Ep.10 — 泥の華、錆びた約束
オキナ特別行政区 コザ区 「クラブ・リュウキュウ・ブルー」
語り手:玉城 ローズ(83歳 / クラブオーナー / 日系ニホニーズ)
オキナ特別行政区(※1)の夜は、世界中のどこにも似ていない、独特の粘度を持っている。 ジェット燃料の刺激臭、亜熱帯の湿った腐葉土の匂い、そして古いバーボンと安香水の甘ったるい香りが混ざり合い、呼吸するたびに肺の奥にへばりつくようだ。
この島は、東シナ海における「沈まない空母」として、半世紀以上にわたり要塞化され続けてきた。北のニホン本土と、南の台湾・マレアを結ぶ海の結節点。米軍とNDF(ニホン国防軍)が共同使用する広大な基地群と、フォートライン計画によって海上に増設された人工島群。それらが島の心臓部を占拠し、残されたわずかな隙間に、650万人の市民がへばりつくように暮らしている。
フェンスの向こう側の「鉄の規律(基地)」と、「外側」の享楽的な混沌によって、この島は物理的にも精神的にも二分されている。明日をも知れぬ命を燃やすために、兵士たちが繰り出す街、コザ。その路地裏の最深部に、古びたネオンサインを今もかろうじて灯し続けているジャズクラブがある。 「クラブ・リュウキュウ・ブルー」。
重い防音扉を開けると、そこには1950年代の空気がそのまま真空保存されていた。紫煙が層を成して漂う店内には、非番の将校、MCN(軍警)の隊員、台湾からのビジネスマン、そして身元の知れないブローカーたちが入り混じり、グラスを傾けている。 彼らの視線の先、薄暗いステージの中央に、その老女は座っていた。
玉城ローズ。この街で半世紀以上歌い続けてきた、「コザの女王」だ。 彼女の声は、長い年月と無数のタバコ、そして叫び続けてきた夜の数だけハスキーに枯れている。だが、その響きには、聴く者の胸郭を直接鷲掴みにし、内臓を揺さぶるような、暴力的なまでの哀愁があった。
彼女が歌い終わると、私は楽屋へ招かれた。 狭く、化粧品の粉と古い衣装の匂いが充満した部屋。鏡の前でつけまつげを外しながら、ローズは鏡越しに私を一瞥した。その瞳は、濁った老人のものではなく、獲物を見定める猛禽類のように鋭かった。
「あんた、台湾から来たんだってね。……いい匂いがするよ。成功した国の、乾いた匂いだ。私の嫌いな匂いさ」
(ローズは琥珀色のウィスキー※2をストレートで煽り、残った氷を奥歯で噛み砕いた。その乾いた破砕音は、遠い日の銃声のように薄暗い部屋に響いた)
物好きなこった。 ここに来るライター連中は、どいつもこいつも政治の腐敗だの、フォートラインの問題だのを書きたがる。あるいは、基地反対運動の闘士としての、私の勇ましいコメントを期待して録音機を回す。 70年も前の、カビの生えた色恋の話を聞きたがるのは、あんたみたいな内地の人間だけだよ。
今日はあいにくの雨だ。客の入りも悪い。 それに、あの安酒のせいで、少しばかり昔話をしたくなった。 私がまだ「ローズ」なんて安っぽい源氏名じゃなく、「ヨウコ」と呼ばれていた頃の話さ。
あたしの生まれは東京の本所(ほんじょ)。戦争末期、本土がどうなっていたか、あんたも歴史の授業で習っただろう?地獄なんて言葉で形容できるもんじゃない。親は空襲で死んだ。 記憶なんてほとんどない。あるのは、炭になった親父の骨を触った時の、ボロボロと崩れる感触だけだ。
ある日突然、ラジオが死んだ。新聞も来なくなった。 天皇が降伏したのか、大本営が玉砕したのか、それとも日本という国そのものが太平洋の底に沈んだのか。それすら分からない。 ただ、空からはB-29の群れが銀色のウジ虫みたいに湧き続け、海からは艦砲射撃の雷が轟く。関東への上陸(コロネット作戦)が始まるという噂だけが、幽霊みたいに焼け跡を彷徨っていた。
