第13話 さようならの話
心理学者に、さよならの話、か。
昔は気に入って教室でもよく口にしていたが、近頃は全く口にしなくなっている。
「今日はちょっと、僕の好きな話をしますね。まぁ、気楽にして、聞いてみてください。
もうベテランでね、優れた仕事をたくさんして来た作家がいるんですね。この人は小説家ではなくて、ルポルタージュの人で。ルポルタージュ。事実を取材して、その取材でわかったことをそのまま、事実をそのまま記したという、そういう文章を書く人で。で、この人は昔、たった一人で社会の大きなごまかしを暴く、とても優れた作品を書いて一気に有名になった人なんですが、その後もたくさんの良い仕事をして、もう知らない者はいないというくらいの大御所さんになったんですね。ところが、ある時、この人の息子さんが自殺をしてしまったんです。まだ二十代の半ばくらいの年だったのにね。
それで彼はね、その時に、とても自分を責めるんですね。
自分は、世の中から正義の作家だとかなんだとかもてはやされていい気になっていて、そのくせ、自分の子供の苦しみすらわかってやれてなかった。すぐ傍にいる自分の子供の命すら救ってやれなくて、どこが立派な作家だと、とても自分自身を責め続けるんです。そして、こんな自分が、偉そうに、何を書く資格があるんだと思うと、もうまったく筆を取れなくなった。全然何も書けなくなってしまったんですね。
しばらく全く書けなくなって、ある時にね、ある出版社の編集の人が、彼にある話を持ち掛けるんです。
『もうお書きにならなくなって随分になります。お辛いとは思いますが、何とかここを抜け出していただきたいと、我々も願っています。つきましては、いかがでしょう、今回、有名な心理学者のあの人と、先生とで対談なさいませんか。そんな企画を考えているんです。先生も、相手は著名な方ですし、もしかしたら何か先に進むヒントのようなものが見つけられるかもしれません。どうです。何の役にも立たなくてもともとです。この話、乗ってみませんか。』
とね。
で、彼はこの話に乗るんです。そうして、その対談の中で、この心理学者はその作家にこう言うんです。
『お気持ちはわかります。ですが、どうでしょう。こう考えませんか。
それはアジアの知恵ということなんですけれどね。
もともと、日本人というのはですね、物事にはすべて理由がある、原因があるのだなんていうことは、考えていなかったんです。そういう、こうこうこういうことがあったから、それでこうなったんだというような考え方は、戦後西洋から入って来たものなんです。私は、それを悪しき西洋科学主義、と呼ぶんですが、以来、日本人はこの悪しき西洋科学主義に毒されてしまったんです。そのせいで、何故こうなってしまったんだ、あれのせいだ、とか、ああ、自分がこうしたためにこんなことになってしまった、自分のせいだ、とか、もう何でもかんでもそんな風に考えるようになってしまった。
でもね、もともとの日本人は、そんな風に考えたりはしなかった。アジア地域の人には、昔から、アジアの知恵とでもいうべき物の考え方があって、日本人もそういう考え方をしていたんです。それはね、何故こんなことになってしまったのか、なんて考えないんです。ただ、こうなってしまった。その事実があるだけだ、と考える考え方です。自分の子供が病気で死んでしまった、台風がやって来て田畑が全部だめになってしまった、そんなことに直面するたびに、ああ悲しい、と悲しんだんです。それだけです。その事実だけがある。そう思って、ただそれを受け留めるんです。
どうですか。息子さんが亡くなったのは、本当にあなたのせいでしょうか。いや、何かのせいでそうなった、そうなのでしょうか。息子さんは悩んだ。苦しんだ。そして亡くなってしまった。悲しいことですが、それを避ける方法があったかどうかなんて、誰にもわかりません。わかったところで、どうにもなりません。
物事はそういうものなんです。どうしてそうなったのかなんていうことは、人間の営みの中には、わからないことの方が多いのです。そうだったのではありませんか。
