第四条『ノイズと音楽』

 ​号令寺響子の弟、零。その存在は、この完璧なシステムに潜む致命的なゴーストだった。俺と生徒番号777――ナナミと、俺は勝手に呼ぶことにした――の目的は、そのゴーストを白日の下に晒し、鉄壁の風紀委員長を内側から崩壊させること。

​「彼女を動揺させるには、より強いノイズが必要」

深夜、監視ドローンの巡回ルートの死角で、ナナミが手信号で伝えてくる。

「ノイズ?」

「システムが予測できない、非論理的な情報。弟の死の真相は、最大のノイズになりうる」

​俺たちは、深夜のサーバー管理室へ潜入した。目的は、零の「存在抹消」に関する詳細データ。ナナミは、まるで自分の家のように、センサーの位置、パスコード、警備員の交代時間を把握していた。彼女は一体何者なんだ。その疑問を口にする余裕はなかった。

​サーバーの奥深く、厳重にロックされたファイルを見つけ出す。『プロジェクト・スティール(鋼鉄化計画)』と名付けられたそのファイルに、全ての答えはあった。

零の違反記録。それは、あまりにも人間的なものだった。

校則第92条【笑い】違反。

校則第78条【友情の否定】への抵触。

そして、致命的だったのが、校則第87条【音楽】違反。彼は、外部から持ち込まれたポータブルプレイヤーで、クラシック音楽を聴いていた。

​『被験体000(零)は、再三の矯正プログラムにもかかわらず、感情抑制、個性除去の進捗に改善が見られず。特に音楽という非論理的情報への強い執着は、他の被験体への汚染源となる危険性が高い。よって、校則第199条【不適合者の運命】を適用。『再処理』を実行する』

​『再処理』。その言葉の冷たさに、背筋が凍った。これは学校ではない。人体実験場だ。

データをポータブル端末にコピーし終えた、その時だった。

背後で、寸分の音もなく扉が開いた。

​「そこで何をしている、生徒番号441。そして…777」

号令寺響子。

彼女の瞳は、絶対零度の怒りに燃えていた。俺たちが端末を隠すより早く、彼女は踏み込んできた。その動きは、もはや生徒のレベルではない。統制された、殺意さえ感じさせる体術。

​「先輩、これは…!」

「問答無用!」

響子の回し蹴りが、サーバーラックを薙ぐ。俺は咄嗟にナナミを突き飛ばし、衝撃を背中で受けた。肺から空気が搾り出され、激しく咳き込む。

「貴様らの反逆は、全てお見通しだ。この学園の秩序を乱す者は、私が直々に『処理』する」

​絶体絶命。彼女を前にして、俺たちに逃げる術はない。

だが、ナナミは冷静だった。彼女は立ち上がると、響子に向かって、コピーしたばかりの端末を放り投げた。

「これを見ても、同じことが言える?」

響子は訝しげにそれを受け取り、ディスプレイに表示されたファイル名を見て、目を見開いた。

『被験体000(零) 再処理記録』

​彼女の指が、震えながら画面に触れる。そこに映し出されたのは、彼女が知らなかった弟の最期。音楽を聴きながら、穏やかに微笑む零の写真。そして、無機質な実験データ。

​「あ……ぁ…」

響子の喉から、言葉にならない声が漏れた。完璧に統制されていたはずの表情が、ガラガラと崩れ落ちていく。

「違う…零は、弱かったからじゃ…ない…」

​その瞬間を、待っていた。

ナナミは懐から小型の発信機を取り出し、スイッチを入れた。

次の瞬間、学園中のスピーカーから、絶叫のような音が鳴り響いた。

それは、校歌でも行進曲でもない。

零が最後に聴いていたという、ピアノソナタだった。

​激しく、悲痛で、そしてあまりにも美しい旋律。

それは、この無機質な鋼鉄の檻を破壊するために奏でられる、鎮魂歌のようだった。

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