コウコさんと歯の話
氷山アキ
コウコさんと歯の話
カコ、カコ、カコ。
今日もリズミカルな音が聞こえてくる。
音源は、車椅子に乗ったコウコさん。
コウコさんは御高齢のご婦人で、いつも私に会うと「散歩したいわ」と言う。でもコウコさんは歩けないので、車椅子に座ってもらい、私が車椅子を押して散歩に繰り出す。
散歩コースはいくつかあるが、大体はコウコさんが住む、そして私が勤めている施設内一周ツアーになる。
天気が良くて温かい日は施設外周遊ツアー。コウコさんは日向ぼっこが好きなので、初夏や初秋にははるべくこちらのコースを行くようにする。
ちなみに酷暑や厳冬の時は、快適な施設内で旅行のパンフレットを開いて旅行気分を味わったりすることもある。
ところでコウコさんが発するリズミカルな音だが、実はこの音、コウコさんの入れ歯の音である。
コウコさんは上下共に総入れ歯で、どうやら下の入れ歯が合わないらしい。そのせいか、いつも下の入れ歯を舌先で付けたり外したりする癖がついてしまったようだ。
時には下の入れ歯を中途半端に外し、変顔を皆に見せることもあるコウコさんは、そんなある日、下の入れ歯を外した状態で大きなくしゃみをした。
私は入れ歯が青空に舞う瞬間を初めて目撃した。
その日の夜。
私はコウコさんの夢を見た。
というか、コウコさんの入れ歯の夢を見たのだ。
コウコさんが豪快なくしゃみをし、入れ歯が青空に舞う。
私は「落ちたら壊れる!」と、焦って入れ歯をキャッチする。
入れ歯は私の手に収まったが、見ればその入れ歯はコウコさんのものより大きい。
「あれ?これはマサオさんの入れ歯じゃないかな」
ちなみに、マサオさんは施設にお住まいの、ダンディーなご老人だ。
どうして。と思う間もなく、上空から別の入れ歯が降ってくる。今度はコウコさんのだ!と思ってキャッチすると、前歯が一本ない入れ歯。
「これは間違いなくエミコさん(エミコさんは一番長く施設にお住まいのご婦人で、可愛らしい見た目とは裏腹に、舌鋒鋭い方だ)の入れ歯!」
こんな風に次々と降ってくる入れ歯を受け止めては「○○さんの歯!」と判別し続けているうちに、目覚まし時計が鳴って私は目を覚ました。
施設に出勤した私を待ち構えていたコウコさんが、さっそく「散歩したいわ」と笑顔を見せる。
私はコウコさんの入れ歯が上下共に入っていることを確認してから、他のスタッフに声を掛けてコウコさんの車椅子を押す。
押しながら、私はコウコさんに夢の話をした。
コウコさんはひとしきり笑い転げたあと、こう言った。
「絵合わせパズルみたいね」
なるほど。入れ歯と持ち主の顔を合わせて完成させるパズルか……。
「作ったら面白そうですね」
私の返事にコウコさんはさらに笑い、目尻の涙を指で拭いながら
「私の歯と顔も必ず作ってね」
と、とびきりの笑顔を見せてくれた。
残念ながら絵合わせパズルを作る計画はお流れになってしまった(施設の偉い人にげらげら笑われたあと、「馬鹿にされたと捉える人もいるからだめですよ」と諭された)が、コウコさんが天国に旅立ってから三年経った今も、コウコさんと入れ歯の形は忘れていない。
コウコさんと歯の話 氷山アキ @hiyama_akira
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます