38話【そこに居るのは…】



翌朝——。


燕は、まだ庁舎が完全に動き出す前の時間に警察庁へ入った。

人の気配が薄い廊下は、余計な雑音がなくて仕事がしやすい。そんな理由で、彼女は早朝に訪れていた。


警察庁長官室。

訪れるのはあの時以来だ。


窓際に立つ白髪を整えた初老の男——九条兇然は、相変わらず背中だけで威圧感を放っていた。


「九条長官」


声をかけると、九条はゆっくりと視線だけをこちらに寄越した。


「……久しいな、王来王家。異能対策室はどうだ」


「返答に困る質問ですね」


淡々と返すと、九条は肩をすくめた。


「すまんな。ワシの悪い癖だ」


やっと振り向き、正面から燕を見る。


「そうだ。擬似能力の完成おめでとう。お前にとっての悲願だったろう?」


「いえ。今はもう、私は直接関わっていませんので」


「そう畏るな。あれは、お前が“始めた”ことだ。お前が動かなければ世に出なかった技術だ。それを誇るといい」


「……ありがとうございます」


言葉は簡潔だが、九条の声色には珍しく感情が乗っていた。

だからこそ、燕はそれ以上何も返さない。


「さて——雑談はここまでにしよう。今日は何の用だ」


「はい。九条長官に、お聞きしたいことがあります」


燕は姿勢を正し、呼吸を一つ整えてから口を開いた。





昨夜の余韻だけが、まだ体のどこかで燻っていた。

一ノ瀬は朝靄に刺す光の中を、ただ無言のまま歩いていた。

班長という肩書も、比嘉の叱責も、仲間の視線も、今の彼には遠い。


ただ胸の奥で何かを押しつぶすような焦燥だけが歩幅を速めていた。


——納得できるわけがない。


あの男。はじめ一人かずと

乕若深雪を庇うように立ちはだかる【No Trace】第1小隊隊長…


(くそ……”邪魔”をしやがる…!)


