あやかし料亭の看板芸者〜大正吉原恋之唄

矢古宇朔也

第1話 吉原芸者、桔梗

 ごうごうと、家が燃えていた。


 ぼんぼりが煌々と照らし、夜でも明るい吉原。

 しかし、炎の明るさはまた違う。空を舐めるほどの真っ赤で眩しいほどの輝きが目を焼き、一方で影が落ちた部分は一層の闇をたたえる。

 煤が舞い、煙の匂いが鼻をつき、人々がなんとか火を消そうと声を上げ、どこからか喞筒ポンプを持ち出す者もいる。


(どうして……)


 なぜ自分の家に雷なんて落ちるのか。


「八重さん!」


 立ち尽くしていた八重だが、己を呼ぶ声にふと我に返る。


「おたえ……さん」


 彼女はたえという少し年上の女性で、先月から住み込みで八重の家で働いてくれているお手伝いの人である。


「雷の音で目が覚めて……焦げ臭くて……八重さん、すみません、あたし……何も持ち出せなくて」

「おたえさんが無事でよかった、よかった!」


 手と手を取って握り合う。

 間をおかずして天からの恵みの大雨が降り、周囲に燃え移らなかったことだけを目で確認し……そうしたのちは、どうしたかはあまり記憶にない。

 気づけばびしょ濡れのまま、吉原を出た八重は山谷堀さんやぼりに沿って歩き、隅田川の真っ暗な水面を眺めていた。


「死のう……」


 何もかも、燃えてしまった。

 着物も、姐さんが残してくれた黒檀のテーブルも、気にいっていた鼈甲べっこうのかんざしも。

 借金だって、まだ返し終わっていないのに。残ったのはこの身と、預けてある三味線と、母の形見だけ。


 幼い頃に養子として入った家は借金を背負い、離散。

 帰る家もない。


 川に足を一歩進めたその時だった。

 

「もうちょっと、頑張ってみないか?」


 耳馴染みのある低音に、八重は後ろを振り向いた。


***


 八重は幼い頃、明治の末の大火で母と死別した。父は母曰く軍人だったらしいが、戦地から戻らなかった。

 父の顔は知らない。名前も覚えていない。軍人だったら軍服姿の写真の一枚でもあっただろうが、記憶にもない。全て燃えてしまったのだ。なにしろ、母を亡くしたのは八歳の頃だからだ。


 母とふたりで暮らしていた頃は戦死した父の年金もあったのだろう。比較的裕福な暮らしをしていたように思われる。母は三味線が得意で、唄もとても上手くたまにお師匠をしていたことを記憶していた。

 そんな母を亡くしたのち八重は巡り巡って船問屋にもらわれた。養子ではあるが、ここでもとても大切にしてもらった。


 大しけで、船を三隻も失う前までは。


 もう身売りでもするしかない。しかし、まだ幼すぎる。

 ならば娼妓見習いとでもなるほかない。周囲の大人たちは口々に言った。

 十二歳の八重は細かいところは解らずとも、それはあまり良くないことなのだろうと幼心に思ったが、他に選択肢もなかった。

 かくして口入れを頼んだが、やはり幼すぎると周旋屋に断られた。


 落ちぶれた船問屋の噂を聞きつけた履物屋の女将さんが声をかけてくれたのはそんな時だった。「妹が吉原で芸者屋をやっている、吉原芸者は決して身売りはしない。奉公に行かないか」と。


 そうして話は進み、お歯黒どぶに囲まれた吉原が八重の居場所になった。

 年季奉公、百円と少しで売られたのだ。

 芸者屋の主人であるよし江姐さんの仕込みっ子となった八重は、唄に三味線、踊りの稽古に明け暮れた。

 やがて監察に許可をもらい、見習い芸者の半玉として引手茶屋の座敷に出るようになり、ついに一人前の芸者として一本立ちした。


 この時十六。

 芸名は、桔梗ききょう


「これでやっと一人前。座敷に稽古に、気を抜かずにこれからも頑張んなさい」


 煙管を吹かしながらそう言ったよし江姐さんは、八重の年季が明けてすぐ、流行病で入退院を繰り返したのち亡くなった。その少し前に同じ芸者屋の先輩芸者もお嫁に行ってしまっていて、八重は二十歳にして芸者屋の女主人となった。


 蓄えのなかった八重は世話になった姐さんの葬儀のために借金をした。一本立ちしたときのお披露目の借金もまだ返せていなかった八重は、莫大な負債を背負い込むことになってしまった。