通信が焼き切れ、法も秩序も蒸発した国で、私たちは瓦礫の隙間を這い回るドブネズミ以下の存在だった。 食えるものは何でも食ったよ。雑草、靴の革、そして腐った死体に湧いた蛆。死なないでいるというだけの、終わりのない拷問だ。
そんな時だ。「闇船(やみぶね)」の話を聞いたのは。1950年の冬だったか。 「疎開」? 馬鹿言っちゃいけない。そんな生温いもんじゃない。私たちは故郷を捨てるつもりだったんだ。 風の噂で流れてきたんだよ。 『南(オキナ)じゃ、とっくに戦争が終わってる』 『あそこはもう日本じゃない。アメリカ様が統治する、秩序ある別世界だ』
だから私たちは、なけなしの着物を売って、ブローカーに金を握らせて船に乗った。 私と、当時3歳だった弟だ。 乗せられたのは、機雷避けの磁気加工もしてない、元石炭運搬船のボロだ。船底に詰め込まれて、三日三晩、吐瀉物と重油と、人間の排泄物が混ざった強烈な悪臭の中で揺られた。隣で寝ていた爺さんが冷たくなっても、誰も気にしない。海に捨てるだけだ。祈りも葬式もない。死体はただの重荷だからね。
そうして辿り着いたのが、ナーファ(旧那覇)の港だ。 そこは、本土とは別の惑星だった。 空には銀色のジェット戦闘機が飛び交い、陸には見上げるような高さのフェンスが張り巡らされていた。アメリカが直接支配する、巨大な前線基地。
私たちは港の近くの難民キャンプに入れられた。 見渡す限りのテントの海。雨が降れば泥沼になり、晴れれば蒸し風呂になる。 でも、そこには確かに「メシ」があった。米軍の放出品だ。 へこんだ缶詰のランチョンミート、粉っぽい乾燥卵、石みたいに固くなったチョコレート。 私たちは、フェンスの向こう側の豊かな国から、気まぐれに投げ与えられる「餌」に群がる野犬だった。プライド? そんなもんで腹が膨れるなら、犬に食わせてやればいいと思ってた。
ケンジと出会ったのは、それから10年近く経ってからだ。私が16歳、彼が18歳の頃。 当時のオキナは、インドシナ戦争の足音が近づき、狂ったような好景気に沸いていて、街には銃とドルと死の匂いが、同じくらいの濃度で漂っていた。
彼は、本土の川崎から流れてきたエンジニア崩れの孤児だった。 キャンプの炊き出しの列で、私が泥に足を取られて転んだのを、助け起こしてくれたのが最初さ。 「大丈夫か? お嬢ちゃん」 汚れた作業着を着ていたが、その指先だけは奇妙に白くて、繊細で、綺麗だったのを覚えてる。 「俺は時計職人だったんだ。指だけは商売道具だからな」 彼はそう言って、私が持っていた開かない缶詰を、落ちていたヘアピン一本で魔法みたいに開けて見せた。
キャンプでの暮らしは泥沼だったが、ケンジがいたから息ができた。 彼は器用だった。拾った廃材でラジオを直し、壊れたジッポライターを修理して、タバコや石鹸と交換してきた。彼の手にかかれば、ゴミが宝物に変わった。
「ヨウコ、これを知ってるか?」 ある夜、彼が直したラジオから、甘いメロディが流れてきた。
『I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz...』
「『テネシー・ワルツ(※3)』だ。最近、基地の中で流行ってるらしい」 ケンジはそう言って、私の手を取った。「踊ろう、ヨウコ」 私たちは、月明かりの下、泥濘んだ地面の上で不格好なワルツを踊った。彼の作業着からは油の匂いがして、私の服からは消毒液の匂いがした。でも、その瞬間だけは、私たちは難民じゃなかった。国籍も所属も関係ない、ただの下手くそなダンサーで、どうしようもない恋人同士だった。
「ヨウコ、いつかここを出よう」 彼は私の耳元で囁いた。「ラジオで聞いたんだ。南のタイワンで、技術者を集めているらしい。あそこなら、もっとまともな暮らしができる」 タイワン。当時の私たち難民にとって、それは「天国」の別名だった。
