とにかくラストは月に帰らないとだよね……。これ、ストーリー変えていいのかな)

 等、頭の中でこの状況を理解しようと様々な情報が飛び交っている。そんな私を他所に、老爺と老婆はにこにこと私を見下ろしていた。

 そして、ずっと気になっているのがおきなに発見されてからずっと私の周りを飛び回っている小さい人間……に羽が生えた生き物が居る。オニヤンマをもう少し大きくした位の大きさ……。

 この生き物は私にしか見えていないらしく、翁もおうなも口にしないし、目で追わない。取り敢えず、赤ん坊のままでは意思疎通が出来ないので成長を待つしかない。

 翁と媼はとても愛情深く私を育ててくれた。連れて帰られてすぐの頃は裕福とは言えないような暮らしだったにも関わらず、自分達の食事も我慢して私に食べさせてくれた。

 それと同時に翁が竹を取りに行く度に、その竹の節毎に黄金が入っている竹を見つけ、老夫婦はだんだんと金持ちになっていった。

 その甲斐あり? で、若竹がすくすく伸びるように私も成長し、この世界に来て3か月程で赤子から少女になった。

 12歳になり髪上の儀式を行い(現代で云う所の成人式)――お下げから髪を結い、そしてを履いた。

「たった三月みつきでこんなに立派になって」

 媼は感激のあまり涙を流すが、当の本人は着物が重いという事しか頭になかった。裳着は総重量が10~15㎏ある。前世では子供の頃に母方の祖母に着せて貰った浴衣しか、着た事がなかったので日本の正装がこれ程までに大変だとは知らなかった。

 髪も前世では考えられない程長く伸ばす。私もかぐや姫に転生してから一度も切った事がない。もちろん、この時代にドライヤー等ないので自然乾燥しなければならず、寒い季節になると頻繁に髪を洗えない。

 金持ちになったとはいえ昔の家はとにかく寒い。扉や窓は無く、外と室内を遮っているのは和紙が貼られた障子だけなので、隙間風が入ってくる。廊下や畳は冷たいし、暖房器具なんてない。あるのは火桶のみだ。

 翁に連れて来られた日に一緒について来ていた、羽の生えた小さな人間らしき生き物だが――日本語で意思疎通が出来た。その子の話しによると、竹の精霊なんだそうだ。

 私が心配で付いてきてくれたらしい。私はその子を『竹之丞』と名付けた。

 そして、竹取物語に転生して困っている事が1つある。自分が発する光が眩し過ぎて、自分の顔を見た事がないのだ。

 私が発する光は竹ちゃん曰く、清浄な光で一緒にいると心地いいそうだ。老爺と老婆も、嫌な事があっても穏やかな気持ちになれると言っていた。

 悪鬼を寄せ付けない、神の後光に似ていると竹ちゃんは教えてくれたが、鏡を見るといつも自分の発する光が反射して目がやられる。

 なんとか、抑えられないものかと訓練を始めた。毛穴から光を吸収するイメージ(化粧水が肌に浸透してく時の感覚に近い)で取り込んでいく。

 すると、1週間後には光を自在に出し入れできるようになった。そして念願叶って初めて見る自分の顔に驚愕した……。

 人間離れした美しさ――肌は透き通るように白く、長く伸びた黒髪は艶々でサラサラ。切れ長の目に長い睫毛。瞳の色は薄茶色で硝子細工のように透明感があった。

「AIか何かかなー? ビジュヤバ! かぐや姫が求婚してきた人にあんな強気な態度だった意味が分かるー。この顔なら上から目線になるよね」

 自分自身で見惚れてしまうのだが、傍から見るとただのナルシストだ……と気が付いて鏡を見るのを止めた。

「おじいさん、そろそろこの子の名前を付けてあげないといけませんね。いつまでも竹の姫と呼ぶ訳にもいかないでしょう?」

 朝食を取っていると、媼がぽつりと言った。

「そうじゃな――。これから、婚約者も探さねばならんし名前がないのは不便じゃなぁ。よし、じゃぁこの子にぴったりの名前を付けて貰う事にしよう」

 翁は知り合いの伝手で、三室戸に住んでいる斎部秋田(いんべのあきた)さんを呼んで名前を付けて貰う事になった。『かぐや姫』と命名されるのは既に知っている。けれど、『輝夜姫かぐやひめ』と書くとは転生後初めて知る事実だった。

