お面様

源朝浪(みなもとのともなみ)

顔が襲ってくる

 あなたは『お面様めんさま』という怪談を聞いたことがあるでしょうか?


 たぶん聞いたことがない人が多いでしょう。


 これは私が独自に調査をして、ようやく見つけた民間伝承ですから。


 あなたには、これから、そんな『お面様』にまつわる恐怖に一端を体験していただきます。


 心の準備はいいですか?


 この話を聞いてしまったら、あなたは今後、顔という顔が恐ろしくて仕方なくなるかもしれません。


 「それは困る」という方は、ここでブラウザバックすることをお勧めします。


 それでは。残られたあなたに、『お面様』についてのエピソードをお聞かせしましょう。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――


 八月上旬。


 夏はまさにその勢いを以て世の中を覆いつくし、連日の猛暑が人々のやる気や体力を減退させている。更新され続ける猛暑日の連続日数は、むしろどこまで伸びるのかが気になって仕方がないほど。


 ハンディ―扇風機を使ったところで熱風しか来ないのだから、むしろ暑さが増すくらいで。エアコンの効いた店の中や電車の中くらいが、唯一の安息の地と言ってもいいだろう。


 そんな中、電車を乗り継いで。とある山中の駅に辿り着いた大学生の一行がいた。


 それが俺――矢代やしろ達也たつやと、彼女の藤堂とうどう由紀ゆき、そして悪友の山下やましたのぼるの三人。


 時間は夕方から夜に差し掛かろうかという頃。


 山間ともなれば、夕刻には多少熱気が引いて来るのか。吹いてくる風は冷たいとは言えないまでも、生ぬるいくらいに納まっている。それでも、エアコンの効いた電車の車両から出たのだから、確実に快適さは下がっていた。


 徐々に汗ばんでくる体にシャツがへばり付き、妙な気持ち悪さが湧き上がって来る。俺はシャツの襟もとを掴んで前後に揺らし、少しでも身体を外気に晒そうと努める。


 周囲を見渡してみれば。駅の名前が書かれていたと思しき看板は、色あせと錆で何と書いてあるのか読めたものではない状態。飲み物の自販機でもないかと探してみるものの、無人の駅は迫り来る暗闇に包まれ、虫の音が響いているだけ。それらしい明かりは見て取れない。


「こんなことなら、飲み物を持って来るんだったな……」


 そんな辺鄙へんぴな山奥までやって来たのは、昇の一声があったからだった。


『なぁ、肝試しに行かないか?』


 これが全てにきっかけ。この誘いに乗ってしまったことがそもそもの間違いだったと、この時の俺はまだ知らない。


 そういう訳で辿り着いた、名前も知らない山。


 昇の説明では、ここには『お面様』と呼ばれる伝承が残っているとのことだった。


「で、お面様……だっけ? それってどんな話なん? 昇ってば、もったいぶって教えてくれなかったじゃん? あーし気になってるんだけど?」

「そりゃ~、怪談は肝試しの直前にするものだろ? 最初に言っちまったら、移動の途中で怖さが半減するかもじゃん」


 由紀と昇はこう話していたけど。俺は話を聞いた時点で、自分で『お面様』について少し調べている。


 お面様というのは、この辺りの山で言い伝えられている神様だか妖怪だかの類らしい。


 その昔。この山を治めていたお面様は、その神々しいご尊顔で土地を肥し、多くの実りをもたらしていたのだとか。しかし、それを私物化しようとした醜い人間に顔を斧で切り落とされてしまったと言う。その後その人間がどうなったのかはわからなかったものの、お面様についてはいくらか情報が乗っていた。


 顔を失ったお面様は、新しい顔を求めて彷徨うようになり、顔を見つけては襲い掛かって顔を奪う妖怪と化してしまったらしい。それを案じた時の霊媒師が、お面様を一つのお面に封じて、山の一画に建てた小さな祠に封印した。というのが『お面様』についてわかった情報の全てである。