私たちは、知らず知らずのうちに、かつて私たちがちゃんとわかっていたそんな当たり前のことを忘れてしまった。悪しき科学主義に染まってしまったのです。
けれどもどうでしょう。私たちはもう一度、このアジアの知恵を、取り戻さなくてはならないのではないでしょうか。物事は、常に、何かのせい、なんでしょうか。
私は、よく、そんなことを考えるのです。』
この言葉がね、この作家の心を捕らえたようなんですね。
悪しき西洋科学主義に毒されている。私たちは、アジアの知恵を忘れてしまって、意味も無く誰かの、何かのせいだと考えるようになってしまった。でも、そんなのは、違うのではないか。
作家自身が、この抜け出さない所から抜け出したいという思いもあったのかもしれません。それにこの対談が、あるきっかけを与えただけなのかもしれません。でも、この作家は、これ以降、再び筆を執って、再び、とても良い仕事をいくつも仕上げるんです。
どうです。なんか、ちょっと良い話だと思いませんか。」
或いは、もう一つ。
「須賀敦子さんという物書きの人がいます。この人も、小説家ではなくて、この人の場合はエッセイを、随筆を書く人なんですが、実は六十歳を過ぎてから文章を発表し始めた人なんですね。旦那さんがイタリア人で、ずっとイタリアで生活されていたんですが、御主人を亡くしてしまって、どうしたらいいんだろうと途方に暮れる日々を過ごした後、自分の過去の思い出だとか、若い頃に読んだ本のことだとか、文章で語ることを始めた人なんです。けれど、その文章が、どれも素晴らしくいいので、文章好きな人たちからはとても愛されている人なんです。
この人の書いたものの中に、さよならの意味について書かれたものがあります。君たちはわかりますか。僕らは何で人と別れる時に、さよならって言うんだろう。そもそも、どういう意味なんだろう。
それをね、説明してくれる文章なんです。
これは、彼女がずっと昔に読んだ本の中に記されていたということなんですけれどね。
君たちは、リンドバーグという人の名前を聞いたことがありますか。最近は、あまり耳にすることが無くなりましたが、昔はよく知られた名前でした。飛行機乗りでね、まぁ、冒険家と言ってもいいでしょう。誰もしたことが無いようなことに挑戦して成し遂げた人です。特に、初めて大西洋単独無着陸飛行というのに成功してね、それで一気に世界中に知られた人です。これはのちに、『翼よ、あれがパリの灯だ』というタイトルで本にもなってね、映画化もされました。僕が中学生の頃には、この本が夏休みのお薦めの課題図書にもなっていたくらいです。今ではもう、本屋さんで見ることは無くなりましたがね。とにかく、これは当時としては物凄い冒険で物凄い快挙だったわけです。
実はこの人は他にもたくさんの冒険飛行をしている人で、時には奥さんも乗せて飛んで行くんですね。ところが、ある時、この飛行機がアメリカから北回りで東洋に行くルートを見つけようとして飛んでいた時に、故障かなんかで、夜の闇の中、知らない場所に不時着してしまうんですね。辺りは真っ暗闇で、ここがどこかわからない。辺りは背の高い葦がいっぱい生えていて周りを囲んでいる。もしかしたらどこかの無人島の湿地帯に突っ込んだのかもしれない。おまけに飛行機のドアが開かなくなっていて、外にも出られない。どうしたらいいだろうかと、絶望的な気持ちでいたところに、近づいてくる人々の話し声がしたんですね。どうやら、月明かりの中のわずかな機影とプロペラの音と、それが地面に近づいて行く音で、何かが起こったみたいだと思って様子を見に来てくれたらしい。夫妻は、ああ、これで助かった、と思いました。
その話し声がね、夫妻にはわからなかったけれど、日本語だったんですね。
