第6話「零階は誰が記録しているのか」
I. 崩壊
八月一日。
零階が、完全に狂い始めた。
九条は図書室で、異変に気づいた。
本棚が——増殖していた。
昨日まで十列だった本棚が、今日は二十列。いや、三十列。数えるたびに増えていく。
「……これは」
椿が、駆け寄ってくる。
「九条さん!電話局が消えました!」
「消えた?」
「ええ!扉があった場所が——壁になっています!」
九条は、電話局へ向かう。
確かに、扉がない。
代わりに、真っ白な壁。
九条は壁を叩く。空洞の音がする。
「中には、まだ空間があるはずだ……」
その時——
壁が、溶けた。
液体のように、ドロドロと床に流れ落ちる。
そして——扉が現れる。
「……零階が、不安定になっている」
椿が不安そうに尋ねる。
「どうして……?」
九条は答えない。
だが——九条は知っていた。
羽佐間健吾の消失。
あれが、引き金だった。
II. 再会
九条が図書室に戻ると——
佐古田が、立っていた。
「……佐古田さん」
佐古田は、九条を見る。その目は、虚ろだった。
「九条さん。俺、何をしていたんでしょう」
「あなたは、零階電話局に——」
「電話局?」
佐古田は、首を傾げる。
「そんな場所、ありましたっけ?」
九条は、息を呑む。
「……記憶が、改変されている」
佐古田は、自分の手を見る。
「俺、ここで何してたんだろう。家族は……妻は……」
佐古田の声が震える。
「……名前が、思い出せない」
その時——
もう一人、誰かが図書室に入ってきた。
九条は振り返る。
「……羽佐間さん?」
羽佐間健吾が、立っていた。
だが——違う。
彼の目は、何も映していなかった。
「……ここは、どこですか」
羽佐間が問う。
九条は、驚愕する。
「あなたは……消えたはずでは……」
羽佐間は、九条を見つめる。
「消えた?……そうかもしれません。でも、俺はここにいます」
佐古田が、羽佐間を見る。
「あなた……知ってる気がする……」
羽佐間も、佐古田を見る。
「……俺も。でも、思い出せない」
III. 最深部へ
九条は、決意した。
「……最深部へ行きます」
椿が、九条の腕を掴む。
「待って。最深部って……」
「零階の、核です。すべての始まりがある場所」
九条は、佐古田と羽佐間を見る。
「二人とも、来てください」
「なぜ、俺たちが……」
佐古田が尋ねる。
九条は答える。
「あなたたちは——零階の矛盾の、中心にいるからです」
四人は、図書室の最奥へと進んだ。
そこには、今まで見たことのない扉があった。
黒い扉。
表面には、無数の文字が刻まれている。
だが——文字は、常に変化している。
英語。日本語。中国語。アラビア語。
読めない言語も、混ざっている。
九条は、扉を開ける。
その先には——階段があった。
下へ、下へと続く階段。
「……これが、最深部への道」
四人は、階段を降りる。
どれだけ降りても、終わりが見えない。
だが——やがて、たどり着いた。
IV. 記録装置
巨大な空間だった。
天井は見えない。壁も見えない。
ただ——中心に、それはあった。
巨大な機械。
無数のモニター。配線。歯車。
だが——デジタルとアナログが混在している。古代の機械と、最新のコンピュータが、継ぎ接ぎのように組み合わさっている。
佐古田が、呆然と呟く。
「……これは、何だ」
九条は、機械に近づく。
中心のモニターには、文字が表示されていた。
《Zero-Level Archive System (ZLAS)》
《管理者:████████》
《稼働年数:███年》
《目的:世界線の収束管理》
《現在の状態:不安定》
《矛盾発生率:87.3%》
《推奨措置:システム再起動》
```
羽佐間が尋ねる。
「……これは、AIか?」
九条は、首を横に振る。
「いいえ。違います」
九条は、機械の奥を指差す。
「……あれを見てください」
---
## V. 少女
機械の奥。
そこには——椅子があった。
古い、木製の椅子。
そして——
一人の少女が、座っていた。
白いワンピース。長い黒髪。
年齢は、十歳くらいに見える。
だが——その目は、何百年も生きたかのように、深い闇を湛えていた。
少女は、四人を見る。
「……やっと、来てくれたんですね」
椿が、少女に近づく。
「あなたは……誰?」
少女は、微笑む。
「私は、世界で最初に"未来を見た人間"です」
九条が尋ねる。
「最初に……?」
少女は、立ち上がる。
