第3話 如月 奏 後半

声のトーンが自然と下がる。出来ることなら渚さん以外の人には知られたくなかった。今まで上手く隠してきたのに。

司は、困惑の色を浮かべて黙っている。当然だ。こんなこと打ち明けられて困らない人間なんていない。

「…これで分かっただろう。もう無理して私たちに関わらなくていい」

そう言って部屋を出ようと立ち上がりかけた時だった。

「あっ待って。えっと……君、は女の子、なの?」

「は?」

突然何を言い出すかと思えば。

「あっ気を悪くしたならごめん。えっと…」

司は、次の言葉に迷っているようだった。おそらく、さっきのは私を引き留めたくて口から出たのだろう。

こいつ、こんなにしおらしかったけ?

「…何でそう思う?」

私が質問すると顔が明るくなった。

「いや、雰囲気というか、話し方とか。後、一人称が湊の顔で『私』だし」

図星だ。一人称は、店の前で自暴自棄になった時に司に自然と口に出してから、隠すのをやめた。話し方は、男らしく言ってるつもりだったんだが。

「…そうだ。見た目は男だが性自認は、女だ」

「そっか…。そしたら奏ちゃん、か。俺は」

「知ってる。深山司。湊とおなじ経営学部の」



「湊は、私の記憶を引き継いでいないが私は湊の記憶を引き継いでいる。だから湊の友人関係は、全部知っている」

「そうなんだ、二重人格って。ごめん、俺そういうの詳しくないからさ…」

「別に全員が全員そうじゃない。記憶を共有してる人も居ると聞いたことがあるし」

「へー」

少し話しすぎた。そろそろ終わりにするか。

「取引をしたい。私たちの事を誰にも話さない代わりに私ができる範囲で望みを聞く」

あまりこの手は、使いたくなかった。だけど今のままだと湊の生活に大きく影響が出てしまう。それだけは何としてでも避けたい。

「そんなことしなくても俺、誰にも言わないよ」

「信用出来ない」

ハッキリと信用ができないと言われたことが応えたのか、司は苦虫を噛み潰したような顔をした。それを見て少し胸の奥が傷んだ。それを隠すように私は、あえて強い言い方で補足した。

「先に言っておくが湊に対して何か要求するのは無理だ。後、私も出来る範囲であって何でもは、無理だからな」

「…うーん。そしたら、奏ちゃんと一回ご飯食べたい」

「え」

思わず素のリアクションが出てしまった。

まさかそんな軽いことを言ってくるとは思わなかった。もっとお金絡みだったり、女の子関連が来ると思っていた。いや、ご飯奢りならお金絡みか。まぁ、少し出費は痛いが周りに言いふらされるよりはマシか。

「……わかった。ただ、私もいつ表に出られるか分からない。だから私の方で日にちを決めてもいいか?」

司の頭上に、はてなマークが見えた。

「私が表、というかこうして話が出来るのは、湊が強いストレスを受けた時や現実逃避の時のみだ。確実にその日に表に出られるとは限らない。だから、私の方から当日、この日なら行けることを伝える」

「あー、そういうこと。全然、それはそっちに合わせるよ」

「じゃあそれで」

「おう!」

よっぽど嬉しかったのか、明るい大きな声で司は答えた。

私と食べてもつまらないと思うのだが。まぁ大方、二重人格が珍しいからだろう。こういう奴は、その内飽きてくる。それまでの辛抱だ。

「それじゃあ取引成立だ。今のうちに連絡先を交換しておきたい」

私は、湊のスマホではない方のもうひとつの裸のスマホを取り出した。渚さんが無いと困るだろうからと私にもくれたのだ。

「こっちのスマホは、私専用だ。湊は知らない。だから、日にちとか何かあったらこっちで連絡をとる」

「わかった」

メッセージアプリを開いてQRコードを読み取り、交換した。メッセージアプリの友達の欄に司のアカウントが載る。これでメッセージアプリの友達の欄は、2人になった。もちろん初めの1人は、渚さんだ。文字にして目の当たりにすることで実感してしまった。私の連絡先を知っているということは、私の存在を知っているということだ。それが2人になったことで妙に気持ちが落ち着かない。

