ママはなんにも分かってない

鳥尾巻

ピンクのふんどし

 ハツユキカズラの上にバッタが止まっていた。まだらなピンクの新葉から下に行くにつれて緑色になる、その緑の部分に隠れていたつやつやした細長いバッタ。

 小さなころに喜んで捕まえていたことを思い出したけど、今はそこまで小さな生き物に惹かれることもない。バッタに喜ぶココロを忘れてしまった十四歳のくるみさん。それが私。衣類の下にふんどしを身に着けていることを除けば、いたって普通の女子中学生。


 今はそれよりママの機嫌を取るために、ドラッグストアにオーガニックの柿の葉茶を買いに行くことが先決だ。


 ママはオーガニックが大好きだ。無農薬、有機栽培と聞けばなんでも飛びつく。もともとは私のアレルギー体質の改善の為に始めたらしいけど、最近はほぼ宗教なんじゃないかと疑っている。

 熊笹エキス、ミドリムシ、黒酢、黄金の生姜、化学的に合成されていない出汁、ハーブ、ありとあらゆる健康食品を試される私はママの実験体。そのうちマクロビ、ヴィーガンにはまりだして、食卓はほぼ有機栽培の野菜で埋め尽くされた。


 育ちざかりは肉や魚が食べたいのに。カンスイの入ってる脂こってりのラーメンや、罪の塊ジャンクフードでお腹いっぱいになりたい。反抗して出汁の素をこっそり使ったら「化学物質なんて!!」と発狂せんばかり。いやいや、ただのアミノ酸だから。この世のすべては化学物質で構成されてるの。中学で習うよ。忘れちゃった? 私たちは概念をいただいてるんですか、ママ。


 ママがそうなったきっかけは、弟が生まれてから、パパの女遊びが激しくなったころかな。

 子供は清く正しく美しく育てるべきと躍起になって、「パパみたいになっちゃダメ」が口癖だ。ネットでもなんでも情報は入ってくるんだから、それは無理な話だ。清い子供でいられない私は少し申し訳なくもあり、自分がすべてをコントロールできると思っているママが哀れでもある。


 そのうちスピリチュアルなことにはまって、やれ宇宙の波動がどうとか、子宮系がどうとか言い出した時は、諦めと共にママのたわごとに付き合うフリをした。だって、ママには私と弟しかいない。

 化学繊維の衣類は体に悪いから、股間の締め付けはよくないからと、100%オーガニックコットンのふんどしを買ってきた時も、大人しく穿いたものだ。私はまだ経済的に自立はできないし、まだまだママとパパのお世話にならねばならない。それでママの心の安寧が図れるなら安いものだ。


 意外にもふんどしはしっくりきた。考えてみれば十四歳の女子中学生が衣類の下にふんどしを着けていることの方がよほど世間の道理に反するような気がするのだけど。昔は女の人も下着として使っていたのだから、時代の価値観が反転したとも言えるのか。

 まあ、世間はどうあれ、私はママの良い子なので、ママが薦めるオーガニック素材の保湿クリームをお尻に塗って、つやつやの肌の上にふんどしを着ける。紐と前垂れのシンプルな形。前で紐を結んで、後ろから布を持ってきて紐に通して固定する。股間がすーすーするかと思いきや、フィットしていい感じである。しかし風でスカートめくれたら社会的にアウトなので、上に学校指定の短パンを穿いておく。


 しかし、さっきのパパとママの喧嘩はすさまじかった。と言っても、一方的に怒鳴っていたのはママの方で、パパはいつものようにのらりくらりと躱していただけだった。

 あまりにも下の階の音がうるさくて課題に集中できないから、私はゲーム用のヘッドフォンを着けて大音量で音楽をかけていた。

 しばらくして、喉が渇いたので下に降りていくと、パパはいなくて、ママは一歳の弟のりょうを抱きしめておいおい泣いていた。


「わたし、この子を連れて出て行くから! あなたはパパと一緒にいてあげて!」

「え、嫌だが。ママの夫でしょ」


 言ってることが無茶苦茶なんですが。そういう男と分かっていて結婚したのはママなんだから、私に責任を押し付けないでほしい。

 ママは涙に濡れた顔を上げて、私を見て笑った。


「ふふ、そうよね。ごめんね。さっきパパが出てく時に、服をハサミで切り裂いてやったわ。あんなぼろぼろの恰好で町を歩いてるかと思うとおかしいわね」


 そう言って笑い続けるママの目は、虚ろに遠くを見ているようだ。彼女の後ろには、パパのものと思われる衣類がすべて切り刻まれて小山になっていた。弟はきょとんとして私を見上げている。


「ちょっと落ち着きなよ、ママ。お茶買ってきてあげるから」

「オーガニックの柿の葉茶ね」

「はいはい」


 そんなこんなで、私はとぼとぼと近所のドラッグストアに向かっているのである。いつもママが買っている柿の葉茶。私は苦くて好きじゃないけど、プロビタミンCやポリフェノールが豊富に含まれていて、美肌効果とかアンチエイジング効果が期待できるんだって。あと、柿に含まれるタンニンには血圧を下げる効果もあるんだってさ。

 今のママにぴったりじゃん。ついでに利尿効果でデトックスもするといいよ。トイレ近くなるから、ふんどしが微妙に邪魔くさいんだけどね。ママがいいって言うならいいんだよ。


 ドラッグストアから戻ると、ママは子供部屋で亮とお昼寝をしているみたいで、家の中は静かだった。

 でも、夫婦の寝室の方から、小さな音がする。少し開いていたドアからそっと覗いてみると、そこにはパパがいて、クローゼットの中を探っていた。ママが言っていた通り、ズボンも服もぼろぼろで、事故にでもあったみたいな格好だ。


「パパ、何してるの?」

「ああ、くるみ。財布と着替えを取りに来たんだけど、ママが服を全部切っちゃったみたいで、下着もないんだよ」

「そうみたいだね」


 私が冷静に答えると、パパは情けない顔をして、しょんぼりと肩を落とした。おじさんにしてはイケてるからモテるんだと思うけど、それが原因でママと揉めるのはほんとに情けない。

 だからと言って私はパパが嫌いなわけではない。自由で情けないところも含めて、パパはパパなのだ。揉めない範囲で上手くやればいいのに、と思うけどこの人は器用に立ち回ることが出来ないのだろう。


「パパ、この前ママが買ったふんどしなら新品があるけど」

「ふんどし?」

「最近はまってるみたいよ。男女兼用だからパパもいけるんじゃない?」


 私は音を立てないように、クローゼットの中を探って、布の袋を取り出した。中には天然色素で染められた、肌に優しいピンク色のふんどしが入っている。パパはそれを広げてしげしげと眺めながら、微妙な顔をしている。


「ふーん、面白いね」

「今日は帰ってくるの?」

「うーん……。ママが怖いから……ほとぼりが冷めたころに……?」

「ママに穿いてるところ見せたら喜ぶんじゃない?」

「まあ、そのうち……」


 ある意味、みんなママを中心に生活してるんだけど、ママはそのことをちっとも分かってない。いつだって自分だけが頑張っていて、自分だけが正しいのだ。

 足音を忍ばせながら出て行くパパを見送って、私はママに飲ませる柿の葉茶を淹れる為にキッチンへと向かった。


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