第2話 如月 奏

これは、私が彼のために死ぬ物語である。


突然、目の前が真っ白になった。嫌に眩しい。カーテンの隙間から朝日が射し込んでいるせいだ。それによって目が覚め、腕を上げて手のひらを閉じたり開いたりを繰り返した。しっかりと私の意思で手が動く。

やはりダメだっか。

ベッドボードに置いてあるスマホを下から手探りで掴み、ロック画面に映っている時間を見た。時刻は、朝の10時。急いで起き上がり身支度を済ませ、学校に向かった。


なるべく後ろの窓際の席を確保して2コマ目の講義を受ける。少し目線を黒板から逸らして辺りを見ると相変わらず、スマホを見ていたりコソコソと周りの友達と話していたりとまともに授業を受けている学生は、僅かだ。軽蔑していた視線を黒板に戻し、板書の続きをした。


「そしたら、今日の講義はここまで。来週小テストがあるので忘れずに」

教授の言葉で講義が終わり、早々に教室を出ようと立ち上がると、今1番声をかけられたくない人の声が聞こえた。

「おはよー」

聞こえないふりして教室を出たかったがほぼ真後ろにいるため無視できなかった。

「おはよう」

いつものように作り笑いで気持ちを隠す。

「昨日の件なんだけどさ、後で連絡するわ〜」

「あっそれなんだけど……」

「司〜!早く来いよ」

私の言葉を遮るように教室の入口から司に声をかける男子がいた。入口には、声をかけた男子以外にも、もう2人の男子と3人の女子もいる。たまに司と一緒にいる集団だ。いかにも陽の者である。

