幸せとは②

「父上、エルのおかげで停戦に持ち込めるのですよ!? そんなことをすればどうなるか、父上ならばおわかりでしょう!」

「アウレアなど、ユリウス王の独裁で保っているだけの国だぞ? ユリウス王さえ消してしまえば、脆いものよ」


 アードルフは立ち上がると、いまだ返事ができていないエルへと近づいてきた。視線を逸らしたままにはできない。おそるおそる顔を上げると、アードルフが無表情のままエルを見下ろしていた。

 これは、罰が与えられる。それでも、返事ができない。

 右手が軽く上げられ左側へと動いたかと思うと、振り回すようにして右手の甲で右頬を強く叩かれた。鋭い痛みが走り、じん、と熱を持つ。


「お前に許されているのは命令に従い、遂行することのみ。迷いは許可していない」

「はい。申し訳ございません、アードルフ様」

「ああ、顔はやめておけばよかったな。いつもの癖でやってしまった。まあ良いか。さて、善は急げと言う。今からアウレアへと向かえ。レオンハルト、準備を進めろ」

「……っ、はい」


 アードルフはレオンハルトに命じると部屋を出て行った。パタン、と扉が音を立てて閉じた瞬間、両肩を掴まれて強引に振り向かされる。

 レオンハルトが真剣な面持ちでエルを見ていた。ふう、と息を吐き出したかと思うと、両肩を掴む手に力が入った。


「エル、頬は大丈夫か」

「はい、大丈夫です。いつものことですので、慣れています」

「慣れ……」


 今も叩かれた頬はじんじんと痛むが、今日は優しい方だ。一度で済んだのだから。

 それに、慣れからかはわからないが、治りも早い。アードルフは顔を打ったことを悔やむ様子を見せていたが、しばらくすれば痛みも赤みも引く。アウレア王国へ着く頃には、何もわからなくなっているはずだ。

 

「エル、父上の言ったことをどう思っているんだ?」

「そんなことをしてはならないと思います。ですが、わたしはアードルフ様の命令には従わなくては……」


 レオンハルトの表情が歪み、ゆるゆると首を横に振った。


「従わなくていい。エルが言ったとおり、あれはしてはならないことだ。……そうか、そうはわかっていても、命令には従わなければならないと悩んでいたんだね」


 エルは頷くと、両手の指を絡めた。レオンハルトは命令に従わなくていいと言う。エルもそう思うが、命令に背くということが何だか心をざわつかせる。そういう生き方をしてきたせいだ。

 絡めた指を外したりまた絡めたりとしていると、レオンハルトが膝を軽く屈め、視線を合わせてきた。


「じゃあ、僕から一つ、エルに命令をしよう。これは父上からの命令よりも重大なもの。いわゆる、至上命令だと思ってほしい……といえば、伝わるだろうか」


 至上命令。命令の中でもトップレベルで優先され、従わなければならないものだ。それが、国王であるアードルフではなく、第一王子のレオンハルトから出されるとは。

 本来であれば、国王を差し置いて至上命令を出すことは許されない。レオンハルトもわかっているはずだが、それだけエルにこの命令を優先させ、従わせたいということだろうか。じっと見ていると、柔らかく微笑まれた。


「アウレアに行けばエルの身分は知られるはずだから、きっと悪いようにはされないと思うんだ。だから、エルはアウレアで幸せを掴むこと。これが、僕からの命令だよ。父上からの命令は、忘れるんだ」


 どちらも難しいかもしれないけれど、とレオンハルトは困ったように眉を八の字にする。エルはというと、アードルフの命令よりもレオンハルトの命令が気になっていた。

 しっくりときていないのだ。幸せとは聞いたことはあるがそれだけで、これまでエルには関係のないものだった。その幸せを掴めと言われても、幸せというもの自体がわからない。


「お兄様。幸せとは、どのようなものなのですか? どのような形をしていますか?」

「幸せは、人それぞれ違うんだ。エルだけの幸せの形を探すといい。いいかい、これは二人だけの秘密だよ」


 両肩から手が離されると、優しく抱き締められる。

 数秒くらいはそうしていただろうか。そっと身体が離された。


「エル、ごめんね。君ばかりに重荷を背負わせてしまって。せめて、アウレアで幸せになれるよう、祈っているよ」


 準備をしてくるとレオンハルトが部屋を出ていき、エル一人が残された。カチ、カチ、と時計の針が時間を刻む音だけが聞こえてくる。


「わたしだけの、幸せの形」


 探せば見つかるものなのか。それが見つかれば、幸せとはどんなものかを知ることができる。

 ただ、これはアウレア王国でのエルの扱い次第だ。

 クラルスの戦乙女が第一王女だと知ったとしても、悪い扱いを受けないかどうかは実際に行ってみないことにはわからない。奴隷のように扱われる可能性や、見せしめに処刑されることも考えられる。

 何せ、アウレア王国を治めるユリウス王は冷酷非道で有名だ。

 容赦のない攻撃は、その国を滅ぼすまで続けられると聞く。白旗を上げて降参の意思を示したとしても、徹底的に滅ぼすために攻撃の手は緩めないのだとか。

 レオンハルトも「難しい」とは言っていたが、そんな言葉では済まないような気がしてきた。幸せを掴むという命令は遂行したいとは思うが、まずは無事に生きられるかどうか。アードルフからの命令も、頭の片隅に残り続けている。

 扉を叩く音がした。「はい」と答えると、扉が開き、暗い顔をしたレオンハルトが入ってくる。


「準備が整ったよ。……着替えを進言したのだけれど、父上が鎧を纏ったまま行けと」

「承知しました」


 その方がクラルスの戦乙女らしいからだろう。エルはレオンハルトの元へ歩いていく。


「エル、どうか、どうか無事で、幸せに」

「お兄様も、息災であられますように」

「……では、向かおうか。アウレアへ」


 二人は部屋を出て行く。エルはレオンハルトの後ろを歩きながら、これから向かうアウレア王国へ思いを馳せた。

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