バックステージ

明(めい)

第1話

        1


二月十一日 


なんだここは。


背筋が凍り付く。薄暗い円状の舞台に転がっていた。


人々が仮面をつけ、席に座り取り囲むように俺を見ている。


仕事帰りに何者かに襲われ意識を奪われた。目が覚めてみると、このような場所にいる。


何が起きているのか状況が飲み込めない。両腕は縄で縛られている。


ライトが急に明るくなった。あまりの眩しさに目を閉じる。まるで俺の目を狙ったかのような照明の当たり具合。一体これから何が起きるというのか。


「さあ、始まりました! 今夜のショーです」


マイクを使っていると思われる女の声がどこからか響く。


歓声が一気に沸き起こった。


「毎回恒例、本名さらしから行きまーす。今夜は香川聡です」


拍手が聞こえてくる。なぜ、俺の名前を知っている? 喋っている女は誰だ。 


薄く目を開け、あたりを見るが、声の主はどこにいるのかわからない。


数々の視線を感じる。円状の席に座っているのは百五十人くらいか。


一体なんでこんなことに。なぜ意識を奪われこんなところに? 


考えてみるが思い当たることはまるでない。


目を狙っていたライトが消えた。目がちかちかしてよく見えない。ぼんやりと視界に入ったのは黒服の男。俺の両手の縄をほどくと、舞台裏へと消えていった。


「香川聡さーん、立ち上がって下さい」


言われたまま立ち上がる。


「それでは行きましょう! 復讐ターイム!」


歓声が再び沸き起こる。少しずつ目がもとのとおりに見えるようになってきた。


今度は黒と赤の仮面をかぶったまるでプロレスラーのような恰好の男が二人、舞台の右端と左端から出てきた。


なんだ、なにが起きる? 混乱したまま俺はその二人の男を見つめていた。


「ではまず、初歩の初歩、やって下さーい」


甲高い声が聞こえる。聞き覚えがある気がする。俺はこの女の声をどこで聞いた?


わけがわからないまま、二人の男は俺に襲い掛かってきた。構える暇もなく俺は思いっきり頬を殴りつけられる。何度も何度も。男二人に右頬と左頬帆かわるがわる。 


「いって。いってえ!」


叫ぶと客席から笑い声が聞こえてきた。「いいぞ、もっとやれ!」そんな男の声も聞こえる。プロレスラーのような男二人は俺を殴ることをやめない。うめき声が漏れる。


目の前を火花が散る。


「ちょっと、ちょっと」


立てなくなってきて俺はうずくまった。コンクリートの床に血が滴っている。鼻血が出ているようだ。膝をつくと俺を殴っていた黒の仮面の男が背後に立ち、無理に俺を立たせる。


「なにをするんだ! やめろ!」


叫ぶとブーイングが一斉に起きた。


「第二ラウンド行きまーす! 飛び蹴りぃ! 八回! ワン」


飛び蹴り八回? 死ぬ。やめろ! 叫ぼうとした声は痛みに消える。黒い仮面の男に押さえつけられたまま、赤い仮面の男が俺に飛び蹴りをした。


鳩尾に直撃し、しかし倒れることも許されない。


「ツー」


二回の飛び蹴り。


「スリー、フォー!」


声はやけに明るい。俺はされるがままに飛び蹴りを八回繰り返された。


内臓が破裂しそうなほど悶絶している。


口から血が飛び出た。うああああ、と思わず絶叫すると、観客はゲラゲラと笑い始める。


なんだこの屈辱。なんだこの羞恥心。


俺は見世物じゃない。なんでこんな仕打ちを受けなければならないんだ。


ただただ、普通のサラリーマンだ。三十を超えて、今まで順風満帆に過ごしてきた。


一体俺がなにをした?