自分でも制御できない焦りの様な気持ちを抱えたまま、一ノ瀬は単独で現場へと向かっていった。

誰も引き連れず、ただ独りで駆け抜けるように。





異能対策室本部——。


朝の空気がまだ張りついたままの室内に、昨日の疲れが静かに残っていた。


「それで一ノ瀬班長は1人で行動ってわけですか」


「あぁ…」


来栖の問いに、比嘉は気まずそうに頭を掻きながら短く返す。

背中には“止めても無駄だった”という、そんな諦めが滲み出ていた。


「俺は少し用があるから、この事件後はお前たちに任せるぞ」


そう言い残し、深い溜息とともに背を向ける。

室内の誰も、その“用”が何かを聞く気にはならなかった。


扉が閉まる音が響くと、空気はふっと緩む。


来栖が椅子に腰を落としながら口を開いた。


「全くみんな自由人ですね〜。一ノ瀬班長も俺を連れて行くか、せめて他のDD班も招集して動けばいいのに」


「他のDD班?一ノ瀬さんと来栖さん以外にもいるんすか?」


神室の素朴な疑問が落ちる。


「え?当たり前ですよ!俺ら2人でやるわけないでしょ。俺は事務なんだから一ノ瀬班長1人で主要不可の異能犯罪者の対応は中々厳しいですよ」


これには燕も自然と耳を傾ける。


「どんな人が居るのか気になりますね」


燕が興味を乗せて問いかけると、来栖は上の方を見ながら指を1つ1つ折った。


「まぁそうですね、他に2人“熊野御堂”と“贄山”ってのが居るんですけど、あの人達も他の任務が忙しくて中々会わないんですよね」


「へぇ〜、その人達強いんすか?」


神室が目を輝かせる。


「…俺たちは暗部なんで“どれ”を強いにするかは分かんないですけど、少なくとも俺含めここに居る皆さんよりは強いはずですよ」


その断言が、室内に小さな静寂を落とした。


「…じゃあそいつらが居りゃ多少は昨日の戦闘もマシな形には収まったのかもな」


その静けさを破るように、竜崎が憎まれ口めいた声とともに部屋へ入ってきた。


「竜崎さん、怪我は?」


燕は反射的に訊き、声にわずかな心配が滲む。


「大したことねぇよ」


「そう。良かったわ」


竜崎の不敵な態度に、燕の眉間の緊張がゆるむ。


「それで、その熊野御堂とかいう奴らは招集出来ねぇのか」


「いやぁどうですかね〜。あの人達、一ノ瀬班長に匹敵する自由人というかソロプレイヤーというか何というかって方々なんで」


来栖は肩をすくめ、苦笑混じりにこぼす。


「んだよ、期待薄か。どうすんだ?乕若深雪を追う以上あの白髪野郎にまた出会す可能性は高いぞ」


「あの男、あの女の知り合いみたいだった」


昨日の光景を思い返しながら、村崎が低い声で言葉を落とした。


「確かあいつ【No Trace】の第1小隊隊長とか言ってたよな…また【No Trace】が出てくるのか…」


竜崎が顔を顰めながら吐き捨てた。


「【No Trace】の人があの乕若深雪って人とどういう関係があるんすかね?」


神室の素朴な疑問はあの時その場にいた竜崎と村崎はもちろん、後で話を聞いた燕達も一度は考えたものだった。


燕はそのやり取りを横目に受け止めながら、静かに思考を沈めていく。

事件の断片を頭の中で並べ替え、漏れたピースを探すように。


そして小さな沈黙のあと、そっと口を開いた。


「そもそもなぜ乕若深雪を追う必要があるのかしら」


「あん?そりゃ一ノ瀬が川崎で会ったからだろう?」


竜崎が答えた。


「偶然出逢うとしても何故、乕若深雪だったのかしら」


「どう言うことっすか?」


「乕若深雪は神奈川奴隷商人事件っていう半年前の事件に関わりのある女性なのは昨日の会議で分かったわよね」


「はい。事件の被害者にしちゃ何も情報が無いみたいな話で行方不明っていう」


神室が思い出しながら答えた。


「変じゃないかしら?」


「どういうことです?」


時陰が腕を組み、頭を傾げながら疑問を投げた。


「半年間行方不明だった…それだけ雲隠れしてる人間が何故”今”出てきたのかしら。行方をくらましてる人間が夜中とはいえ人に出会す可能性の高い街中に現れるのかしら…」


「確かに言われてみたらそうですね」


燕の考えに対して時陰は納得した様に言った。

それに対して来栖も口を開いた。


「例えば、川崎…しかもあの場所に用があったって考えるのはどうです?」


「あの事件現場に?」


時陰が昨日書かれた状態のホワイトボードを確認した。


「仮にそうだとしたらそれはなんだ?」


竜崎が来栖に聞く。


「そこであの川崎の被害者の男の身元ですよ」


「あの被害者の?」


「竜崎さん達が張り込みしてる間、俺は調べてたんですよ。あの川崎の被害者をね」


来栖はホワイトボードに向かって歩いた。

そしてホワイトボードに書き込みしながら話し始める。


「一ノ瀬班長が川崎で女の姿を見たって聞いてから、あの川崎の被害者には何かあるなぁって思って調べてたら2つ分かったことがあったんですよ。

まず、この被害者の男の名前を”佐々木権蔵ささきごんぞう。神奈川にある人材派遣会社の社長っていう事実、そして人身売買の闇グループの一員って事が判明したってわけです」


「人身売買?!まさか…奴隷商人事件に?」


神室がおどいた様に聞く。


「いいや、まだこの被害者が奴隷商人事件に関わってるかは分かってないんですよね。ただ、もし関係してるならその時に奴隷だった人はさぞ怒りに満ちている事でしょうね。…元奴隷だった乕若深雪とかもね」


来栖は書き終えたあと、燕に視線を向けた。


「これなら追う理由になるかなと」


「…さすがね。DD班の優秀さが見て取れるわ」


燕は更に続ける。


「けど、それは川崎の被害者の話の場合ね」


「…なるほど、続きを聞かせてください」


来栖は燕の言葉を純粋に聞いていく。


「川崎の被害者”佐々木権蔵”。確かにこの男は人身売買グループの一員だっただけあって、奴隷商人事件に関わってる可能性も大きいし乕若深雪に動機も生まれます。けどそれは川崎に限っての話。この神奈川惨殺事件は異能者による連続殺人事件…手口は全部一緒」


