火車

 通夜つやの中で見守る兄の姿は、両手を胸の上で組んで寝ている。そう見えた。幼少から何度叱られても変わらないくせだ。

 腎臓癌だった。血尿けつにょうなどの症状が現われるときには、もう進行していた。肺や肝臓などに転移しており、治る見込みは薄かった。

 老けた兄は、少し困った顔をして抗がん剤や手術を拒否した。緩和かんわケアを中心とした医療を受け、最期は呼吸困難や痛みをうったえて、やがて病室のベッドの上で息を引き取った。

 最期にはうわごと愛猫あいびょうの名を繰り返していたという。

 葬儀は近親きんしん者のみで執り行うことになった。とは言っても兄に家族はなく、唯一連絡を取り合っていた妹である私の家族で通夜をした。

 子供たちにとっては、殆どビデオ通話越しに話す遠い親戚でしかなかった。兄の遺体が寝かせられた部屋の外で、兄弟が廊下で足音を響かせていた。

 兄にとって、飼い猫が家族だった。

 外で怪我をしていた野良猫を拾ってきたのだという。毛並みからまだらと名付けたらしい。随分ずいぶんと長いあいだ、その猫と共に過ごした。両親が存命ぞんめいのあいだは、いつ結婚するのかと小言こごとを言われては誤魔化ごまかしていた。

 その飼い猫が腎不全じんふぜんで亡くなり、兄はひとりで過ごした。ビデオ通話の向こうの彼は、まだ中年だったのにすっかり白髪が増えていた。まるで飼い猫に魂の半分を持っていかれたかに見えた。

 白装束に身を包んだ彼の首筋には、奇妙な噛みあとが残っていた。生前に原因を尋ねても、やはり口をにごすばかりだった。ただその傷跡を、どこかいとおしそうに撫でていたのが印象的だった。

 もう永遠に語られることはない。その死に顔を眺めていると、障子の外で騒ぎが大きくなった。息子たちだろう。流石さすがに叱らなければならない。

「こんなときぐらい、静かにしなさい」

 障子から顔を出して、まだ中学生と小学生の兄弟を叱った。彼らは言い訳がましく言った。

「猫がいるんだよ」

「猫?」

「うん、ぶち猫。捕まえようとしても、すばこっしいんだ」

 頭の中に、兄が以前飼っていた猫の毛色を思い出した。その名の通り、斑の黒褐色をしていた。まさか。くだらない考えを振り切り、兄が寝ている室内を振り返った。目をみはった。

 抜けがらの布団を残して、兄の遺体が忽然こつぜんと消えていた。慌てて布団に駆け寄る。畳に目を配ってもどこにもおらず、誰かが動かすとは思えない。混乱していると、子供たちの声が聞こえた。

「お母さん」

 彼らは夜の庭に立っていた。どうやら火葬場の方を見上げている。廊下に出ると、妙に空が明るかった。中学生の兄が指差した。

 指し示した先に、火葬炉の煙突があった。その頂上に、煌々こうこうと光る何かがいた。膨張ぼうちょうした背中を丸め、二又ふたまたにわかれた尻尾の先端が炎をまとっていた。奇妙な獣の大口が、何かをくわえている。どこか見覚えのある琥珀こはく色の眼光がんこうが、こちらを振り向いた。

 白い装束を着ており、遠目とおめからでも兄の遺体だとわかった。私たち家族が呆然としている中で、二又の尻尾を燃やした獣は彼の首筋に牙を突き立てたまま、夜空へと飛び跳ねていった。

 飛び去った後には、散った炎の軌跡きせきだけが残された。

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妖猫 二ノ前はじめ@ninomaehajime @ninomaehajime

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