Ep.7 —魂のチューニング、鋼鉄のフルハウス

ナガスポ特別行政区・セボ区 義肢制作所「トン・ラボ」

語り手:アリサラ・トン(45歳 / 義肢装具士 / タイ系ニホニーズ)


その場所は、地図アプリ上では「重機械修理工場」として登録されていたが、一歩足を踏み入れれば、そこが「人間」を修理する場所であることが痛いほど理解できた。


ナガスポ特別行政区、セボ区(※1)。 かつての造船ドックを埋め立てて作られたこのエリアは、常に重低音で振動している。 巨大なプレス機の衝撃音、アーク溶接のスパーク音、そして港湾を行き交う重トレーラーの地響き。 湿度は90パーセントを超え、空気は重油と潮風と、どこかの食堂から漂うヌクマムの匂いで飽和している。


「トン・ラボ」の分厚い防音扉を押し開けると、外界の工業的ノイズは遮断され、代わりに別の種類の「熱」が鼓膜を叩いた。 疾走感あふれるジャズ・ギター。 ウェス・モンゴメリー(※2)のライブ盤『Full House』だ。 大音量のスピーカーから流れるその音は、観客のざわめきとグラスがぶつかる音まで鮮明に再生しており、まるで1962年のバークレーにあるジャズクラブにタイムスリップしたような錯覚を覚えさせる。


広大な倉庫の天井には、戦前から残る錆びついた天井クレーンが鎮座している。 床には、人間の腕や脚の形をした金属骨格、複雑な電子回路が露出したシリコンスキン、そして軍用グレードのサーボモーターが無造作に、しかしある種の美学を持って転がっていた。 部屋の空気は、ハンダの鋭い匂いと、伽羅(きゃら)のような甘く重いお香の煙が混ざり合い、奇妙な神聖さを醸し出している。


作業台の奥で、一人の女性が拡大鏡付きのゴーグルを跳ね上げた。 アリサラ・トン。45歳。 小柄で引き締まった体躯は、油汚れのついたタンクトップに包まれている。 その褐色の二の腕には、極彩色のタトゥー——タイの伝統的な護符『サクヤン(※3)』——が彫り込まれており、彼女が動くたびに、筋肉の隆起に合わせて虎や仏塔が生き物のように蠢いた。


彼女は私が差し出した名刺を見もせずに、作業台の上の精密ドライバーを置いた。


「最初の身体は神様がくれる。でも、アップグレード版をあげるのはアタシだよ。安心して、アタシのは保証書付きだからね」


彼女はハスキーな声でそう言うと、ニヤリと笑った。その歯の一本が、金歯として鈍く光る。


「ようこそ、ナガセさん。ここは『病院』じゃないよ。『ピット(整備場)』だ。そこにあるジャスミンティー、勝手に飲んでくれ。淹れたてだが、カップにマシンオイルが付いてるかもしれないから、縁を拭いてからな」


私は言われた通りに、工業用ペーパータオルでマグカップを拭った。熱い茶を一口すすると、ジャスミンの香りが鼻腔を抜ける。


「アタシの仕事? 見ての通りさ。『義肢装具士』兼『サイバネティクス・チューナー』。NDFやMCNで手足を失った連中に、新しいパーツをあてがう仕事だよ」


彼女は顎で部屋の隅をしゃくった。そこには、NDFの制式採用義足が入ったコンテナが山積みになっている。


「この国は戦争が大好きだからね。おかげでアタシの仕事はなくならない。ここナガスポは、ニホンの『手足』を作る街だ。軍艦も、戦車も、そして兵士の義手も、みんなこの煤煙の下で作られる。ここには、ニホンが関わった全ての『痛み』が、ベルトコンベアに乗って運び込まれてくるんだ」


彼女の言葉には、皮肉と同時に、職人特有の諦念と誇りが入り混じっていた。


「……で? 今日は『いい話』を聞きたいって? 珍しいね。あんたみたいなライターは、たいてい悲惨な戦争の傷跡を見て、『ああ、なんて酷い』って顔をしかめるために来るのに」


