焼け跡に咲く記憶

をはち

焼け跡に咲く記憶

相田宗一、25歳、大学生。


2年の浪人と2年の留年を経て、何とか大学生活を続けている。


実家は福島にあり、大学進学を機にこの古びたアパートで一人暮らしを始めた。


予備校時代から住み続け、引っ越すことなど考えたこともない。


アパートは2階建て、全部で6部屋。階段を挟んで左に1部屋、右に2部屋という造りだ。


宗一の部屋は1階の右側、角部屋。


木造の外壁は年季が入り、廊下の軋む音がどこか懐かしさを漂わせる。


上の階には若い夫婦と、4、5歳の女の子姉妹が住んでいる。


彼女たちはいつも飛び跳ねて遊び、床から賑やかな笑い声や足音が響いてくる。


だが、しばらくすると母親の声が割って入る。「ドンドンやめなさい!」と。


その声は優しく、どこか温かみがあった。


隣には豊川さんという老婦人が住んでいる。


一人暮らしの彼女は、宗一に肉じゃがやカレーをお裾分けしてくれる心優しい人だ。


宗一は実家に帰るたび、福島名物の薄皮まんじゅうを土産に持って帰るのが習慣になっていた。


豊川さんはいつも目を細めて喜んでくれた。


豊川さんの真上の部屋には、夜の仕事をしている若い女性が住んでいる。


彼女は深夜に酔っ払って帰ってくることが多いが、根はいい人だ。


特に子どもが大好きで、上の階の姉妹にお菓子をプレゼントしては、彼女たちに慕われていた。


階段の左側の部屋は、なぜかずっと空室だ。


角部屋なのに誰も入居しないのは不思議だったが、宗一は深く考えることもなく、ただこのアパートでの日々を愛おしく感じていた。


浪人時代から、このアパートの住人たちに支えられてきた。


大学まで電車で1時間かかるが、こんなかけがえのない人間関係があるなら、引っ越す理由などなかった。


ある夜、すべてが変わった。


その日は肌寒い秋の夜だった。


宗一が大学から帰宅すると、アパートの周囲は騒然としていた。


赤い光が空を染め、消防車のサイレンが鳴り響く。


煙が立ち込め、夜職の女性の部屋から炎が上がっているのが見えた。


消防士たちがホースを手に慌ただしく動き回っている。


「上の階の姉妹は!? 子どもたちは無事ですか!?」


宗一は消防士に詰め寄った。


心臓が早鐘のように鳴り、頭が混乱していた。


だが、消防士は怪訝な顔で答えた。


「上の階? ここに住んでるのはあんただけだよ。他に誰もいない。」


「そんなわけない! 隣の豊川さんは? 彼女はどうなったんですか!」


宗一は叫びながら豊川さんの部屋へ向かおうとしたが、消防士に強く制止された。


「落ち着け! このアパートに他の住人なんていない! あんた以外、誰も住んでないんだ!」


宗一は言葉を失った。


消防士の言葉が頭の中で反響する。


「間違いだ! みんなここに住んでる! 姉妹も、豊川さんも、夜職の女性も!」


必死に訴えたが、消防士は冷たく言い放った。


「10年前、このアパートで火事が起きた。住人は全員亡くなった。


それ以来、ここには誰も住んでいない。あんたがここに引っ越してきたときも、そうだったはずだ。」


宗一の膝が崩れ落ちた。


10年前? そんなはずはない。彼は確かにこのアパートで何年も過ごしてきた。


姉妹の笑い声、豊川さんの温かい料理、夜職の女性の少し酔った笑顔――


すべてが鮮明に記憶に残っている。


なのに、なぜ?その瞬間、ふと気づいた。


姉妹の女の子たち。あの活発な子たちが、宗一がここに住み始めた数年間、


一度も成長していなかったことに。


4、5歳のまま、いつも同じ服、同じ笑顔で飛び跳ねていた。


豊川さんの肉じゃがも、いつも同じ味、同じ量の皿に盛られていた。


夜職の女性が持ってくるお菓子も、いつも同じ一昔前の銘柄のキャンディーだった。


それからというもの、宗一はこのアパートを離れた。


火事の後、焼け残ったのは彼の部屋だけだった。


まるで彼だけがそこに「存在」していたかのように。


毎年、秋が深まるこの時期、宗一はあの場所に戻る。


手に持つのは、福島の薄皮まんじゅうと線香だ。


焼け焦げたアパートの跡地に立ち、かつての住人たちに祈りを捧げる。


姉妹の笑い声、豊川さんの優しい笑顔、夜職の女性の少し乱れた足音――


それらは今も宗一の心に響く。


彼らが本当にいたのか、それとも宗一の孤独が作り上げた幻だったのか。答えはわからない。


だが、宗一は信じている。


あの温かな日々、あのつながりが、彼を支えて今があるのだと。


線香の煙が秋の空に溶ける。どこか遠くで、子どもたちの笑い声が聞こえた気がした。

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