第29章 ナギの役割

グリナスの宮殿はすでに人払いが済み、静寂が支配していた。

地震とグリナスの苛立ちが残した爪痕は、謁見室を廃墟のように荒れ果てたものに変えている。

だがその荒れの中でさえ、グリナスが生み出した植物群は、得体の知れぬ"美"を漂わせていた。




その玉座に、グリナスは腰を下ろしていた。

三百年ぶりの再会となる元恋人を前に。




「グリナス。」

「…マーリン」






「満足か?」


グリナスの言葉に、マーリンは眉をひそめた。


「恨みを抱いた二人を殺し、核を取り戻し、私の元へ戻ってきた。……そして、私をも殺すのか。黒龍は止まらず、文明も終わる。満足か?」




「終わらせはしない。キュリアも、エルグも……彼らの想いが、今ならわかる。

私はお前から核を取り戻し、そして黒龍を消滅させる」




「できるものか。三百年に渡って積もった怒りの塊を、一瞬で消せるとでも?」




「グリナス……あの龍は――」


「黙れ!」


グリナスが叫ぶ。


「誰も彼も、私を否定しやがって……! お前も、そうだろう!? もう……この世界ごと滅べばいい!!」


怒りは理性を超え、支離滅裂な妄念に塗れていた。


「いや……ああ……そうか。お前を殺せば、黒龍も消えるかもしれない」


歪んだ確信を得たかのように、グリナスは笑った。


「グリナス、それでは何も終わらない!」


マーリンの叫びも届かず、グリナスは立ち上がる。


両手を広げたその背後、植物群が蠢き始める。

緑化魔法の発動。


「殺す……そして私は、もう一度英雄になる……!」




ナギが駆け寄る。


「マーリン、もう……戦うしかない!」


彼女はわずかにうつむき、そして顔を上げた。

覚悟を決めた瞳が、かつての魔女としての力を取り戻していく。






その瞬間だった。






ゴゴゴゴゴゴゴ……!!


大地が揺れ、世界が悲鳴を上げる。

三人は大きくよろめいた。




「な、なんだ!?」


ナギの声。


マーリンの頬に冷や汗が落ちてくる。


そして蒼白な顔で呟いた。




「ま……まずい。黒龍が……解放された……!」




遠く海の彼方、

灰色の海が世界を呑み込むように拡張していく。

大小さまざまな黒龍たちが、一斉に都市を目指し突進していた。




「黒龍の最初の狙いは……核。そして、すべての破壊……もう、誰にも止められない……」




「はははは! 戦うまでもなかったか! この世は終わる!!」


両手を広げ、グリナスは狂気に満ちた笑い声を響かせる。




(……終わった)


今からの短時間で、彼から核を回収するなど不可能。


マーリンは肩を落とし、うつむく。

その耳に、ナギの声が突き刺さった。


「マーリン!!」


ナギが駆け寄り、両肩をつかむ。


「まだだろ!? ここであきらめて、何になるっていうんだよ!」


「俺たちは……」


———「俺たちはまだ、生きてる!!」




「!!」



揺れの中、一瞬の静寂。



そして———


ナギの叫びが、絶望の闇を突き破る。


マーリンの瞳に、ふたたび光が宿った。




「ナギ……! 今から、核の大半を——お前に託す!!」


「……!」


「お前に付与する魔法は“飛翔”。海をさらに速く駆け抜け、短時間なら空を飛ぶこともできる! この能力で、黒龍を引きつけ——」


「時間を稼げ!!」




金色の光がマーリンの体から放たれ、ナギの体に吸い込まれると、

再び黒い衣装へと変換されていく。


さらに


雷のような輝きが、彼の全身を包んだ。




ナギが力強く頷き



マーリンが叫ぶ




「飛べ!ナギ!!」


ナギは電撃をさらに強め、姿勢を低く構える。




「飛翔べぇ――――!!!」




ドォオン!!!




雷のような音と共に、ナギが空を裂いて飛び出した。

その速度は視認すら不可能。


ギュン!!




魔法都市の空を、流星のごとく駆け抜け——


一瞬で沖合へと至る。




砂浜に着地したナギは、水平線を睨んだ。


そこに見えるのは、地鳴りとともに迫る、巨大な龍の大群――




その光景は、まさしく地獄。




だが、ナギは迷わなかった。


振り返ることなく、死の海へと飛び込む。



水を切り裂き、衝撃波を生み出しながら突き進む。



(核に反応するなら、必ず追ってくる……。マーリンがすべてを取り戻すまで、俺が黒龍を引きつける……!)


加速。



小型の龍が、先遣隊のように群がってくる。



ナギは電撃と衝撃波でそれを蹴散らしながら、水中をこじ開けるように突き進んだ。


大型の黒龍が近づいてくる、とてつもない大きさと質量が眼前を埋め尽くす。


ナギは寸前で進路を真横に変え、さらなる加速で引き離す。


その背後から、圧倒的な咆哮とともに、全ての黒龍が一斉にナギを追いかけ始めた。



(食いついた…!!)


ドドドドドド……!!




島も海底火山も、何一つ障害にならない。

ただ、破壊の奔流。


それでも追い付いてくる小型の龍に囲まれると、対応に追われて速度が落ちる。


「くっ……!」


咄嗟に空へ跳躍。


上空にとどまり振り返る。


刹那


黒龍も空を切り裂くように飛び出してくる。


「オオオオオオオオオオ!!!」


咆哮を受けながらも、ナギは決して怯まなかった。




(……俺を信じて、核を渡してくれた。奪われた核を、もう一度誰かに委ねることが、どれだけ怖かったか……)




熱くなる胸。

ナギは叫ぶ。




「追いつけるもんなら——」






「やってみやがれぇ!!!」




——ドン!!




空中での急旋回。

加速。

空気が裂けるような軌跡を描き、音よりも速く海に飛び込む。


都市を背にし、すべての黒龍を引きつける形が整った。


——あとは逃げ続けるだけだ‥‥






たとえ————




この身体が壊れても!!


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