「私の名前は、もう覚えていません。いつから、ここにいるのかも」
少女は、機械を見上げる。
「私が見た未来が、記録されます。私が理解した未来が、確定します」
佐古田が、震える声で言う。
「じゃあ……この零階は……」
「ええ。私が、作りました」
少女は、四人を見る。
「私が未来を見るたび、零階は広がります。図書室。電話局。動物園。劇場。病院。すべて——私の見た未来の形です」
羽佐間が尋ねる。
「なぜ……そんなことを?」
少女は、悲しそうに微笑む。
「……私は、未来を見たくなかったんです」
---
## VI. 少女の物語
少女は、語り始めた。
「私は、普通の女の子でした。ある日、事故に遭いました。頭を強く打って——」
少女は、自分の頭に手を当てる。
「——目覚めたとき、見えるようになったんです。未来が」
「最初は、些細なことでした。明日の天気。友達が言う言葉。だんだんと、もっと遠い未来が見えるようになりました」
少女の声が、震える。
「人の死。事故。戦争。災害。すべてが——見えました」
椿が、少女の肩を抱く。
「……辛かったでしょう」
少女は、泣きそうな顔で頷く。
「ええ。でも——もっと辛いのは」
少女は、四人を見る。
「——私が見た未来は、必ず起こることです」
九条が、息を呑む。
「観測することで、確定する……」
「ええ。私が見るだけで、未来は決まります。私は——世界を縛る、鎖になりました」
少女は、機械を指差す。
「だから、この装置を作りました。私が見た未来を、ここに記録する。そうすれば——少しは、楽になるかと思いました」
「でも……」
少女の涙が、床に落ちる。
「——変わりませんでした。私は、今も未来を見続けています。止められません」
---
## VII. 選択
少女は、四人に向き直る。
「お願いです。誰か——代わってくれませんか?」
佐古田が尋ねる。
「代わる……?」
「ええ。誰かがこの椅子に座れば、私は解放されます」
九条が言う。
「しかし——座った者は、あなたと同じ運命を背負う」
少女は、頷く。
「ええ。未来を見続け、記録し続ける。永遠に」
沈黙。
羽佐間が、前に進み出る。
「……俺が」
佐古田が、羽佐間を止める。
「待て!お前、自分が何を言ってるか——」
羽佐間は、佐古田を見る。
「俺は、もう死んでいるはずの人間だ。記憶もない。ここにいる理由もわからない」
羽佐間は、少女を見る。
「なら——せめて、意味のある存在になりたい」
椿が言う。
「でも……それは、あまりにも……」
その時——
九条が、前に出た。
「……私が座ります」
全員が、九条を見る。
椿が叫ぶ。
「九条さん!?」
九条は、椿を見る。
「私は、もう七年間、零階に関わってきました。誰よりも、ここを知っています」
九条は、少女に向き直る。
「あなたを、解放します」
少女は、涙を流す。
「……ありがとう」
だが——
佐古田が、九条の前に立ちはだかる。
「待ってください」
佐古田は、九条を見る。
「俺が座ります」
「佐古田さん……」
「俺は——家族の記憶を失いました。もう、戻る場所がありません」
佐古田は、椅子を見る。
「なら——ここが、俺の場所です」
---
## VIII. 交錯
三人が、椅子の前に立つ。
九条。佐古田。羽佐間。
それぞれが、座ろうとする。
少女が、困惑する。
「……三人とも?」
椿が言う。
「待って!別の方法があるはずよ!」
椿は、機械を見る。
「この装置を壊せば——」
九条が、首を横に振る。
「壊せば、未来は完全に不確定になります。世界は、混乱します」
「でも……!」
その時——
少女が、叫んだ。
「やめて!」
少女は、機械に触れる。
すると——
モニターに、三つの未来が表示された。
---
《未来A:九条が座る》
→ 零階は維持される
→ 椿は一人になる
→ 世界は安定する
《未来B:佐古田が座る》
→ 零階は維持される
→ 佐古田の家族は、彼を忘れる
→ 世界は安定する
《未来C:羽佐間が座る》
→ 零階は維持される
→ 羽佐間は、再び消失する
→ 世界は安定する
《未来D:誰も座らない》
→ 零階は崩壊する
→ 未来は不確定になる
→ 世界は混沌に陥る
---
少女が言う。
「……どの未来を、選びますか?」
---
## IX. 決断
長い沈黙。
やがて——
九条が、口を開いた。
「……私たちは、選びません」
少女が、驚く。
「え……?」
九条は、機械を見る。
「この装置は、未来を"一つ"に確定させます。しかし——」
