草木萠動〈そうもくめばえいずる〉

「ただいま」  

そう言って車のキーをテーブルに置くと、そこに飾られた写真に自然に目が止まる。

 俺の誕生日に撮った結婚写真。正面を向いた写真も何枚も撮ったけれど、これは合間に何気ない雑談して笑ってた時のやつ。

 送られたデータの中から、お気に入りを選ぼうって話して、結果2人ともこれを選んだ。そんな大切な1枚。

 正直、見るたびにあの日の出来事を思い出して、にやけてしまうくらい気に入ってる。

「おかえり」

先に帰ってきていたコータが、背後から俺を抱きしめる。

「何? まだ引っ掛かってんの?」

「いや。やっぱ良い写真だなって」

俺は横を向いて、頬に触れていたコータの頬に口付けた。

「良かった。もう拗ねてなくて」

「拗ねてなんかねぇよ」

「『喧嘩』してたんでしょ? オレら」

「『してない』んだろ?」

「してたら、こんなことしないでしょ」

俺の身体を反転させたコータが、まじまじと俺を見つめると噛みつくみたいに口付けた。

「オレ、この写真のお前が大好き過ぎるから、待受にして四六時中ニヤケたいんだけどいい? って聞くやついる?」

「普段のコータはそんなだよ」

俺の返しに苦笑いして、耳元で

「降参だよ」

と囁き、耳たぶを食む。俺は、そのくすぐったさに目を閉じながら、この幸せに微笑んだ。

 

『ま、そんなことだろうと思ってました』

仲直り報告をイズに送ると、直ぐに返事が返って来た。まるで用意してたみたいに。

『それより、来月ナイトの卒業進学祝いやろうよってマチルダさんと話してたんだけど、ほだとコータの予定はどう?』

イズの受け流しっぷりに苦笑いしながら、俺はスケジュールを確認する。

 確か、月の始めにコータと休みが被ってる日があった。どっか行こうかと話してたけど、実家にみんなが集まるならちょうどいい。ナイトのお祝いなら、ナイトとも必ず会えるし。

