魔女になった少女

虎渓理紗

魔女になった少女

「お師匠さま、町が見えるよ!」


 王都に続く何もない平原を一人の女性と、顔のよく似た少年と少女が歩いておりました。

 女性は片手にトランク、片手に少女の手を繋いでいます。

 少年は元気一杯で、女性や少女よりも先をずんずん歩いています。少年は見えたものへ指を差しました。


「お師匠さま! あれ、町でしょ!」

「あれは町ではないよ」


 少年が指さしたもの、それは町ではありませんでした。でも、おそらく昔は町だったのでしょう。町だったものが廃れて瓦礫の山になりそのまま何年も何年も放っておかれているのでした。

 教会はステンドグラスが落ち、地面に破片が散らばっています。家は屋根が飛び、中が丸見えになっています。そしてどれも煤のようなものがこびりついているのでした。

 女性は遠くに子どもたちには見せてはいけないものを見つけ、少年が好奇心に足を進めるのを止めました。


「この町には泊まる所がない。だから森の奥に行きましょう。ほら、森の手前に一軒家が見えるでしょう」


 女性が指を差す先には確かに一軒家がありました。森に続く一本道の手前に小さな家があるのです。その家は町にあった家とは違い、ちゃんと家の形をしておりました。

 赤いドアをノックしても返事はありません。


 長い間、人は立ち入っていないようです。


 ドアは空いておりました。中に入ると、それは酷い有り様でした。椅子とテーブルは薙ぎ倒され、本棚は本が飛び出し全て床に落ちています。

 女性は床に落ちていた一冊の本を拾います。


 それは一冊の魔導書でした。




 ◆◇◆




 その少女はただの町娘でした。


「ナターシャちゃん、ありがとうねぇ。これでまた畑仕事ができるよ」

「そんな、おばあちゃん。無理はしないで。この薬だって万能ではないの。本当はゆっくり休んで、しっかり栄養をとった方がいいわ」

「うんうん。分かったよ。この薬を使うと本当にげんきになるんだ。感謝してるよ」


 町から離れた森の手前。赤煉瓦を積んだその家は、彼女の祖母の代から受け継いできたもの。

 この家でナターシャという名の少女は、薬屋をしておりました。

 森で取れる薬草を煎じて薬にする。

 町では評判でこうして、遠くから訪れる人もいるほど腕がいい薬屋だったのです。


「おばあちゃん、町まで送るわ」

「そうかい? ありがとうねぇ。足が、ほんと、調子が良くなくてさぁ、困ったもんだよ」

「いいえ、おばあちゃんは私のお得意様ですもの」


 頼りにしてくれるお得意さんも何人かいます。先生と慕ってくれる人もいました。

 ナターシャはここで一人で暮らしていました。

 祖母も母親も父親も、彼女が幼い時に亡くなってしまい、彼女は一人でここに住んでいたのです。

 町での暮らしは平和でした。

 この町は王都に続く道の手前にあり、行商人や旅人がよく立ち寄ったのもあるでしょうが、活気のある豊かな町だったのです。

 しかし、それはある日突然変わってしまいます。

 始まりはただの小さなきっかけでした。


 王都でたくさんの人を殺した瘴気が、荷物と共に運び込まれたのです。一匹の黒い悪魔が逃げ出して人々にその疫病を感染させてしまったのでしょう。

 初めは貧しい地区の子供達。次に商人たち。次に旅人、次に中級階級の者たち、そしてついには領主様の娘さんまで、この病気にかかってしまいました。あの地区で何人死んだ、何人感染した。

 ――といった暗い噂ばかりが聞こえてきます。

 みんな身体中が黒いアザだらけになり、苦しんで死んでいきます。町は人がすっかりいなくなり、カラスのようなクチバシの長い被り物を被ったお医者様が家から家へと走って行きます。

 ナターシャの元には連日のように人が押し寄せました。薬をもらおうと人々が泣き叫ぶのです。


「娘が今にも死にそうなの!」

「お父さんが死んだら、私達はどうやって生きていけば良いの!?」

「薬を、頼むから薬を!」


 けれど、王都でも薬なんて無い未知の病です。

 ただの町娘であるナターシャに作れるはずがありません。感染した患者から薬を作ることができるかもしれませんが、そんな危険なことをやらせてもらえるはずがありません。

 ナターシャに出来るのは、鎮静剤や解熱剤を与えること。そして、食事の注意と感染しないように患者には近づかないこと、換気をすることといったごくごくありふれたアドバイスだけでした。