「では次行きましょう! ライターで髪を焼く!」


赤い仮面の男が、チャッカマンを手に持った。表情がわからないからその悪意が読み取れない。だが、髪を焼かれることに恐れおののく。逃げようとしても、黒い仮面のとこにしっかり押さえられており、少しも動けない。


チャッカマンに炎がともされた。


「やめろ……やめろ!」


「やめませーん。お願いします!」


女の声が耳障りだ。


男が近づいてきて俺の髪に火がつく。ともすると燃え上がりそうだ。


「熱い熱い、熱い!」


後ろの音が離れた。転げまわる俺を、この場にいる全員が楽しそうに見ている。


殺されるのか、俺は。死ぬ……。死。


妻の京子と、まだ小さな息子、誠也の顔を思い浮かべる。


「では水をぶっかけて下さーい」


指示通り、俺は頭からバケツで水をかけられた。燃えていた髪は鎮火したが、恐らく頭皮を少し火傷している。痛くてたまらない。頭を抱えるがじりじりとした痛みは止まらない。起き上がる気力もない。


「次、首絞め! 殺さない程度にお願いしまーす」


「まて、ちょっと待ってくれ」


「待ちませーん」


何か言うたび女の声はテンション高めにそう否定をしてくる。


今度は黒い仮面の男に首を絞められた。意識が一瞬遠のく。


「よだれを垂らしているぅ。きったないですねぇ」


一気に笑いが起きた。俺はそれを遠くで聞き、一瞬だけ三途の川を見る。


だがすぐに現実に引き戻された。首を絞められた手が緩んだのだ。一気に咳き込む。


「咳き込んでいますねぇ、みんなで笑ってあげましょう! はい!」


この短い時間の中でもう何度目の笑いが起きただろう。状況とは場違いなほど女の声も周囲の声もバカみたいに明るい。


全身を脈打つ痛みが迸っている。内心は怒りに燃えていた。


「いったい何なんだ! あんたらは!」


ひととおり咳き込んだ後、なんとか立ち上がってそう叫んだ。周囲は静かになる。黒と赤の仮面の男たちも今のところ襲ってくる気配はない。


「あなたこそなんですかぁー」


マイクを使っている女の声が聞こえる。


「人を拉致してこんなこと、許されるとでも思っているのか! 警察に言って……」


「警察が黙認する組織でーす!」


俺はたじろぐ。どういうことだ。


「ではわかっているはずなのになにもわかっていない香川聡君のために状況説明をしましょうか。ここは復讐の施設でーす。通称バックステージと呼ばれていまっす」


再び拍手が沸き起こる。この場にいる観客はみんなここがどういうところであるのか知っているのだ。


「ここは政府のトップが作った裏施設です。そんなものあるはずがないとは思わないでくださーい。裏組織はどこもあるんですよぉ。まあ普段は政治的なことに使われているようですが、その政治家とコネのある何人かはこうして夜、自由に使うことができまーす。つまり隠されているだけで政府公認済みでーす!」


「一体なんでこんなものを」


「私の知ったことじゃありませーん! 昼間はなにに使われているのかも知りませーん。でもこういうことを許されているんです。そういう許可を頂きまっしたぁ。恐らくその政府関係者もなにか恨みを晴らすためにここを使っているんじゃないですかぁ、あるいは拷問とかぁ。警察庁も黙認していまーす。はいもう一度飛び蹴り!」


再び鳩尾にダメージ。あちこちの神経が狂ってしまいそうだ。


いや、体の痛み以上に精神的が奈落の底へ突き落されている。地獄。ここは地獄だ。


いきなり地獄へ連れてこられた。


「次は全裸にして股間に火をつけましょう」


「待ってくれ!」


俺は再び叫んだ。


「こんなことをして何が楽しい? 頼むから見逃してくれ。俺には妻も子供もいるんだ」


「見逃しませーん。そんなことは通用しませーん。私はあなたに息子も娘も生めない体にされましたあっ!」


男が近づいてくる。俺は震えた。


その恐怖の中でふと思い出す。


今年、中学生が同じ中学生に暴行されるという事件があった。複数人が一人の子に殴る蹴る、首を絞める、羽交い絞めにする、服を燃やすなど執拗に暴力を受け続け警察に被害届を出したという話だ。


ニュースになっていたから酷いと思って俺はネットのトップページのコメント欄に憤りの言葉を書き記した。そこでは多くの人から共感のボタンを押されていた。


だが。今の今まで忘れていた。


俺は似たようなことを、中学の時、クラスの女の子にやったのだ。


三年間執拗に追い詰めていた。ふと顔がよぎる。整った顔立ちを変形させるまで殴り続けた。


単純に、面白かったからだ。周囲もやれやれともてはやして、俺は得意になっていた。そいつのことを動く人形としか見ていなかった。


名前は。名前は――。思い出せない。だが、今ここで喋っている女は多分、俺が中学の時三年間暴行をし続けていた奴だ。


復讐をされている。はっきり分かった。


「悪かった。申し訳ないことをした!」


「あなたの苦痛はたった一晩で終わりまーす! でも私は三年もの間侮辱の限りを香川聡に受け続けましたぁっ。あなたにされたことを一晩でやるだけでっす」

 

