シン跳躍・日本武術異名録
明丸 丹一
新道二刀斎 奥義の継承
新道二刀斎は、老いの境に立っていた。かつて織田信長の家臣であった徳川家康の前で武芸を披露し、
ゆえに、後進の中から後任を選ばねばならなかった。
候補は二人――
技量でいえば、とど岡が一歩上。しかし火野上は、門の奥義『真剣白刃取り』を修めていた。
古式の型では具足を着け、籠手を交差して刃を受け止める。だが新道は時代に合わせ、素手で木刀の刃を挟む新たな型を考案していた。とど岡はその稽古を頑なに拒んでいた。
「手妻のような芸当、実戦では通らぬ」と言って。
「とど岡は
二刀斎の胸に決意が宿った。
この新道二刀流。二刀流と言って、かの宮本武蔵のように二刀を同時に使うすべではない。侍はすべからく大小の二刀を腰に差している。その二刀の威を場面次第によって自由に扱う流儀であった。
ある日、二人を呼び寄せ、木刀での立ち合いを命じた。勝者を指南役に推挙するという。その後、とど岡だけを残し、二刀斎はなにか言葉を残した。
勝負は僅差でとど岡が勝った。
彼は名を
それからしばらく時が流れ、とど岡には、二つの憂いがあった。ひとつは同じ指南役の
もうひとつは、江戸の町に『二刀流の辻斬り』が現れたという噂である。やがて門弟の一人がその辻斬りに斬られた。とど岡は名折れを恥じ、夜の市中を自ら見廻ることにした。
晩秋の風が冷たく頬を刺す夜だった。
――風の音に混じって、何かが鳴った。
とど岡が立ち止まる。
静寂。虫の声も止み、遠くで犬が一声吠える
そして、乾いた下駄の音が、ゆっくりと石畳を叩く。
灯りの届かぬ小路の先、黒い影が現れた。
月光が雲間から差し、小太刀の白い刃の輪郭が一瞬、きらりと浮かぶ。
「とど岡――白刃取りはできるようになったのか」
聞き覚えのある声。低く、皮肉げな笑いを含んだ声音。
とど岡は眉をひそめた。闇の中の男の輪郭が、じわりと浮かび上がる。
「貴様……
その名を呼ぶと、影が笑った。
火野上神楽。かつて共に二刀流の門をくぐり、剣を競った弟弟子であった。
「徳川の指南役になって鼻が高いな」
夜風に混じる声は、かすかに震えていた。
怒りとも嫉妬ともつかぬ感情が、火野上の中で煮えたぎっているのがわかった。
「
とど岡の言葉に、火野上の目が光を帯びた。
その刹那、彼の足が動く。
「それがどうした。俺は俺を認めぬ師を、師と思わん!」
怒声が夜を裂いた。抜き打ち――まるで雷鳴のような速さだった。
刃が銀の弧を描き、空気を裂く音が鼓膜を打つ。
しかし、その軌跡は途中で消え失せた。
とど岡の掌が、太刀を掴んでいた。
「なに……その型……!」
火野上の顔が歪む。
「俺の知らぬ白刃取りだと!? あの
夜空にわめく声が、細長い路地に反響する。
「あの勝負の前も、お前にだけ何事か話していた!」
とど岡は静かに息を吐いた。
手の中の剣が月光を反射し、冷たく光る。
「――これは俺が考えた型だ。新道先生は贔屓などしていない。
あの勝負の前に言われたんだ。指南役と流派継承者を、分けて考えよと」
その声は低く、しかし確固たる響きを持っていた。
あれはまだ、とど岡が指南役を拝領する前のこと。
その日の稽古場は、夕陽が傾いていた。赤く染まった障子の向こうで、秋の虫の音が絶え間なく続いている。
新道二刀斎は黙して立ち、弟子の木刀の動きを見つめていた。とど岡の構えは正確だったが、どこか硬い。
「やめい」
短く告げる声。新道の声には、疲れと同時に深い静けさがあった。弟子が膝をつくと、師はゆっくりと前へ歩み出た。
白い髭を撫でながら、とど岡に問う。
「なぜお前は素手の白刃取りを稽古せぬ」
とど岡は黙っていた。木刀を立てたまま、目を伏せる。やがて小さく答える。
「……木刀でしか成立せぬものを、真剣でやるなど夢物語です。
命を刃に晒す技を、形だけで真似るのは、師の教えを汚すことになる」
新道は一歩近づき、その肩に手を置いた。
「二刀流を愚弄するか」
「いいえ」
とど岡は顔を上げた。その瞳には、微かな熱が宿っていた。
「私は、空手での白刃取りを創り出します。形でなく、理で掴む術を」
静寂が落ちた。虫の声すら止み、師弟の間に沈黙だけが残った。
新道は短く息を吐き、背を向けた。
「ならば――その理、見せてみよ。命を賭ける覚悟があるならばな」
その言葉が、胸に焼きついた。
さて、時の流れは速く、残酷である。ここにふたりの弟子たちの勝負は決した。
とど岡は
「……その型、なんと名付けた」
「剣先ではなく、根を断つ型ゆえ――
どう、と死に体が地を打つ音がした。江戸の闇に、火野上神楽の命は果てた。
シン跳躍・日本武術異名録 明丸 丹一 @sakusaku3kaku
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