「そんなこと知ってるよ!」

「この役立たず!」


 街の人たちは口々にそうナターシャをなじって帰って行きます。

 街の人たちは不安なのです。

 家族が感染した、明日は我が身かもしれない。

 働き手が死んでしまったら、私たちはどうやって生きれば良いのだろう。商店に食べ物が少なくなってきた、町に訪れる行商人が少なくなってきたからです。

 町はどんどん困窮してきます。

 その度に街の人たちは、不安をどこかにぶつけたいと喚き散らすのです。みんながみんな気が立っていたのでしょう。働くのをやめて自暴自棄になり事件を起こす人も出てきました。

 ナターシャはそれをどうにかしたいと思っていました。みんなを救いたい。せめて苦しまないようにさせてあげたい。

 ナターシャは酷い言葉を浴びることもありました。みんな死んでいく家族のためにナターシャをなじるのです。

 治せない不甲斐なさはどうしようもできないのに。私にはどうしようもできないのに、と。

 ナターシャは泣いて、泣いて、泣いて――。

 夜中、泣き腫らした日もありました。

 ある日、ナターシャは気付きました。

 本棚に知らない本が挟まっているのです。


「なにかしら、これ」


 その本は一冊の魔導書でした。




 ◆◇◆




「お師匠さま、今日はここで寝るの?」


 少年は女性にそう尋ねます。この家は、部屋の中はメチャクチャでしたが唯一、ベッドの上だけは綺麗に清掃されています。ここだけ、何回も人が清掃をしたように綺麗だったのです。

 おおよそ、この町を訪れた旅人がこの家を見つけ一晩借りたことが何回かあるのでしょう。


「えぇ。もう夜になってしまうから」

「やった! 久しぶりのベッド!」


 それは簡素な粗末なベッドでしたが、野宿を続けていた彼らにとっては久しぶりの、屋根のある建物です。幸いにも埃をあまり被っていない布団もあり、女性はホッと息をつきました。

 ご飯を食べ終わると少年も少女も、うとうとと瞼を重くしていきました。女性はそれを見て微笑みます。今日だけは狼に襲われることを不安がらない平和な夜を過ごせそうだったからです。

 少年と少女がすっかり寝てしまうと、女性はランタンの明かりを消しました。すっかり闇の中になり、女性は常に一緒にいる自分の使い魔を呼びました。

 それは闇の中に溶け込む悪魔でした。闇の中で姿を見せないしゃがれ声の主は、女性に向かってこう言います。


「おチビどもは寝ちまったか?」

「ええ。寝たわよ。……珍しいのね。呼んだらすぐ来てくれるなんて」

「そりゃあまぁ。俺も感傷に浸ってたのさ」

「そんなことを言うなんて、ずいぶんと丸くなったじゃない」


 女性はその悪魔の声が、少し元気が無さそうに聞こえたことが気になりました。


「お前さんが、平気なふりをしながら、大丈夫なふりをしながら、気丈に振る舞ってるからさ。……なぁ、ナターシャ。お前、この町に久しぶりに来て、お前こそあの惨状を見て、大丈夫なのか?」


 魔女の使い魔である悪魔は、主人である魔女がこの町に来てから常に感情の振り幅を見失っていることを知っていました。けれど、少年や少女たちに気づかれんとして明るく振る舞っていることを知っていました。

 それが使い魔である悪魔には刃物のようにズキズキと突き刺さるように感じたのです。


「大丈夫」


 女性はそう言いましたが、表情は晴れません。

 そして、こう悪魔に話しかけました。


「……この町にはもう二度と、緑は生えないのね。もう何十年も前なのにちっとも変わらない。焼け果て焦土と化した我が故郷は、もう無い。あの綺麗な街並みもあの活気ある商店も、何一つ、もう戻って来ない」


 魔女はこの町で生まれました。

 今いるこの家は、祖母の代から受け継いだ自分の家でした。


「私がこの町を変えてしまったの」




 ◆◇◆




 ナターシャはその魔導書を開きました。

 そこにはこう書いてありました。『魔法の力を必要とするならばいつでも力を貸そう。けれど、代わりにお前の魂をいただく』と。

 それは悪魔を呼ぶ方法でした。

 魔法で薬を作る魔女の話は、ナターシャも知っていました。この世界には魔女がいて、彼女たちは人間に隠れて人間のために薬や魔法を使う。

 しかし、それは禁忌でもありました。

 悪魔と契約したものは二度と人間には戻れません。

 自分の寿命が尽きれば、魂は地獄にも天国にも煉獄にも行けず、悪魔のものとなり弄ばれます。それこそ、生前に悪魔に行ったことを倍返しにされるかもしれません。悪魔は悪いものだからです。