明るい声の裏側に、どれだけ俺に対する憎悪があるのか。俺は。俺はあの時あいつになにをしたっけ。殴った。蹴った。腹に何度もボディブローを入れた。髪を焼いた。


写メにとってみんなに送った。


「では全裸、お願いします」


「それで満足か! 復讐をして満足なのか」


「中学の時のあなたの満足感の比ではありませんねえ」


もう一人、青い仮面をつけたガチムチ系の男が出てくる。赤い仮面の男に殴られ倒れると、俺は羽交い絞めにされて二人で服を脱がされた。


周囲から口笛が聞こえる。笑い声、野次。冷や汗が出てくる。


「今、実はカメラが回っているんですよぉ。特設裏サイトでこれを見ている人が全国にいまっす! もちろんこのサイトは招待された会員の知る人ぞ知るサイトでーす。何百万も支払わないと見られなくなっていますが、誰かが誰かを復讐するのを楽しんで見ている人たちでっす」


意識がもうろうとしてきた。ライトの熱に、殴られけられたことによるヒリヒリ感。裸にされていく。


そんな中で、俺はもう名前すら思い出せないものでしかなかったクラスメイトの顔を思い返す。


俺が危害を加えるたび恐怖に怯え、苦しそうに顔をゆがめていた。学校の公の場で裸にしたこともある。股間に火をつけたこともある。


その顔がまた面白くて何枚もの写真を撮っては学年中に送り付けた。大勢の人が笑っていた。大勢の同級生が俺のことをすごいと言った。


今ならわかる。なんて、なんて馬鹿なことをしたのだろう――。


そうしてあいつは、卒業した後どうなったのだろう。どんな気持ちで俺に殴りつけられ、裸にされ、周囲の笑い声を聞いていたのか。俺は。取り返しのつかないことをした。


「あらあ、ずいぶん小さいんですねぇ。香川君って小さい人間だったんですねぇ」


笑いの渦が起こる。俺のちんちんのことを言っているのだ。


「うああああああ!」


股間に熱を感じる。痛い、熱い、痛い。燃えているのは股間だけなのに、全身が灼

熱地獄に包まれているような暑さを感じる。これを、誰かが見ているのだ。不特定多数の大勢が。


俺は今後、生きていけるだろうか。


「あなたの苦痛は一晩だけですよ。しかも殺さないんです。感謝してくださーい。あ

あ、でもあなたの会社とあなたの奥さん、あなたの子供には手紙を送っておきました

ぁっ。あなたは紛れもない犯罪者でしたねえ。中学生だからととがめられなかっただ

けで。あなたはあの時私が死んだらどうするつもりだったんですかぁ? むしろ私が

死んだほうが少年院へぶち込まれることになってことになってよかったかもしれませ

んねぇ!」


男たち三人に、屈辱の限りを尽くされる。やめろといっても聞かないし、もうやめろという気力もなかった。ぼんやりした意識の中で視界が滲む。俺は泣いていた。


そうだ。俺はあいつが死んでも構わないと思っていた。死んだら海に捨ててやると周りに豪語していた。自分はすごいことをしているのだと本気で思っていた。死んだら、大変なことになっていたはずなのにそんなことさえ考えてすらいなかった。


「海に捨てられないだけましだと思って下さーい」


あいつにしたこと全て今、されている。


先ほど子供が生めない体になったといった。俺が、そうしてしまったのか?


