第23章 疲れ果てた女神

豪奢な王座の間ではなく、通されたのは簡素な客室だった。

天井は低く、壁には古びた絵画が一枚だけ飾られている。

その空間はまるで、キュリアという人間が長い年月の末に辿り着いた“静寂”のようだった。


中央の木のテーブルには、温かい茶が三つ、丁寧に並べられている。


マーリンはその湯気を見つめた。

「飲むと思うか? 私が?」

「…」


不満とは違う…明らかに悲しげな表情。


ナギとエイルも席に着く。

キュリアは、ゆっくりと自らの茶に口をつけると、小さく息を吐いた。


「私も……長く生きすぎた」


その第一声は、思いのほか静かだった。


「本当に……長く。

 何百万人も…救ってきた…」

 「人々の痛みを癒し、争いを止め、病に伏した子を立たせ……

 でもね、マーリン。

 もう……疲れたの。」


マーリンは口を閉ざしたまま、ただ聞いていた。


「人々の感謝も、祈りも、

 あるいは権力と財力に囲まれた居場所さえ、

 もう何一つ、私を満たしてくれない。」


キュリアの声に、飾り気はなかった。


「あなたを封じたあの日から……罪悪感はあった。

 でも…長い時間は人の理性を蝕む。

 “もう済んだこと”――そんなふうに、心のどこかで処理しようとしていた。」


彼女はマーリンを見た。


「あなたが、あの時……こんな気持ちで、

 何百年も、孤独の中で生きていたなんて…

 私は……本当に、知らなかったのよ。」


マーリンの目がわずかに伏せられた。


「私は、もう“信じる”ということすら、どうやってやるのかもわからない。

 人の裏切りも、支配も、傲慢も…人の醜さを嫌というほど見てきた。」


キュリアのまなざしに、ひとすじの熱が戻る。


「でも……あなたは違った。

 あなたは、最後の最後まで、グリナスを信じていた。

 そのことが……どれほど尊いことだったか。

 どれほど、美しかったか。」


その言葉に、マーリンはほんのわずか、眉を動かした。

だが――何も言わなかった。

語ろうとしなかった。


「あなたを裏切った彼の罪は……重い。

 そして‥‥私も…。」


部屋に、沈黙が落ちた。

だが、それは不穏ではなかった。

互いに失い、互いに憎み、それでもなお語るために――

必要な沈黙だった。


しばらくして、マーリンはぽつりと呟いた。


「……寂しかっただけだ。

 お前たちのように国を築き、魔法を広め、

 人々の希望になることなど……私には、できなかった。」




キュリアはうつむいたまま目を見開いた。




寂しかった。




ただ、それだけだったのだ。




素直で――



偽りのない、本心。




その言葉に、誰も何も言わなかった。




ただ静かに、キュリアの目から涙がこぼれ落ちた。



「私は……許されたい。あなたに……ごめんなさい……ごめんなさい……!」




その声に、マーリンはすっと立ち上がる。

ナギとエイルに視線を向けて、静かに言った。




「……少し、二人きりにしてくれないか」




退室の際、扉が閉まる瞬間もキュリアは泣いていた。




ナギとエイルは、客室のすぐ外、石造りの壁に背を預けた。


「ねぇ……」

「……なんだよ」


エイルの声は、かすかに震えていた。


「……あなたなら、許せる?」

「……」


ナギは思わず、自分の身に置き換えてみる。

全財産を奪われ、監禁され、自由を奪われる———

三百年もの間、動くことも、何もできずに。




しかし、いくら想像しても…




「……わからない。わからないけど……」


言葉を選びながらも、心の奥にある確かな何かが芽を出していた。

「……でも、忘れちゃいけない気がするんだ。

 キュリアは、人里離れた場所で隠れるように過ごしてたわけじゃない。

 ずっと……表にいた。医療の最前線で。」


国の最大医療機関の責任者。

魔力事故、人身事故、疫病、予防活動。

どれも“毎日”起こる。

しかも、人々の命がかかっている。

治せるのはキュリアだけ。


「たとえ……たった五年でも、俺ならもう無理だって思うかもしれない。

 それを……何百年も、だろ……?」




一体…どんな気持ちで毎日生きてきたのか…




エイルは、しばらく黙っていた。

やがてぽつりと呟いた。


「……そう……ね」




エルグのようにただ発電していれば部下が勝手に働いてくれるわけでも


グリナスのように気ままにふるまえる世界を作ってきたわけでもない。


三人のうち唯一の…


現場。




もはや20歳そこらの若造が気軽に口をはさんでいい問題ではない。




しかし…


ナギには不安があった。


だからと言って…


マーリンが“許すかどうか”はわからない。


あの様子だと核は問題なく回収できるだろう。


むしろ、終わらせてくれることを、キュリア自身が望んでいるようにさえ見えた。




しかし…


もしマーリンが何一つ許していないとしたら?




本当に黒龍を異次元に返してくれるのか?


もし、マーリンが長い封印の中で(もうこんな世界壊れてしまえ。)


そう思っていたとしたら…




ナギは、かつて自分に襲いかかってきた黒龍の姿を思い出し、身を震わせた。


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