第3章 禁域の記憶と懐柔の言葉

「立てるかね?」


拘束魔法を解かれたナギに、グリナスが手を差し出した。 だがナギはそれを無視し、自力で立ち上がる。


「ふふ、強情だ。だが嫌いではない」


神殿の奥、扉が開かれる。




「少し歩こう。私の庭を見せたい」


広間を抜け、二人は長い回廊へと出る。陽光が差し込む緑の宮廷はまるで自然そのものだった。 木々が生い茂り、花々が咲き乱れる中を、ナギは沈黙のまま歩いていた。




「私の魔法は“緑化”。この世界の土地を蘇らせ、森を作り、畑を耕す。人々の生活を支える根源だ」


グリナスは手をかざすと、枯れかけた木に新芽が芽吹いた。


「……だが、これだけでは王にはなれなかった。私は“限りなく長寿”なのだ」


ナギの眉がぴくりと動く。


「かつて、“魔女”の核を得て私はこの力を得た。今の三大魔法の始まりだ」


ナギは目を細める。魔女が…実在したとは。


「わかっていると思うが、この世界に強力な“攻撃魔法”は存在しない」

「火を灯し、風を送る、水を冷やす──すべては生活の延長線だ。人を傷つける力ではない」


「だが、“三大魔法使い”の力は違う」

「我々は、傷を治し、雷を落とし、森を生み出す。生命を救うことも、絶つこともできる」


「つまりこの世界で、唯一“人の生死を左右できる魔法使い”が我々なのだ」


「それゆえに異端であり、神聖であり、そして……慎重に運用されねばならない」


グリナスの声が静かに沈む。


「だが君の力──あの海を飛翔する力は、我々に匹敵する。いや、それ以上かもしれない」


「だからこそ、君を殺すべきか、それとも味方にすべきか。……私は悩んでいる」


ナギは立ち止まった。


「殺すかどうかを、本人の前で言うものでは…」


「ふふ……正直で結構。だが今の君は、正直であることすら許されない立場だということは、理解しているかね?」


ナギは返さない。


グリナスは静かに手を振ると、目の前の噴水が花を咲かせた。




「君は“見た”のだろう?」




ナギの胸が脈打つ。


「黒き龍。あの海域に封印された“彼女”。 我々はあれを『災厄の魔女』と呼んでいる」


ナギが口を開く。


「かつてこの世界を支配しようとした魔女を、三人の始祖が封じた。

その力の残滓が、今の魔法の礎になっている――そう、教えられてきた」


この国に生きていれば誰でも受ける歴史の教育だ。


グリナスはふっと笑い頷く。


「その通り。だが、“核”を抜かれ封印された魔女は今もなお、あの地で…恨みと呪いの波動を放ち続けている」




ナギは言葉を詰まらせたまま、グリナスを見返す。


「それが本当なら、なぜあそこに警告もなく、ただ“禁止区域”とするだけで……?」


グリナスはゆっくりと微笑んだ。


「本当のことを明かせば、かえって君のような者が興味を持って入ってしまうだろう。あそこは、“知らないまま”、ただ違法だと示しておくのが、いちばん安全なのだ」


「それに──正直に言おう。君は、惜しい存在なのだ」


「漁業での功績。遭難者の救出。失われつつある命を繋いだ記録。それらを踏まえ、私は“君を失いたくない”と判断した」


「だから率直に言おう。政府に協力し、あの存在については何も語らず、静かに暮らしてくれ」


「それが……この世界と、君の命を守る唯一の道だ」


ナギの喉が動いたが、声にはならなかった。


その目だけが、グリナスの奥に潜む“何か”を、じっと見つめていた。




胸に飛来する少女の記憶。

(あの涙……本当に“悪”だったのか?)




マッサンは言っていた。

「自分の心に従わなかったら、なんの声を聴いてどう生きればいい?」




ナギの右手


その小指と薬指につけられた二つの指輪。

本当に、男気のある人だった。




胸の奥で、まだ冷たく濡れた記憶が、熱を帯びはじめていた。


――どうして、あの子の、あの涙が忘れられないのか。

――あれが“悪”の表情だというなら、自分の“正しさ”とは何なのか。


「……あなたの話は、わかりました」

絞り出すように、ナギは言葉を落とした。

「指示に従います」


グリナスが、わずかに唇を吊り上げた。


「私は海の力を持つ者です。どんな深い底でも、覗けば必ず“本当”が見える」

ナギは視線をそらさず、まっすぐに言った。

「あなたの言葉を、“信じます”」


静寂が、再び降りる。


グリナスは一瞬だけ目を閉じた。

次に開いたその目には、先ほどまでの親しみが完全に消えていた。

(海の能力者……こいつは嘘を見抜くのか?)

グリナスの心に、そんな声が走った。



ナギの目が、まっすぐにグリナスを見据えていた。




「では……我々は、共に歩めることを願っている」




ナギは返事をしなかった。

ただその場で、静かにうなずいた。




グリナスは背を向け、歩き出す。

「部屋を用意してある。手続きが終わるまで、好きに過ごすといい」


その背中は、夕暮れに伸びる教会の影のように、長く、静かだった。




ナギの中で、なにかが静かに定まっていく。

この世界の“真実”は、誰かに与えられるものじゃない。

“自分の目”で、確かめるしかない。




(……そうだよな、マッサン)


少女の涙の意味を――あの黒い龍の叫びを――

自分の手で、辿るしかない。


そして、ナギは歩き出した。

すべての始まりに、戻るために。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る