「世界の終わりに手を添えて」

をはち

「世界の終わりに手を添えて」

北条誠司は薄暗い部屋のベッドに横たわり、動かない天井を見つめていた。


かつては活気にあふれ、仲間たちに囲まれていた少年の日々は、遠い記憶の彼方に沈んでいた。


カレンダーは止まり、時間は彼の心とともに凍りついていた。


小学校までは輝いていた。


誠司は誰からも愛され、教師すら一目置く存在だった。


正義感に燃え、弱者を守ることに迷いはなかった。


だが、中学校で全てが変わった。


あの日、偶然目撃した光景――花田ツヨシとその取り巻きが、糸瀬里奈という少女を執拗にいじめていた瞬間。


あの時、誠司は正しいことをしたつもりだった。


ツヨシの矛先を自分に向け、里奈を救ったのだ。


だが、その代償はあまりにも大きかった。


仲間たちは誰も助けてくれなかった。


小学校の平和な世界で育った彼らは、ツヨシのような暴力と悪意に満ちた存在を前に、ただ立ち尽くすしかなかった。


誠司は孤立し、心はすり減り、卒業を待たずしてその精神は砕け散った。


ツヨシの嘲笑と暴力は、誠司の心に深い影を刻み込んだ。


それから何年が経っただろう。


誠司は二階の自室に閉じこもり、薬に頼って曖昧な世界を生きていた。


現実と夢の境界は曖昧になり、時間は意味を失った。


そんなある日、天井から奇妙な音が響き始めた。


軋むような、金属が擦れるような音。


そして、銀色の階段が降りてきた。


階段の先から現れたのは、全身を高密度の空気で覆われた異形の存在だった。


光を屈折させ、銀色に輝くその姿は、人間とはかけ離れていた。


そいつは自らを「ミラーマン」と名乗った。


ミラーマンは時間を操る力を持ち、誠司に語りかけた。


「この世界は、存続する価値がないのかもしれない。だが、それを決めるのは私ではない。君だ。」


ミラーマンは誠司に小さなボタンを手渡した。


銀色の表面に、まるで宇宙の深淵を映すような不気味な光沢があった。


「このボタンを押せば、君の知る世界は終わる。君の心が、君の宇宙が、それを望むなら。」


誠司の手の中で、ボタンは冷たく重かった。


ミラーマンはさらに言葉を続けた。


「君以外にも、このボタンを持った者たちがいる。この世界の運命は、誰かがボタンを押す瞬間にかかっている。」


その夜、ミラーマンは時間を巻き戻した。


誠司は中学校の入学式の日に戻っていた。


記憶は曖昧になるはずだったが、なぜかボタンは彼の手の中にしっかりと握られていた。


校庭には新入生たちが集まり、ざわめきが響く。


だが、奇妙なことに、花田ツヨシとその取り巻きの姿はなかった。


噂では、彼らは突然動かなくなり、まるで時間が止まったかのように意識を失ったという。


誠司はふと視線を上げ、糸瀬里奈を見つけた。


彼女の手にも、同じボタンが握られていた。


その瞳は深い悲しみと決意に満ち、まるで何かを知っているかのようだった。


誠司はぞっとした。


このボタンは、里奈だけではなく、誰の手にも渡っているのではないか?


やがて、驚くべき事実が明らかになった。


ボタンは世界中の人々に配られていた。


押せば、その者の未来が閉じる。


そして、誰かがボタンを押すたびに、世界の一部が静かに消えていく。


花田ツヨシもまた、ボタンを押した一人だったなぜ彼が押したのか、誰も知らない。


だが、誠司は思った。


ツヨシの心は、表面的な傲慢さや暴力の裏で、深い闇に沈んでいたのではないか。


自分自身を、世界を、終わらせたいと願うほどの絶望が、彼を飲み込んでいたのではないか。


夜が更けるたび、誠司は前世とも言えるであろう、ミラーマンに巻き戻される前の生活を思い出す。


心の中にミラーマンの声が響く。


「君の宇宙は、君が決める。」


ボタンは今も誠司の手の中にある。


里奈の手にも、世界中の皆の手の中にも。


世界は静かに息を潜め、誰かがボタンを押す瞬間を待っている。

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「世界の終わりに手を添えて」 をはち @kaginoo8

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