そして、運命の日が来た。キャンプに黒塗りのセダンが数台、砂埃を上げてやってきた。 降りてきたのは、パリッとした白いスーツを着た男たち。靴はピカピカに磨き上げられ、泥一つついていない。 TPA(台湾暫定行政庁)の人材募集官(※4)だ。
彼らは拡声器で叫んだ。 「技術者求む! 旋盤工、電気技師、医師、無線技師! 審査に合格した者は、家族と共に台湾への移住を認める!」
キャンプ中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 みんな、我先にと審査会場のテントへ走った。 テントの中からは、怒号と、泣き声と、歓声が聞こえてくる。 そこは、地獄の釜の底に垂らされた一本の蜘蛛の糸だった。
ケンジも走った。私の手を引いて。 「チャンスだ、ヨウコ! これで行ける!」 彼の手は汗ばんでいて、小刻みに震えていた。 希望への興奮か、それとも拒絶されることへの恐怖か。
だけど審査会場は、残酷な「選別所」だった。TPAの連中は、難民の顔なんて見ちゃいない。見ているのは「手」と「履歴書」だけだ。 ケンジの番が来た。 彼は審査官の前で、壊れた軍用時計を分解し、組み立て直してみせた。
その手際は魔法みたいだった。震えていたはずの指先が、その時だけは氷のように冷静に、正確に動いた。 微細な歯車が噛み合い、時計がチクタクと音を立てて動き出した瞬間、審査官の目が光った。
「合格だ。精密加工の腕がある。カテゴリーA(最優先)」
ケンジは振り返って、私に満面の笑みを向けた。 あんなに輝いた彼の顔を見たのは、それが初めてで、最後だった。 「やったぞ! ヨウコ、これで行ける!」
だが、審査官は事務的に、冷たく言った。 「待て。連れて行けるのは『直系家族』のみだ。戸籍上の妻か、子供だけだ」
世界が凍りついた。 周囲の喧騒が、遠い水の中の出来事のように遠ざかった。 私たちは、まだ結婚していなかった。 混乱の中での避難生活だ。役所なんて機能していないし、紙切れ一枚交わす余裕もなかった。 私たちは「事実上の夫婦」だったが、「法律上の夫婦」ではなかった。
「婚約者です! これから結婚するんです! 弟もいるんです!」 ケンジは叫んだ。テーブルに身を乗り出して。 だが、審査官は書類から目を離さずに首を振った。 「ダメだ。定員はギリギリなんだ。証明できない人間を乗せる余裕はない。……行くのか、行かないのか。今決めろ」
後ろには、何千人もの行列ができている。 「早くしろ!」「行かないなら代われ!」という罵声が飛ぶ。 ケンジは私を見た。 その顔が、みるみるうちに蒼白になっていくのが分かった。 彼は、私を置いていくなんてできない男だ。優しすぎる男だ。 だからこそ、彼はチケットをテーブルに戻そうとした。 震える唇が、「……行けません」と動くのが見えた。
その瞬間、私は動いた。 私の体の中で、何かが弾けたんだ。 私はケンジの胸ぐらを掴んで、彼の頬を、力いっぱい張り飛ばした。 パァン!という乾いた音が、テントの中に響いた。
「バカ言わないで!」 手が痺れるほど叩いた。 「あんた一人で行きなよ! 私は弟がいるんだ。こいつを連れて、あんたのお荷物になるなんて御免だね!」
嘘だった。 本当は、足元に縋り付いて泣き叫びたかった。 『行かないで』 『置いていかないで』 『どこへだってついて行くから』 その言葉が喉まで出かかって、胸を引き裂きそうだった。
でも、分かっていた。 ここで彼が残れば、二人とも共倒れだ。この泥沼で腐っていくだけだ。 彼のあの綺麗な指は、泥掻きのためにあるんじゃない。 時計を、未来を直すためにあるんだ。 彼だけでも逃がさなきゃいけない。それが、私が彼にできる、最初で最後の「妻としての務め」だった。