 吉原の芸者は、お国が認めた唯一本物の芸者だ。売るのは引手茶屋と呼ばれるお座敷での芸だけ。よその土地の芸者のように、旦那に水揚げしてもらって一本の費用を出してもらうのではなく、借金をしてでも自前で着物でもなんでも準備するのが普通。


 住み込みで手伝いをしてくれているたえへの支払いもある。一生懸命働かなくては。八重はそう仕事への覚悟を決めた。


 吉原の遊女屋はこの時代貸座敷と呼ばれていたが、その中でも位の高い大見世には引手茶屋を通さなければ上がれなかった。

 お客はまず、引手茶屋に行き、八重たち芸者や、男芸者である幇間ほうかんがお座敷で披露する三味線、唄、芸で宴会をしてから花魁のいる貸し座敷に向かうのだ。


 その、引手茶屋でのお座敷。それから吉原芸者の見習いたちにお稽古をつけること。八重の仕事は主にはその二つである。


 この日お呼びがかかったお茶屋は龍来屋たつきやと言った。

 お座敷が終わった八重は、一階に降りてお茶屋の主人に挨拶しようとしたが、どうも見当たらない。

 もしかしたら、お客を大見世に送っているのかもしれない。


 女中たちは忙しそうにしているし、聞くのははばかられた。「ご主人によろしく」と廊下ですれ違った番頭の弥吉やきちに声をかける。


(ちょっと残念)


 龍来屋の主人は着こなしのおしゃれな優男である。

 実年齢は知らないが年は若く、三十歳前だと思われた。どこか怜悧な印象を抱かせる涼やかな目元に、薄い唇のきりりと引き締まった眉目秀麗な男だ。


 それにも関わらず、ここのご主人にご内儀はおらず、未だ独身と聞く。

 周りは相当せっついているようだが、本人はどこ吹く風の様子らしい。


 残念ながら挨拶する相手もいない。仕方ない、帰ろう。見番けんばんに顔を出さなければ。


 見番とは芸者の組合で、お茶屋との間を取り持って芸者を管理してくれるのだ。仕事の依頼は、お茶屋を通し、見番に入るのである。


 玄関に向かうと、下足番はいなかった。土間に降りて戸口に手をかけたその時、視界の隅で何かが動いた。はっとしてそちらに視線を向けると、白い何かがさっと傘立ての裏に消えた。


「何?」


 なんだろう、と覗き込む。

 薄緑色のくりくりした目が物陰から八重の方を見つめていた。


 白い蛇である。


「珍しいわね、おいでなさいな。吉原の外に出してあげるから」


 このままではよろしくない。

 お客さんが驚いてしまうかもしれないし、何より、白い蛇は神の使いだと聞く。逃がしてあげなくては。


 それにしても、どこからきたのだろうか。誰かの荷物に入り込んでしまったのだろうか。


 やがて辺りを警戒しながらも出てきたその蛇をそっと捕まえ、風呂敷で包んでお茶屋を出た。

 昔、里子に行った家では夏になると軽井沢の別荘で過ごした。蛇やとかげはその頃近くの男の子たちと捕まえたことがあった。八重はその頃を思い出し、少しの懐かしさに微笑む。


 今は春真っ盛り。

 中之町の柵の内側の植え込みには咲き始めの桜が植えられ、ぼんぼりとお茶屋の灯りに照らされて幻想的な景色を作り上げていた。八重は急ぎ家に帰り、提灯を手にまた外へ。


 ほとんど咲いていないにもかかわらず、夜桜見物の人だろうか。通りはごった返している。


 大門で門番と目があった。芸者は自由に吉原を出入りできたが、こんな時間にここを通るのは珍しいからだ。


「おや、八重ちゃん。どうしたんだい?」

「ちょいと山谷堀さんやぼりに」


 風呂敷を掲げると、ああ、野暮用なのかと門番はにこりと微笑んだ。

 山谷堀は大門を出てすぐだ。

 隅田川に繋がる人口の小川である。江戸初期に作られたと聞いていた。

 まだ九時半。八重はガス灯で照らされた通りへ出て、足元を提灯で照らしながら足を急がせた。


 堀の周囲には緑がある。蛇なら泳いで隅田川の方にだっていけるだろう。

 八重は藪にそっと蛇を離してやった。


「気をつけるのよ」


 闇の中にしゅるしゅると消えていった蛇を眺め、八重は元来た道を足早に戻ったのであった。

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2025年12月15日 07:00
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