彼女は作業用の椅子に座り直し、火のついた煙草を灰皿に押し付けた。


「……そうだね。それなら、あいつの話をしようか。レオの話だ。アタシが作った中で、最も手のかかった、そして世界で一番美しい音を出す『右腕』の話さ」


右腕をなくしたギタリスト

(アリサラは、作業台のホログラム・モニターを操作し、一枚のカルテを表示させる。添付された写真には、長身のアフリカ系ニホニーズの青年が写っている。病室のベッドで虚ろな目をしている彼の右肩から先は、包帯で覆われ、不自然に途切れていた)


レオ・ヴァンス。当時22歳。 彼は第9外征軍団(※4)の歩兵だった。 アフリカ系移民の三世で、ウサカの裏路地にあるジャズクラブに入り浸っていた青年だ。 彼が入隊した理由は奨学金と少しの冒険心。そして「いい楽器を買う金が欲しかった」。よくある話さ。ニホンの若者の半分は、そんな理由で銃を取る。


2019年、東アフリカ沿岸での港湾警備任務中だった。 当時のニュース映像、あんたも見たことあるだろう? 民兵組織が使った自爆ドローン。安物のFPVドローンにC4をくくりつけただけの、空飛ぶ即席爆弾だ。 警備中のコンボイに、それが蚊のような音を立てて突っ込んできた。


レオはとっさに、右腕で顔を庇った。 脊髄反射だ。人間は誰でもそうする。 命は助かった。顔も無事だった。 だが、爆圧と破片は、彼の右腕を肩の関節ごと食いちぎった。


彼がここに送られてきた時、彼は廃人同然だったよ。 目は死んでいて、口もきかない。 食事も摂らず、ただ窓の外の海を一日中眺めていた。 NEXISの障害等級判定は『グレード2』。支給される義手は『M-Type 4』。 いわゆる「Cランク義手」だ。 生活には困らない。スプーンも持てるし、トイレも行ける。 だが、モーター音が電動ドリルみたいにうるさくて、動きがカクカクする作業用のやつだ。繊細さの欠片もない。


アタシがそれを装着しようとした時、彼は初めて感情を見せた。 拒絶だ。


『いらない』 『レオ、これがないと生活できないよ。リハビリを始めないと……』 『いらない! 俺の手はギターを弾くための手だ!』


彼は叫んだ。残った左手でサイドテーブルを薙ぎ払った。


『こんなフックじゃ、弦の感触が分からない! 俺はウェス・モンゴメリーになりたかったんだ! 親指一本で、あの音を出したかったんだ! なのに……これじゃただの鉄屑じゃないか!』


アタシは彼を見た。 190センチ近い巨体が、子供のように震えていた。 ギター弾きにとって、右腕は単なる器官じゃない。「声」だ。 リズムを刻み、弦を弾き、感情を乗せるための筆だ。 それを失った彼は、歌手が喉を潰されたのと同じだった。 絶望。喪失。そして、音楽のない未来への恐怖。


アタシはため息をついて、彼に言ったよ。


「おい、デカブツ。泣くのは後にな。アタシは神様じゃないから、生身の腕は返せない。失くしたモンは戻らない。それは確定事項だ」


彼は睨み返してきた。その目に、怒りの色が宿った。いい傾向だ。無関心よりずっとマシだ。


「でもな、ここはナガスポだ。世界一の工場街だ。お前が望むなら、そして痛みに耐える根性があるなら、『ウェス以上の親指』を作ってやることはできるかもしれない」


ベルベットの親指

(アリサラは立ち上がり、棚から古いレコードジャケットを取り出す。ウェス・モンゴメリーが、太い親指で優しくギターを抱えている写真だ。ジャケットの角は擦り切れ、長年愛聴されてきたことがわかる)