「血痕がない、ですよね」


「それだけじゃなく致命傷になった背中の抉られた様な切創も同じ、だからこそ同一犯による犯行という結論になった」


そう言い今度は燕がホワイトボードに近づいた。


「他5つの被害者は横浜、座間、横須賀の被害者は異能犯罪者、鎌倉と相模原の2つの被害者はヤクザと闇グループのチンピラだった」


「いつの間にそこまで調べて…」


来栖が驚いた様に聞いた。


「来栖さんが川崎の事件を捜査してる間、私も出来るところまで捜査してました。最も異能犯罪者の方は簡単に割り出せたんで時間がかかってないんですけどね」


「そうなんですか?」


すると燕は3枚の写真を出した。


「これ、異能犯罪者のマグショットですか?」


時陰がそれを見て答えた。


「えぇ、比嘉さんにいつも頼んで貰ってるの」


「…もしかしてこいつらって…!?」


燕の出した写真を見た来栖は目を開いた。


「えぇ、この3人はいずれも収容した異能犯罪者。収容したのは他のSB班や優秀な警察官の方々だと思うから私は馴染みないけどね」


「ちょっと待て、横浜と座間、横須賀の被害者は一度は収容した異能犯罪者ってことかよ?どういうことだ?なんで外に出てる?」


竜崎が困惑したように聞く。


「もしかして例の収容が難しいという…?」


額に汗を浮かべた時陰が言った。


「そのもしかしてよ。どんな異能を持ってるのかは詳しくは分からなかったけど、この3人は収容してからすぐに脱走していたらしい」


「何で脱走に気づかねぇ?看守は何やってんだ」


「いや、洗脳系の異能だって背景透過やすり抜けの異能、認識阻害…そういう異能だってあるはずっすよ」


神室は真面目なトーンで竜崎に言った。


「神室くんの言うとおりそう言う異能はある。ただそういう異能はそこまで多くはないんですけど、俺達DD班はそう言うのを処理していくチームですからね…」


「…だとしてもまだ腑には落ちねえ。横浜、座間、横須賀この3つの被害者をみたら警察は分かるもんじゃねえのか?こいつは収容した異能犯罪者だ!って…」


竜崎は来栖の言葉を聞いてなお、まだ疑問を浮かべた。


「いいえ、竜崎さん。それも難しいはず」


「あ?どういう意味だ」


「異能対策室になってから結構時間が経ったから麻痺して来てるけど、異能犯罪者とまともに対峙できるのは私達異能対策室。ましてや異能犯罪事件は殆どが私達異能対策室が対応することになってる」


竜崎はそこでハッとした。


「…そうか、普通の警察は異能犯罪を対応しないから異能犯罪者の素性なんて知ることが無いのが殆どか…」


「そういう事ね。…それで話を戻すけど、ここまで聞いて乕若深雪にこの神奈川惨殺事件を起こす動機は完全にあるのかしら」


燕の問いに来栖は考えを巡らせる。

いや、燕が問いを投げるよりも前から来栖はずっと考えていた。


「…川崎以外は乕若深雪には動機が無い…」


更に来栖は独り言の様に続ける。


「いや、そもそも乕若深雪はこの事件を起こす意味がない…佐々木権蔵はあの事件に関わっていようが無かろうがいつでも殺せるはず…単独で殺した?いや、なら何故横浜などの事件と同じ殺し方にした…?愉快犯の可能性?…いや一番無い…」


その来栖に向け燕は言葉を放つ。


「来栖さん、何故乕若深雪は重要参考人になったの?」


「何故…?…何が言いたいんですか」


来栖は何かに気付いたのか直ぐに燕に聞き返した。


「…洗えば洗うだけ乕若深雪に動機がない事が分かるはず」


燕は更に続ける


「ほとんどの情報が不明の上行方不明だった乕若深雪、その乕若深雪を庇った竜崎さんを斬った白髪の男【No Trace】第1小隊隊長…一一人はじめかずと。おそらくこの2人は知り合いでしょう。それもかなり密接な。そこから出せる可能性は——」


「乕若深雪も【No Trace】の可能性…ですか」


来栖は歯切れ悪く言った。


「もう気付いてるわね来栖さん。」


燕は来栖に向けそう言ったが、燕と来栖以外は首を傾げたままだった。


「班長、話が見えねぇどういう意味だ」


「…昨日私達が竜崎さんの下に駆けつけた時、私は”それ”に見覚えがあったの…」


燕は自分の腰に提げていた一本のアサルトナイフを取り出し見つめた。

——赤い文字で”弌”と書かれたアサルトナイフを。


「…形状も、作りも、柄に赤字で書いてあるのも同じだった」


燕はアサルトナイフ見ながら呟いていた。


「待ってください王来王家班長、その考えは早計ですよ…!それに乕若が【No Trace】だろうもまだ——」


燕と同じ、いやそれ以上の頭を持っている来栖には燕の考えを理解していた。

それゆえの止め方だった。


「それより来栖さん、貴方は見たことあるんですか?」


だが燕はその静止を振り切るかの如く被せて言葉を出した。


「え、な、何をですか?」


「…あの”仮面の下”をですよ。…私はその下を知らない、だから”これ”の答えが間違ってることを証明したいの」


燕は徐ろにPCを立ち上げた。


「来栖さん…いやみんなにも見てもらいたいものがあるの…今朝九条長官の下に行って貰ってきた映像。それを観てもらいたい」


映像を立ち上げる燕。

その映像を覗く様に全員が画面に注目する。


「…これは私が九条長官に異能対策室の班長に任命された時の日の映像。”九条長官が襲撃された”時の映像よ」


来栖の額には汗が流れる。

来栖にはもう分かっている。

何を知りたいのか、この王来王家燕は自分に何を確認させたいのかを。


——恐らく、この事件の本当の詳細を…





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2025年12月13日 20:00

異能対策室〜王来王家燕〜 @IXA_666

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