 けれどナターシャは決断しました。


「人間に戻れなくても、町の人が助かるのなら」


 悪魔を呼び自分と契約させ、魔女になることを。

 魔法で作った薬は町の人たちにたくさん届けられました。どんな薬でも治らなかったのに、魔法の薬はどんな人をも治しました。

 みんなナターシャに感謝をしました。

 みんなみんな、これで幸せになるはずでした。


「よかった、これでみんな病気が治る」

「……そんなに上手くいくものじゃないぞ。人間っていうのは汚いものだ。ナターシャ、この町から出て行った方がいい。早く荷物をまとめるんだ」

「どうして?」

「お前よりもうんとずっと長生きしてるんだ。嫌なくらい人間を見てきてる」


 ナターシャには悪魔の言うことは分かりません。


「お前は魔女になったんだ。今まで通り幸せに過ごせるなんて思うな。人間は弱いんだ。力があるものを怖がり排除する。あいつらが感謝してるのはお前じゃない。お前が作る薬に感謝してるんだ。お前に感謝してるわけじゃない」


 悪魔があまりにもそういうので、ナターシャは酷く落ち込みました。そんなわけが無い、みんな私に感謝していると悪魔に訴えても悪魔は聞き耳を持ちません。そして、悪魔が本当に伝えたかったのは、その話の後半ではなく前半であることに、ナターシャは気づきませんでした。

 悪魔が言うことは本当になりました。

 王都から教会の神父が訪ねてきました。

 王都では治せなかった病がこの町では治すことができました。彼は薬を作った薬師を訪ねに来たのです。どんな腕のいい薬師だろうか。それならばぜひ王都に来て薬を作ってもらいたいものだ、と。町の人は町の奥に住んでいるナターシャの家を教え、ナターシャが作った薬を神父に渡したのでした。

 神父は気付きました。


 これは人間には作れぬ薬である、と。

 これを作ったものは『魔女』である、と。


 ――魔女であれば、火炙りにしなくてはいけない、と。




 数日後、神父は教えてもらったナターシャの住む家を訪ねました。夕方、もうすぐ日が暮れる頃。神父は町外れにある森の手前にあるナターシャの家のドアをノックします。

 たくさんの異端審問官を連れて。


「……はぁい、今行きま、」


 ナターシャの声は途中で止まりました。それからなんの音もしません。神父は、乱暴にドアを開けました。ドアは鍵が吹っ飛び、中に入った神父たちはテーブルを押し除け、椅子を押し除け、本棚をひっくり返していきました。

 ズカズカと、神父たちは強引に押し入っていきます。

 ナターシャは部屋の隅で声を抑えていました。ドアを開ける直前に、自分の使い魔が『開けては行けない』と止めたからです。

 しかし、どんどん自分の元に近づいてきます。

 ――ああ、もうダメだ。

 ナターシャがそう思った時、悪魔はナターシャに囁きました。


「ナターシャ、おい。あいつら、俺なら追い払える。でも、それはお前が望むことじゃない。お前は俺がどんなやつか知っている。俺がすることがどんなことか知っている。そして、それをすればお前はいよいよこの町を出て行かなきゃならない」


 囁き声は悪魔の誘惑。


「さぁどうする? お前はどうする?」


 さぁ、さぁ、さぁ、と、悪魔は急かします。もう後がありません。神父が最後の部屋の前に立ちました。ドアに手をかけて……。

 ナターシャは決意しました。


「私は」


 悪魔はニヤリと笑いながらその言葉を待ちます。

 けれど、悪魔は望む言葉を得られませんでした。


「お前の力などいらない。お前に縋るなら、私は! 私は、……」


 神父はナターシャを連れて行きました。

 神父はナターシャを地下牢に押し込めました。

 神父はナターシャに罪状を申告します。


 そして、神父はナターシャを魔女として火炙りの刑に架けることにしたのでした。






 その日は、無情にも訪れます。ナターシャ以外の人たちにとっては何のことはない普通の日です。ただ、町で一人の少女が処刑される、ただそれだけの一日なのです。

 ナターシャは朝から何も食べずに牢にいました。どうせ、食べてもなんの栄養にもなりません。昨日から生きることを諦め、この運命を受け入れることにしたのです。

 その様子が神父にとっては面白くありませんでした。人間ならば、死は恐怖でなくてはなりません。死ぬことを望む人間など、いるはずがありません。ナターシャのその様子が、神父にとってはとても不気味で怖いもののように思えていたのでした。なおさら、ナターシャを早く処刑せねばならないと神父は焦っていたのです。