あんた、ウェス・モンゴメリーの演奏スタイルを知ってるかい? 伝説的なジャズ・ギタリストだ。 彼はピックを使わなかった。親指の腹(肉)だけで弦を弾いたんだ。 ピックで弾くと「パキッ」という鋭いアタック音が出るが、親指の肉で弾くと違う。 音、丸くて、柔らかくて、温かい。 ベルベットのような音色だ。 そして、彼はその親指一本で、信じられない速さのソロや、二つの音を同時に鳴らす「オクターブ奏法」を弾きこなした。


レオが求めていたのは、機能じゃない。その「肉の感触」だった。 従来の義手は、硬いプラスチックかカーボン、あるいは金属製だ。 弦を弾くと「カチッ」「キンッ」という硬質なノイズが混じる。 それに、軍用義手の握力は強すぎる。うっかり力を入れれば、高価なギターのボディをバキバキに砕いちまう。 かといって、弱くすれば弦の張力に負ける。


アタシは燃えたね。 これは医療の問題じゃない。「音響工学」と「素材工学」の問題だ。 アタシはツテを使って、NDFの兵器廃棄場に潜り込んだ。 賄賂? まあ、いくつかの「借り」を使ったよ。 そこから、最新鋭の爆発物処理ロボットのマニピュレーターをくすねてきた。 信管を抜くための、卵を割らずに掴めるほどの高精度な感圧センサーと、ミリ秒単位で反応する超小型のアクチュエーターだ。


だが、一番苦労したのは機械部分じゃない。「親指の皮膚」だ。 硬すぎれば音が死ぬ。柔らかすぎれば、スチール弦との摩擦ですぐに破れる。 アタシはあんたと同じような顔をした、旧本土系のゴム職人の爺さんを訪ねたよ。 ヨシオっていう、偏屈なジジイだ。普段は漁船のエンジンパッキンを作ってる。


『最高の人肌シリコンを作ってくれ。何万回弦を弾いても摩耗せず、かつ赤ちゃんの頬っぺたみたいに柔らかくて、弦を離す瞬間の“粘り”があるやつを』


爺さんは呆れてたよ。『兵隊の腕か? それともあっちのオモチャか?』ってね。 『バカ言え、ジャズマンの魂だ』と言ったら、爺さんの目が変わった。 一週間後、彼は完璧な素材を持ってきてくれた。 特殊なゲルを封入した、多層構造の弾力性人工皮膚だ。 表面はさらりとしているのに、圧力をかけると適度に沈み込み、弦をグリップする。


アタシはそれを、つや消しブラックのカーボン骨格に被せた。 見た目は、少し無骨な機械の腕だ。手首から先は回転機構がついている。 だが、その親指の先だけは、生々しいほどに人間的な、いや人間以上の弾力と温かみを持っていた。


魂のチューニング

(アリサラは、工具箱から奇妙な形をした義手の試作パーツを取り出す。親指部分だけが異様に発達し、関節が一つ多く増設されている)


1ヶ月後、アタシはレオにその試作品を装着させた。 神経接続(ニューラル・リンク)の調整(チューニング)には時間がかかった。 切断面の神経終末に電極を接続し、脳の信号を機械語に翻訳する。


「痛いか?」 『いや……くすぐったい。指先に血が通っているみたいだ。……熱いお湯の中に手を入れているような感じがする』 「よし、ファントム・センセーション(幻影肢)との同期は完了だ」


アタシは彼に、アタシの私物のフルアコを渡した。 ギブソン L-5 CES。ウェスが愛用していたのと同じモデルだ。 工場の家賃3ヶ月分くらいの値段がする虎の子だよ。


レオは震える左手でネックを握り、そして右手の義手を構えた。 最初は酷いもんだった。 力加減が分からず、弦を引きちぎったり、ピックガードをガリガリと削ってしまったり。 モーターの反応速度(レイテンシ)が、彼のリズム感とコンマ数秒ズレていたんだ。 脳が「弾け」と命じてから、実際に指が動くまでの微細なラグ。 普通の生活なら気にならないズレだが、ジャズの16ビートにおいて、それは致命的な「もたつき」になる。