 俺がそれを由紀に伝えつつ、この企画の発案者である昇に視線を送る。


「で、そのお面様のお面でも探そうってか? どこにあるかもわからない祠を探すなんて、こんな夜中に来るようなもんでもないだろ?」

「おいおい、達也! ビビってんのか? なぁ、由紀! こんなビビりよりも俺の方が頼りになるって! こいつと別れてさ! 俺と付き合おうぜ?」

「はい、パース! あんたはそういうせこいことばっかで、全然魅力的じゃないもん」


 こんな会話もいつものこと。だから俺もわざわざ釘を刺したりしない。


「お面様とか仰々しく言ったところで、所詮は地方の民間伝承だろ? 本当に祠があるかも怪しいんじゃないか?」


 と、俺の見解はこうだ。


 実際、そういった民間伝承は世の中には履いて捨てるほどあるのだし。真偽を確かめようにも、地元民すら知らないなんてこともざらにある。


 それをわざわざ、こんな真夜中に。肝試しという形を取ってまでやることかと、俺は半ばあきれる思いでいる訳で。


「いやいや! 祠はあるんだって! 俺がよく見てるオカルト系ユーチューバーが見つけたってんだから!」

「そんなのいくらでも自作自演できるだろ? 帰りの電車だってあと一本しかないんだから、肝試しやるにしても手短に頼むぞ?」


 正直、昇の誘いは面倒くさかった訳だけど。由紀がホラー大好きっ娘だったので、仕方なく同行した次第。俺としては。どうせ出かけるなら、こんな何もない山の中よりも、カラオケとかファミレスとかの方が良かった。


(まぁ。何もないってわかれば、由紀もすぐに帰る気になるだろ)


 そんな風に思って、俺は昇の案内で、由紀と並んで山の中に分け入る。


 最初は山道のような道が続いていたのだが、途中からはそれもなくなり。獣道かも怪しい草むらをかき分けながら、さらに奥へと進んでいく。日が沈み、どんどん暗くなっていく山の中は、それだけで嫌な雰囲気を醸し出し始めていたけど。昇があまりに自信満々に進んでいくものだから、俺も多少安心していたのかもしれない。


 そんなこんなで辿り着いたのは、山道の入り口から一キロほど入った場所だろうか。


 そこには確かに小さな祠があって、少し開けた木々の隙間から、月明りが差し込んでいる。


(あれ? 何か静かだな……)


 ふと気づいたのだが、先ほどまではうるさいくらいだった虫の音が消えていた。俺たちが踏み入ったから、警戒して鳴くのをやめたのだろうか。


「これがお面様の祠?」


 真っ先に駆け寄ったのは由紀。流石はホラー好きというだけあって、その行動に迷いがない。


 俺だってお面様の伝承を丸々信じている訳ではないから、それほど気後れはしていないつもりだったけど。何だか、その祠を見た途端、胸の中がスッと冷えるのを感じた。


「確かに祠はあったけど、まさか開こうとか思ってないよな?」

「はぁ? 祠見ただけで帰るんだったら、わざわざ現地までくる必要ないだろ? 扉を開けて、中にあるっていうお面と一緒に記念撮影くらいはしないと!」


 怖いもの知らずというか、罰当たりというか。そういうことに無頓着なのが昇という人間で。


 ここで引いたらビビり扱いされるということもあり、俺は湧き上がる不安を押し切って、祠の前に立つ。


「達也! 開けて開けて! 早くお面様見ようよ!」

「わかってるって! こう言うのは一応礼儀を持ってだな――」


 礼儀と言っても。祠を勝手に開けるという時点で礼儀知らずと言うもの。


 それがわからない俺ではなかったけど、彼女にいい格好を見せたいという欲求には逆らえなかった。


 一応、触れる前に合掌して頭を下げる。それだけで足りるのかはわからないが、それくらいしかできることはない。


 祠の扉には特に鍵などはついておらず、簡単に開くことができた訳だけど。問題は、その中に鎮座していたお面である。


 まさしく神様の顔をかたどったと言わんばかりの、厳かな雰囲気のある老人男性の顔をしたお面が一つ。長年手入れなんてされていないと思われる年季の入った祠なのに、中のお面にはカビの一つも生えていない。


「これが、お面様? 何か普通のおじいちゃんって感じ」

「元が神様って言うくらいだから、こういう方が良かったんじゃないか?」


 見ているだけなら、何てことのない普通のお面に見える。が、見れば見るほど引き込まれるような、そんな謎の吸引力のあるお面。ただのお面のはずなのに、こちらをじっと見つめているかのような、そんな雰囲気すら感じられる。


