第12章 魔女の接触

「オエエエ!!」


隠れ家の簡素な寝室に、ひときわ大きな音が響いた。

大の字でベッドに倒れ込んでいたエイルが突如起き上がり、寝ぼけ眼でえずく。


――が、すぐにそれは夢の名残だったと気づいた。


「ゆ、夢…むにゃむにゃ」


再びベッドに突っ伏す。




「う、うるさすぎる…」


その下、床に敷いた布の上で寝ころんでいたナギは、なかなか寝付けずにいた。


エイルがうるさいからか。緊張と不安によるものか。




その瞬間、闇の中に———




ぼんやりとした“光”が浮かんだ。



それは形を成していく。

海の中で見た、あの少女。




魔女はゆっくりと目を開き


口を開かぬまま、声だけが響いた。




「お前が…海の能力者…名は…ナギだな…前にも会った。」


ナギが飛び起きる。




名乗らずとも名前がわかる。


そしてこの光。


姿は揺らぎながらも、確かに“魔女”だった。

どこか冷えた声と共に、彼女の瞳がナギを見据える。




「明日、日の出とともに急いで私のところへ来てほしい。

 龍を止められるのは、ほんの数分だけ…」




その言葉とともに、光の像はすうっと消えていった。




静寂が戻る。海の波音だけが、遠くから聞こえる。


ナギは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

魔女に向けていた目を伏せ、拳をゆっくりと握る。




(やっぱり……人間とは違う。)


声を聴いてはっきりわかった。

感情の熱を感じなかった。


まるで、氷でできた知性。

それでいて、敵意も、利己もなかった。


――ただ、透明で、正確だった。




三大魔法使いに共通する、あの「自己正当化の臭い」。

それが彼女にはなかった。


だから――


ナギにとって、魔女の封印を解く理由は、それで十分だった。




ナギはやがて深く息を吸った。




……そして夜明け前、彼は海岸の岩陰で身支度を整えていた。


「まさか、本当に行く気?」


起き出したエイルがまだ夜明け前の寒さに震えながら腕を組んで立っている。


「……ああ」


「はあ……せめて明るくなってからにしなさいって言ったじゃない」




「ああ。でも、行かないと間に合わない」


「……ったく、命知らずなんだから」




エイルは呆れたように背を向けたが、その声にはどこか信頼の響きがあった。




夜がうっすらと白みかけたころ




ナギは黒海の淵に浮かんで待機する。


深く地平線に目を向け、太陽の登る方向を確かめる。




そして――



光が水平線に触れた、その瞬間。




ズバンッ!!




彼は、急発進した。




ナギの全力の泳ぎ———


いや“飛翔”。


水面が“裂ける”。

空気の震えとともに、無数の魚が跳ね上がり、まるで爆発のように弾ける。

海は轟音とともに震え、ナギの身体は水の刃のごとく水平に突き進んだ。




その動きはもはや、海の意思そのものだった。






グリナス宮殿


重厚な石造りの議事堂。

天井からは魔法灯が鈍く照らし、三人の影を床に大きく落としていた




「……報告しろ。先日の轟音、そして黒海の拡張の際、魔女に兆候が確認されたというのは、本当か」


グリナスが静かに言う。

隣で頷くのはキュリア。


「私の観測チームが確認したわ。轟音の寸前、封印されていた魔女が一時的にもだえるように動いていたそうよ。」


「……黒海が広がったということは、…黒龍の活動領域が広がったとも言えるだろう。」


苛立たしげに、エルグが頬杖を突いたままつぶやく。


「グリナス…対策は?」


「まず、国境警備隊を撤退させ、都市海岸に集結させる。次に、民間の海路はすべて封鎖。隣国への協力も要請。

 加えて……エルグ、お前の雷撃は、黒龍が攻めてきたとき都市の発電を止め、


“攻撃”として使う。力の出し惜しみはするな」


「了解……だが、グリナス、お前はどうする」


「私の緑化魔法は黒龍の前には、気休めの壁としてしか使えん。」




「そうか…ではいつ停電になっても大丈夫なように国民を説得しておけよ。」




「承知している。」




エルグは、以前から疑問に思っていたことを口にした。


「それにしても……なぜ今になって、魔女が動き出したんだ?」




「それは……」


キュリアがゆっくりと言葉を紡ぐ。


「本当に限界が来たからだと思う。」




グリナスは、苛立たしげに眉をひそめた。


「どういう意味だ?」




「治療院ではよく見る光景よ。人は、命が尽きかける瞬間にこそ――必死に、美しくあがくの。まるで、消えかける蝋燭の最後の瞬きのように。あの子も———」




その言葉を聞き終える前に、グリナスは声をはさむ。


「ならば……今、国民が総出で魔法を使いこんでしまえば、殺せる可能性があるのでは!?」




キュリアは少しだけ表情を曇らせた。




それは利権を守るために人を殺そうとする、愚かさへの憤りだったのか。


それとも———


騙すためだったとはいえ、かつて恋人だったあの子に対して、平然と「どうすれば殺せるか」を真剣に考える、その醜さへの拒絶だったのか。




「グリナス……あの子は、三百年もの間、これだけの人口と文明を支えてきた存在なのよ? 数日間魔法を使いこんだところで、逆に刺激になるだけよ。」




グリナスは天を仰ぎ、大きく舌打ちをした。




「この世界はどうなる?魔女が死んで魔法がなくなるだけなのか?それとも黒龍に滅ぼされるのか?」




「それか…何者かが魔女の封印を解き、私たちに復讐に来る。」


キュリアは半ば確信めいたニュアンスで語る。




グリナスが嘲笑し

「そんなこと、できる者など――……」


曇る。




視線の先に浮かぶ、若き能力者の顔。


ふと、沈黙。



キュリアが、その視線を読み取っていた。


(あの時、グリナスは海の能力者を殺さなかった。グリナスはいつもそう。利権を欲しながら、嫌われたくない。器を感じさせたい。)




そして、エルグが呟く。


「仮に黒龍を退け、“マーリン”を救い出すような者が現れたなら……」






海を割くように、ナギは疾走した。




自分の真下──


黒く、深い海底から。


おぞましいほどの“目”が、こちらを覗いている。




「————っ!!」


ナギは恐怖を押し殺し、ただ前へ。




黒海のど真ん中に、ひと筋の“光”が浮かんでいる。


それは、少女の姿をしていた。


光の膜に包まれ、静かに、漂っている。




その瞬間。




「うぉおおおお!!」




ナギは叫び、海面から跳ねるように飛び出すと、その光を抱きかかえた。空が反射し、魔女を包む光が粉砕される。


その姿は、確かに“希望”だった。









エルグの声が響く。


「それは新たに世界を導く存在になるのかもしれない」

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