第五条『鋼鉄の涙』
ピアノの旋律が、学園という巨大な墓標に降り注ぐ。それは、全ての音を禁じられた生徒たちの鼓膜を打ち、忘れ去られた感情の記憶を激しく揺さぶった。監視モニターには無数のエラーコードが点滅し、システムが悲鳴を上げている。
号令寺響子は、その場に崩れ落ち、弟の名を繰り返し呟いていた。完璧な鋼鉄の鎧は砕け散り、中から現れたのは、傷つき、泣きじゃくる一人の少女の姿だった。
「私が…私が、零を追い詰めた…! 私がもっと、完璧でいれば…!」
後悔と罪悪感が、濁流となって彼女を苛む。
だが、感傷に浸っている時間はない。俺は彼女の腕を掴み、無理やり立たせた。
「違う! あなたを、あなたの弟さんを追い詰めたのは、この狂ったシステムだ! それを作った奴がいる!」
そうだ、黒幕はまだ奥にいる。この機に乗じて、学園の心臓部である最上階の学園長室へ向かうんだ。
響子は、虚ろな目で俺を見た。
「もう…どうでもいい…」
「よくない!」俺は叫んだ。「あなたの弟さんが、本当に望んでいたことは何だ!? こんな絶望か? 違うだろ! あなたに、笑ってほしかったはずだ!」
その言葉が、彼女の心の最後の琴線に触れた。彼女は、はっと顔を上げた。
ピアノの音に導かれるように、俺たち三人は最上階を目指した。途中、駆けつけてきた風紀委員の執行官たちを、響子がかつてないほどの気迫で薙ぎ倒していく。それはもはや規律のための力ではなく、何かを守るための、魂の力だった。
そして、ついに学園長室の重厚な扉の前にたどり着く。
音楽が最高潮に達したその時、扉が静かに、自動で開いた。
室内の中心に、一人の老人が車椅子に座り、穏やかな笑みでこちらを見ていた。壁一面のモニターには、混乱する学園の様子と、俺たち三人の顔が映し出されている。
「見事だ、諸君。実に素晴らしいカオスだ。私の計算を、遥かに超えてくれた」
その声に、響子が息を呑んだ。
「お爺…さま…?」
「いかにも」老人は頷いた。「私が、この私立・大日本規律学園の創設者であり、理事長の号令寺巌だ」
最悪の真実。この地獄を作り出したのは、響子の祖父だった。
だが、本当の絶望は、その次に訪れた。
理事長の後ろに控えていた影が、一歩前に出た。
「全てのデータは、収集させていただきました」
その声は、俺がよく知る、ナナミのものだった。だが、その瞳には、俺が一度も見たことのない、冷たい光が宿っていた。
「姉さん、お久しぶり。そして、お疲れ様、平和島渉君。君は、最高の実験体(モルモット)だったわ」
彼女は、俺たちの仲間ではなかった。
最初から、この壮大な実験を管理する「観測者」だったのだ。
俺の反逆も、響子の葛藤も、全てはこの老人とナナミの描いた筋書き通りの、プログラムだったというのか。
ピアノの旋律が、まるで嘲笑うかのように、鳴り響いていた。
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