16.害雷

 ――足が動きを止めていた。

 

 

 ハクの影が遠ざかる。

 遠くに見える路地裏は陽光に照らし出され、その空間をヨウの瞳が捉えていた。


 街道から木の枝みたいに幾重にも伸びる路地裏は、歪な建物に囲まれていて不気味だった。

 

 普通なら目も暮れない。


 けれど、はヨウの意識を引きつけた。その空間に溶け込むにはあまりにもな。


(どうしてこんなところに……)


 行き交う人々の隙間からちらちら覗く石造りの建物――その壁に赤いが塗られている。


 それはひどく歪で、けれど確かな言葉をかたどる。


 

 ヨウの脳はその記号が伝える伝言メッセージを受け取った。それは、他の誰でもない。彼女宛ての物だった。


 

【ヨウ・エルディア】



 不規則に並ぶ――しかし美しい輪郭を持った記号もじの羅列。それが彼女の名前を呼んだ。


 更に記号もじが言葉を綴る。

 その記号もじ列はヨウの思考を一瞬止める。


【君に今からある男が会いに行く.人見知りだが、よしなにしてくれ】


 少し先でヨウを呼ぶ声がした。聞き馴染みのあるハクの声。ゆっくり顔を回せば、ハクがこちらを向いて足を止めていた。


 彼の手がヨウを呼ぶ。

『早く行こう』と彼の口が言葉をかたどる。


 じんわりとヨウの手には汗が浮かんだ。視界がぐらつく。


(ハクはなぜ不機嫌なんだろうか……)




 ふとこぼれ出る疑問に、数時間前の隊員の声が重なった。

 

 ――吃音の男。

 

 視線を路地裏に戻せば、また赤い塗料に意識が呼び止められた。


【ああそうだ。男の名を伝えておこう】


 道は閑散としている。

 けれど、全く人が居ない訳では無い。

 

 一方で、その路地の前に立ち尽くす人はヨウ・エルディアただ一人。彼女以外のその記号もじの前に立ち止まらない。


 彼女だけがその

 

 【害雷がいらいという】

 

 害雷――それは10級の犯罪者。反乱軍の組員にして、そのライフルは狙った獲物を何人たりとも逃がさない。

 

 

 

 ――その名前に、光が止まり、時間が停止する。


 視界の中をチカチカと閃光が走り、思考は数日前の記憶を辿る。

 

 爆弾魔サイ・クラヴィス――金の弾丸ライフル。吃音の男。ハクの不機嫌。謎の


 

 そして「害雷がいらい」。

 

 

 額に小さな汗が湧き出し、嫌な予感を浮かびあがらせた。


 (ハクは何を恐れてたんだろうか……)

 ヨウはとっさに足を踏み出した。


 軽やかな音色の時刻放送ベルが鳴り、午後5時の訪れを知らせる。

 その音色に、遠くに見えるハクが少し煩わしそうに頭を揺すった。


 その仕草に――よぎる程度の違和感が、確かな造形かたちを持って這い上がる。


 乱雑なおとが整列し、不協和音を奏で始めた。


 日が沈み、闇が下りる。そうして音の死角を埋めるように点描のような淡いともしびがともり始める。


 彼がこちらを向いて立っていた。


「ハク!ごめん!はやく戻ろう」


 ヨウは声を絞り出し、歩幅を広げた。

 遠くに見える小さな人影に手を伸ばす。


 指の隙間から驚いた様子のハクの顔が視界に入る。



 その瞬間――彼の頬が引きつった。



 ――それが合図トリガー

 遠くで何かが光る。そんな予感。



 強い衝撃と共に、一瞬で視界が反転した。


 鼓膜を叩く破砕音。続き、強い衝撃が背中を貫いた。暗転する暗闇の中で、音が歪む。

 

 揺れた脳の衝撃でヨウの思考はぐるりと一周した。

 酔いが回った視界の中で、その恐怖が言葉かたちを成した。


 


 ◇

 

 

 ハクは通常よりが良い。おそらくは人より高い音まで聞こえるのだろう。

 

 そして今しがたハクの耳がソレを捉えた。それはヨウの耳では補足できない高周波のだ。


 もしも、吃音が単なるどもり声ではなく、意識的な音だとしたら? 視覚不自由者が稀に出す反響クリック音。


 つまり、反響定位エコーロケーション」。

 

 この國の狙撃銃ライフルには「」が使われる。


 それは誰にでも扱える代物ではなく、広範囲の反響定位エコーロケーションが使える「」だけが扱える。

 


 

 なぜなら――の人々は精密射撃に必要な平面図スコープのだから。



 ◇



 

 ――数秒前。

 

 ヨウ・エルディアが佇む路地からおよそ2500レゾンm離れた塔の上でライフルを構える男が一人。


 特殊構造のライフルは高周波の音色を醸し出す。その半径――およそ3000レゾンm


 風の音と街の構造、そして弾道。その全てを男のが補足する。

 

 高音の反響波が、一人の人間を確かに捉えた。

 とある建造物の前。不自然な位置で立ち止まる小柄な人影。


 そこでなければ立ち止まらない。


 

 顎を覆う無精ひげの隙間から、口元が覗く。その口角が僅かに上がった。


詰みだチェックメイト


 男の小さな呟きと共に空気を震わす破裂音が鼓膜を震わせた。


 男の愛用する


 その弾道は、を再び捕らえた。

 

 爆弾魔クラヴィスが仕留め損ねた【しろ】の少女だ。

 


 




【 ――害雷がいらい――


 ランク5.第10級犯罪者.

 性別男.年齢30代後半.


 歩く災害のいわれとなった人物.主に銃器の扱いに長け,最大有効射程距離はおよそ3000レゾンmだと言われる.


 常人が扱う銃器のおよそ十数倍の射程距離を誇る.

 男に狙われるが最後,落雷に遭うが如く絶命することが名の由来.


 ―――――――――――――― 】

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