彼は何度も叫んで、ギターを投げ出そうとした。 『違う! 俺の音じゃない! 機械が勝手に動いてるだけだ! 音が遅れて聞こえる!』 汗だくになって、涙を流して、彼は義手を外そうともがいた。


アタシは彼を怒鳴りつけた。 「当たり前だ! 甘えるな! それはお前の体じゃない、道具だ! 車を運転する時だって、アクセルの踏み加減を覚えるだろう? これは『リハビリ』じゃない。『操縦訓練』なんだよ! 脳みそを機械の速度に合わせろ!」


それから、地獄のセッションが始まった。 彼は毎日ここに来て、ひたすら開放弦を弾き続けた。 ボン、ボン、ボン……。 単調な音が、何時間も響く。 その音に合わせて、アタシがプログラムを書き換える。 『もっと柔らかく』 『リリースの反応を0.01秒速く』 『ビブラートの振動を拾え』 『親指の角度、マイナス3度補正』


アタシはタイの仏教徒だけど、あの時の私たちは、まるで祈りを捧げる修行僧みたいだったと思うよ。 油と汗と、焦げた回路の匂いにまみれて、ただ一つの「理想の音」を追い求めた。 外では雨季のスコールがトタン屋根を叩いていたが、アタシたちの耳にはギターの音しか入らなかった。


ある深夜のことだ。 気が遠くなるような調整の後、彼がふと、何気なくコードを抑えた。 そして、ウェスの名曲『I've Grown Accustomed to Her Face(彼女の顔に慣れてきた)』のイントロを弾き始めた。 映画『マイ・フェア・レディ』の挿入歌。静かな、美しいバラードだ。


アタシの手が、キーボードの上で止まった。 聞こえてきたのは、金属的なノイズじゃない。 太くて、甘くて、少しだけ寂しい、あの「肉声」のような音だった。 義手の親指が弦を撫でるたびに、空気が震え、湿度を帯びた音が空間を満たしていく。 機械の正確さと、人間の揺らぎが奇跡的に融合していた。


弾き終わった時、レオは泣いていた。 大粒の涙が義手の露出したセンサー回路に落ちて、ショートしないかヒヤヒヤしたけどね。


『……ありがとう、ドク(先生)。聞こえたよ。俺の音が』


彼の声は震えていた。失われた右腕が、音楽となって帰ってきた瞬間だった。 アタシはニヤリと笑って、煙草に火をつけた。


「礼には及ばないさ。……ただし、メンテナンス料は高くつくよ。出世払いで頼むぜ」


鋼鉄のフルハウス

(アリサラはPCを操作し、最近撮影されたライブ映像を再生する。画面の中は、熱気溢れるライブハウスだ。ステージの奥には『The Velvet Thumb』というバンド名のネオンサインが青く輝いている)


今、レオはどうしてると思う? NDFは除隊になった。当然だ、片腕がない歩兵なんて使い物にならないし、もう彼に銃を握る気なんてさらさらない。 彼は今、ヨロズにある老舗ジャズクラブ『The Boiler Room』の専属ギタリストだ。


『The Boiler Room』は、名前の通り、かつて造船所のボイラー室だった場所を改装した店だ。 狭くて、天井には配管が剥き出しで、年中暑くて、酒と汗とタバコの匂いがする。 クレーの洒落たバーとは違う。ここは労働者と、ならず者と、兵士たちの吹き溜まりだ。


でも今、その店は毎晩「Full House(満員御礼)」だ。 客のお目当ては、レオ・ヴァンス率いるトリオ『The Velvet Thumb(ベルベット・サム)』の演奏さ。


彼のステージは凄いよ。 スポットライトの下、彼の右腕——カーボンブラックの義手——が鈍く光る。 隠そうともしない。袖を捲り上げて、その機械の腕を誇示している。 最初は客もギョッとするさ。「なんだあの腕は」ってね。 でも、ひとたび演奏が始まると、客は義手のことなんて忘れる。いや、義手だからこそ出せる音に酔いしれる。


