第十三話



     ◇



 何かが起こったのは明らかだった。


 天使が破裂した瞬間、カーティスは大きく目を見開き、そのまま茫然と立ち尽くした。声をかけようか様子を窺っていたら、突然結界が解け、彼は崩れ落ち、地面に激しく嘔吐した。やはり仕掛けが——そう思い、慌てて駆け寄ろうとして——


 瞬きの間に、彼は消えていた。目の前から、跡形もなく。


「イーグル!」


 頭上から声が降ってくる。手すりに身を乗り出して、クイーンが叫んでいた。


「何事!?」


 イーグルは舌打ちし、二人の座標を移動させる。地上へ降り立ったその途端、エドワードは胸ぐらを掴まん勢いで迫ってきた。


「何があった!」

「向こうの俺の策略だ。天使に仕掛けがしてあった」

 クイーンが口を挟む。「あんた、二十秒くらい消えてたよ。何されたの?」


 思わず、顔が歪んだ。


「飛ばされたんだ。


 事情を呑み込むための間があく。すぐに、クイーンがつぶやいた。


「……なるほどね。未来に飛ばしちゃえば、そこまでは消しておけるのか」

「アンカーとやらは? 普段は降ろしてないの?」


 いくらか冷静になった顔でエドワードが尋ねる。クイーンが頷いた。


「そうだね。アンカーは名の通りアンカーだから、行ったり来たりするたびに引っこ抜く手間がかかるわけ。正直めんどくさいんで、いつもは打ってないんだけど——」

 そして、軽く唇を噛む。「こっから先は、打っとくべきかも」

「……『向こうの僕』は、何をする気だ? カーティスは無事なのか」


 心持ち低い声音が響いた。イーグルは、彼へと向き直る。


「それはお前が——あるいは俺たちが、『俺』をどう評価するか次第だ」

 一呼吸置いて、彼は訊く。「……君は、どう考える?」

「あくまで一番蓋然性の高い予想をするのなら、『俺』がカートに大きな危害を加える気だとは思えない。無論『向こうのカート』のためにその決断をする可能性はあるが、天使に仕込んでいたコードといい、『俺』の目的は『向こうのカート』とも若干違っているように思える」

「あんなふうに吐いたりさせるのは、大きな危害だと思うんだけど」

「分かってる。だがあれどころで済まない危害も想像はできるんだ。そこまでは行かないと、今のところ俺は予想している。……願っているのかもしれないが」


 エドワードはしばし口をつぐんだ。険しさの見える表情で押し黙った後、また口を開く。


「結界内での君たちの様子を僕は確認できていない。一応訊いておくんだが、これまでのパターンから言って、今回の天使にも仕掛けがあるって可能性は考えていたよね?」

「ああ」イーグルは短く頷いた。「危険だから、俺が処理するべきだと思うと伝えた」

「それで?」

「カーティスが言うには、どんなものであれ『俺』がカートに宛てたものは受け取りたいんだと。それから、……俺の性格を思うと、俺が倒した時にこそ悪どい罠を仕掛けている可能性が高いはずだ、と」

 エドワードの表情が、何とも言えない苦みを帯びた。「一理あるな」

「それで結局、俺はカーティスの考えのほうが妥当であると判断した。……後悔は、しているけど」


 すると、彼は短く首を振る。


「いや、——ごめん。僕もイラついてた。そのうえである程度事情がわかったから言うけど、もし僕が同じ立場でも、たぶん同じようにしたと思う、……君の立場だったとしても、『向こうの僕』であったとしても」


 そうして、深いため息をつく。……その眉間の皺の深さが、彼の思案のほどを窺わせた。


「どっちにしろ、こっちはもう『希望がある』と信じて動くしかない。どうやって居場所を探す? 手がかりはあるのか」

「正直、ない。だから捜索は力技になる。お前がもし居場所を思いつくならぜひ教えてほしいところだが、今のところは無数の選択肢を虱潰しにスキャンするしか——」

「……ちょっと待って」


 唐突に、彼女が割って入った。

 二人は自ずと、彼女クイーンに目を遣る。するとなぜか、彼女はやや照れたふうに身をよじった。


「そんな、真っ直ぐ見ないでよ? 緊張しちゃうでしょ」

「ええと——」エドワードはそこで咳払いし、少し声を和らげて尋ねた。「何か、妙案が?」

「案、ってほどのこともないけど……とりま一回訊きに行ってもいいんじゃない? 答え載ってるかもでしょ」


 一瞬の戸惑いが挟まる。とはいえじきに二人とも、意味するところに辿り着いた。


「……預言書シナリオか」


 イーグルがつぶやくと、クイーンが顎を突き出す。


「そーだよ」そして、言葉を続ける。「まあ、蔵未が素直に教えてくれるかは別だけど。試しに行ってみても——」


 ——だが。


 台詞の途中でクイーンは、弾かれたように顔を上げた。


 数瞬、固まったその顔が、見る見るうちに歪んでいく。不満と苛立ちを剥き出しにした表情に、二人はつい、反射的に緊張した。こればっかりは自分たちにはいかんともしがたい反応だ——己が「エドワード」である限り——二人が硬直する間にも、クイーンはぶつぶつと、口の中で何か吐き捨て出す。