しかし謝っても許してすらもらえない。甘んじて今のこの状況を受け入れるしかないのか。


「あなたは私の体も顔もめちゃくちゃにした犯罪者なのに、なに所帯を持って会社員として働いているんですかぁ? そんなこと許されると思っていたんですかぁ?」


水をぶっかけられて頭がさえてくる。股間が焼け付くようだ。


いや、焼かれたのだ。


許されていた。俺はなにもなく高校へ行き大学へ行き、就職をした。高校へ入ったら、綺麗さっぱり忘れて彼女も作った。誰からもとがめられることはなかった。


全裸のまま、太い棒で腹を叩かれる。これも、俺がしたことだ。


あと何時間、これが続くのだろう。あとどれだけ耐えればいいのだろう。


そう――あいつも中学の時、思っていたのかもしれない。


気が、遠くなる。笑い声も女の責め続ける声も延々と聞こえてくる。


「あんなことをしなければあなたは今、こうしてここにはいなかったのにねぇ、残念です。でも面白いですね、苦痛にゆがんだ顔を見るというのも」


続く、続く。俺が感じていたこと、言っていたこと、全てが自分に跳ね返ってきている。


全裸のまま羽交い絞めにされ、かかと落としもされる。


俺は苦しみの中で意識を失った。


        2


寒さが身に染みて目が覚める。


気が付くと処置を施され、俺は着ていたスーツ姿のままどこかの裏路地に捨て置かれていた。


今は何時だ。日が昇りかけているが、周囲はまだ薄暗い。


夢、だったのか?


夢ではない。体中の鋭い痛みがそれを証明している。立ち上がろうとするが、思うように立ち上がれない。


犬の散歩をしている人が、明らかに怪しい人でも見るような目で通り過ぎて行った。


腹に違和を感じてシャツをまくり上げてみる。包帯が巻かれているようだ。


どのような処置を施されたのかわからなくて、逆にそれが怖い。包帯だけ巻かれたのか、消毒なりされているのか。あるいは気を失っている間に内臓でもえぐり取られているかもしれない。病院へ行こうにもまだ、開いていない時間だ。


これからどこへ行こう。家に帰るのが急に怖くなった。妻子には既に俺が中学の時したことを手紙で送られている。それでも帰る場所は、そこしかないのだ。


京子と誠也に早く会いたい。俺はその一心で、時間をかけてマンションの一室に戻ることにした。


家に帰ると、京子が出迎えた。


「おかえり……その怪我」 


「ちょっと色々あって」


俺が帰ってくるまで起きていてくれたのだろうか。


「ねえ、あなた。昨日、手紙が送られてきたのだけれど」


ぎくりとした。何とかテーブルに座ると、京子は手紙を差し出した。すでに読まれた後だ。俺はハサミで切られた封筒の中身を見る。


そこには手紙だけではなく写真も入っていた。かつて、俺があいつの裸なり暴行しているシーンなりを流した写メが現像されている。画質は悪いがそれでも、はっきりとそのシーンを見ることができる。


そうして、殴られたことにより変形してしまって元に戻らない顔写真が、元の整った顔と一緒にあった。正直、本当に見られないような顔になっている。


「あなた、昔なにをしていたの。その怪我、復讐されたのでしょう」


何も言えなかった。手紙を読んでみると長い文章で、過去に俺から受けた様々な暴力が仔細に、生々しく書かれていた。誰が見ても恐れ、リアルにイメージが湧くような文章力だ。


「本当にこの手紙のとおりのことをしたのね」


俺は、力なく頷く。妻は泣き始めた。


「あなたは優しい人だと思っていた。暴力なんて許さない人だと思っていた。この被害の女性が、とても可愛そうだわ。中学生だったら男女の力の差は歴然でしょう。女の子をいたぶるなんて普通出来ない。どうしてそんなことをしていたの」


妻ならば味方になってくれるとどこかで信じていたが、淡い期待は塵となって消えた。


どうして。言われてもわからない。なにかに獲りつかれたようにあの時暴力を楽しんでいた。


「復讐――制裁なら受けてきた、今日」


顔は腫れ上がり、胴体の全てが痛い。


「それで許されるの? 過去にしたことだからって、復讐されたからと言って水に流してもらえるの」


「…………」


苦痛を耐え抜けば、あとは何気ない日常が待っているものと、数々の暴力を受けながら頭の片隅で思っていた。だが、もしかするとずっと復讐をされ続けるのかもしれない。そう思うと鳥肌が止まらなくなった。


「あなたに傷つけられた子は、一生傷を背負っていかなければならないのよ? 体に受けた傷も、精神的に受けた傷も。顔まで変えてしまうほどの暴力をしていたのね。あの子に――誠也にどう説明すればいいの。あなたのしたことを」