「行きな! さっさと行きなよ! 貧乏くさい男にはうんざりしてたんだ!」 私は弟の手を引いて、わざと軽蔑するような目で彼を睨みつけた。 ケンジは呆然としていた。頬を赤く腫らして、涙を溜めた目で私を見つめていた。
係官に背中を押されて、彼はトラックの荷台に押し込まれた。 トラックがエンジンを唸らせ、砂煙を上げて走り出す。 荷台の隙間から、彼が手を伸ばしているのが見えた。 私も手を伸ばしたかった。 でも、私は弟の肩を抱いて、一歩も動かなかった。
トラックが見えなくなった瞬間、私は崩れ落ちた。 泥の中に膝をついて、獣のように慟哭した。 周囲には、同じように家族と引き裂かれた女たちや子供たちが、声にならない悲鳴を上げていた。 あの日のキャンプの光景は今でも忘れらんないね。
それから、私は「女」を売って生きた。 弟を食わせるためだ。綺麗事じゃ生きられない。 米兵相手の洗濯屋、ハウスメイド、そして夜の商売。 コザの街は、インドシナ戦争特需で沸き返っていた。 金と暴力と欲望が渦巻く街。 昼間はB-52が空を切り裂き、夜はネオンが毒々しく輝く。 あたしはその中で、泥水に顔を突っ込みながら、必死で息継ぎを繰り返して泳いでいた。
弟だけは、この泥水を飲まずに済むようにと願いながらね。
ある晩、米軍相手のクラブで、酔っ払った客に「何か歌え」と言われた。 ステージの歌手がヤクをキメすぎて倒れて、マスターが困っていたんだ。 「おい、ヨウコ。お前、鼻歌が上手かったな。何でもいいから場を持たせろ」
私は震える手でマイクを握った。 スポットライトが眩しくて、客席の米兵たちの顔が見えなかったのが救いだった。 歌う曲なんてなかった。楽譜も読めない。 だから、私はあの時、ケンジがガレージで口ずさんでいた、あのメロディを歌った。 『テネシー・ワルツ』。 歌詞は彼に教わった通り、たどたどしい英語だったけれど、メロディだけは骨に染み付いていた。
I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz
(テネシー・ワルツに合わせ、私はあの人と踊っていたわ)
When an old friend I happened to see
(ふと見れば、そこには懐かしい友人の姿があった)
歌い出した瞬間、あの日の港の光景がフラッシュバックした。 船の汽笛。鼻をつく重油の匂い。トラックの荷台から伸びる、遠ざかる彼の手。 歌詞の中の「友人」は、私にとっては「タイワン」という名の、抗えない運命だった。
I introduced her to my loved one
(私は彼女を、私の愛する人に紹介したの)
And while they were dancing
(そして、二人が踊っている間に)
My friend stole my sweetheart from me
(あの友達は、私からあの人を奪っていったの)
強がって飲み込んだ本音が、英語の歌詞に乗って溢れ出した。 あの選別所というダンスホールで、彼を未来へと送り出した。 そうして、私の愛する人は奪われた。私自身の手によって。
客席が、水を打ったように静まり返った。 そして、一人の黒人兵が、顔を覆って泣き出したのを皮切りに、あちこちですすり泣く声が聞こえ始めた。 彼らもまた、故郷を捨て、恋人を捨てて戦場に来た男たちだった。 戦争に恋人を奪われ、あるいは『国家』という友人に人生を奪われた男たち。 明日にはジャングルで死ぬかもしれない恐怖と、孤独。 私の拙い英語の歌は、彼らの傷口を舐める舌になったんだ。
