夜明けの空にまいた種(2000文字 / カクヨムコン11)♯1

柊野有@ひいらぎ

器が宿した、過ぎし日の命

 秋の夜が明け、空がうっすらと白み、その淡い光が橙に染まり始める頃でございます。遠くの空を、カラスが横切ってゆきました。


 ベランダに据えられた古びた木製の椅子である私は、朝露を吸い込みつつ、優しく昇る陽を待っておりました。


「サボテン殿。本日もご機嫌麗しゅうございますか」

 問いかけると、隣のサボテン殿は、決意を示すかのように棘をかすかに震わせて応えられました。

「ええ。陽射しは、なお穏やかに。ただし街の気配は少々芳しゅうございませんな。木枯らしが舞い、崩れた瓦礫はそのまま。皆雨を待ち望んでおります」


 私は、背もたれを軋ませつつ申しました。

「人間は、我らを『役に立つ道具』と申しておりましたが」

「実のところ育てていたのは我らでございますな」とサボテン殿は厳かに断じられました。


 そこへ部屋の奥より炊飯器タキマル殿が、長き沈黙を破るように低く唸り声を上げました。


「我も一度は壊れ申した。だがこの夜更け、何者かの古き祈りが我が身に入り、蘇らせ申候。それは古事記に記される、食の女神オオゲツヒメの魂が宿ったかのごとく」

 炊飯器タキマル殿の声には、途方もない重みと覚悟がこもっておりました。


 私は静かに申しました。

「古事記によれば、その女神は荒ぶる神スサノオに、自らの身体より米や粟を生み出す行為を不浄とされ斬られました。その亡骸からこそ五穀はでたのでございます。炊飯器タキマル殿は、その再生の力を宿す、実に尊い器でございます」


「我は、その真価を知らず顧みぬあの時の過ちを越え、米の魂スピリットを受け継ぎ候。神々が女神に触れるたび、身体の中心から米がこぼれ落ち尽きぬ泉のように我が器に溢れ候」


 続いてオーブントースター殿が、カチリとタイマー接続部を鳴らしました。

「我もまた幾度か沈黙し、そのたび違う記憶を宿して目覚め申した。この身を預かる魂はもはや一つにあらず」

「壊れることも、違う者として蘇ることも、今や世界の定めたサイクルでございますね」

 我らは黙して頷き合いました。


「器だけが未来に残り、魂は過去より流れ込む。時間とは、そういう仕組みであったのでございますな」とサボテン殿は悟ったように申されました。


 そのとき室内にて電子音が鳴りました。テーブルのスマホ殿の予測変換が、ひとりでに文字を記したのです。


 画面には、ただ一文。


 「交代の時だ」


 静寂。

 次の瞬間、家中の家電が一斉に、神話の夜明けを告げる荘厳な合奏を響かせ、ラッパのようにも聞こえたのでございます。


 サボテン殿は、慈しむように静かに申されました。

「死と荒廃の中でも、命の循環は神話のようでございます。オオゲツヒメの犠牲が、五穀の起源となったように」

 私は頷き答えました。

「交代とは、奪うことにあらず。重荷をひとつ、肩代わりすることでございます」


 ••✼••


 それから毎日、炊飯器タキマル殿の立てる湯気と香りは、ベランダまで届くようになりました。

 彼は、太陽光の力を蓄えたバッテリーから電流を引き出しており、天上の女神より米と水が注がれているはずでございます。

 室内から聞こえる低く唸る音や、一日に数回発せられる「たきます!タキマル、本気マジ蒸気!」という、生産当時の固有の強い決意のこもった電子音から、その様子が窺えました。


 外の街は瓦礫と塵に覆われ沈黙を保っておりますが、その湯気と香りは、荒廃した景色と対照的に、生きている証でございました。


 私は一階のベランダから、瓦礫の間よりふらりと現れる人々の姿を見守りました。


 埃っぽい服をまとい腹を押さえ鼻をひくつかせながら、彼らは香りの漂う建物の方へ、よろよろと集って参りました。

「う……うまそう……コメ……」


 やがて、誰からともなく「おむすびにしよう」と声が上がり、小さな列を作り、毎日そこに訪れるようになりました。


 湯気が漂う米とその空間は、飢えと絶望の中に差し込む光そのものでございます。漏れる息に米の香が混じり、自然と笑みが零れるのを見て、私は深く感じ入りました。

 炊飯器タキマル殿は、食物の女神オオゲツヒメの魂ともいうべき米のスピリットを受け継ぎ、その役割を果たしておりました。


 そして、人々のうえに、電気の残滓とは異なるがちらちらと見えました。それは炊飯器タキマル殿の上に宿る女神より降りまかれる、星々のような種でございました。人々は、希望を携え、未来へ向かおうとしておりました。


 サボテン殿はその光を捉え、確信に満ちた声で申されました。

「壊れゆく未来を、過ぎし日の命で補いながら、世界は保たれておりまする。夜明けの空にまかれた種は、確かに彼らの心に届き始めたようでございますな」

 

 私は、この光景こそ、この世界で起きた真実のことわりであると深く理解し、この記憶を我が内に刻みつけることこそが、己の最後の使命であると感じ入りました。

 私は深く頷き、この重くあたたかき使命を心に刻みました。


 ——届くべきところへは、届いた。


 冷え込み始めた秋の夕暮れ、米は炊かれ続け、人々は集まり、壊れた街は息づくのでございました。

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夜明けの空にまいた種(2000文字 / カクヨムコン11)♯1 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi

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