第2章 緑化の王グリナス
嵐が過ぎた。
ナギは、気づけば浜辺に打ち上げられていた。
全身がずぶ濡れで、意識は朦朧としている。
だが、生きていた。
手には、マッサン達の指輪が握りしめられている。
――夢じゃ…ないのか…。
マッサンもリョウさんも…
そして
あの巨大な“黒き龍”も、光に包まれた少女も。
そのとき、目の前に数人の男たちが浜辺に降り立った。
制服に身を包んだ、海上保安局の特務部隊。
「……発見。ナギ、間違いない」
「本人だ。意識はある。搬送する」
ナギに抗う気力などなかった
左右の男に担がれ、運ばれていく。
意識が遠のく寸前、誰かが言っているのが聞こえた。
「上層部の指示だ。例の“特例措置”で運べ」
ナギが目を覚ますと、そこは医務室だった。
女医が声をかける。
「あら。目覚めたのね」
明らかに町医者とは違う。
高官のような独特な雰囲気と、妖艶さを含んだ自信が満ち溢れている。
「軍医施設へようこそ。私はジョイス。主に軍の魔法トラブルを担当しているわ。」
「軍医施設…」
「君は魔法力の過剰使用で治療を受けている。つまり…ただのオーバーワークね。」
やれやれ。といった表情でカルテに何かを書き込んでいる。
(…左利き。)
頭がぼーっとする中で、ナギは能天気な思考に身を任せる。
自分の置かれている状況を考えるのが怖かった。
「それにしても…君はこの後、グリナス陛下と謁見があるそうよ。驚いたわ。私でさえお会いしたことがないのに。」
少し探りの入った、まるで独り言。
「あなた一体なにしたの?」
「…」
ナギは自分が黒海で見たことを思い出していたが
侵入しただけで死刑になるという重い事実と、あそこで見たことの異常性を前に言葉を紡げないでいた。
数人の軍服姿の男たちが入室してくる。
「ナギ。これより謁見を行う。ついてこい」
ナギは拘束魔法をかけられ、腕を後ろに固められた状態で、二人の軍人に両脇を抱えられるようにして歩かされる。
軍医施設の外には、民間のものとは明らかに異なる船が待機していた。
水脈船(すいみゃくせん)――
町中に張り巡らされた“水脈”を走る、船型の交通手段。
動力は、上下の水流と風魔法。
“船頭”と呼ばれる操縦士が、魔法で帆に風を呼び込み、舵を取る。
人々は当たり前のように“水の道”を使って街を行き交う。
(少し遅いんだよな、水脈船。)
ナギは船体の緩やかな揺れに身を預け、そう苦笑した。
宮殿へと連行されたナギは、大きな建造物の中を、ひたすら歩かされた。
軍人たち、そしてきらびやかに着飾った女性たちが、すれ違うたびにナギを振り返る。
その視線は、まるで“異物”を目にしたかのように、じっと刺さった。
やがて通されたのは、豪奢な石造りの広間だった。
天井は高く、天窓から神々しい光が降り注いでいる。
壁には自然を模した装飾と、幾何学的な魔法紋が荘厳に刻まれていた。
大きな扉が開く。
中程に進み、ナギは跪かされた。
奥には、繊細なレースを思わせる模様が浮かぶ、大きな帳が垂れていた。
中から白銀の衣を纏った男が、静かに出て、歩み寄ってきた。
軍人たちは頭を下げたまま後退する。
「やぁ。よく来てくれた。部下たちが失礼を働きはしなかっただろうか?」
ナギは沈黙したまま、相手を見つめる。
「まずは強引な連行を謝罪したい。我々もあの嵐の報を聞いて、急を要したのだ」
男はにこやかに微笑む。
その姿は、華奢でありながら不思議と“大きく”見えた。
緑色の短髪で、神職者のような白銀のローブに身を包んでいる。
物腰は柔らかく、声も静かだが、どこか底が知れない。
一見すると“聖人”のようだが──何かが違う。
「私はグリナス。王であり、この大地を守護する“緑化の魔法使い”だ」
ナギはわずかに眉をひそめた。
「ふふ、緊張しているのかね? 無理もない。突然こんな場所に連れて来られては、ね」
沈黙。
ナギは動かず、言葉も返さない。
だが、それがかえってグリナスを饒舌にさせた。
「……ともかく、君には礼を言わなければならない」
「例の嵐――我々はあれを“魔力乱流型の局地的異常気象”と呼んでいるが、
本来なら誰も生還できないような災害だったはずだ」
「君が“あの場所”から生きて戻ったというだけでも、驚愕に値する。
……いや、感謝すべきだね」
ナギは依然として口を開かない。
このイヤな口調…そして多弁。
まるで権力を持った男が、それを誇示する快感に酔っているような…
グリナスはその空白を埋めるように言葉を続ける。
「我々は、自然の力と調和し、民を導く存在でありたいと常々考えている」
「個人の命も、集団の幸福も、同じく守るべき大義のもとにある」
「だからこそ、君のような“力ある若者”には、希望を託したい」
「私は何も強制はしないつもりだ。ただ、お願いしたいのだ」
ナギはようやく口を開いた。
「……お願い、ですか」
その一言には、重い疑念と皮肉が滲んでいた。
グリナスは笑みを絶やさず、まるで何も気づかないふりをして応じる。
「そう、お願いだよ。私も一人の人間だ。民の幸せを願い、明日の世界を夢見る、ただの男なのだ」
「君には、この国の未来を少しだけ、一緒に見てほしい」
ナギはその場で小さく息を吐き、視線を逸らす。
グリナスの言葉は、まるで神託のように整っていた。
だが、その内側に潜む何かが、ナギの本能を警戒させていた。
(……こいつは、何を言いたいんだ)
沈黙は続く。
その静寂を破るのは、グリナス自身だった。
「さて、君に関する報告書はすでに読ませてもらった。だが、ひとつ確認させてほしい」
その瞬間
先ほどまでの媚びるような雰囲気が、一変した。
「君はあそこで何を見た?」
信じられないほどの重圧。
そして底知れない魔法力が、空気を圧縮するように襲いかかる。
ナギは口を開かない。
疑念ではない──下手なことを言えば“死ぬ”と、本能が告げていた。
後方で、剣を抜く音がした。
冷や汗が頬を伝う。息が浅くなる。
“言わない”というより、“声が出ない”。
恐怖が喉を塞ぎ、発声すら奪っていた。
そのとき、グリナスが手をひらりと振った。
それだけで、後方からの圧が消え、剣を収める音が聞こえてくる。
誰も声を発していないのに、全員がそれを理解していた。
それが、“この男の支配力”だった。
「──ッ!」
ナギはようやく息を継ぐ。
はぁっ、と強く吐き出すと、心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響いていた。
沈黙。
静寂が、なおさら恐ろしい。
「……すまない。脅す気はなかったんだ。」
「諸君。すまないが拘束魔法を解き、二人にしてくれないか」
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