それから私は「ローズ」になった。 コザの女王。基地の街のセイレーン。 私の歌を聴くために、兵隊たちは列をなした。 チップのドル札が、私のドレスの胸元にねじ込まれた。 弟は学校を出て、今は民間の船舶会社でまともに働いている。 ケンジのおかげだ。彼が私の元を去ってくれたおかげで、私は修羅になれた。
それから10年後。1975年頃だったかね。 店に、一人の台湾人のビジネスマンがやってきた。 パリッとしたイタリア製のスーツを着て、整髪料で髪を固めた、隙のないエリートだ。 この薄汚いコザの空気の中で、彼だけが切り取られたように「清潔」だった。
彼は私のステージが終わるのを待って、楽屋へやってきた。 そして、一枚の厚手の封筒を差し出した。
「タカヤマ・ケンジ氏からの預かり物です」
心臓が止まるかと思った。 手紙には、一枚の写真と、数枚の書類が入っていた。 写真は、近代的な工場の前で立つ、少し白髪が増えた、でもあの頃と同じ綺麗な目をしたケンジだった。 背後には、あの華やかな台北の街並みと「高山精密工業」という看板が見えた。 彼は成功したんだ。時計職人の指で、台湾の産業発展の波に乗ったんだ。
手紙にはこうあった。 『ヨウコ。約束通り、迎えの手筈を整えた。この書類を持って、那覇の領事館へ行ってくれ。ビザも、航空券も用意してある。……遅くなってすまなかった』
震える手で手紙を読んだ。 10年。彼は10年間、あの約束を守るために、異国の地で必死に這い上がったんだ。
I remember the night and the Tennessee Waltz
(忘れられない、あの夜とテネシー・ワルツ)
Now I know just how much I have lost
(今になってようやく分かる、失ったもののあまりの大きさが)
歌が頭の中でリフレインした。 けれど、彼は私を忘れていなかった。 私は、その夜、店を閉めて一人で泣いた。 嬉しかった。死ぬほど嬉しかった。
でも、翌朝。 私はその手紙を、ライターの火で燃やした。 一枚ずつ、灰皿の中で黒い灰になるのを見つめた。
なぜかって? 鏡を見たからさ。 そこに映っていたのは、かつての「ヨウコ」じゃなかった。 米兵相手に酌をし、タバコの煙に燻され、安酒と男の匂いが染み付いた、薄汚れた「ローズ」だった。
彼が愛したのは、泥の中で震えていたけれど、まだ魂が真っ白だった少女だ。 今の私は、あまりにも多くのものを知りすぎた。夜の街の汚れを吸い込みすぎた。 彼が築き上げた、清潔で、輝かしい彼のという世界に、私はもう似合わない。 彼の隣に立つ資格なんて、とっくに売り払っちまったんだ。
それに、私にはもう、このコザという泥沼が、故郷になっちまっていたんだ。 私を「ママ」と呼んで慕ってくれる若い兵隊たち。 私の歌を聴きに来て、涙を流す労働者たち。 彼らは、私を必要としている。私が歌わなきゃ、彼らは明日への希望を持てない。 彼らを置いて、私だけが幸せになるなんて、できやしなかった。
私はビジネスマンに伝言を頼んだ。 「人違いです、と伝えてください。ヨウコという女は、10年前のチフスで死にました、と」
残酷な嘘だ。 でも、これが私の精一杯の愛だった。彼の人生から、あたしのをきれいに消してやりたかったんだ。
Yes, I lost my little darlin'
(そう、私は愛しいあの人を失ってしまった)
The night they were playing the beautiful Tennessee Waltz
(あの美しいテネシー・ワルツが流れていた、あの夜に)
あたしは歌詞の意味を、心の中で逆さに読み替えた。 「あなただけ、幸せになって。私はこの曲と一緒に、ここから動かないから」
(ローズは、空になったグラスを置いた。氷が完全に溶けて、ただの水になっている)
