第11章 無理よりもう少し強め
洞窟の中に、静寂が戻っていた。
音はもう聞こえなかった。けれど――耳鳴りは、止まらない。
ナギもエイルも、まだ耳をふさいだまま、顔をしかめていた。
「あー……耳が壊れるかと思った……」
エイルが呻くように言った。
「てか、あれ何? 絶対ただの地鳴りじゃないでしょ。ねえ、ねえってば、ナギ――」
ナギは手で制しながら、小声で答えた。
「シッ。静かに。足音がする……」
ぴたりと立ち上がり、岩陰に耳を寄せる。
「……軍だ。」
洞窟の奥まで微かに届く、複数の靴音。
エイルの顔から血の気が引いた。
「マズいじゃん、どうするの……」
「沖に、小島がある。俺の隠れ家だ。そこに逃げる。」
「……は?」
「泳ぐぞ。」
「や――やだ!! 絶っっ対イヤ!!」
エイルは大げさに首を振った。
「この間の距離でも死にかけたのよ!?」
「うるさいな! こんな時に! 死ぬか泳ぐかどっちなんだ!」
「どっちも無理に決まってるでしょ!どっちかというと無理よりもう少し強めね!わかる!?」
「てかね、あんたのその二択間違えてるし!海で全身ひしゃげて死ぬか、死刑かなのよ!」
「……じょ…冗談だろ?」
(死が迫ってるというのに……なんなんだこの女は)
エイルの顔が曇る。
「何よその顔。人がまじめにしゃべってるのに」
「……!?」
ナギは訳が分からな過ぎて、思わず吹き出しそうになった。
「いるぞ!」
洞窟の外から、声がした。
ナギはすぐにエイルの手を引き、抱きかかえるように出口へ走った。
「ちょ、ちょっと待って! 本当に泳ぐの!? マジで!? ナギ!!」
「――ちょ、ホントにやめ、やめて!!ゆっくり!せめてゆっく――!」
そして――
バシャン!!
ふたりの身体は、日が照らす海へと飛び込んだ。
波が、ふたりを飲み込む。
冷たく、重く、だが自由だった。
ナギは迷いなく進む。
まるで、海と会話しているかのように。
「しっかり掴まってろ。吐くなよ。」
「ゴボゴボゴボ!」
エイルは何かを叫んでいたが、その声すら、水の中へ溶けていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「オエエエ!!」
孤島の浅瀬にたどり着くなり、エイルは豪快に吐いた。
「だ、大丈夫か?」
キッ!!とナギをにらみつける。その目には、涙が浮かんでいた。
「あのね!? 水中であんな速度出しちゃダメなの! 陸の50キロと水中じゃ、意味がぜんっぜん違うのよ!!」
普通の人間にとって、水中での高速移動は命に関わる衝撃そのものだ。
防御魔法を施していなければ、確実に内臓が耐えられなかった。
「?」
ナギの心底わからなそうな顔を見て、エイルはぞっとした。
(こいつ……バカだ!)
「……全く、防御魔法、ちゃんと履修しといて正解だったわよ。マジで死ぬかと思った……」
エイルは、ナギがどうやってこれまで人命救助をしてこられたのか少し気になったが――
聞くのも怖くて、やめた。
ナギの隠れ家は、思ったより――ちゃんとした家だった。
孤島の岩壁沿いに広がる、森の中。
「昔、マッサン達とこっそり作ったんだ。」
誰だよマッサン、と思ったが、
人の友人関係に突っ込むほど、エイルは毒舌ではなかった。
「ほらこれに着替えなよ。リョウさんのだけど、こんな状況だし。」
「…ありがと」
エイルは着替え終わると、気を使って外にいたナギの元へ向かう。
木漏れ日が地面で揺れている。
風が、エイルの体を優しく通り抜けた。
さっきまでの危機感が嘘のように平和だ。
自然にはこんな効果もあるのだろうか。
ナギは岩壁に座って黒海のほうを見つめていた。
エイルは並んで腰かける。
「やっぱり広がってる…」
「え?」
「あの轟音の影響だろうか…明らかに黒海が広がってる」
エイルはごくりと唾を飲み込み質問した。
「ということはあの灰色の海の下には…」
「ああ。無数の黒龍が蠢いている。大きいものになると100mを超える」
「そんな…」
「グリナスも今頃大慌てだろうな…」
「でも…この後どうするの?」
ナギはしばらく俯き、再び黒海を見つめる。
「俺は魔女を開放してやりたい。」
エイルは驚き、勢いよくナギの方を振り向いた。
「そ、そんな危険な海に入ったら――あなたでも助かるわけない!」
エイルの声は、焦りを帯びていた。
「たとえあんたが時速100キロで泳げたとしても、龍の顔を横切るだけで4秒は必要なのよ!?」
ナギは、自分の指に着けた指輪をじっと見つめながら、静かに答えた。
「……それでも行く。
エイルの数字は、正直よくわかんないけど――俺は、海では絶対に負けない」
エイルはふいっとそっぽを向いた。
「はぁ…止めても聞かないんでしょ。せめて、夜はゆっくり休んで、明るい時に行きなさいよ…」
「…ああ」
エイルとは知り合ったばかりで、まだよくわからない。
けれど――
"本人がやりたくなったことは誰にも止められない"
それを、研究者である彼女は、一番よく知っているのかもしれない。
その夜。
とんでもない“転機”が訪れることを、ナギはまだ知らなかった。
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