第3話 みえないものでも あるんだよ
さて、いらっしゃい。
こんな辺境に足を運んでくれる奇特な皆さまへ感謝を込めて
今回も夏の思い出をひとつご披露しようかね。
前回と同じく、今回も半世紀近く前の頃だっただろう。
東京湾のアクアラインなんてものが
まだ影も形もなかった頃だ。
やはり家族旅行に行った時の話である。
目的地は千葉の勝浦。
父の職場の保養地でもあったのだろう。
格安で泊まれると言うので、夏休みの宿題を片付けるためにも
思い出作りに自家用車でえんやこらとやって来たわけである。
……当時、私のいたクラスでは、夏休みの宿題発表会などと言う
公開処刑があったのだよ、情け容赦も無く。
絵日記必須なわけだなこれが。
関東人の通う我が小学校では
箱根やら熱海やらの日記が多くなる。
ほぼ毎年のように日本海沿岸の親戚宅へ泊まりに行っていた私は
『楽勝だぜ!』とたかを括っていた。
「今年は千葉行こうか」
父の言葉を聞くまでは。
ええー!千葉ぁ?すぐ隣じゃん!
(↑千葉県の方々、申し訳ありません。子供の戯言です)
親戚宅へのお泊まりも、大人になった今思えば
ただ行くわけにはいかなかったのだろう。
手土産しかり、炊事等の労働力提供しかり。
ましてや妻の家系の方の親戚となれば、
口下手な父の立場としては、借りて来た猫のごとき状態だったことだろう。
心なしかウキウキとした様子の父の運転で
日産ローレルは真夏の空の下、東京湾岸をひた走る。
(展示車を中古価格で手に入れたと後から聞いた)
スカイブルーの空は眩しく鮮やかに、
真っ白な入道雲は生クリームを重ねたようにモコモコだ。
くっきりと青と白に分たれた空を
円を描くように回る小さな点はトンビだろうか。
数羽の鳥がゆったりとしたリズムでくるくる舞っている。
高速道路は防音の壁があって、空しか見えないからねえ。
今は透明板を使っているところも多いだろうが、
昔はどこの高速も無骨な壁が立ちはだかっていたものだった。
くるくる回るトンビを、ぼえーっと眺めているうちに、
いつの間にやら一般道に降りていたらしい。
右手には東京湾の波頭が白くきらめいていた。
海面には何本か細い棒が立っている。
何だろうあれ。
まばらではあるけれど、竿のようなもので海面が区画分けされている。
「のりだろ」
は?
いきなり何を言い出すんだこのオヤジは。
カーラジオからは道路情報とニュースが流れている。
てっきりそれを聞いているものと思っていた父が
前触れもなくいきなり言い出したのだ。
どうやら謎の竿について、
知的好奇心を掻き立てられながら
後部座席であまり建設的とは思えない推論を戦わせ始めた
子供たちへの介入だったらしい。
だが父はとにかく口下手で言葉惜しみをする。
よって翻訳・補完作業が必要となる。
「のりだろ」
→「(お前たちが気にしているあの棒は) 海苔 (の養殖をする網を固定しているもの) だろ (う) 」
子供達の討論はぴたりとやんだ。
ぴーーひょろろろろーーー
澄み渡った夏空にトンビの声が高く響く。
あほうあほうと鳴かない気遣いのできる鳥だった。
一般道では雑多な音が聞こえてくる。
トンビの鳴き声だけではなく、蝉の声もうるさいばかりだ。
お盆の入りではミンミンゼミとアブラゼミが、勢力を競うように大合唱。
ヒグラシやツクツクボウシなら、まだ涼しげに聞こえるんだが、
彼らの出番にはまだ早かった。
みんみん ジャージャー ぴーひょろろ
ぬるくなった水筒の麦茶を口にしながら
私は後部座席で夏の声を聞いていた。
着いたらあれもしよう、コレもしよう、と考えながら。
父の運転で導かれながらやって来たのは勝浦漁港。
……の側にある海水浴場へ向かう小さな路地。
この途中に船宿?だったのだろう。
二階建ての小さな民宿のような場所があった。
路地は細く、車が入れるような幅ではない。
少し離れた駐車場へ車を停めて、
家族総出で持てる荷物を運んで行った。
早くに家を出た甲斐もあり、まだまだ日の高い時分での到着である。
チェックインにも早すぎた。
「ええ〜、また荷物持って戻るのぉ〜?」
セミにも負けじと子供達の大合唱が響き渡る。
受付で駄々をこねまくる小さな怪獣どもに根を上げたか、
幸いにも往年の受付嬢は苦笑いしながら、一家の荷物を奥で預かってくれた。
漁港ならではの海の幸をお昼に物色しながら
子供達の頭は海でいっぱい。
何しろ広さはピカイチだ。
小さな頭に入りきらないほどに、太平洋は広がっている。
海鮮丼だっただろうか?