『2日なら2人とも休みだよ』

そう返すと

草木萠動そうもくめばえいずるだ』

って、返事が来た。

 七十二候の草木萠動。イズが描きたいって言ってる、俺たちの物語のタイトル。

『不思議な巡り合わせだね』

俺は、そう答えてスマホを置いた。


 こっちの3月は本来まだまだ雪の中だ。何層にも重なった根雪が、すべて溶けきるには時間がかかる。

 しかし、今年の冬は雪が少なかった。雪まつりに、山のスキー場から雪をトラックで運んだくらいに、平地にはもう雪がなかった。

「制服ってもう届いたのかな」

寝癖で少しハネた後ろ髪を気にしながら、助手席で眼鏡のコータが聞いた。

俺は前を向いたまま、さぁと軽く首を振った。

「ナイトが中学生ってどうよ、お兄ちゃん」

俺は鼻で笑って切り返す。

「瑞穂が中学生ってどうよ、お父さん」

チラリとコータを見ると、不貞腐れた顔してあっかんべーしていた。

その顔が可笑しくて、俺は低く笑った。


「今日は、川島家の集まりってことでいいんだよね?」

「実家とイズと俺らでしょ。何で?」

「まぁ、着いたらコンタクト入れるけど、眼鏡の上に寝癖直んないから」

「夜更かしするからだろ」

俺は後先考えずに答えて、自分の失敗にすぐ気がついた。

耳元ギリギリまで近づいたコータが

「休み一緒の前夜は、夜更かししたくなるだろ?」

と問う。

俺は首を竦めて答えない。だけど、掠れた声が

「違う?」

とダメ押しするから、昨夜の光景がフラッシュバックして、恥ずかしさに顔を背ける。

「え?」

急にコータの声の調子が変わった。

「ねぇ前の車、牧村さんちのに見えない?」

話に夢中で気がつかなかったけど、さっき曲がった後から前にいる車、確かにあのナンバーは……

「ナンバー一緒だよ。牧村さんちのだ」

「イズたち、なんか仕込んでない?」

俺たちは言葉に詰まった。

 沈黙を切り裂くように、俺はスピードを上げて、前の車との距離を詰めた。しかし、乗っている人間までは見えない。

「東京って、まだ学校休みじゃないよね」

「多分……」

困惑したコータが、また寝癖を気にし始める。

何か嫌な予感がして、バックミラーをチラリと見ると、俺はまた低く笑った。

「ダメだわコータさん。後ろミクちゃんだ。完全に嵌められたわ。みんなで何か企んでっぞ」

寝癖を右手で押さえたまま、コータが呟く。

「企むって何を?」

「俺にもわかんねーよ」

もう実家に向かう1本道。前には牧村さん、後ろには三國さん。ちょっと考える余裕も、逃げ道もない。もう、進むしかない。

「少なくとも、身内だけの集まりでは無さそうだな」

俺は前方の様子を見て確信した。

 いつも車を止める場所に、すでに相澤さん、辰哉くん、松崎さんという神楽衆の車とイズの車が止まっているのが見える。

「え、何でこんなに車……」

前の車から、瑞穂が降りてこちらに手を振ったのを見て、コータが絶句した。

「まぁ、ナイトと瑞穂のお祝いってのも考えられるけど、神楽衆が集まってる時点で、そっちじゃなさそうだな」

俺はいつもより端に車を寄せて、Uターンして戻っていく牧村さんの車を通した。

「コータさん。俺ら、かもな」 

コータは俺の目を暫く見つめて、そして俯きながら微笑んだ。

「だとしたら、幸せ者だな、オレたち」

少し潤んだ瞳が、また俺を捉える。

「行こうか」


 実家の玄関で、イズが待ち構えていた。

「今回の発案者は瑞穂なの」

俺たちは顔を見合わせた。

「『結婚写真撮ったんなら、結婚式もするかな? 結婚式出たい!』って」

何となく思っていたことが、当たってたみたいだ。

 イズが真剣な顔で続ける。

「結婚が全てでも、ゴールでもないし、まずまだ法律上は結婚出来ない訳だし、余計なお世話なのは百も承知なんだけど、私たちみんな2人が大好きで、2人の幸せが嬉しくて、一緒に歩んでいくと決めた2人を、みんなでお祝いしたいんだよ」