 名前が決まった祝いとして宴が催された。近所の方や知人などを呼んで大いに盛り上がった。

 その日の晩、宴会もお開きとなり私も風呂を済ませて床に就いた。夜中に喉の渇きで目が覚めた。水でも飲もうと台所に向かっていると、どこからともなく話し声がした。

 どこから聞こえてくるのか、聞き耳を立てて探していると庭の池のほとりに人影があった。目を凝らしてようく見るが暗くて判然としない。

 それでも待つこと暫し、雲の合間から月灯りが漏れ、視界が開けた先には媼の姿が浮かび上がった。

 媼はずっと池を覗き込みながらぼそぼそと話している。何語なのか皆目見当がつかない言語で話していた。

「本日、『輝夜姫かぐやひめ』と命名されました。――はい。かぐや姫にはまだ迎えの話しはしておりません。――はい――はい。いつ頃迎えが来る予定ですか?

成程、分かりました。それまでは引き続き、かぐや姫の監視を続けます」

 皆目見当がつかない言語ではあるが、何故か私には何を話しているかが理解出来た。聞いた事もない言語だったはずなのに――。

 それよりも、媼は一体誰と話していたのだろう。月から私の迎えが来る事は既に知っているような口振りだったし、と言っていた。媼は何者なのか。私の知る竹取物語には翁や媼の身元については語られていなかったと記憶している。

 媼に問いただした所でまともに答えてくれるとも思えない。私は媼に気付かれない内に自室へ戻った。障子を開けると、月の光が忍び込み、畳の目を淡く照らす。庭の白砂は銀を敷いたように輝いている。

「私は何故、前世の記憶を持ったまま輝夜姫に転生させられたのだろう――。神様がチャンスを与えてくれた? それとも、前世では無気力に生きていたからその罰なのかな。月……には行きたくないな。月に行くって事は輝夜姫は死んだ事を意味するのかな。もっとちゃんと古文の授業聞いておけばよかったな」

 意味など考えた所で何の役にも立たないが、今後この世界で自分がどう動くべきなのか、真剣に向き合わないといけない気がする。前世の自分は全て人のせいにして、逃げていただけなのかも知れない。努力もせず、嫌な事から逃げていた。

 自分の人生は自分で切り拓かないといけなかった。ただ、与えられるのを待っているだけではいけなかったのだ。そんな当たり前の事に今更気が付く。

 私はこの日、見事な満月に誓った。この時代では懸命に生きる。自分の未来は自分で切り拓こう。自分がどうしたいかを真剣に考えようと――。

 この先の展開は竹取物語で語られている通りだった。毎日足繁く通ってくれていた貴公子5人に対して、1人1つの難題を与えた。

 最初に戻って来たのは『石作皇子いしつくりのみこ』だった。薄汚れた鉢を手に持ってやってきた。

「かぐやちゃーん! 鉢持ってきたんで、結婚して貰っていいっすか? マジ大変だったんだけど。ほんと死ぬかと思ったー」

 へらへらと軽いノリのこの男……。男が持って来たのは【仏の御石みいしの鉢】だ。当然、私はそれが偽物だと知っている。私がまだ幼さの残る少女だと思って馬鹿にしているのだ。よって、考える間もなく突き返した。

「てか、こっちが下手に出てれば調子乗りやがって。マジやってらんないんだけど。別にお前じゃなくても女には困ってねーし。せいぜい行き遅れないように祈っとくわ。じゃ、まぁ、そうゆー事で」

 チャラい上に軽薄な男は散々負け惜しみを口にして、鉢を我が家の門前に捨てて帰った。

 次に訪れたのは『車持皇子くらもちのみこ』だ。神経質そうな面差しの車持皇子は玉の枝を手にやってきた。彼の計画は完璧だった。出発したと見せかけて直ぐに引き返し、時間と手間を掛けて【蓬莱ほうらいの玉の枝】を作らせた。

 細工職人も一流の者を雇って、知らない人が見ると本物だと見間違うだろう。

「この様に姫の注文した玉の枝を取って参りました。姫にお目通り願いたい」

 翁にそう言うと、玉の枝を翁に差し出した。翁はそれを持って私に見せにきたが、私は知っている。これが偽物で、且つ玉の枝を作った職人たちは、支払いをまだ済ませていない皇子の後を追ってくる事を。