「そんなににらめっこしてても仕方ないだろ! 早く記念撮影しようぜ!」


 不躾にも、それを真っ先に手に取った昇は、ハイテンションでそれをスマホで撮影しまくった。


「いや~! これがお面様! 憧れのユーチューバーよりも先にご対面とか! 俺もオカルト系ユーチューバーとしてデビューしようかな?」

「え~! それじゃあ、あーしもデビューする~! こう言うのは女子の方が見栄えがいいっしょ!」


 そんな風に舞い上がっている昇と、自分も触りたいと駆け寄る由紀。


 しかし、俺の中にはどんどんと不安が溢れ、言いようのない恐怖に見舞われる。


「な、なあ。盛り上がるのはその辺にして、さっさと撮影だけして、元に戻そうぜ?」


 が、俺の控えめな発言は、今の二人には届かない。


 むしろ昇は、よりテンションを上げて、お面を手にしながら小躍りを始めた。


「おおっ!? やっぱりビビってんのかよ、達也! こんなのただのお面だろ? こんなのでビビるとか、お前チキン過ぎねぇ!?」

「そうだよ、達也! どう見たってただのお面じゃん? 大丈夫だって!」


 そんな風に笑っていられたのも、この瞬間まで。


 次の瞬間には、勢い余った昇が、お面を地面に落としてしまったのだ。


 パキン


 そう音を立てて、中央から真っ二つに割れてしまったお面。俺はそれを見て、ぎょっとする。


「お、おい! 何やってんだよ!」

「ああ~、やっちまったなこれ……。まぁ、どうせ他に誰も来ないような場所だし、こっそり戻しときゃ大丈夫だろ」


 悪びれもしない昇。由紀の方も、やらかしたとは思っている様子だが、それほど深刻そうな顔はしていなかった。


「まぁ、今のは不可抗力じゃん? 誰にでも失敗はあるっしょ」

「だよな~。達也、やっぱビビり過ぎだって!」


 二人はこの状況すら楽しんでいる様子。


 しかし、俺はそういう気持ちにはなれなかった。


 何故なら、お面が割れた瞬間から、風がやんでいる。じっとりとした湿度と、森の木々のにおいが一層濃くなり、同じ場所にいるにもかかわらず、あたかもより山の深くに迷い込んでしまったかのような気配に包まれていたから。


「気にすんなよ達也! バレなきゃ大丈夫だって! ほら、こうしてくっつけて置いとけば、そう簡単にバレな――」

『顔寄こせ』


 謎の声が聞こえたかと思ったら、お面から立ち昇った謎の影に、昇の顔が包まれ。そして、昇の身体がばたりと倒れる。


 辺りに響くぐちゃぐちゃという咀嚼音のような音。そして、鉄臭く鼻につくようなにおい。


 恐怖のあまり確認できないでいた倒れた昇の身体には、首から上がなかった。


「はぁ? え?」


 間近でそれを見ていた由紀は動転して動けずにいたけど、俺はすぐさま彼女の手を取って、元来た道を駆け出す。


(これは、まずい!)


 何が起こったのかはわからない。しかし、今が危機的状況なのははっきりしていた。


 が、昇ののである。それは伝承にあった、お面様のおこないそのもので。


 つまるところ、昇がお面を割ってしまったことで、お面様の封印が解けてしまったのだ。


(おいおいおい! シャレにならねぇ~ぞ! これは!)


 お面様は自分の顔を持たない。しかし、逆に顔に見えるものなら何でも一時的に自分の顔として利用することができる。というのが、俺の調べた伝承の中には記されていたのである。


 もしこれが本当なら、俺たちが何かを顔だと認識した途端、あらゆるものがお面様として俺たちを襲ってくるということ。


 だから、俺は由紀の顔を見ることもできない。俺たちがお互い顔を合わせた瞬間。どちらかの顔にお面様が憑依して、もう一人の顔を喰い散らかすだろうから。


 必死になってその場から逃げる俺と、何が何だかわからずに俺に手を引かれている由紀。このまま逃げ切れればいいのだけど、そう簡単に行かない可能性も、俺は考えていた。


 この世には、シミュラクラ現象と言うものがある。


 逆三角形に並んだ三つの点が、人の顔に見えるという、心理的錯覚だ。それは点に限った話ではなく、三本の線だったり、点と線の組み合わせだったりと様々で。人間が外敵の存在を素早く察知するための本能の名残なのだとか。


