第6話: 継ぐ者たち
村の夜は、不気味なほど静かだった。
まるで誰かが、世界ごと息を止めているようだった。
芦田蓮(あしだ・れん)は、柏木を埋めた。
あのままでは、村に“取り戻される”。
せめて、土の中で眠らせたかった。
手のひらには、まだ柏木の血の温度が残っている。
掘り返した土は柔らかかった。
人の骨と灰が混じっている。
この村では、土そのものが“遺体”なのだ。
――その音を、誰かが聞いていた。
背後に気配。
振り向くと、楓が立っていた。
白い喪服に、首から鈴を下げている。
風が吹くたび、かすかに音が鳴る。
「……葬ってしまったんですね」
彼女の声は、静かだった。
責めるでもなく、ただ“残念そう”だった。
「生きてても、死んでても、もう柏木じゃなかった。
だから、せめて人として戻してやりたかった。」
「人……」
楓は一歩近づく。
その目が、焚き火の赤を映す。
「人はね、芦田さん。
“誰かを残したい”と思うから苦しむんです。
私たちは、それをやめただけ。
愛した人を、血と記憶で自分の中に取り込む。
そうすれば、二度と離れない。」
「それは、生かすんじゃない。閉じ込めるだけだ。」
「いいえ。
“閉じ込められた”ほうが、きっと幸せなんです。
ねえ、芦田さん。
あなたも、誰かを閉じ込めてるでしょう?」
芦田の指が、わずかに動いた。
否定も、肯定もしなかった。
「……お前の目的はなんだ、楓。
村を守るためか、それとも灰巣様のためか。」
楓は、ゆっくりと首を振った。
その仕草が、どこか幼い。
「私は、“母の声”をもう一度聞きたいだけです。
死んでから、まだ名前を呼ばれたことがない。
だから、灰巣様に願ったんです。
“母を私の中で生かしてください”って。」
芦田は、目を細めた。
「お前の母親は……この村の“最初の継承者”か?」
楓は頷いた。
頬を伝う涙が、火の光にきらめく。
「母は“継ぐ”ときに、自分の声を失った。
死者の記憶を全部抱え込んだら、自分が消えたんです。
だから私は、母を取り戻すために次の“継承”を選ばれた。
それが明日。
村の“心臓”の下で。」
「……どこだ。」
「行っても、帰れませんよ。」
「それでも行く。」
楓は、少しだけ笑った。
悲しみと安心が混ざったような笑み。
「灰巣様の心臓は、“地の宮(ちのみや)”にあります。
村の地下。
すべての遺体と血が流れ込む場所です。
灰巣様はそこにいます。
姿はありません。
音と匂いと、夢だけ。」
「そこに行けば、すべて分かるんだな。」
「ええ。でも気をつけて。
“見る”ということは、“継がれる”ということです。」
◇
夜更け。
楓の案内で、村の外れの洞穴へ。
入口には、祈りの札がいくつも貼られていた。
それらは全て、“灰巣”という文字で塗りつぶされている。
何を封じたのか、何を守ったのか――もう判別できない。
中は湿っていた。
壁には、人の骨が埋め込まれている。
灯りが揺れるたび、無数の目がこちらを見ているように錯覚する。
楓が先に進みながら呟いた。
「ここにいるとね、誰が生きてて、誰が死んでるのか分からなくなる。
心臓の鼓動が、みんな同じ音で響くから。」
確かに、聞こえる。
洞窟の奥から、低い拍動。
地鳴りのようでいて、人の鼓動のようでもある。
それが、この村全体の“呼吸”のように響いていた。
足元の水が赤い。
血のように。
流れてくる方向に、微かに明かりが見える。
◇
空間が開けた。
そこは巨大な地下洞。
壁一面に、数えきれない人の顔が貼りついている。
死後、皮を剥がされたような顔。
しかし、その口がわずかに動いていた。
囁いている。
“ありがとう”
“忘れないで”
“まだ生きてる”
“寒い”
“あの人に会いたい”
“もう一度だけ”
無数の声が、血の海に溶けていく。
その中心に――“心臓”があった。
鼓動する肉塊。
人の形をしていないのに、懐かしい。
楓が膝をついた。
涙が頬を伝い、微笑む。
「これが、灰巣様。
この村を繋ぐ母の心臓です。
死を止めた人。」
芦田は一歩踏み出す。
その鼓動が、身体の中まで響く。
目の前の“肉”が、わずかに形を変えた。
――柏木の顔。
そして、次に、美沙の顔。
救えなかった少女の笑顔。
その唇が、動いた。
「れんさん……いっしょに、いよう……」
芦田の拳が、震える。
だが、今度は違う。
恐怖ではなく、決意だった。
「……違う。俺は、生きてる。」
楓が驚いて顔を上げる。
芦田は前へ進み、血の中に足を踏み入れた。
「死者の声は、生者が抱えるためにある。
喰うためじゃない。」
その瞬間、洞窟が軋んだ。
壁の顔たちが一斉に叫ぶ。
血が噴き上がり、楓が悲鳴を上げた。
「やめて! 壊したら、みんな死んじゃう!」
「それでいい。」
芦田は拳を握りしめ、灰巣の心臓を殴った。
鈍い音。
肉が裂け、血が溢れる。
地下の空気が震えた。
顔たちが次々に消えていく。
楓が泣き叫ぶ。
その声に、芦田は振り向かずに言った。
「お前の母親は、お前の中にちゃんといる。
もう誰の血も喰わなくていい。」
楓の涙が止まった。
その顔に、ようやく“人間の表情”が戻った。
笑いでもなく、信仰でもない――ただの、涙だった。
地面が崩れ始める。
赤い水が流れ、洞窟が鳴く。
芦田は楓の腕を掴み、出口へ走った。
背後で、心臓が最後の鼓動を打った。
その音は、まるで“ありがとう”と言っているようだった。
◇
地上に出ると、灰の雨が降っていた。
村の家々が静かに燃えている。
誰も叫ばない。
まるで、全員が納得していたかのように。
楓が呟いた。
「終わったんですか」
「……終わりじゃない。やっと、始まるだけだ。」
芦田の手には、灰巣の血で染まった鈴が握られていた。
風に鳴る音が、どこか懐かしい。
『灰巣の村(はいすむら)』 蒼月想 @aotukisou
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