 この処刑はこじつけです。

 ナターシャが悪い理由などどこにもありません。神父は、ナターシャが悪でなければならなかった。そのナターシャが死を受けいれる。

 聖人のように清く正しいものが処刑され、その様子を市民は見ているのです。ナターシャが悪い魔女だと市民に思わせられなければ、この処刑をした神父は市民に処刑されてしまうのです。

 神父は焦っていました。


「ナターシャ、取引をしよう」


 焦るあまり、このような提案をしたのです。


「処刑の時間、君の悪魔を出したら君を無罪とし君を解放しよう。ただし、悪魔を出さなかったら君はそのまま焼かれて死んでしまう」


 ナターシャは気付きました。これは、不当な取引であると。悪魔を出したところで処刑を終わらせるとは思いません。神父は、証拠がないが為にナターシャにとって不利な取引を持ちかけているのだ、と。実際、神父の思惑はその通りでした。

 神父は自分がその後に処刑されることを恐れ、ナターシャをどうしても有罪にしたいのです。


「それはどうしても出来ません、私にはそれをするメリットが無いのです」

「……そういうと思ったよ。なら、こうならばどうだ」


 神父はどうしても処刑したかった。


「君が魔女になる前に、一体何人を見殺しにした? もっと早くに君が魔女になっていたら、もっとたくさんの人を救えていただろうに」

「……それは」

「君はたくさんの人を救った、かもしれない。けれど同じくらいの人を君は見殺しにした。それを市民は知っている。君が魔女であると知ったならば、市民は思うだろう。『では、どうして自分の家族は見殺しにしたのか?』とね」


 それは、仕方のないことでした。ナターシャにその非がないことは神父も知っています。

 王都の医者でさえも治せない病気なのです。

 神父だって治すことはできません。


「君は中途半端に手を出したが為に、処刑される。君はたくさんの人の人を救った。けれど、その数だけ見殺しにした。清く正しい評価だけを見て、君を判断できるほど、世間は綺麗にできていない」


 神父は静かに牢を去りました。

 残されたナターシャは、冷たい石床の上でうずくまります。

 もっと早くに魔女になっていれば、なんて自分が一番自分を責めていること。

 もっと早くに。


「あの神父、嫌なことばかり吐きやがって。どうする、ナターシャ」

「……あの人は、私を処刑する理由が欲しいのよ。私にはそれしか隙がなかったんでしょう。でも、その隙が私にとっては致命傷ね。みんな、私がもっと早くに魔女になっていれば助けられたかもしれない。私は、彼の言う通りみんなを見殺しにしたの」


 今更後悔しても遅いのです。


「貴方の忠告、もう少しちゃんと聞いておけばよかった。私、薬を作ってさっさとこの町を出ればよかったんだわ」


 悪魔は何も言いませんでした。


「……死にたく、ないなぁ……」


 そう、後悔してももう遅かったのです。






「ではどうする?」



「悪魔に頼ったほうが楽だぞ」



「なぁ、さぁ、さぁ、さぁ……」



「人間って死んだらそこで終わりなんだ」




 悪魔はそう囁きます。ナターシャは十字架に架けられて鎖でぐるぐる巻きにされても黙ったままでした。脳に直接囁く悪魔の声。堕ちろ堕ちろと誘う声は、ずっとその時まで永遠に囁くのです。


「さぁ、お前は、何を選ぶ」


 足元から火がつけられます。布袋に入れられた足がジリジリと焼けていくのです。それは直接体を焼いていくのではなく、じわじわと熱を上げて皮膚を焼いていくのです。轟々と。轟々と。段々と強く強く。吸い込む空気も熱く、喉が焼かれていきます。見ているだけの民衆からは歓声が上がりました。

