18.宵

 冷たい風が夜の街を吹き抜けていた。

 建造物に反響し、呪詛にも似た風鳴りが宵の闇に溶ける。


 害雷おとこの鋭い舌打ちが、高層の希薄な空気にこだました。


 ――男は昔から狩りが好きだった。


 だが、男に嗜虐趣味しぎゃくしゅみがある訳では無い。

 獲物の一挙手一投足を監視し分析し、初発から一発ごとに計略通り獲物を追い詰める。

 

 その工程は瞬発的な才能よりも、反復された日頃の訓練が物を言う。

 繰り返しの反復を経て体が覚えた停留条件どうさ。それはいついかなるときも男を最善の選択へと導く。


 それだけが昔から男が信頼するものだった。


 戦場にある男を、唯一裏切らないものだった。



 指を伝う硬質な狙撃銃ライフルの感触が男の神経を鋭敏にした。耳を凝らせば、物陰に身を潜めた2人の浅い息遣いが垣間見える。

 男は聴覚きゅうかくに身を委ねた。


 獲物までの弾道を遮るように連立する建造物――。


「隔てる壁は5枚といったところか……」

 

 30口径の弾丸で弾道を確保するには、貫通力が足りない。男は傍らに放置した、重量級の銃に切り替えた。40口径の狙撃銃。厚い壁を貫くにはやや威力が足りないが――。


「問題ない。威力よりも連射が優先――40口径で事足りる」


 男は鼻歌を唄う。聴覚以外の感覚を断ち、街の構造に耳を澄ませる。


 風が止み、男もまた歌を止めた。

 弾道を遮る5枚の石壁――空洞を抱いたその構造が露わになる。


「3弾あれば足りるだろう――」


 男の小さな呟きは風に溶け、熱に揺らめいた。

 長年の鍛錬で皮膚が硬くなった人差し指が、静かに引き金に触れる。その感触が狩人の感覚を研ぎ澄ませた。


 ずれる音を察したのか、米粒ほどに小さな亡霊こぞうの影が立て続けに音を立てた。先程から繰り返し発する意味不明な音階ノイズは、恐らくは少女との暗号か何かだろう。


「無駄なあがきだ」


 あえて、声で言葉を発すれば、こちらの声が聞こえたらしい。亡霊が僅かに身動きを止めた。


 ――再び風が吹き始め、男の古傷を刺激する。

 男は見えない視界を研ぎ澄ませた。

 同時に、亡霊の反響映かげが身を翻し、走り出す。


 立ち去る亡霊。一方で、少女の影は動かない。


 男は再度舌打ちをした。

 企みまでは分からないが、亡霊こぞうが居なくなったのは丁度いい。

 

 ――隙を晒す前に、弾圧する。


 男は再び鼻歌を唄った。




 ◇




 風が止む。

 ヨウは握りしめた球形の装置ガジェットにドライバーを刺し、ネジを締めた。調整を終えた装置ガジェットを手際よく胸ポケットにしまう。

 冷たい夜風が指先を冷やし、焦りと不安で手が震えた。


 ハクはいない。先ほど別れたばかりだった。


 込み上げる不安を紛らわせるように、地図を開き、ヨウは思考を回した。


「大丈夫」


 言い聞かせるような一言に、不安が僅かに鳴りを潜めた。


 大丈夫――。


 音にならないその言葉はまるで暗示だ。

 ヨウは大きく息を吸い、僅かな時間目を閉じた。



『相手の居場所を把握しよう』


 ハクの心地いい声が思考を占める。彼の広い背中が視界を遮る。風が吹き、柔らかいケヤキの匂いが充満している。


「どうするの?」


『迎え撃つ』


 シリンダーを開けながら平然と吐き捨てるハクの声に、ヨウはただ聞き入っていた。

 ハクは弾を装填し終えると、浅く息を吸い込んだ。


 無言の緊張――。

 始終しかめられた彼の眉が、事の切迫さを伝えている。

 ヨウが喉を鳴らすと、ハクが破顔し背負っていた鞄を手渡した。


『使える物はあるか? 気休め程度にはなるだろう』


 手渡された大きな鞄の中には、種々の薬莢やっきょうと小ぶりな装置が丁寧に収納されていた。ヨウの右手がその中身をなぞり上げ、一つの機器の上で止まる。


「ハク、これ――」

 ヨウが言い終わらない内に、ハクが首を振った。


『使い方が分からない』


「私、知ってる」

 ハクの言葉に噛みつくように、反射的に返答すると、嫌な予感がしたらしい。ハクの表情が少し歪んだ。


『ハク。私に作戦があるんだけど』


 ヨウは無視して言葉を続けた。


 鞄に収納された球形の装置――その設計は見覚えのある物だった。ヨウは少し考え込み、言葉を選ぶ。


『音を装置――これがあれば、音響測位スコープから姿を眩ませられる』


 


 ――宵の風が体を晒し、意識が現実へと引き戻された。ヨウの手は微調整を終えた硬質な機器の重さを認識していた。


 その場にはヨウ、一人だけが取り残されている。


 近辺で揺らめく街灯の明りが、周囲を柑橘オレンジ色に染め上げる。



 ヨウは銃撃戦の経験がほとんどない。それでも分かることが一つある。

 ほとんどの場合、居場所が知られれば不利になる。意表を突かれれば命取り。


 勝算があるとすれば――小さな隙。その隙を作るための技術と人数。


 数の有利と、地の利ちずを活かす。


 ヨウは左手で握りしめた地図を開き、そこに詳細に書き込まれた街の構造を記憶する。胸ポケットに仕舞い込んだ機器ガジェットを触り、その存在を噛み締めた。



 照準を引き付けながら、害雷てきの位置を特定する――それが今、ヨウに出来る最善だ。



 害雷の射程は3000レゾンm。地図から読み取れる狙撃場所スポットはおよそ10カ所。距離が分かれば、8割方、害雷の位置を特定できる。


 ヨウは何度かその場で跳ねて、呼吸を整えた。


(――ハクに私の価値を証明する)


 これは窮地であり、同時に好機――ハクの認識を改めさせる絶好の機会。

 ヨウは再び強く手を握りしめ、覚悟を決める。胸を上下させ、足と腹筋に力を入れた。



 胸ポケットにしまった装置の電源を入れる――それはは、反響核コア弾が発する特殊な音波を拾う装置だ。


 音波を解析し、狙撃者までのを測定できる。



 問題は精度。

 拾う音が遠ければ遠い程、その精度は指数関数的に小さくなる。下手をすれば勝機を逃す。


 ――だから、精度を上げるための獲物わたし


 計画は単純。反響核コア弾の音を拾い、装置で距離を測定し、害雷の位置を絞り込む。



 解析にかかる時間は30秒。その間、逃げ切れば勝機が掴める。


(――大丈夫)


 ヨウは再度、暗示をかけた。


 地面に置いた使い慣れない小ぶりな銃器を拾い上げ、構える。

 足を引き、後ずさる。

 壁から適度に距離を取った位置で、見えない狙撃手相手にヨウは声を張り上げた。


「来い、害雷! 私は逃げも隠れもしない」

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