後で聞いた話じゃ、ケンジはその後、台湾の女性と結婚して、子供もできたそうだ。 その息子が、今では世界的なレンズメーカーの社長をやってるらしい。台湾製の光学機器は、今やNDFのゴーグルや、ドローンにも使われている。あの蜘蛛の糸は、戦場と平和を結ぶケーブルにもなったわけだ。あたしの選択は、少なくとも彼に関しては、間違っていなかった。あの日、彼をあの船に乗せたことも、あの手紙を燃やしたことも。
でもね、時々思うんだ。 もしあの時、審査官の前で泣き叫んでいたら。 もしあの時、彼の手紙を持って海を渡っていたら。 どんな人生があったんだろうって。 台北の綺麗なマンションで、彼にコーヒーを淹れるような、そんな静かな午後があったんだろうかって。
私は今でも、毎晩このステージで歌う。 海の向こうにいる、もう二度と会えないあの人に向かって。 そして、この店に来る全ての「置いていかれた人たち」のために。
あんた、台湾の生まれだろ? なら、いずれ伝えておくれ。 オキナワの泥の中に、一粒だけ、まだ輝きを失っていないガラス玉が埋まっていると。 拾う必要はない。ただ、そこにあることだけを知っていてくれればいい。
さあ、そろそろ次のステージの時間だ。 あんたも聞いていきな。 今夜の歌は、特別に沁みるはずだよ。 外は雨だからね。
(ローズは立ち上がり、ゆっくりとステージへ向かった。 その背中は、小さく丸まっていたが、スポットライトを浴びた瞬間、鋼のように強く、美しく輝いた。 バンドが、あの哀しい三拍子のメロディを奏で始める。 彼女がマイクを握り、息を吸い込んだ瞬間、店の空気が変わった。 そこにはもう、老いたクラブのママはいなかった。 ただ、愛する男の名を叫ぶ、恋する少女の魂だけが、煙たい空気を震わせていた)
(※1)オキナ特別行政区 人口約650万人。1945年の沖縄戦を経て米軍の直接統治下(琉球軍政)に置かれたことで、焦土化した本土とは異なる法体系と通貨圏が形成され、早期のインフラ復旧が進んだ。現在はUSFとニホン国防軍(NDF)が共同駐留する巨大な要塞島であり、海上に増設された軍民人工島群「フォートライン・プロジェクト」により、軍事・医療・教育のハブ機能を有する。「ニホンで見かけ上もっとも安全な街」と呼ばれるが、その平和は高密度の監視と軍事力によって維持されている。
(※2) アーリー・タイムズ ケンタッキー州産のバーボン・ウイスキー。安価で手に入りやすいため、米軍基地周辺のバーで広く愛飲された。ローズにとっては、華やかさと虚しさが同居していた「あの頃」の味そのものである。
(※3) テネシー・ワルツ(Tennessee Waltz) 1950年にパティ・ペイジが歌い大ヒットしたカントリー・ソング。当時のオキナワでは、米軍放送(FEN)を通じて頻繁に流され、占領下の「音の原風景」となっていた。ローズにとってこの曲は、愛する人との思い出であり、同時に「奪われた」喪失の象徴でもある。
(※5) 台湾の人材募集 1950年代初頭、国家建設を急ぐ台湾暫定行政庁(TPA)が、ニホン各地の難民キャンプで行った大規模なリクルーティング。「高度技能保持者」のみを選別し、家族の帯同にも厳しい制限を設けたこの政策は、多くの家族を引き裂き、オキナワに「選ばれなかった人々」の澱(おり)を残す原因となった。
文・ナガセ・メイ (Mei Nagase) 台湾・高雄出身。国立成功大学社会科学部卒。日台言語・文化財保存協定(KIOKU)のアーカイブ調査員を経て、『Common Tide』編集デスク兼ライターに。ニッケイ3世の視点から、港湾都市の「隙間」にある生活と食文化を記録する。オールド・ヒロ在住。週3で屋台に通うハオシャオ愛好家。
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