しばらく見ていると司が不思議に思ったのか覗いて来た。

「どうした?…えっ!少な!…あっ」

私の友達欄をみて思わず声が出たのだろう。私が司の方を見ると司は、口を手で押さえて、言ってしまった後悔の色を顔に滲ませていた。

別に気にしていないのに。変に気にされるとこっちも気にしてしまう。

「別に気にしていない。元々私は、存在しない人間だ。逆に多いと湊に迷惑がかかる」

なんか、言い訳ぽくなってしまった。

「…そ、そうなんだ…」

何を言ったら良いのか分からなかったのか、司から当たり障りない返事を貰った。

別に自虐で言った訳ではない。事実を述べただけだ。

「…今更だが、無理して私に関わらなくていい」

「別に無理してる訳じゃない!ただ、見た目は湊なのに喋り方が違うだけでこんなにも別人に見えるのがびっくりしてるだけで…。気を悪くしたならごめん」

司は頭を下げて謝った。

「…俺、信じてもらえないかもしれないけど本当に湊のこと大切な友達だと思ってるし、奏ちゃんとも仲良くなりたいと思ってるから」

そう言った司の目は、真っ直ぐ私をとらえていた。

私とも、か。だいたいの人は、私を腫れ物のように扱うか、好奇心を埋めるために近づくかのどちらかだ。そういった人の目は、歪んでいる。こうして私を真っ直ぐ見てくれた人は、渚さん以外知らない。どこまで本気で言っているのか確かめたくなった。

「…分かった。とにかく私は、湊に危害を加えないのなら好きにしてくれて構わない。…そろそろ時間も遅いから帰るよ」

時計の針は、23時10分を指していた。

「もうこんな時間か」

司も時計を見て呟いた。

私は、立ち上がり荷物を持って玄関口まで歩いた。後ろで司が見送りのためについてきた。

「そうだ。大事なことを伝え忘れていた」

玄関先で振り返り、口を開く。

「湊は、自分が二重人格だと気づいていない」

「えっ!」

司は、目を大きく開いて想像以上に驚いた顔をしていた。

私はお構い無しに続きを話す。

「私が表に出ている時の記憶がないから、気づけないんだ。湊は、自分を健忘症だと思っている。だから湊に私の事や今日のことは、絶対に話すなよ」

「わ、分かった」

「それだけだ。じゃあ」

そのまま挨拶を済ませてそのまま外に出た。

司は、手を軽く振って見送ってくれた。


外は、月の光と街灯の光だけが辺りを照らしていた。

何度か司の家は来たことがあるから道も慣れたものだ。

それにしても、今日は疲れた。こんなにも慌ただしいのは、いつぶりだろう。明日は、ほぼ確実に湊だろう。今日の出来事をどこまで伝えよう。

そんなことを考えていると後ろから、忙しなく靴で地面を蹴る音が聞こえた。誰かがこっちに走ってくる。後ろを振り返ると司だった。

「え」

思わず足が止まる。

司は、私が足を止めたのに気づいて更にスピードを上げてこっちに来た。

肩で息をしてなんとか呼吸を整えている。

「どうした?何か忘れ物でもしていたか?」

「…いや、はぁはぁ、そう、じゃ、なくて」

かなり全速力で走ってきたのか、息が整うのに時間がかかった。

「俺のせいでもうこんな時間になっちゃったから、せめて家まで送ろうと思って」

「別に必要ない。家までの道は知ってる」

「いや、まぁ、そうだろうなとは思ったけど…」

歯切れが悪そうに答える司にますます不信感がつのる。

ふと、私が女であることを打ち明けたのを思い出した。

もしかしてこいつ、私が女だからこんな時間だと危ないとか思ったのか?

自然とため息がでる。

「心配しなくても、中身がいくら女だからといっても見た目は、成人済の男だぞ」

追いかけてきた意図が当たったのか司は、短く呻き声をあげた。

「うっ、それはそうかもだけど…。まっまぁ、深夜散歩したい気分だったからついでだよ。ついで」

そう言って先に前を歩き出した。

本当に別に良かったのに。というか、早く1人になりたいんだが。

そんな胸中を隠して私は、司の後を追った。


道中は、たわいもない会話、というか主に司が一人で話しているのを私が適当に返事をしながら歩いていたら家に着いた。

早々に別れの挨拶を済ませて落ち着ける空間に足を踏み入れた。

「疲れた」

思わず言葉が落ちる。

早く風呂に入って寝てしまおう。

今すぐにでも寝てしまいたい体を無理やり起こして風呂に入り、寝支度を調えた。

明日も学校がある。不安でしかないが、なるようになるしかない。いざとなれば私がバレた時の後処理をミスしなければ何とかなるだろう。

とにかく今は司を信じるしかない。

極力他人は信じないようにしてきた。そうでもないと湊を守れないからだ。そんな私が誰かを信じないといけなくなってしまったのは、何の因果だろうか。


脳がもうとっくに限界を迎えていたのか、私は深い闇に落ちていった。

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