尖塔の王女と悪魔

天使猫茶/もぐてぃあす

少女の願い

 あるとき一体の悪魔が空から王城にある尖塔の一室へと侵入することにした。

 ほとんど人が出入りしている気配のない、結界すらかけられていない尖塔になにやら大きな魔力を感じて興味を惹かれたのだ。


 明り取り用の窓の僅かな隙間から風のようにするりと尖塔に入り込んだ悪魔は、そこで輝くような金糸の髪に燃えるような赤の瞳を持つ、質素な服を着た美しい少女が一人で幽閉されているのを見た。

 少女は窓から入ってきた悪魔の気配に気が付いたのか本から顔を上げると「あら」と声をあげる。


「お客様だなんて久しぶりだわ。ところで、部屋が暗くなるから窓から降りてくださっても良いかしら?」


 驚いたような様子を見せない少女に対して多少の戸惑いを覚えながらもその見た目、と疑問を口にしつつ窓から埃っぽい暗い部屋へと降りた悪魔は部屋の扉に目をやった。扉は外側から施錠されているように見える。


「金髪と赤目は、この国の王族の証じゃなかったか? なんでこんなところに閉じ込められているんだ?」

「王族だからよ。父上は国王なのだけれど、母上は田舎町の娼婦だったらしいのよね。まあ王が商売女を孕ませるなんて、表沙汰になっていないだけでいくらでもあるみたいだし、普通は問題にしないみたいだけれど」


 そこまで言って少女、否、王女は肩を竦める。


「普通は髪と目のどちらかにしか証が現れないのよね。両方揃わないと王族とは認められないから、捨て置いても問題ないってわけ。だけどほら、私は」


 王女は肩にかかる自分の髪を持ち上げて見せてから、今度は自分の目を示す。

 お兄様とお姉様が私を恐れたらしいのよね、と王女はなんでもないことのように言った。

 それを聞いた悪魔はふむと頷く。この国の王族の魔力は髪と目に宿ると言われており、美しければ美しいほど強い魔力を持つと伝わっているのだ。

 そしてこの王女の髪と目は、たしかにこれまで長い時間を生きてきた悪魔もなかなか見ないほどに美しいもので、そして、魔力の強さもまた同様だった。

 これではたしかに魔力の強さが継承順に大きな影響を持つこの国では、兄姉が恐れるのも無理はないだろう。こんな結界の外に飛び出すような尖塔に閉じ込められていることからもどれだけ恐れられているかが伺える。


 悪魔は一人でほくそ笑む。この強い魔力を持つ王女の魂を食べることが出来れば、自分はもっともっと強くなれるだろう。幸いなことに世間知らずの小娘のようだ。簡単に騙されてくれるだろう。

 故に悪魔はいつものように取引を持ちかけた。


「なにか願いはないか? どんなものでも叶えてやろう」

「その代わりに死んだときに魂を持っていく、そうでしょ?」


 王女は笑いながら悪魔の言葉を先取りした。

 知っていたのかと悪魔は顔をしかめる。そういえばこの小娘は先ほどまで本を読んでいた。知識だけは豊富なのだろう。


「そうねえ……時々やってきてお喋りしてくれないかしら?」

「は?」


 どうやって取引に持っていこうかと考えていた悪魔は虚を突かれて変な声をあげてしまう。

 しかし王女は特にそれを気にした様子もなく自分の閉じ込められている部屋を手で示した。目立つものといえばぎっしりと本が詰められた本棚くらいのもので、あとは質素な机とベッドがあるくらいの殺風景な石造りの部屋である。

 狭くてなんにもないでしょ? と言って場違いな少女の笑顔を浮かべて笑う。その膝の上には、広い海の挿絵が描かれた本が乗っている。


「それに誰も訪ねてこないから退屈なのよ。食事は日に二回届くし、頼めば体を洗うぬるいお湯くらいはくれるけど、いくら言っても話はしてくれないのよね。あなたは悪魔なんだし、外の世界のことなんていくらでも知っているでしょう?」


 しかし悪魔は渋い顔をすると、その程度だと死んだときに魂を取れないと呟いた。悪魔には悪魔の掟があり、対価として魂を取るために必要な労力というものもそこには記されているのだ。