「何なの? これ見よがしに信号シグナル出してきやがって……ってか用があんならお前のほうからこっち来んのが筋だろが、偉そうに僕のこと呼びつけるとか何様のつもり? さもこっちがアイツに会いたくて探し回ってるみたいなさあ、別にお前の顔なんて僕一ミリも見たくないけど、ってか人にはとやかく口出しするくせ自分は他人を動かして当たり前みたいな態度ってさあ、でかい話するのはいいけど普段の態度で人のこと思いやれないなら意味なくない? 世界がどうとか平和がどうとか人としてどうあるべきだとかご高尚な説教吐く暇があったら他人に失礼のないように付き合う方法を覚えたらどうなの? あーッアイツのこと考えてると神経がイラッイラする、蛆虫でも這ってるみたい!!!」


 二人は、ちらりと視線を交わす。数秒の押し付け合いの後、エドワードが、恐る恐る訊いた。


「……クイーン。いったい、どうしたの?」


 クイーンの瞳が、上目にエドワードを睨む。怒りの中にも憤懣を受け止めてほしいと甘える視線。イーグルを構成する記憶においても、見覚えがあった。


「来やがったの」

「えと……誰が?」

「僕が、世界一嫌いなヤツ。——クソ野郎の分際で僕のこと呼び出しやがって、タダじゃおかないから」

「……それって、もしかして……」


 鋼鉄でも裂けるのではと思うほど、鋭い舌打ちが鳴った。


「悪いけど、蔵未のとこには二人で行ってきて。僕は用ができた」

「……ついていかなくて、平気か?」


 イーグルの質問に、素早く彼女の首が振られる。


「いい。あっちもあっちで『向こうの君』の居場所とかわかんないんでしょ。条件は同じのほうがいい——まあ、君と二人がかりで潰してやるのもアリだけど、わざわざ向こうから出てきたからね。どっちが上か、思い知らせてやる」


 二人はまた、目を見交わした。お互い告げるべき言葉が見当たらないらしいのを悟り、イーグルは肩をすくめる。


「分かった。なら、対処は任せる。——蔵未への交渉も、どちらかだけで充分だろう。任せていいか? 俺は俺で、別のルートを探ってみる」

「了解した。それじゃイーグル、僕を蔵未さんのところまで届けてくれる?」

「いいだろう」

「じゃ、いったん別行動ね。……言っとくけど、僕このあと、しばらく返事とかできないから」


 彼女の細い首が、ゆっくり傾いた。深く曲がったその首が、ぱきり、と小さく音を立てる。


 聞いたこともない、地を這うような声。


「あの野郎——ぜってー、泣かす」



    ◇



 都内、某所。


 四車線を挟んでビルが建ち並ぶオフィス街。そのうちの一棟、真新しいガラス張りの上階で、女性二人が語らっている。オフィス内のリラクゼーションスペース。丸テーブルにコーヒーを置き、窓の外を眺めている。


 ふと、西側に座る女性が何かに気づいた。


「あれ? なんか……」


 そうして、少し身を乗り出す。向かいの女性のさらに向こうを窓から何とか見ようとするのへ、視線の先に座る彼女が声をかける。


「うん? どした?」

「いや、なんか……急に眩しくなったんですよ。あれ、光ってません? 先輩の後ろ……」

「ええー? 私の内なる光が漏れ出しちゃったかあ」

「いや、冗談じゃなくて」


 後輩の返事に、先輩と呼ばれた女性も気になったのか、背後を振り向く。


「……確かに? やけに眩しいね——太陽がふたつあるみたい」

「えーやだ、不吉じゃないですか! ふたつもあったら大変ですよ」

「もののたとえでしょうが。でも、ぶっちゃけそれくらい強くない?」

「いや、まあ……撮影とかなのかな」

「無断であんなでかいライト焚いてもいいもの?」

「どうなんでしょう——」


 それから、二人は無言になり、じっと光のほうを見つめる。


 やがて、両目を強く細めていた後輩が、不意に声を放った。


「あれ……光の中央に、誰かいません? 浮かんでますよ」


 先輩は、しばし押し黙り、おもむろにスマートフォンを構える。


 光へ向けて、カメラを起動する。親指と人差し指で、画面をピンチアウトする。

 光学ズームが進むにつれて、光の中央に何かが見える。その点が次第に人の輪郭を取っていき、画面を覗き込んでいた後輩が息を呑む。いつの間にか、画面には青年が映っている。うなじに届く程度の黒髪、白い上下のセットアップ。ジャケットは詰襟で、銀の留め金が並んでいる。