で、とにかく救出されて、英語のわかる人が連れて来られて、話を聞いたら、あの有名な冒険家のリンドバーグ夫妻だと分かった。もうそれで日本中の人が大騒ぎでね。あのリンドバーグが、日本にまで冒険にやって来て、それを日本人が救出したってね。それでもう、彼は英雄みたいな扱いをされてる人でしたから、日本でもとても大切にもてなされてね、最後は、横浜の港から船に乗って母国に帰るんですが、その時もたくさんの日本人が見送りにやって来てね。夫妻もそれに応えようとデッキに出て手を振っていたんですね。そうすると、見送る人たちが、盛んに手を振りながら、口々に同じ言葉を叫んでいるんです。そこで、リンドバーグ夫人は、傍にいた人に尋ねるんです。これは通訳の人だったのかもしれませんね。その人に、あれはみんな、何と言っているんですか、と尋ねたんですね。するとその人は、あれは、さようなら、と言っているのです、と答えました。夫人はそこで更に、さようなら、とはどういう意味ですか、と訊くんですね。
さぁ、ここでさっきの話です。ねぇ、さようならって、どういう意味だと思います。
その時、その人はこう答えるんです。『さようなら、とは、左様であるなら、そうしなくてはならないのなら、という意味なのです。』って。どういうことですか、と夫人は更に尋ねました。そうするとその人は、もう一度言うんです。『あなたと、ここで別れたくはありませんが、どうしても別れなくてはならないのなら仕方がありませんね、と、そういう意味なんですよ。』
どうです。さようなら、それでは、それじゃ、とか言うこともありますね。もっと縮めて、じゃ、なんてのもあります。みんな同じですよね。まだ別れたくないけどさ、別れるしかないのなら、仕方ないよね。そういう意味だっていうんです。
それを聞いて、リンドバーグ夫人は、心打たれるんですね。英語でも、他のヨーロッパの言葉でも、別れの時に口にする言葉には、神が見守ってくれますようにという祝福の祈りの意味が込められている。英語のグッドラックも、フランス語のアデューもそうだ。けれども、何ということだろう、この東の果ての国の人たちは、何かと別れるたびに、仕方がないなと一つずつ諦めて受け入れて行くのだ。何という深い言葉だろう。彼女はそう思うんですね。
実はこの時のことをその文章にまとめる前に、この夫妻には、とても悲しい出来事が起こったんですね。それは、リンドバーグ夫妻の、まだ一歳か二歳だった子供が何者かに誘拐されて殺されて発見されるということでした。そんなことがあった後だから、余計にこの言葉は夫人の心に深く残ったに違いないと、須賀敦子さんは記すんですけれどね。
そんなことがあったから、彼女には、能天気に幸福を祈るより、正面から別れを一つずつ悲しみながら諦めて受け止めて行くのが人間なのだという、その言葉が、とても心に落ちたんでしょうかね。
どうですか。さようなら。どうしてもそうしなくてはならないのなら、って。いい話だと思いません?」
気が付くと、私たちは足を止め、二人並んで鴨川の川面(かわも)を眺めていたのだったが、私がそんなことを心で思い返していると、横に立つ仲谷が、川の流れを見つめながら、とても柔らかな口調で言った。
「でも、あの話。」
「ん?」
「あの、さよならの話、僕も須賀さんの本で読んだんですけれど、・・」
「あ、読んだのかい。」
「はい。でも、ちょっと違ってました。」
「違ってた?」
「先生の話、だいぶ膨らんでました。」
そこで、仲谷は愉快そうに笑った。
「元の本には書いてないことも、先生の話にはたくさん盛り込まれてた気がします。」
「あれ、僕はだいぶ捏造してた?」
「捏造っていうか、付け足してありました。たぶん。だから読んだら、あれ、こんだけ?って思いました。」
「ははは。僕は知らないうちにそんなことをやってるんだなぁ。」
この調子だと、私が授業中に話していることは、どれも、あれこれスライドしたり付け加えたものになっているのかもしれない。何年もの間、同じ話をあちこちの教室でしているうちに、もともとの話に、私の思いをどんどん足してしまったのかもしれない。
「いや、まずいな。僕は、だいぶ嘘をしゃべっているのかな。」
「でも、僕は先生の話の方が好きですよ。それに、基本は何も変わってませんし。先生の話の方が、熱いです。」
ふ、と、私は少し噴き出した。熱い、か。そうだな、以前は今よりずっと熱い教師だった。最近はやけに収まってしまっているが。
「僕、先生みたいな大人になりたいと思って。」
仲谷がそう言った。
「ええっ?」