彼の親指が弦を撫でるたびに、魔法がかかるんだ。 彼の十八番は、もちろんウェスの『Full House』。 アップテンポのワルツだ。 義手の指は疲れない。汗で滑ることもない。正確無比なピッチで、どこまでも速く、そして優しく歌う。 オクターブ奏法でメロディを奏でると、まるで二人分のギターが鳴っているように聞こえる。 そして、ソロのクライマックス。 彼は義手の出力リミッターを解除する。サーボモーターが微かに唸りを上げる。 人間には不可能な速度のトリル。機械的な連打音と、感情的なチョーキングが混ざり合う。


客たちは熱狂して叫ぶんだ。 「Shao!(やれ!)」 「Burn it up!(燃やせ!)」 NDFのスラングと、ジャズのスラングが飛び交う。


この前、久しぶりにライブに行ってきたんだ。 最前列で見てたら、彼が曲間のMCで客席に向かって言ったんだよ。


『今日の俺の手札(Hand)を見てくれ』


彼は義手の右腕を掲げた。


『失った右腕。その代わりに手に入れた最高の義手。最高のメンバー。そして、満員の客席(Full House)。 ……俺は人生で一番、強いカード(Hand)を持ってるぜ』


そして、彼はアタシの方を見て、ニカっと笑ってから、激しいソロを弾き始めた。 アタシが調整したサーボモーターが唸りを上げて、弦の上を踊る。 ……あいつ、アタシが苦労して調整した限界値ギリギリで回しやがって。 熱暴走したらどうするんだ、って冷や汗かきながら、アタシはリズムに合わせてステップを踏んだよ。


金継ぎの国

(アリサラは新しいお香を焚く。煙がゆらゆらと立ち上り、天井クレーンの錆びた鉄骨に吸い込まれていく。BGMの『Full House』はクライマックスを迎え、割れんばかりの拍手がスピーカーから溢れる)


ナガセさん。 「金継ぎ(※5)」って知ってるかい? 古い日本の技術だ。割れた茶碗を、漆と金粉で繋ぎ合わせる。 傷を隠すんじゃなくて、傷を「景色」として美しく見せるんだ。 壊れる前よりも、もっと価値のあるものとして蘇らせる。


この国——ニホンは、まさにそれだと思うんだよ。 タイ系の私がいて、アフリカ系のレオがいて、ゴム職人の旧本土系の爺さんがいる。 みんな何かしら失っている。故郷を、家族を、言葉を、あるいは身体の一部を。 傷だらけで、継ぎ接ぎだらけで、ここに流れ着いた。


でもね、私たちはその傷を隠さない。 こうやって、技術と、音楽と、少しの意地で繋ぎ合わせて、「新しい形」を作るんだ。 レオの演奏は、まさに「金継ぎ」だ。 彼の失った腕は戻らない。その喪失は永遠だ。 でも、その欠損(穴)に、最新のテクノロジーと、アタシたちの執念と、彼自身の情熱(ソウル)を流し込んで、前よりも美しい音楽を奏でている。 生身の腕より重いし、冷たいし、メンテナンスも面倒だ。 でも、だからこそ、その音は人の心を打つんだと、アタシは思うんだ。


(その時、工房の重い防音扉がノックされ、松葉杖をついた若い兵士が入ってきた。 まだ10代に見える。腕には「第10外征軍団(10EC)」のワッペン。インドシナの泥沼から帰ってきたばかりの帰還兵だ。 右足の膝から下がなく、仮の義足を引きずっている。 彼は不安そうに、壁に貼られたレオのライブポスターを見上げている)


おっと、次の「パイロット」が来たようだ。 彼は足を吹き飛ばされたらしい。 でも見なよ。あの目。 「また走りたい」って顔をしてる。絶望の底で、まだ何かを掴もうとしている目だ。 いい目だ。修理のしがいがある。


――最後に、あなたにとって「希望」とは何ですか?