誠也はまだ六歳だ。


「黙っておいてくれ」


しばらくの沈黙が続いた。居心地の悪い沈黙だった。そうして、京子は口を開く。


「離婚を考えているわ」


「な――」


「あなたのしたことに耐えられないの。だって、私も中学の時男子からのいじめにあっているから。私も復讐してやりたいっていう気持ちがあるもの」


言って過去のことを思い出したのか、ぽろぽろと涙をこぼす。


もはやなんと言っていいのかわからない。ふと、目の前が歪んだ。受けた体の傷の痛みがだんだんと酷くなってきているのだ。鳩尾に食らった蹴りがまずい。


汗が滲み出てきて、俺はその場に倒れ込んだ。スマホの着信音が鳴っているのを遠くで聞いていた。



随分意識を失っていたような気がする。


気づくと、どこかの病院のベッドに寝かされていた。個室だ。


倒れた俺に、京子は救急車でも呼んでくれたのだろうか。そのくらいの優しさはまだあったのかもしれない。


看護師が気付き、病室から出ていくと六十代くらいの医師がやってきた。なんだか手足、顔にも包帯をされている。


「大丈夫ですか。その怪我。あばら骨三本折れていましたよ。手足も打撲している。髪も燃えて半分ハゲていますねえ」


「はい……」


会社には行けそうにない。あとで連絡を入れなければ。キャビネットを見ると、財布とスマホと――判の押された離婚届が置いてあった。


医師は涼しい顔をして、椅子に座った。


「医師だから体の怪我は診ますがね」


「内臓はえぐり取られていませんか」


「それは大丈夫です。内臓はほとんど傷ついていません」


安堵する。流石に内臓までは取られなかった。


「見ていましたよ昨日のショーを」


「え」


「あなた、かつて私の娘になにをしたんですか」


衝撃が走る。この医師が、あの女の親か?


「…………」


「娘はね、顔の骨が変形してしまったんです。他の体の骨も、あなたから受けた傷がゆっくりと時間をかけて影響をもたらした。中学の時にはすでに子宮も傷がついて手術を受けなければならなくなった。高校では友達一人も作れなかったんです。顔でいじめられてたそうです。あの子が中学の時、毎日ノイローゼ気味になって体に傷を負って帰ってくるのを見て、あなたの親に抗議したんです。なのにあなたの親は詫びのひとつも入れなかった。ただ淡々と話を聞いて『ああ、そうですか』で終わった。たまったものではない。親が親なら子も子だ」


「…………」


「娘は大泣きしていましたよ。結婚すらできない顔に、体になっているんです。一生ものの傷を心にも体にも残している。それなのになんですか、あなたは。のうのうと生きて所帯まで持っているのが許せない」


もう、詫びてもどうにもできないことを知っている。


「俺は、どうすればいいですか。なぜあの時あんなことをしたのか今でもわからない」


「本音のところ、あんたの息子を殺してやりたい」


ぞっとした。俺は医師を睨む。


「息子は関係ないだろう」


「子どもに罪はない。だが、あなたの生殖器で作れた子供。それを思うとあなたの息子すら憎くなる。蛙の子は蛙かもしれませんしね」


誠也も思春期に入ったら、俺と同じことをするのだろうか。


させないように教育しよう。それが償いなのかもしれない。


ふと、気を失う前に着信音が鳴ったのを思い出した。あれは妻のスマホの着信音。ああ、と思う。恐らくどうにかして妻の電話番号を調べて、妻に電話をかけ、あの

女はこの男の医師のいる病院に来させたのだ。


「あの子の復讐は一晩で終わりました。なぜ昨日だったかわかりますか」


「いいえ」


「あの子が子供が生めない体になったと知らされた日ですよ。復讐までに年月がかかってしまったのはそれなりに準備が必要だったからでしょうな」


頭がくらくらする。いまさらそんなことを言われても、という気持ちもある。


「復讐はまだ続きます」


「え」


「私の復讐がまだですからな」


医師は俺の上半身を起こすと、顔の包帯を取った。そうして鏡を見せる。


「あ。あ。あ。ああああああああああ!」


顔が恐ろしく変形していた。右半分は骨が陥没し、左半分は皮膚がそぎ取られて肉が見えている。


瞼はシリコンでも入れられているのか、ぱんぱんに膨らんでいる。


「麻酔がきいているから痛くないだけです。内臓は診ましたが頭の火傷は処置していません。長い時間をかけてその顔にして差し上げました。娘の受けた苦痛を、あなたも味わえばいい。私は美容整形もできますからね。娘は美容整形をしても元の整った顔には戻りません。骨が陥没してしまったからです。今は少しマシになったくらいで。削ぎ取った皮膚は再生するでしょうが、元のように綺麗には治らないかもしれませんねえ。麻酔が切れれば――わかりますね」