コータも、俺も、感極まって、何も言わずにただ立ち尽くす。

 緊張していたイズが、フワッと笑う。

「だからさ、私たちにも晴れ姿見せてよ。私たちも結婚写真に混ぜてよ」


 奥の仏間に通されると、そこには川島家の紋の入った紋付と、もう1つの紋付がかけてあった。

「親父が、俺かお前が祭で着る用にって作ってたもんだ」

親父が、飾られたじっちゃんの遺影を見つめて言った。

「早く作りすぎたから、寝かせすぎて虫除け臭ぇけどな」

俺もまた、じっちゃんの真顔の写真を見上げて笑った。

「よう、お待たせ」

コータの後ろから、相澤さんと辰哉くんが現れて頭を下げた。

「コータのは、俺のを直したやつで申し訳ないけど、気持ちの問題だからよ、勘弁な」

コータが首を振って、深くお辞儀をした。

相澤さんが辰哉くんに合図すると、辰哉くんが着付けの準備を始める。

「耕一は、着付け手伝いてぇんだとよ」

相澤さんの言葉に驚いて親父を見ると、ばつ悪そうに俯いた。

「穂高に継がせるって言いながら、最後倒れる直前に、耕一に合わせて作らせてんだもんな。泣かせるぜ、総代」

 俺は親父を見た。あの時、親父は継ぐ気でいたんだよ。ただ、結局は何も出来なかった。神社のこと、何もしてこなかったから。

「総代も喜んでるだろうよ。ようやく、この紋付着る穂高が見られるんだからよ」

俺の頭の中で、じっちゃんが優しく笑った。

「『えがった、えがった』言ってる頃ですよ」

そう笑って振り向くと、コータが声を出さずに

「えがった、えがった」

と微笑んだ。


 マチルダさんの鏡台で、イズとマチルダさんに髪を整えてもらい、軽く化粧をして、コータはコンタクトを入れた。

 そこから着付けに入り、準備が整った頃、中学の制服らしきブレザー姿の瑞穂がやって来て、紋付袴の俺たちをまじまじと見つめた後、無言でコータに1通の手紙を差し出した。

 コータは差出人の名前を見て驚き、恐る恐る封筒を開け、手紙を読み始める。

 唇を噛みしめ、涙を堪えているけれど、いつ決壊してもおかしくないくらい、目が潤んでいる。 

 嗚咽が漏れないよう、口元を押さえた後、俺を見ずに便箋を差し出すから、俺は困惑したまま、その手紙を受け取った。


『三枝紘太さま

大変ご無沙汰しております。

お2人のお話は、つい最近瑞穂から聞き、知りました。

瑞穂からお2人の結婚式に出たいと言われた時は、正直驚きました。

瑞穂があなたに会っていた、ということよりも、やはりそうなるのか、ということに。

良い機会なので、白状します。

高校の頃、私は薄々気が付いていました。あなたが川島くんを好きだということを。

いつも教室の隅や図書室で本を読んでいる、静かな男子だったあなたが、唯一打ち解けてふざけたりする相手。女子の間では、よく恋人同士みたいと囁かれていたものでしたが、

あの日までは他愛のない冗談だったのです。

しかし、川島くんに下級生の彼女が出来て、2人に距離が出来た時、笑顔の消えたあなたを見て、私はあなたが本気で彼を好きだったのだと思いました。

同時に、狡い私は、それをチャンスだとも思ったのです。あなたを自分のものに出来るチャンスだと。

川島くんと笑い合うように、私と笑って欲しかった。川島くんを見つめるように、私を見つめて欲しかった。

 あなたは、私の好意を利用したと思っていたでしょうが、本当は逆です。傷ついたあなたの心を利用していたのは私です。

あなたを失いたくなくて、あなたを罠に嵌めたのは私です。

 あなたが川島くんを思い続けていても、それでもいいと結婚したくせに、結局自分を愛してくれる人に逃げたのも私。全ては自業自得なのです。

 でもそんな私にも、あなたは本当に優しかった。

 そして、瑞穂。あなたに良く似たあの子は、こんな頼りない私でも、いつも守り、支えようとしてくれる宝物です。

 あなたに感謝しています。私を瑞穂の母親にしてくれて、本当にありがとう。

 もう、私に負い目を感じることはありません。今度こそ、川島くんと幸せになってください。

 お2人の幸せを遠くからお祈りしています。  

 五十嵐澄香』


 最後まで読んで、震えるコータの背中をそっと抱きしめた。

 やっと、やっとだ。コータがずっと背負い続けてきた十字架を、ようやく下ろすことが出来る。

 コータが振り向いて、俺をしっかりと抱きしめる。

「コータ、幸せになろう」

そう語りかけると、コータが何度も頷いた。

 

 遠くで太鼓の音がする。

「さ、時間だ」

まるで神楽の時のように、相澤さんが声をかけると、一部始終を見ていた瑞穂と、その後ろに立っていた制服姿のナイトが、俺たちの前に進んできた。

 2人は顔を見合わせて笑うと

「この度はおめでとうございます。会場にご案内いたしますので、もう少々お待ちください」

と声を揃えた。

 相澤さん親子や、親父やマチルダさん、イズがそそくさと部屋を出ていく。


「瑞穂、制服似合ってるよ」

コータが声をかけると、瑞穂がはにかんだ。

「あと、手紙ありがとう。ママによろしくね」

頷いた瑞穂が、コータを見つめる。

「ママとコータの話をたくさんしたの」

「うん」

「話聞けて良かった」

コータが声にならずに頷いた。

「ねぇ、これからも会いにきていい?」

コータが唇を噛みしめて頷く。

「ほだ」

今度はナイトが俺に向き直って言った。

「ん?」

俺は少し背中を伸ばして応える。

「前も言ったけど、分かんないことだらけでモヤモヤしちゃうけど、でもほだもコータもイズも、みんなみんな大好きで、みんなに笑ってて欲しいから」

一生懸命話すナイトの、その成長を愛おしく思いながら

「うん」

と答える。

「これからもよろしくね」

何だかその言い回しが、親父にそっくりで、俺は微笑みながら頷いた。

 遠くから、また太鼓が鳴った。

「せーの」

瑞穂が声をかけると、2人は声を合わせて言った。

「お待たせしました。ご案内いたします」


 先導のナイトと瑞穂が玄関を出ると、太鼓に続いて、神楽の時とは違う、厳かな笛の音が鳴り響く。

越天楽えてんらくだ」

俺たちは見つめ合うと、深く息を吐いて1歩を踏み出した。

 雅楽の曲を、三國さんが独奏しながら先を行く。勿論、太鼓は松崎さんだ。その後ろをナイトと瑞穂、そして俺たち。

 進む先を見ると、畦道の先を左右に別れて、みんなが待っていた。

 左に、親父、マチルダさん、相澤さん、辰哉くん。右に、正装したコータの両親とイズ。

 畦道のヴァージンロードを俺たちは進む。近づくにつれ、誰からともなく拍手が起こった。

 両親に気づいたコータが

「反則だよ、また」

と呟いて、小さく手を振る。

「ほんと、幸せもんだな、俺ら」

コータが顔をくしゃくしゃにして笑うから、俺も眉間にシワ寄せて、目一杯笑い返した。


 手作りの結婚式の後、先ずは俺たち2人の記念撮影。

 イズとマチルダさんが作ったという、黄金色の稲穂を使ったブーケを各々持って、畦道の十字路に立つ紋付袴の俺たち。

 コータのお父さんが、一眼レフを三脚に据えて、カメラマンのようにポーズを指示するから、なかなか撮影が終わらず、コータのお母さんが止めに入る。

 次に、みんなで移動して、田んぼをバックに集合写真。

 カメラのセルフタイマーの設定が上手くいかず、コータのお父さんの背中ばかり撮れて、一同が大爆笑になって、やっと成功した時、みんな本当に楽しそうに笑っていた。


 フレームに入れたその写真を、壁にかけて振り向く。

「いい写真だよね」

コータがそう言って、俺の肩を抱く。

「去年の春、夜中に1人カップラーメンすすりながら、BLドラマに野次飛ばしてたの嘘みたいだ」

俺は何も答えず、静かに微笑む。

 テーブルには、タキシードの2人と、紋付袴姿で畦道に立つ2人の写真。

 

こうして、小さな幸せを積み重ねて、俺たちの二十四節気七十二候は巡っていく。


完 

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草木萠動〈そうもくめばえいずる〉・番外編ガールズトーク~草木萠動 じーく @Siegfried1111

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