(アリサラはゴーグルを装着し、はんだごてを握り直した。 その顔は、冷徹なエンジニアのそれであり、同時に、傷ついた子供を見守る母親のような慈愛に満ちていた)


希望? そんな大層なもんじゃないよ。詩人が語るような美しい言葉なんて、この街には似合わない。 ここにあるのは「修理可能」。それだけだ。


人間は壊れる。心も体も、あっけなく壊れる。 爆弾一つで、人生はバラバラになる。 でも、適切なパーツと、諦めないエンジニアがいれば、必ず直せる。 元通りにはならなくても、もっと強くて、もっと面白い形になれる。


「失った」ってことは、「新しい機能をつけるスペースが空いた」ってことさ。 レオを見なよ。あいつは腕をなくして、満員の客席(Full House)を手に入れた。 悪くない取引だろ?


アタシがいる限り、この国の連中をただのスクラップにはさせないよ。 どんなに粉々になっても、必ず金粉で継いで、最高の作品にしてやる。


さあ、仕事だ。 次のセッションを始めなきゃならないからね。


(彼女はハンダごてを当てた。ジュッという音と共に、白い煙が立ち上る。 それは、傷口を焼く音のようでもあり、新しい回路が呼吸を始める産声のようでもあった)


(※1) ナガスポ特別行政区(Nagaspo SAD) 旧長崎市・旧佐世保市・大村湾岸を統合再編した特別行政区。造船・軍需産業・サイバネティクス医療が密集する「ニホンの工場」であり、NDFおよび米海軍の重要拠点が置かれている。急峻な斜面にへばりつく住宅群と、湾岸の巨大ドックが織りなす景観から「鉄の群島(Iron Archipelago)」とも呼ばれ、街全体が常に重油と潮の匂いに包まれている。


(※2) ウェス・モンゴメリー(Wes Montgomery) 実在のジャズ・ギタリスト(1923-1968)。ピックを使わず、親指の腹だけで弦を弾く独特の奏法(オクターブ奏法など)で知られる。その丸く温かみのある音色(トーン)は、硬質で冷たい義手においては再現不可能な「人間性の極致」とされており、レオにとっては技術的な到達目標であると同時に、失われた肉体への憧憬の象徴となっている。


(※3) サクヤン(Sak Yant) タイの伝統的な護符刺青。僧侶や呪術師によって幾何学模様や動物の図柄が彫られ、魔除けや物理的な加護(刃物が通らない、銃弾を弾くなど)の意味を持つ。アリサラにとっては自身のルーツを示す意匠であると同時に、人体を改造して機能を拡張するという意味で、サイバネティクス技術と地続きの信仰となっている。


(※4) 第9外征軍団(9EC) NDFの遠征部隊の一つ。アフリカ東岸からインド洋にかけてのシーレーン防衛(SLOC防衛)を主任務とする。海賊対処から武装勢力との非対称戦闘までをこなし、ドローン攻撃やIED(即席爆発装置)による四肢欠損率が全軍団の中で最も高い部隊の一つ。そのため、ナガスポには9EC帰還兵のための専門リハビリ施設が多く存在する。


(※5) 金継ぎ 割れた陶磁器を漆で接着し、継ぎ目を金粉などで装飾して仕上げる日本の伝統修復技法。破損を隠蔽するのではなく、傷を歴史として尊び、以前よりも美しい「景色」として昇華させる哲学。


プロフィール ナガセ・メイ (Mei Nagase) 台湾・高雄出身。国立成功大学社会科学部卒。日台言語・文化財保存協定(KIOKU)のアーカイブ調査員を経て、『Common Tide』編集デスク兼ライターに。ニッケイ3世の視点から、港湾都市の「隙間」にある生活と食文化を記録する。オールド・ヒロ在住。週3で屋台に通うハオシャオ愛好家。

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