15.吃音の男
駐屯所の室内の一角には、小さな木造の棚があった。ヨウの目線の高さに置かれた頭2つ分の大きさの棚だ。
リサに貰った銀製の鍵を回し、ヨウは両手でゆっくり扉を押し開けた。蝶番の軋む音と共に数百枚の
それを見たハクが呆れた声を出した。
ヨウが慌てて紙を拾うと、ハクも一緒になって集めてくれた。その中の一枚に「
ヨウがその紙を拾い上げると、ハクが隣から覗き込んだ。ヨウはとっさに身を引いた。
「それが
「う、うん……。『城下街 概略図』って書いてある」
「そうか」
ハクの視線は一瞬だけその紙の上を滑り、他の紙を拾い始めた。
ハクが集め終わった紙束をヨウに手渡すのと同時に、向こうの方でリサの驚いた声がした。
「
その声に、ハクが弾かれたように顔を上げた。
◇
どうやらこの数日間、
普通の人の2倍ほどの巨漢の持ち主らしく、その割に物腰は弱いという。左目は病気でも患ったのか、
――駐屯所の隊員が言っていた。
ヨウは「ふーん」としか思わなかったが、ハクはずっとその話を聞いてから機嫌が悪かった。
ハクに視線を移すと、ハクはずっと目を細めたままだった。
不機嫌と言うよりも張り詰めている――そういう雰囲気だった。
「その人はどうしてこの駐屯所に?」
不意に割って入ったハクの質問に、駐屯所の隊員は一度顔を見合わせると首を振った。
「大したことでは無いですよ? なんでも探し人がいるみたいで……ただ『自分は目が見えないから代わりに探してほしい』と」
「その探し人の特徴は?」
「いえ、なにぶん『盲目だから』と。――何やら声質について色々言われましたが、口で伝えられても我々には分かりません」
駐屯兵の言葉にハクは考え込んだまま顔を上げなかった。
◇
隣を歩くハクは相変わらず張り詰めている様子だった。
リサの押しに負けたヨウは、結局ハクと2人で巡回ルートを回っている。リサは「ライアさんからのお使いがある」と言ったきり、また見知らぬ駐屯所の隊員と話を始め、ヨウは渋々ハクを連れ出した。
2人で回るとは言っても、街中の10カ所程度を回って先ほどの駐屯所に戻るだけ。
大したことは無い――はずだ。
ヨウは地図に書かれた巡回ルートを確認し、周辺の音に耳を澄ませた。
中央の街道から少し外れた慣れない脇道は、少し別世界のように錯覚させる。加えて隣を歩く青年の姿にもまだ慣れない。ヨウは肺を大きく膨らませ、ゆっくりと息を吐き出した。
街路は人の往来が少なく、周りの音が良く聞こえる。
地図に書かれた音階と、腕に付けた
ヨウが地図を確認し顔を上げると、ハクが小さな声で耳打ちをした。
「ヨウ。巡回ルートはいい。それより早めに支部に戻ろう」
今日のハクは少しピリピリしている。ヨウは黙って地図に視線を落とした。
「駄目だよ。流石に今戻ったらリサにだってルートを確認してないってすぐにバレるよ」
一応は仕事の関係で街に来たのだから、リサを置いて勝手に帰る訳にもいかない。
ついでに、ほんの少し魔が差した。
(少し遠回りで行こうかな……)
「なら、なるべく近道して戻ろう」
ヨウの心の声に被せるようにハクの言葉が落ちた。ヨウがぎょっと振り向けば、ハクもヨウの反応に驚いたようで、軽く苦笑した。
その笑い声に合わせるように、小さな心臓が跳ねる音がした。
中央通りからほんの少し外れた街道には思いの他人が少ない。駐屯所で時間を潰したために、時刻は既に午後5時を迎えようとしていた。
ヨウは黙ってハクの隣を歩いていた。歩幅が大きいハクの足取りはゆっくりで、ヨウに歩調を合わせてくれていることが無意識に伝わる。
それは彼の優しさなのか、単にヨウが案内役だからなのかは分からない。生じた疑問を確かめるように、言葉が口から滑り出た。