こんな顔では誠也に会えない。誠也は俺のことが分からないかもしれない。


ここも、普通の病院ではなく裏のある病院なのだろうか。


きっとそうなのだろう。でなければこんなこと、許されるはずがない。


少なくとも普通の病院であれば医療従事者の誰かが医師の勝手な暴走を止めるはずだ。俺は自分の顔を見て泣きたくなった。俺だってイケメンと言われてきたくちなのだ。


「ずっと自分の幸福が続くと思っていたのですか。娘を犠牲にしたまま。気づいてすらいなかったのでしょうな。あなたの幸せが薄い氷の上に載っていたことに」


氷。その氷がパキリとひび割れガラガラと崩れていく。


「とにかく会社には一度連絡を入れさせていただけませんか」


まるで見計らったかの如く「面会のかたです」と看護師が会社の社長と専務を連れてきた。


医師は立ち上がると、どこかへ行ってしまった。


社長は先ほどまで医師が座っていたパイプ椅子に腰を掛けた。


「香川君で間違いないね?」


「はい……」


「私はバックステージの会員でね。ある女性から手紙と招待状が届いたから、あの場で見させてもらったよ」


社長も、仮面を被って見ていたのか。あのショーを。急に恥ずかしくなった。


「酷いことをしたもんだね、君も」


専務がそう言う。


「君は中学の時、将来のことを考えていたのかね」


「……いいえ」


まさかこんなことになろうとは。今でこそ、ネットで加害者の顔が晒され拡散されることもあるけれど、そしてそれが間違った情報であることもあるけれど、当時はそういうことは全くといっていいほどなかった。


「たった一度の快楽で君の人生は地に落ちた」


社長が嘲笑気味に言った。世の中には政府公認の――恐らくトップシークレットだろうが――復讐できる施設があるなんて思ってもみなかった。


それが全て黙認されているのだ。金か。金を積めばそういうことも許されるのだろうか。


「まさかこのままうちの会社にいられるなんて思っていないだろうね」


「…………」


「君はクビだ。もう来なくていいよ。生きているだけましと思え」


社長と専務は背中を見せて去っていった。こちらをふり返ることさえしなかった。


一人になって、絶望が襲ってくる。


生きているだけましと思え。いや。妻には離婚を切り出され、会社をクビになり、誠也はおそらく俺が父親だとわからないくらいの顔になっている。この顔がマシになって髪が生えても元の生活に戻ることはない。しかも俺のしたことを、見知らぬ誰かが見ていたのだ。見ていたのが誰かわからない。転職しようとして拾われるかもしれなくても、その先で誰かが昨日のショーを見ていたらアウトだ。名前は見知らぬ不特定多数の誰かに知られている。


生き地獄だ。これなら殺されてしまったほうがいい。


ふと思う。そんな気持ちを、あの女は何十年も抱えてきたのだ。


俺は発狂したように叫んだ。そうして涙を流した。麻酔で感覚がないから泣くことさえ苦痛だ。


もう誰も来ることはなかった。妻も誠也も、あの医師も。離婚届を見る。妻はここに来ることはない。そんな気がする。戻る家は、俺にはあるのか。


孤独が襲ってくる。


俺は悔いた。なぜ中学の時あんなことをしてしまったのだろう。


中学にもし戻れるのならば、あの時の俺を殴ってやりたい。



        ※


聡が入院している間、聡の貯金をすべて引き出して、バックステージを紹介してもらい会員となった。金さえ積めば、ステージで復讐ができると知った。


「本名さらしから行きまーすっ」


声を出すと気持ちが良かった。私、京子は晴れ晴れとした気持ちでかつていじめた男の主犯の名前を叫んでいた。


主犯の男は怯えた様子で辺りを見ている。


私はそれを、インカムをつけて裏側のモニターから見ている。


「それでは行きましょう! 復讐ターイム!」


歓声が一気に沸き起こった。


                      「了」

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