 王女は首を傾げると、そうなの? と少し寂しそうに首を傾げる。

 しかしすぐにぱっと顔を輝かせると、それならやっぱりお喋りが良いわねと言った。


「何度も来れば、そのうちに私にもなにかしらの望みが出てくるかもしれないし。外の世界の話をすれば私が羨ましがってそれを願うかもしれないわよ?」


 その言葉に悪魔はしぶしぶ頷いた。




 それから何ヶ月、何年が経っただろうか。


 王女は少女とは呼べない年齢になり、しかし未だに望みを口にすることはなく、数日に一度の悪魔とのお喋りですっかり満足をしているように見えた。

 様々な話を聞きたがったが、特に海の話を好んでいた。


「やっぱりいいわね、海は」

「そんなに望むんなら連れて行ってやるぜ」

「いいえ。あなたの語りが面白いだけで、実際に見たらつまらないかもしれないじゃない」

「本物は俺の言葉なんて足元にも及ばないがね」


 そして最後はいつも同じやり取りで終わるのだ。



 ある日悪魔が王女の部屋へと行くと、王女がベッドに臥せっていた。

 強い魔力の持ち主は、病魔に対して強い抵抗を示す。動けないほどの病気になるとは思えなかった。


 悪魔は大慌てで王女の眠るベッドへと近付いた。その気配を感じたのか、王女は目を覚まし、いつもと違う弱々しい声で「あら」と言った。


「もう来たのね、悪魔さん」

「なにがあったんだ? お前が病気だなんて……」


 王女は小さく笑うと、昨日お姉様が来たのと言った。盃と酒瓶を持っていたらしい。

 昨日は父である王の誕生日で、盛大に祝われていたからその余りだと。

 飲まないのは不敬に当たる酒だ、と。


 それを聞いた悪魔は、部屋の隅の机に置いてある盃こそが「病気」の原因であることを悟る。


「……身体を癒せと願ってくれ」

「また同じことがあるのに?」

「……ここから連れ出せと言ってくれ」

「ここしか知らないのに?」

「お願いだから、助けさせてくれよ……」

「お願いするのは私の方よ、悪魔さん」


 悪魔は生まれて初めて自分が悪魔であることを呪った。望まれてからしか動けない自分を、恨めしく思った。

 それ以上に、この城に住む者を、恨んだ。


「ねえ、悪魔さん?」

「……なんだ?」

「望みがあるの」

「言ってくれ」


 王女は薄く笑む。悪魔が今まで見たことのなかった狂気を孕ませて。


「私を閉じ込めたみんなを、殺して」


 堰を切ったように、王女の口から言葉が溢れる。


「ずっと、ずっと羨ましかった、外にいる人たちが。閉じ込められてるのが苦しかった。辛かった。あなたの話だけが、あなただけが救いだった。だから、だから!」


 それは毒が頭にまで回ったことで出たうわ言だったのかもしれない。だが、そんなことは関係なかった。

 悪魔は頷く。願われたからには、動かなければならない。

 このときほど、自分が悪魔であることを喜んだ瞬間はなかった。


 みなが寝静まったはずの王城がにわかに騒がしくなる。結界が溶けてほどけ、かん高い悲鳴から逃げるように風が吹いた。

 そしてほんの数刻で王城はまた静かになった。



 静かになった城から尖塔へと戻った悪魔は、王女の亡骸をそっと抱き抱えると、外へと飛び出す。

 やがて悪魔は小高い丘の上に彼女を埋めた。尖塔からではけして見えなかった、海が見える丘だった。


「友達の頼みを聞いただけじゃ、魂は取れないな」


 一人呟いた悪魔はその場に倒れ込んだ。ボロボロと体が崩れていく。

 悪魔は人のために動いてはならない。それは自らの存在の否定だから。

 そんなことは知っていた。悪魔が最初に知る掟だ。


 崩れる体をなんとか起こした悪魔は、目の前に広がる海を見る。

 朝日を受けて黄金色に輝きを。一瞬ずつその形を変える波を。少しずつ青へと変わっていく空と海を。

 得意げな声で悪魔は最後の言葉を吐いた。


「どうだ、俺の語りなんか足元にも及ばないだろう」

「ええ、本当に」






 後世において、強力な魔力を持っていた王族が、王の誕生日の翌日たった一日にして滅んだ理由は明らかになっていない。

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尖塔の王女と悪魔 天使猫茶/もぐてぃあす @ACT1055

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