今では何を選んだのか定かではないが、
お昼を食べてお腹もぽんぽこ。
食休みしたそうな両親を置き去りに、
水着に着替えて浮き輪も持って。
忘れちゃならないビーチサンダル。
弾む足取りたったかた。
細い路地を抜けた先には
見たこともないほどに大勢の海水浴客でごった返した、
『ザ⭐︎海水浴場!』が広がっていた。
毎年のようにお世話になっている親戚宅は
佐渡島の小さな町にある。
母方の祖母の実家と祖父の実家。
いずれも岩場や小石の浜なので、
私たちは砂浜というものに慣れていなかった。
海の家という
暴力的に脳髄を揺さぶるソースの香り。
色とりどりの朝顔のように、浜いっぱいに散りばめられたパラソル。
ニュースに出てくるような海水浴場だ!
『こ、これは迷子になる』
我ら兄弟の頭に同じ言葉が貼り付いた。
幸いにも怪獣どもの足と理性に、ブレーキをかけるには充分だった。
「飛び出しちゃダメって言ったでしょ!?」
飛び出していない。
ちゃんと浜に入る前に待っていたではないか。
子供という生き物は、注意されると脊髄反射で反発するものだ。
追って来た母をぶすくれた顔で迎えると、
彼女はビニールシートと玩具のシャベル。小さなバケツも持っていた。
いつになく珍しいことに、つば広の帽子をかぶった母。
生っちろい海パン姿の父をお供に連れて。
思い思いの場所で寛ぐ先客たちが広げたシートの間は
入り組んだあみだくじのようだ。
我ら一家はペンギンのように隊列を組んで、あみだくじの線上を進む。
途中である程度の隙間を見つけて、我らが王国の領地とすべく
ラジオ体操全行程を丁寧に熟す余裕は、ちび怪獣どもの頭には残っていない。
最低限としてアキレス腱伸ばしや首・肩回し、ウェスト回しに前後屈。
腕を振り上げて脇を伸ばす運動。
ラジオ体操ダイジェスト+アルファを申し訳程度に行って、
いざや進まん大海原へ。
デフォルメされた海産物柄の浮き輪をパンパンに膨らませ、
ビニールシートにビーチサンダルを脱ぎ捨てる。
兄弟たちに遅れぬよう、それっ! とばかりに飛び出せば。
あ、あっぢいぃぃぃぃっ!!!
柔な足裏が、真夏の焼けた砂浜の洗礼を受けた。
しかもこの砂というやつは、足指の間にめり込んできやがる。
おにょれ………!
ホップステップ⭐︎ぴょんたかとん!
とにかく急いで海に飛び込んで冷やさねば。
ざぱあーーーーーー
波を蹴立てて走り込んだその海は、
それはそれは見事なベージュに濁り切っていた。
えええええ?
なんぞこれ、私が思ってた海と違う。
いつも行っていたのは岩場や小石の浜ばかり。
ちょっと顔を水につけて見渡せば、水底に揺れる海藻や、
そこここに隠れ泳ぐ小魚たちが見えたものだ。
それこそちょっと潜って手を伸ばせば、野生のウニが手掴みで取り放題だった。
バケツに山盛り持ち帰って大人たちに褒められたものだ。
(↑注: 半世紀前の話である)
打ち寄せる波で舞い上がった砂が海水を濁らせていたものか、
それとも夥しいほどの海水浴客が、水底をかき混ぜてしまったものか。
その日がたまたま濁っていたのか、毎日そうなのか、
それは分からない。
あの浜にはその年以来行っていないからだ。
いずれにせよ正直なところ
私が最初に思った感想は、
『これ泥水じゃね?』の一言だった。
(重ね重ね現地の方々、申し訳ありません。子供の戯言ってことでお許しを)
まず水に顔をつけても大丈夫なんだろうかコレ?
目になんか入りそうで怖いんだが。
波打ち際から一二歩進み、
泥を溶かしたようなその水色に恐れをなして
立ちすくむスクール水着の少女。
胸にはデカデカとクラスと名前が書き込まれたゼッケン。
現代ならば、本人に無許可で撮影されてSNSにでも放り込まれ、
一部のニッチな界隈がざわめきそうな絵柄である。
だが心配は要らない。
半世紀も前の話だ。
………周り中が同じくスク水だらけである。
よりどりみどり、いや、紺色だった。
海パン一丁の我が兄弟は、泥水など頓着せずに
ばっちゃばっちゃと波を蹴立てて、先へ先へと進んで行く。
おまいらあんまり深いトコ行くなよー?