 とにかくだ。こういう森の中では、そういうものに事欠かないのである。


 木のうろが三つ並んでいたり、枝と葉っぱがたまたまそういう風に配置されていたり。


 地面から顔を覗かせている三つの石や、枝から垂れる三枚の葉っぱ。そういったものが目に入りそうになる度に、俺は視線を逸らし、前だけを見据える。


 しかし、どこまで逃げても、お面様の気配は遠ざかってくれない。


「ちょ、達也! 何が起きたの!? 昇は!?」

「昇は死んだ! お面様に顔を喰われたんだ! 伝承は本当だった!」

「何それ! そんなの聞いてない!」

「俺だって聞いてねぇ~よ! 今はともかく逃げるのが先決だ! とにかく走れ!」


 これだけ走っているのに全く風を感じないのは、やはりおかしいとしか言いようがないだろう。まるで山全体が襲ってきているかのような重圧感。逃げても逃げても、その先が死地のように思えて。俺は生きた心地がしなかった。


「あ!」


 地面に張り出していた木の根に躓いて転んでしまう由紀。しかも、手をついたことでその部分だけ葉っぱが取り除かれ、同時についた膝の部分も含めて、点が三つ並ぶように土が露出してしまっている。


「由紀! 早くその場を離れろ!」

「え? 何で――」


 それ以降の言葉が彼女の口から出ることはなかった。彼女の膝のあたりに除いた土が大きく陥没し、口のようになって、彼女を飲み込んでしまったから。


 由紀の悲鳴だけが辺りにこだまする。


 とは言え。確認しようにも、顔を認識する訳にはいかないので、不用意に彼女のいた方を見ることができなかった。


 ここまで来たら、俺にできることは一つしかない。


 俺は一目散に走る。


 できるだけ周囲を見ないようにして。元来た草むらを抜け、山道を抜け。古びた駅に駆け込み、ちょうどやってきた電車に飛び乗る。


 そこからは目を閉じて、顔を認識しないようにして。ただひたすら時間が経つのを待った。




 恐怖にうなされ、自宅の玄関先でバッと飛び起きた俺。


 あの山から無事に帰っていたのか、それとも出かける前に玄関で寝落ちしてしまったのか。それすらもわからないほど、頭がぼんやりとしている。


「夢? にしては、かなり臨場感あったよな……」


 玄関先においてあるデジタル時計の時刻は、午前七時頃を差しており。帰って来たとも取れるし、寝落ちして起きただけとも取れる微妙な時間。


 寝落ちしただけなら何か反応があるはずと、スマホを確認したが、特にそれらしい着信はない。


(逆にあれが本当に起こったことなら、二人の安否を確認しないと……)


 安否も何も、あの悪夢のような出来事が本当に起こったことなら、二人はもうこの世にはいない。二人とも、お面様に、顔を食われてしまったのだから。


「いやいや。そんなことあるはずねぇ~じゃん! 夢だよ夢! 玄関で無理な姿勢で寝たから、変な夢見ただけだって!」


 そう自分に言い聞かせて、すっと立ち上がろうとする。が、恐怖に震えたままの足には力が入らず。がくがくと震えて、安定しない。


 とりあえず壁伝いにリビングに行き、気晴らしにとレビをつける。すると、どこかの山の映像が写り、その下のテロップには「山中で首なしの男女の遺体発見」の文字。


 それが俺たちが行った山かまではわからないものの、その報道は俺の記憶を大きく揺さぶる。


「いやいや、流石に偶然だろ……。俺たちが行ったのは昨日の夜なんだし、そんなに早く見つかる訳ないって……」


 それでも、膨れ上がって来る不安には耐えきれそうにない。


 俺は洗面所を目指し、顔でも洗って落ち着こうと考えたけど。それが良くなかった。


「あ……、顔――」


 そう。洗面所には必ずといっていいほど設置されているそれには、しっかりと俺の顔が映し出されていた。


 に映った俺の顔。最初こそ普通だったけど、次の瞬間には目元と口元が不自然なほどにやりと歪み。そして大きく開いた口が、鏡の面を超えて俺に迫て来た。


『顔寄こせ』


 俺の意識が持ったのはそこまで。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――



 全ては実際に起こったことです。


 お面様の封印は解かれてしまいました。自由になったお面様は、新しい顔を求めて、これからも徘徊を続けるでしょう。


 次に現れるのは、そう。


 もしかしたら、あなたの下かもしれないですよ?


 不用意に顔を見つけないよう、注意した方がいいでしょう。


 え?


 何で私が、この話を知っているかですって?


 ああ、それは。私も昔、一度だけ「顔を無くした」ことがありましてね?


 まぁ、ことの真偽はあなたのご想像にお任せしますよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お面様 源朝浪(みなもとのともなみ) @C-take

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画