「……制服? 衣装?」

「顔が見えないな」

「線の細い人ですね。……少し、俯いてるような………」


 遠目には白い灯りとしか見えていなかったその光も、ズームによって実は質が違っていることがわかる。青年の周囲には薄青い膜が張られていて、シャボン玉の表面のように絶えず光が変化している。周囲に放たれている光もところどころに青いプラズマが走り、赤い炎の放つ光——太陽のそれとは異なっている。


「これは——いかずち?」


 先輩が、ぼそりとつぶやいた。

 次の瞬間、青年が、動く。


 俯いていた顎を上げ、左手をわずかに掲げる。青く光がゆらめいて、一張の弓が生成された。二対の羽が開いたような銀色に輝くその弓を、彼は垂直に立てて構える。閃光が走り、弓と同じように、矢羽が一瞬で現れた。二本の指を引っ掛けて、彼が、ぎりぎりと弦を引く。


「——え、——」


 やじりの先に、青い光が集まる。それは弾けるプラズマと共にだんだん膨れ上がっていく。まるで、爆発の直前のように——


 光が、弾け飛ぶ、刹那。

 ぱちんと、指を鳴らす音がした。


 矢が放たれる——音よりも速く飛び、彼方へと駆け抜けていく。姿が見えなくなった直後、遅れて強烈な衝撃波が空間を打ち壊した。並び建つビルが大きく撓み、ガラスを散らして崩れ落ちる。


 徹底的な、破壊の、轟音。


 営みが崩れ落ちる音を、青年は黙って聞いていた。その表情は静かだったが、少しだけ、目元が翳っている。やがて残響と粉塵が地に積もり切った頃、青年は、低くつぶやいた。


「……なるほどな。そういう手もあるのか」


 破壊されたコンクリート。剥き出しの鉄骨。その瓦礫の中。

 うずたかく積もる残骸のどこにも、生命の気配はない。——同様に、


 地平線の向こうで、何かがきらりと瞬いた。


 その刹那。青年は、素早く手を眼前にかざす——同じ速度で飛んできた矢を、鼻先でぴたりと掴む。


「……ふぅん? アンタにはこんなのも、思いつけなかったわけ?」


 数百メートル離れた位置に、人影がパッと現れる。それは黒髪の、華奢なシルエットで、性別はうまく判別できない。ただ、大胆に晒された脚と、剥き出しのウエストが、昼の陽光を跳ね返す。

 バスト丈の黒いパフスリーブブラウス。ローライズ気味のレザーのショーパン、青いタータンのソックス、黒いローファー。


「偉そうに。どうせイーグルか、エディの真似をしたんだろう」

「気安くイーグルとか呼ばないでくれる? 僕がつけたあだ名なんだよね」

「知らないよ。見分けのためにつけたタグでしかないだろう」

「つまんな! マジでそういうとこが萎えるんだけど? アンタって最悪」


 青年の眉が、ややひそめられる。


「しかし、意外だな。君だって、人間がどうなろうと興味はないと思っていたが」

「興味なんかないよ。でも、アンタの思い通りは気に食わない」

「邪魔をしたかっただけ?」

「そう。当然でしょ? アンタには、やることなすこと失敗してもらわないと気が済まないんだから」


 青年が、は、と短く息を吐いた。彼はうっすらと馬鹿にした顔で、細い首をわずかに傾げる。


「低俗だな。君の精神性は、相変わらずおくびが出そうだ」

「アンタに言われたくないね。自分だけは特別だって酔っ払ってる、傲慢野郎」

「その言葉、そっくりお返しするよ。君はなんて名乗ってるんだっけ?」

「僕? 『クイーン』」

「フン。どの口で」

「僕は僕にとって唯一絶対なの。僕は僕の存在において、絶対の中心で、だから女王クイーンとだって名乗る。僕の美学とアンタの傲慢を一緒にしないでほしいね。だって——」


 彼女の目が、意地悪く歪んだ。


「アンタは、自分だけ〝真っ当〟で——あとの全員低俗なゴミクズだって、思ってるでしょ」


 ぴくり、と青年の眉が動いた。

 数秒の沈黙が流れる。やがて、青年はおもむろに、新たな矢を生成し、構える。


「君とは……全く、気が合わない」

「そこだけは同感。……で? アンタはなんて名乗るのさ、名無し!」


 銀の鏃に、光が集まっていく。青い閃光を走らせながら、青年は澄んだ声で告げた。


「では俺は——『jusユース』と行こう」


 クイーンの目が、わずかに見開かれた。


 それはすぐに、忌々しげな、それでいてせせら笑うようないびつな造形に変わる。口元も同じ形に曲がり、その隙間から焼け焦げそうに熱し切った言葉が転げ出る。


「アンタって、……ほんっと、胸糞悪い!!」


 真っ青な魔法陣が浮かび、黒い光が増大する。

 同じく青い閃光を走らせながら、二つの光が膨らむ。睨み合うように空間が動きを止めて——そして、弾けた。

 

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Code: MSR 初川遊離 @yuuri_uikawa

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