九条は、第三話を思い出す。水無月の言葉を。
「——未来は、一つではない」
佐古田が、頷く。
「そうだ。俺たちは——可能性の中に生きている」
羽佐間も、言う。
「未来を一つに決める必要は、ないんじゃないか?」
少女は、混乱する。
「でも……それでは、世界が……」
九条は、少女の手を取る。
「世界は、矛盾を抱えたまま進みます。それでいい」
九条は、機械に向き直る。
「私たちは——この装置を、停止させます」
---
## X. 停止
九条は、機械の中心部に手を伸ばす。
そこには——赤いボタンがあった。
《緊急停止》
九条が、ボタンに手をかける。
少女が叫ぶ。
「待って!止めたら、私は——」
「あなたは、解放されます」
九条は、ボタンを押す。
---
機械が、停止した。
モニターが、消える。
歯車が、止まる。
そして——
零階全体が、揺れる。
図書室の本が、光に変わる。
電話局の電話が、沈黙する。
動物園の檻が、消える。
劇場の舞台が、崩れる。
病院のベッドが、灰になる。
すべてが——消えていく。
少女は、自分の身体を見る。
「私……消えない……?」
九条は、微笑む。
「未来を見る力は、あなたから離れました」
少女の目から、光が消える。
普通の、少女の目になる。
「……見えない。未来が、見えない……!」
少女は、泣き笑いする。
「見えない……!やっと……!」
椿が、少女を抱きしめる。
「良かった……」
---
## XI. 崩壊
零階が、完全に崩壊する。
床が割れる。天井が落ちる。
「逃げましょう!」
椿が叫ぶ。
五人は、階段を駆け上がる。
背後で、零階が崩れ落ちる音が響く。
やがて——
地上に出た。
国会図書館の地下書庫。
扉が、閉まる。
そして——
扉が、消えた。
---
## XII. それぞれの道
三日後。
佐古田玲央は、家に帰った。
妻が、出迎える。
「おかえりなさい。どこに行ってたの?」
佐古田は、妻を抱きしめる。
「……ただいま」
記憶は、戻らない。
だが——家族は、ここにいる。
それだけで、十分だった。
---
羽佐間健吾は、新しい仕事を見つけた。
小さな書店。
本を並べながら、羽佐間は思う。
「俺は、何者だったんだろう」
わからない。
だが——今、ここに生きている。
それだけで、意味がある。
---
九条透と椿は、国会図書館を退職した。
二人で、小さな喫茶店を開いた。
「コーヒー、おかわりいかがですか?」
椿が、客に微笑む。
九条は、カウンターで本を読んでいる。
普通の、日常。
九条は、それが何よりも尊いと感じていた。
---
少女は——
行方不明だった。
零階が消えた後、姿を消した。
だが——
ある日、九条のもとに手紙が届いた。
```
「ありがとうございました。
私は今、普通の生活をしています。
未来は見えません。
でも——それが、幸せです。
また、いつか。
名前のない少女より」
```
九条は、手紙を大切にしまった。
---
## XIII. 新たな始まり
半年後。
国会図書館。
新しく配属された職員・田中が、地下書庫で作業をしていた。
「……ん?」
田中は、奥の壁に違和感を覚える。
壁に、うっすらと扉の輪郭がある。
「……この扉、地図にないな」
田中は、壁に手を当てる。
冷たい。
だが——脈打っているような感覚がある。
「……開くのかな?」
田中は、ドアノブを探す。
だが——ない。
「……気のせいか」
田中は、作業に戻る。
---
だが——
その夜。
誰もいない地下書庫で——
扉が、うっすらと浮かび上がった。
そして——
ゆっくりと、開いた。
---
《零階図書室は、今日も静かに、未来を記録している》
---
**――終――**
---
## エピローグ(読者への問いかけ)
あなたは、どの未来を選びますか?
A. 誰かが犠牲になり、未来を確定させる
B. 装置を止め、未来を不確定にする
C. 何もせず、矛盾を抱えたまま生きる
正解は、ありません。
ただ——
私たちは、毎日、選択をしています。
そして——
その選択が、未来を作ります。
零階は、消えました。
しかし——
未来を見る者は、まだいるのかもしれません。
あなたの隣に。
あるいは——
あなた自身が。
---
完
零階図書室――未来を知ることは、死を選ぶこと ソコニ @mi33x
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