 けれど、翁も媼もその見事な細工の枝を本物だと思っている。偽物だと私の口から伝えても信じてはくれそうにない。

 仕方なく適当に、あーだこーだ言いながら時間稼ぎをしていると。案の定職人がやってきた。私は予め用意していた金を職人に支払い、皇子共々お帰り願った。

 次に戻ってきたのは『阿部御主人あべのみうし』だ。典型的な金持ちの坊ちゃんタイプで、金で全て解決出来ると思っている。この時代の人にしては珍しくぽっちゃり体型で、肌も真っ白。毎日贅沢な食事をしているのだろう、頬はつやつやで柔らかそう。安部御主人の顔を見ていると餅が食べたくなってくる。

 世間知らずそうな話し方で、言われた事を直ぐ真に受けてしまいそうな危うさもある。

 それ故に【火鼠のひねずみのかわごろも】も金で人を雇い取って来させた。  金を払って取って来させたのだからもちろん本物に違い無いと疑いもせず、だと騙されて意気揚々とそれを手に訪ねてきた。

 私はそれに火を点けた。本物であるなら火を点けても燃えずに残っているが、阿部御主人が持ってきたは綺麗さっぱり燃えて灰になった。

 次は『大伴御行大納言おおともみゆきのだいなごん』がやって来た。この男には【竜の首の珠】をお願いした。

 この男は筋骨隆々で体も大きい。剛健なタイプで頭で考えるより、すぐ行動に移してしまうタイプだ。

 現在で云う所のパワハラ野郎で、家来に半ば強制的に命令して【竜の首の珠】を取りに行かせた。その時に必要経費として纏まった金を渡し、珠を取れなければ帰って来るなと命令したので、家来が帰ってくるはずもない。皆、常日頃からこの男のやり方にウンザリしていたのだ。帰って来るなと言われ、両手を挙げて喜んだ。

 けれど、その男は家来が珠を持って帰ってくると信じて疑わなかったので、正妻から妾、召使に至るまで女という女を邸から追い出し、新しい邸まで建てた。

 そして、男は邸が完成して尚、まだ誰一人戻って来ない家来を探しに行き、家来が全員逃げたのだと知ると、自分で【竜の首の珠】を取りに行った。

 けれど、その男が思っていた以上に海の上の生活は大変で、挙句激しく船酔いしてひたすら吐いていたらしいと後になって噂を耳にした。

 結果、男は諦めて港に引き返し、私を嘘つき呼ばわりした上に「無理難題を出し、自分を殺そうとした」と殺人未遂の罪まで添えて周りに言いふらした。自分のプライドを守るのに必死で、人を貶める様な言い方をする男など見るに堪えない。

 そして最後は『中納言石上麻呂足ちゅうなごんいそのかみまろたり』だ。彼には【燕の子安貝】を頼んだ。

 怒りっぽい性格で、せっかちな印象のこの男は、自分の意に添わなければ直ぐに機嫌が悪くなる。

 その性格が災いして、「見つからない」と言う家来に業を煮やし、彼は自分で子安貝を取ろうとして転落、腰の骨を折ると云う重傷を負った。

 しかし、心配している家来の前で【燕の子安貝】を手に入れたと、固く握り締めていた拳を開くと――そこにあったのはどう見ても貝ではなく燕の干乾びただった。

 私と結婚出来ない事を気に病んでというよりも、大怪我をしてまで取った物が燕の古糞だったと笑われる方が恥ずかしかった彼は、人の目が気になり外に出るのが怖くなったらしい。そうして、引き篭もりニートになった彼はそれが元で見る間に衰弱していき、結局帰らぬ人となってしまった。

 さすがに、この時ばかりは申し訳ない事をしたなと少し思った。と、ここまではしっかり私が知る竹取物語だが、ここで終わりではない。

 もしかすると、本物を持って帰る者が1人でもいるかもと期待したのだが、誰1人として達成した者は居なかった。この展開を知っていたので、5人の帰りを待っている間に、筋トレや素振りなどをして体を鍛えていた。

 最後の1人が亡くなったと聞いた翌早朝、私は予め用意しておいた旅費と動きやすい男物の着物を着ると、老夫婦に置き手紙を残して家を出た。

 月からの使者が来る前になんとしてでも、この宝を手にして交渉材料にしようと考えたからだ。

 翁に拾われてから、自宅から出た事がなく少し不安だったが、竹ちゃんも居るのでなんとかなるだろう。

 どんな出会いがあるのか、この時代の風景はどんな風景だろうと出た直後の私は足取りが軽かった。後に、この旅がいかに早計だったと知る事となる。

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