 その中には見知った顔もちらほら見えるのです。

 誰も、ナターシャを助けようとはしません。

 ただ、眺めているのです。

 何もせず。

 ――眺めているのです。


「……助けて」






 悪魔は、その言葉を聞いてニヤリと嗤ったのでした。






 ナターシャが次に目を開けた時、目の前は赤く染まっていました。


「え?」


 見渡す限りの建物という建物が、崩れ去り屋根が吹き飛んでいます。教会も、家も、何もかもが瓦礫の山になっているのです。

 目の前に倒れて来た黒い炭は、太い幹から二本の枝が伸びていました。その片方の枝が、ナターシャの腕を掴んでいたのです。


「……イヤッ、イヤッァ……イヤァッ!」


 それは、神父の遺体でした。

 黒く炭になるまで焼かれ、ナターシャの腕を掴んで最後の最後に息絶えたのでしょう。

 ナターシャは前を向きました。

 自分の周りには、沢山の黒い炭が横たわっているのです。それが全てなんであったか、ナターシャは考えたくありませんでした。


「ナターシャ、立てるか?」


 憔悴しきったナターシャに声をかけたのはあの悪魔でした。


「……なんで、なんで、」


 ナターシャの声は怒りに震えていました。


「なんで、みんなを殺したのよ!」


「それは決まってる。お前を助けるためだ。お前を助けるためにはこうするしかない。お前を助けるにはこのくだらない儀式を取り仕切る神父を殺さなきゃならない。神父を殺せば、周りの兵士がお前を殺しに来るだろう。その兵士を殺せば、周りの市民がお前を魔女と認め殺しに来るだろう。その市民を殺せば、この処刑を見に来ていない市民も気づく。――『ナターシャは魔女だった。殺さなければならない』と。そうなれば、この処刑を見に来なかった市民でさえも殺さなければ、お前を本当に助けたとは言えない」


 ナターシャは目を見開きました。

 そして、震える唇でこう言ったのです。


「……わたしは、そんなことを、のぞんで、ない」


「望んでない。まぁそうだろうな。でも、お前が考えていたことなんて所詮は綺麗事だ。都合良くこの場を収めるだけの子どもの戯言。いいか。誰かを殺せばお前は復讐の種を生む。その種を焼き払うには、この町にいる全員を殺さなければ焼き払ったとは言えない。だから、そうなる前にこの町を出ろと言った。人間は弱くて狡くて愚かで、強すぎる力を恐れるからだ」


 ナターシャは声を上げて泣きました。

 その叫びは、赤く燃えた空へ吸い込まれて消えていく。




  ◆◇◆




「お師匠さま、王都まではあとどれくらい?」

「もうすぐ。もうすぐつくよ」


 王都に向かう何もない平原を一人の女性と、顔のよく似た少年と少女が歩いておりました。顔のよく似た少年と少女は、髪の色も瞳の色も、背丈も何もかもが写し絵のようにそっくりなのです。

 少年と少女は、とある国で造られたホムンクルスでした。戦争の兵器として造られ、失敗作と言われ、研究所から捨てられ、そんな二人を引き取ったのが彼女でした。

 二人はホムンクルス故に、長くは生きられないでしょう。けれど、それでも、二人を引き取ったのは、ナターシャがこんなことをするのは一度や二度ではないからです。


『ナターシャ、また王都に行くのか? 薬を売るために。あいつら、学習しないんだ、ほっとけばいいものを』


 ナターシャの頭に直接話しかけられる悪魔がボヤきます。主人と従者である彼らは、直接声を交わさずとも意思疎通が出来るのです。


『……それでも、困った人がいるなら薬を売る』


 ナターシャは、各地を転々と旅をして魔法で作った薬を売っていました。


「二人とも。王都についたらお手伝いをして頂戴。頑張ったらご褒美をあげましょう」

「やった! 絶対だからね!」

「……やった。楽しみ……」


 ナターシャは、彼らにきつく念を押します。


「いい? 危ないと思ったら逃げること。一人でどこかに行かないこと。人を信じすぎないこと。あとそれから……」

「あぁ、もう、分かったよ!」

「……分かってない……」


 ナターシャが心配するも、少年は遊び盛りです。いやいやと頭を振って抵抗しています。

 けれども、少年も分かっているのです。自分が人間ではないから故に危険に遭いやすいことを。自分が人間たちからどう見られているのかを。人間たちは自分たちを恐れていることを。

 それで痛い目を見たことが一度や二度ではないからです。


「分かったわね?」


 もう一度念を押すと、少年も頷きました。

 ナターシャは、この二人に教えを伝えながら旅をしているのです。自分が経験したことを、彼らが繰り返さないように。嫌な思いをしないように、怖い思いをしないように、絶望しないように。悪意というものに身を晒され、自分を見失わないようにして欲しい。

 それはナターシャの願いでした。


『殺されかけた人間を助けようだなんて、正気とは思えん。やっぱ、お前は理解できない』


 悪魔がそうナターシャに言うのです。


「私は、殺されかけたから人間を恨むなんてことはしない。それは、彼らに弱い心があったから。それだけ。……それだけよ。人間が全員弱いというわけではないの」


 ナターシャは、二人に言い聞かせるように悪魔の言葉に答えます。


「私は魔法という強い力を持っている。だから助けるの。一人でも多くの人が助かるならそれでいいわ。もう、……後悔しないように」


 遠くの汽笛の音が風に乗って聞こえて来ました。

 王都まではもうすぐ。〈終〉

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