「ハクは……どうして
ヨウの言葉に、呆れたようにハクが振り向く。またか……と言いた気な視線だった。
「駐屯所で話聞いてからずっと不機嫌だし、
「――お前には関係ない。心配するな」
「心配するなって、でも原因は私なんでしょ?」
ハクは一度目を細めると何も言わずまた歩き出した。
(どうして何も言ってくれないの……)
巡回
「次の場所が最後だな?」
ハクがヨウを見下ろした。その瞳は静かで、その静けさが、かえってヨウをむしゃくしゃさせる。
「あのさ、ハク……」
ハクが合わせる歩幅の大きさに、ふつふつと小さな疑問が沸き起こる。
「私もう、子供じゃないよ? 多少の技術だって身に付けたし、最低限の護身術だって使える」
ハクは少し苛立ちを隠しきれない様子でこちらを眺めていた。
口が勝手に言葉を作る。止まらない思いが葉を開き、小さな花を咲かせる。
「ハクが何に困っていて、どうしたいのか……言ってさえくれたら、私だって役に立てるよ」
少女の声に、ハクが言葉を咀嚼するように間を空けた。
青年の口が開く――。
「俺が困る――」
その言葉が、少女の花をしおれさせた。ヨウは頭を振り、雑念を押し流す。
ヨウはただ、逃れるように軽く笑った。沈み始めた陽光がぽつぽつと街道を通る人の影を濃く映し出していた。
「そっか。じゃあ行こう」
沸き起こるわだかまりを無理やり押し殺し、声を押し出す。情けない声と、小さな羞恥心が心臓を圧迫していた。
自分でも分かるくらいに情けない声だった。
前に進もうと踏み出す足を押し留めるようにハクが前方に立ちふさがった。
驚いて見上げると、ハクの――エリオの茶色い瞳と目が合った。
彼の茶色い瞳孔が夕陽を映し、ほんの少し赤く染まった。
「――ヨウ」
ゆったりとした――ハクの声が落ちる。彼の視線がヨウの高さに調節される。
「どんな形であれ、俺は兄で、お前は妹だ。たった一人の身内だ。わざわざ妹を危険に晒す兄はいない」
「……うん。でも、それは私にとってもそうだよ。ハクに幸せになって欲しい」
ヨウの言葉に、ほんの少し彼の喉が上下した気がした。
一拍だけ間が空き、ハクはまた軽くため息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。前を向き静かに歩を進める。
「とにかく、どんな形であれ、お前を守るのが兄である俺の役目だ」
(役目……)
ヨウは一人ハクの言葉を心の中で反芻した。繰り返し強調されるその責務は、一体誰のためのものなのだろう。
――彼が背を向けた。
ゆっくりと闇の帳を下ろす夕日が、彼の背中に陰を落とす。
街を覆うその闇は、刻々とその影を濃くしていた。
背を向けた彼の後姿が遠ざかる。
ヨウはただその様子をじっと眺めた。
――遠ざかる。
ヨウはゆっくりと足を動かし始めた。
彼の背中に追いつくように、ヨウもまた少しずつ足を早める。日が沈み始めた街道には、未だにちらほらと人影がある。
隣を通り過ぎる人の気配に、ヨウは僅かに意識を割いた。
知らない人達。
笑顔の家族。
身を寄せ合う恋人達。
――通りすぎる人影に意識がズレる。人影を追うように、小さな路地裏を視界に映した。
右手を横切る小さな脇道。
そうしてずれた焦点の先で、ちらつく“赤い何か”がヨウの意識を呼び止めた。
足が止まった。
自分の小さな呼吸が耳に入る。
同時に何かを察知した背筋が冷えた。
脳が認識した瞬間、思考が止まる。
瞳孔が開き、心臓の鼓動が早くなる。
全身を血液が駆け巡った。
そこにあるにはあまりにも
【ヨウ・エルディア】と。
壁面に大きく塗られた赤い
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