「ごめーん!…じゃ、またな」

「あっちょっと」

司は、そのまま集団の方に行ってしまった。

もう今日は、司と被っている授業がないため例の件でしか会う機会がないだろう。連絡して行けないことを伝えるしかないか。

この時の私は、連絡さえすれば何とかなるという浅はかな考えでいた。まさか、家にまで来るとは夢にも思っていなかった。


「よっ!」

目の前の現実についていけず、ほぼ無意識に家の扉を閉めた。いや、正確に言うならば閉めかけた。というのは、司があと寸前のところで足を挟んできたのだ。

「いやいや!なんで閉めんの?!」

「…あっごめん。ほぼ無意識で。何かあった?」

仕方がないので少しドアノブを握っていた手を押した。私の動きで安心したのか、司は足を戻した。

「何か……って。コンパの件、連絡したじゃん。だから迎えに来たんだよ」

「いや、俺も連絡したんだけど…。用事あるから行けないって」

「ええー!気づかんかった…。その用事って今から?」

司は、わざとらしい態度でおどけてみせた。

つくづくイライラする。

「うん。だからごめん」

それでも腹の中を見せないように振る舞うのは、慣れている。

「くっ……。もし、こっちの用事を優先しさてくれたら、今日のご飯と1週間お昼奢るっていうのはどう?」

手を顔の前に合わせて交渉してきた。

「うっ」

正直、お昼1週間分奢りなのはものすごく助かる。渚さんのところでバイトをしているが仕送りは申し訳なさすぎて貰っていない。そのため、万年金欠だ。

お昼かコンパか。

「なぁ頼むよー。友達だろ?」

まぁ、適当に食べて相槌でもうってれば時間はすぎるか……。いや、しかしほぼ確実に質問攻めにあう。めんどくさいことこの上ない。だが、食費は死活問題だ。どうする、私。



早くも帰りたい。

オレンジ色の光に包まれた店内で四方八方から声が聞こえる。目の前にはオレンジジュースと大皿から取った唐揚げが2つある。

結局、私は悩み悩んだ末行くことにした。お金の方が大事だ。それと司にこれっきりコンパに誘わないでくれと言っておいた。約束を守るかどうかは、分からないが。

「ねぇ、休みの時とか何してるのー?」

隣に座っている肩を出したヒラヒラの服を着た女子が、ずっと甘ったるい口調で執拗に質問してくる。

「特に何もしてないよ」

そろそろ愛想笑いで返すのも疲れてきた。

「え〜そんな事ないでしょ〜。…あっねぇ!せっかくだから一緒に写真取らない?」

そう言って女子は、半透明のピンクのスマホケースをこっちに見せた。

「え」

ただでさえこんな場所に居て不満が溜まっているのに写真なんて論外だ。

「ごめん、写真はちょっと……」

なるべく苛立つ感情を見せないように優しく言った。

「えーいいじゃん!なかなかこんな機会ないしさ!1枚だけ!」

あざとくスマホを両手に持ち、上目遣いで言ってくる。

しつこい。

「本当にごめん。俺、写真苦手で……」

苦笑いで返す。なるべく目を合わせないように料理の唐揚げに集中した。

「えー。ノリ悪い〜。…あっ!あれ何かな?」

「えっ」

その時だった。私が彼女の方を振り向いた瞬間、スマホのシャッター音が聞こえた。スマホがこっちを向いていた。

「ごめん、嘘。でも、めちゃくちゃカッコ良く取れてるよ。見る?」

笑いながら彼女は、そう言った。

私は、目の前が真っ白になった。文字どうり真っ白の大量のフラッシュと口元に突きつけられる複数の黒いマイクの無機質な感触を無理やり引き起こされる。

「止めろ!!!」

私は大声で叫び、目の前で彼女が突き出していたスマホを右手で思いっきり跳ね除けた。スマホは、彼女の右手から離れて左側の壁に鈍い音立てて衝突した。

「きゃっ」

一気に辺りが真空状態のように音が消えた。皆、何事かと私たちの方を見る。

自然と肩が上下に激しく動く。息が出来ない。

あいつの様に振る舞わなければいけないのに。心では次の取るべき行動が分かっているのに。頭が働かない。気持ちがついて行けない。

「……あ」

絞り出した声でそう言って私は、壁に手を付きながら立ち上がり、そのまま外に出た。誰かが呼び止めるような声が聞こえた気がするが脳が処理できない。

お店の入口の端っこで壁を背に膝に顔を埋めてしゃがんだ。お店から離れたかったがそんな気力は無かった。

外には、仕事終わりの人たちがまばらにいる。

落ちつけ。落ちつけ。私は如月奏。私は如月奏。大丈夫。大丈夫。あいつを守らないと。私が守らないと。

お店の引き戸が開く音がした。そのままこっちに近づいて来る。

来るな。来るな。来るな。頼むから来ないで。

無情にも足音は、私の目の前で止まった。私は、動かない。

「…あー湊、大丈夫か?」

司だった。

「……一旦、中は大丈夫だから。さっきの子も怪我無かったし、謝ってくれたら許してくれるみたいだかさ」

少し申し訳なさそうな気まずそうな声色だった。

「……は?」

謝ったら許す?ふざけるなよ。

「えっ?」

勢いよく立ち上がり力強く司の胸ぐらを掴んだ。

「元はといえば全部お前が無理やり湊を誘ったせいだろ!」

「ちょっ!湊?!」

司は、胸ぐらを掴まれたことで両手を上げ降参のポーズを取った。

「お前が!湊が断れない事をいいことに!湊の顔だけしか興味のないやつに媚び売ったんだろ!そのくせどいつもこいつも、私の話を聞こうとしない!」

止まれなかった。頭では止めろと警告を出し続けているのに気持ちが抑えられなかった。

「どいつも、顔、顔、顔!誰も湊自身を見てないくせに!私達を見てないくせに!ふざけるな!」

気づいたらぽたぽたと何かが流れていた。目の前の司の表情が読み取れない。それどころか輪郭さえもはっきりしない。

湊、ごめん。また、守れなかった。

そこで意識は途切れた。



気づいたら知らない天井だった。ベットの上から、辺りを見回すと茶色のカーペットの上に小さなテーブル。奥にゲーミングチェアとパソコンが置いてあった。所々にゲームのキャラクターと思われるアクリルスタンドが飾ってある。目の前の扉以外、出入りできそうな所は無かった。

ここは、どこだ。体は、私のままだ。

上半身だけ起き上がった時、目の前の扉が開いた。現れたのは、司だった。白い無地のマグカップを2つ持っている。

「あっ起きた?」

「……ここは?」

「俺の家」

「……そう。お邪魔しました」

「ちょっちょっと待って!」

早々と出ていこうとする私を司は、慌てて引き止めた。

「何?」

「あっいや、もうちょっとゆっくりして大丈夫だよ」

「もう平気」

「あー……コーヒー入れたんだけど飲むか?」

そう言ってこっちに右手に持っていた方の白いマグカップを差し出す。どうしても引き留めたいらしい。

話すしかないのか。

立ち上がりかけたのをやめてベッドに座った。

もう、隠し通すのは無理か。

「…はぁ。…私達について知りたいんだろ」

「…あっいや、それもあるちゃあるんだけど。その…」

煮え切らない態度で口ごもる司に無性に腹が立った。

「何?ハッキリ言って」

持っていたマグカップを机に置いて突然頭を下げた。

「ごめん!!」

「え」

「その、お店の前で言ってたこと。本当にその通りだったから。俺、湊の事利用してなかったと言えば嘘になるし……。あっでも、友達だって本当に思ってるから!顔とか関係なく心から!」

意外だった。こういうタイプの人間は素直に自分の非を認めないものだと思っていた。

いや、それこそ偏見か。

いや、もしくは、もう利用していた事実を隠し通せないと判断したか。

どちらにせよ、こちらにも非はある。

「…私の方こそすまなかった」

「え」

こちらから謝られるとは、思わなかったのか目を大きく見開いていた。

「最終的に行くと判断したのは私なのに全部司のせいにした。それに胸ぐらを掴んでしまったし」

「いやいや!別に全然平気だよ、あれくらい。それに、さっきも言ったけど少し、利用しようと思ってたのは事実だから…」

いつものへらへらした軽い雰囲気とは、違って重く本気で落ち込んでいるようだった。

沈黙が続く。

「…許してくれないと思うけど俺は、湊と友達でいたいと思ってる。素のその湊でも俺は…!だからもう、湊が嫌がることを無理にしないから…」

私とも?こいつ本気で言っているのか?

「これは、別に湊の素ではない」

「えっ?」

この性格が湊の素だと思って欲しくない。湊は、もっと綺麗で優しくて強い子なんだ。

「私は、如月奏。如月湊の副人格だ」

「副…人、格」

口を開けて固まった。

その後の言葉が出ないようだった。

「ああ。湊は、解離性同一性障害。所謂二重人格なんだ」


この選択が凶と出るか吉と出るか。

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