私はどうにも気が進まない、いや正直に言えばビビっていた。
そこは恐らく大人の膝丈位だっただろう。
子供の足がつく、浅いところで浮き輪に捕まってバシャバシャしていた。
周りを見ても、波打ち際にはあまり泳ぎの達者な者はいない。
かく言う私もクロールが苦手だ。
泳げるのは平泳と背泳ぎのみ。
バタフライ?知らない子ですね。
大体クロールってのは息継ぎをどうするって言うんだ。
先生は、口を半分水面から出して息をしろと言う。
んな無茶な!
半分だけ?下半分はどうすんのさ!
水が入って来ちゃうじゃん!
息継ぎをしようとする。
先生の言うとおり半分だけ水面に出す。
水が入る。
慌てて口全部を水面に出す。
首から下もねじれる。
バランスを崩す。
浮力が落ちる。
あばばばばばばばb
ちっくせう!
おにょれ、練習あるのみ!
泥水なんて気にしていたら、
二学期もプールの計測で恥を晒すことになる。
潔く顔を水につけて練習だ練習。
浮き輪をビート板に見立てて
体は真っ直ぐ、足を伸ばしてバタ足。
ここまではいいんだ、問題はこの後。
片腕ずつ、水車のようにぐるりと回して
肘が上に向いたタイミングで顔を横に向けて口を……
ぢうっ
あ、 ぎゃ がががが!
突然のことだった。
脳天を突き抜けると言うか、
焼け爛れた金属棒で殴られたような気がした。
あるいは電撃でも受けたか。
あまりの激痛にギャン泣きした覚えはある。
海中で異様に泣き叫ぶ子供に
ライフセイバーさんが駆けつけて来てくれた。
恐らく鍛え上げたイケメンに
抱き抱えてもらっただろうに全く記憶にない。
もったいねー
そして広い海水浴場に流れる注意報。
『本年初のクラゲ被害が出ました。
当海域は遊泳禁止となります。
お楽しみのところを申し訳ありませんが、
全員速やかに海から上がって退避してください』
文面も全く記憶にないが、
きっとそんなことを言っていたのだろう。
私の方はそれどころじゃなかった。
クラゲ、俗に言う電気クラゲである。
まっっったく!見えなかった。
だって泥水だもん!
ただでさえヤツラ透明なんだぞ!?
見えるわけないじゃん!
彼らはその長い触腕の先端に触れた者に
刺胞から毒を打ち込む。
手当たり次第だ。
取り敢えず毒で攻撃して麻痺させて、食べられそうなら食べよっかー?みたいな。
なんと言う傍迷惑な生き物か!
今では真水で洗うとその刺激でさらに痛むので
海水でそっと洗うのが良いとされるのだが、
いかんせん半世紀前にはそんな常識は無かった。
とにかくすぐに洗い流せ、と海の家のそばのシャワー、
当然水道水をぶっかけられて、さらなる激痛に悶えることになった。
耐え難い激痛で、きっと手足も振り回して暴れていただろうと思う。
セイバーさん(Fateにあらず)にはお世話をおかけした。
そしてありがとう。
息継ぎ練習で右腕を持ち上げたところをやられた。
左腕に左耳を当てるようにした体勢で
『ぢゅっ』と。
触腕の先端が左肘の内側、触腕部分は顎のあたりにも接触していた。
その二箇所がまあ、腫れ上がる腫れ上がる。
真っ赤になってぶくぶくと膨らんで、痛いなんてものじゃあない。
最終的には顎が高さで鼻を追い越した。
とにかく痛かったことしか覚えていないのだが、
兄弟の言によると
焼け爛れたようなぶくぶくの姿で
『痛いよう、クラゲが出たよう、危ないよう』と言いながら
人混みの中フラフラと歩く妖怪のようだった、とのこと。
ひどい。
人々が海から上がってごった返す中、
どうにか親兄弟と合流して宿へ戻った。泣きながら。
宿の人にも
「そんな簡単に(毒は)落ちないから」と
バケツでバシャバシャ真水を掛けられる。
痛い。
普通はクラゲの被害はお盆明けから出始めると聞いた。
まだお盆の入りでこの年は随分と早かったと言う。
そんな流行の最先端を行きたくなかったのに。
腫れは何日も何日も何日も!
しつこいくらいに退かなかった。
丸太のように膨れ上がった左肘。
絵本にある、三日月の横顔のように
鼻よりも突き出た顎。
そして子供という生き物はすべからく残酷である。
「やーい、いかりやだー」
「チョーさんだー」
「イノキじゃね?」
こんの昭和男子どもがっ!
ともあれ、夏休みの
MVPだったことは言っておく。
非日常あれこれ詰め合わせ てるる @52te
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