神様殺しは今日もまた。

藍々瀬。

12 Guilt

 もぞり、と小柄な影が動いた。

 容姿と、雰囲気と、他にも。とにかく、少々かなりセレナには似つかわしくないように感じられる部屋の真ん中で、セレナは体を起こした。


 セレナは、貴族である。イグリス伯爵家の次女で、上に姉がおり、己を一番に愛してくれる両親と姉の下ですくすくと育った、恵まれた少女である。

 だからこそ、今彼女が置かれている状況は異質であり、異常であり、本来彼女が歩んでいくべきだった日常の外側に位置している。


 彼女は、英雄だった。セレナ=イグリスは、英雄だった。

 焼けた王都エルキアの第三区画。品質のいい宿も悪い宿もごった煮になっているこの区画は、昨晩とある超常的な存在が放った炎によって、融け落ちていた。


 彼女は、英雄だった。昨日まで、英雄であった。

 英雄の証である聖痕はすでに、黒く染まった烙印へと変貌している。

 彼女の腿に刻み付けられた神より与えられし天与の加護は、今や反転した悪魔の印へとなっていた。




 彼女は、英雄だった。今はもう、英雄ではない。




「…………」


 ただ言葉を発さず、セレナはベッドから這い出て、なんとなしに窓の外を眺めた。

 枯れた魔力は既に戻っている。どん底から這い上がった彼女の魂は、以前よりもひときわ強い輝きを秘めている。

 セレナは今、真に英雄としての器が完成された。しかしすでに、もう遅いと叫びたくなるほどに彼女からすれば、遅すぎる覚醒であった。


 セレナが勝手に泊まらせていただいているこの宿屋は、少し小高い場所にある。

 日当たりは最悪、管理状態も最悪、おそらくきっと、勝手に推察するに宿屋の主も、大して良いとは言えない人だったのだろう。知らないけれど。

 本当に日当たりは最悪だ。この宿の部屋の窓は、大抵北を向いている。


 セレナの罰を、神は否応なしにセレナに自覚させたいらしい。

 見下ろす第三区画には、とてもこの世の物とは思いたくもない、とてつもない大きさの穴が開いていた。それだけなら、まだいい、それだけならば、よかったのだ。

 大穴の周辺には、とても何があったのかは想像したくもない、融け落ちた遺体がどこまでも転がり、人の融けた液体が池を作っていた。


 【原罪の白焔】。堕ちた英雄にもたらされた異能は、外道畜生という言葉すらも生ぬるいほどの、生命に対しての侮辱だとか冒涜だとか、そういった悪辣な感情を想起させてしまう性能・性質を持っていた。人を壊すことにおいて、この異能以上に適しているモノはないとも言えるほどに。


 手のひらに、小さくしかし放つ存在感はどこまでも大きな、白い炎が浮かんだ。

 意識的だった。自らが壊し尽くしてしまった現実を受け入れるための、儀式のつもりだった。あるいは、どうか夢であってほしいとそう願ったが故の、淡く儚い現実逃避だったのかもしれない。


 手のひらから零れた火花は、足元の床を融かす。

 どこまでも彼女の周りには、現実しか存在してはいなかった。


 火が消える。何かが体内から込み上げる感覚を、必死に押し殺す。

 既にセレナから、涙は消えていた。涙の跡だけは、残っていた。


 現実だった。どうか夢であってと願うほどに、現実だった。

 願えば願うほどに、夢であってほしい現実は逃れようもない現実なのだと、彼女へと語り掛ける。

 純白の炎は、救世の印ではなくなった。白焔の天使の名はじきに消えるだろう。そして上塗りされていくのだ、また別の異名で、悪魔として。


 人は都合がいい生き物だ。たとえどれだけこれまでに善き行いを積んでいても、崩れた瞬間手の平を返す。人は現状を見て、石を投げる。そして罪に対しては、どこまでも過去ばかりを見るのだ。


 セレナは、動機こそそうではないが、まず間違いなく世界のためになっていた。

 自分が大事に思っている人を守るため、セレナは笑い合う人々を守っていた。


 確かに合理的な少女である。セレナは勇者ではなく、英雄だから、彼女自らが設定したラインを基準に、自身の利益を損なわない範囲でならば最大限人の助けになれるように行動していた。