あのね、私は、前の学校で、敷地内にまで入っていながら、そこで車から降りられずに籠城したような教師なんだよ。何を誤解してるんだい。
口に出しては言えなかったけれど、私は本当に驚いた。
仲谷よ、それは誤解だよ。お前はそんなに慕ってくれるけれど、私は、娘にも慕われない、駄目な父親なんだぜ。
とても褒められた人間じゃないさ。
心で呟きながら、けれども実際には、こう言った。
「ありがとう。光栄だよ。」
仲谷は、やはり前を向いたまま、ゆっくりと歩を進めながら、子供が歌を歌うように、言った。
「ああいう話を出来る大人って、いいと思います。」
鴨川べり。見上げると、横に迫って視界を狭めるビルの壁も無い。晴れた日には頭上に、気持ちの良い空が広がる。そして、車通りの激しい往来から一段下がって両岸に真っ直ぐに続く道には、歩く人と走る人だけがおり、その横に川のせせらぎが寄り添うように、静かな音を聞かせている。
この道を、結婚してやっと大っぴらに二人で歩けるようになって、妻と二人で、あるいは、幼い娘と三人で、手を繋いで何度歩いたろう。どこまでも歩き、時々護岸に腰を下ろし、どこかで折り返してまた戻って来る。それだけの時間が、とても楽しかった。
その妻も、もういない。
娘は、今も私に寄り付かない。
さようなら。
そうあらねばならないのなら。
そんな風に物分かりよく受け止めることが出来るものか。どうしても、何故だ、と叫びだしたくなる。何故なのだと。
けれども、問いかければその度に傷つく。悲しみの傷を、更に深める。
誰もいない自宅に帰り、そこで過ごすことは寂しい。何のために生きているのだろうと、何度も呟く。もうこの人生は、終わらせてもいいのではないかと思う。深く酔った時には、今なら、この勢いのまま、どこかの森で首を吊るくらいできるのではないかと思ったりする。
そうあらねばならないのなら。
何故だと問いかけてはいけない。
そうなのかもしれない。
けれども、悟れない私の心はもだえる。
横を歩く仲谷が、呟いた。
「言葉っていいですね。」
そちらを向くと、彼はまた、嬉しそうな表情でこちらを向いて笑っていた。そして、またすぐに顔を前に向け、こちらを見もせずに、川のせせらぎを眺めながら言った。
「なんか、そう思いました。あの話を聞いた時。」
そして付け足した。
「その感覚、今もずっと残ってます。言葉っていいなって。」
そう言った。
若いというのは、素敵なことだ。覚えている、というのも、素敵なことだ。
ふと思った。俺は何故国語の教師になろうと思ったんだっけ。
そのままを口に出した。
「今、ふと、何故自分は国語の教師を目指したんだろうって、思ったよ。」
「何故なんですか。」
素朴な顔を、こちらに向けた。
「わからん。」
「なんですか、それ。」
仲谷は楽しそうに笑った。
「何で言えないんだろう。言葉にしてしまうのが、もったいないのかもしれないね。」
ふふふ、と、仲谷は声を出して笑った。つられて私も、ふふふ、と、声が出た。
そうだ。今度天気の良い日に、青空のきれいな日に、ここに来て本を読もうか。そこかしこの恋人たちと同じように、この川べりに腰を下ろし、須賀敦子でも持って来て、気が済むまで彼女に話し相手になってもらおう。彼女の文章は、根気よく、私の言葉を聞いてくれるだろう。そんなことを思った。そんなことを思わせてくれた仲谷に、私は感謝をした。
私が本当にそうするかはわからない。そんなことで、私の寂しさが癒されるようにも思えない。人の心は、そんな、絵に描いたような収まり方をするものでもない。わかっている。今、こうして過ごす時間に潤わされている心の渇きも、またじきに戻って来るのだろう。
けれども、今は、そうしたいと思った。
その日の数時間、流れる水の音を聞きながら、学生の時のように私は時を忘れて読むのかもしれない。
そんな時を、ここで過ごしてみるのもいい。
私の寂しさが、それでどう変わるようにも思えないけれど。
そんな時を過ごしてみるのもいい。
そう思った。
(完)
鴨川べり 木塩鴨人 @matt-skadar
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