 それもまた、善性から湧き出た行いではないことは確かだが、結果だけを見るのならば彼女はまさしく英雄だった。


 昨晩、上空には鳥が飛んでいた。蝶が飛んでいた。

 動物から伸びる魔力には、確かな心当たりがあった。

 十三人の英雄のうちの一人。顔を合わせたことすらなく、ただ情報として知るのみの青年ではあるが、セレナは英雄各人の魔力波形は全て記憶している。


 明日には、すでに私は英雄から身を堕とした悪魔として知れ渡るだろう。


「……顔、隠さないとな」


 焼けた喉から、かすれた声が漏れた。

 儚く、消え入りそうで、淡々とした、そしてどこまでも冷え切った声だった。


 セレナは、合理の人間である。

 幼きその頃から、彼女はただ合理と理性に基づいて、静かに歩き続けてきた。

 擦り切れて、擦り切れて、すでに立ち直ることのない絶望の淵に立っていようとも、しかし彼女の指針は揺らがない。


 現実を受け入れられないままに、セレナは現実を受け止める。

 数えきれないほどの人を殺したその事実を、いびつにゆがみながら背負い込む。

 彼女にとって、今目の前に広がる現実はすでに変えようもない過去のことだ。だからといって割り切ることができないからこそ、セレナの声と息は震え続けているわけではあるが。


 喉が痛む。

 胃酸が通った喉は、なにかどうにも言い表すことの難しい気持ち悪さと違和感を喉に与え続けている。

 喉だけじゃない。傷だらけの身体は痛いし、快復したとはいえ魔力枯渇が後を引いて、まるで二日酔いの様な感覚をもたらしている。


 なにより、心が痛い。


 ぎちぎちと音を立てながらなんとか回る歯車のように、ファンを高速で回しながらなんとか稼働するコンピュータのように、甲高い音を鳴らしながら演算を続ける魔導工学製の魔剣のように。

 墜ちた英雄は惨状を前にしてもなお、まだ動く。


 誰がためではない。他ならぬ、自分のために。

 生きるために、大事な人を生かすために、大事な人が遺したものを失わないために、そして最大限、誰かを助けるために。


 セレナは、英雄の真相を知ってしまった。

 この世界の神の真相を知ってしまった。

 神樹の律の真相を知ってしまった。

 課せられた運命の真相を知ってしまった。


 全てを焼き融かす白き焔は、英雄セレナ=イグリスを運命より解き放った。

 雁字搦めの運命の糸を全て焼き融かし、本人の望む数瞬後に因果から彼女を外れさせた。


 それは、セレナにとってはどうしようもなく遅すぎた。

 しかし彼女が守れない運命にあった者らを、これからは守ることができる。


 これまでは、どうにもならないけれど、それでもこれからは、どうにかできる。


 ベッドですやすやと安らかに寝息を立てるルナを、セレナの手が優しく撫でた。

 どこまでも愛したティアナの遺した、小さな命。

 姪に当たる赤子の、ティアナに似た柔らかな白銀の髪を撫でる手は、ドロドロに濁った心中とはずいぶん遠く優しいものだった。


 元英雄セレナ=イグリスは、まだ折れない。

 彼女にはまだ、大事な物が残っている。大事な物をとことん大事にする彼女は、なにか一つでもを大事にする限り、折れることはない。


 すでに、セレナには目標がある。

 浮かんだ運命の神とやらの顔が、どこまでも憎くて仕方がない。

 淡々としたセレナが久しく見せる、感情の発露──発露と言うには、別に感情が表に出づらいだけであるために違うのかもしれないが──だった。


 目標はこの世界に宿る神々を殺すこと。

 神々を殺し、神樹の律を破壊し、運命の糸を消し去り、新たな世界を創ること。

 運命の番人とやらは、昨晩殺すことに成功している。あれだって下位ではあるが、神の一種だ。神は殺せるという事実は、セレナの中にある。


 ティアナより、セレナはルナを託された。

 大好きな自分の姉との約束を、セレナは破ることはできない。


 ルナを守るため、セレナはまだ、歩き続ける。

 世界には目隠しがされている。世界の真相に気付いた人間は、セレナだけ。

 なれば彼女の行いは全て、万人にとって悪としか見られない。


 それでもセレナは、自分の大切な人を守るため、ボロボロにすり減った己を動かし続ける。

 ティアナの遺した、セレナが生きるための薪。彼女が遺した言葉は、確かにセレナの命を、つなぎとめている。


 神様殺しは今日もまた。ひとり地獄を生きていく。託されたものを、取りこぼさないように。

 冷え切った心に火は灯らずとも、無理やりにでも火をつけて。


 彼女は英雄だった。世界にとってはすでに、英雄ではない。

 しかし彼女は今でも、確かに英雄であった。



 これは、堕ちた英雄が、世界を創るまでの物語。

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神様殺しは今日もまた。 藍々瀬。 @aiaise

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