【第八章】

 そこには紫が立っていた。

「探したわよ。家に帰りましょう」

 紫の顔を見た途端、吐き気を催した。

───無理…………。

 手が、足が、動かない。

「い、やだ…………帰らない、よ」

 必死に抵抗した。

「どうして?なんで、反抗するの?ママの子でしょ?」

───無理…………。

「あなたも何か言ってよ、お友達でしょう?」

 紫は絢寧にも理不尽なことを言い出した。

「え、私は…………」

「あなたも反抗期?まったく、親の躾がなってないのねぇ」

「え…………」

 紫の言葉にたじろぐ絢寧。

───どうしてそんなこと言うの。

 親の躾がなってないのはそっちの方でしょ。

 そう言いたかった。

「ママの言うことを聞きなさいっ!またぶたれたいのっ⁉︎」

「…………っ」

 体が思うように動かない。

「やめてくださいっ。嫌がってます…………───」

 絢寧はそこで言葉を止めた。

───私が言ってどうなるの………?

 今まで散々天をいじめてきた。自分が言えた義理はないと思ってしまう。

「というか、十六歳どうしがこんな時間まで何やってるのよ。警察に連絡するからね」

───ああ、何もかもが滅茶苦茶だ。

 依存している、とさえ思ってしまうくらい紫は壊れている。

「それは、『ママ』のせいだよ………」

 ぽつりと溢れた。

「私、『ママ』のために頑張ったんだよ……。努力したんだよ。……私は『ママ』の世話をするために一緒にいたんじゃないよ…………」

 もう限界だった。

 もう壊れそうだった。

 もう終わりにしたかった。

「私はっ………『ママ』のいいなりになるために生きてるんじゃないんだよっ…………!」

 もう、苦しかった。

 もう、つらかった。

 もう、泣きたかった。

「だからっ……もう『ママ』は、私の世界に入ってこないでよっ…………!」

 許せない、と思ってしまった。

 


 だから、『天』は紫を突き放した。



 紫はわなわなと肩を震わせている。

「私がいないと、何にもできないくせにっ!言い訳だけは一丁前!そんなんじゃ、社会で生きてけないわよっ!」

 理不尽だ、と思ってしまった。

「じゃあ、『ママ』は私達にとっての社会の見本なの?」

「それはっ………」

 天の反論に口籠る紫。

「一夜の過ちで私を産んでさ、愛情なんてもってのほか。全部私が悪いの?ねぇっ…………!」

 今までの思いを全て紫にぶつける。

───限界なの…………。

 その様子を見ていた絢寧は、自分の行動が全部間違っていたとわかってしまった。

『あなたの一番を遮る人がいたら粛正しなきゃね』

 それが正しいと思っていた。

 親の言うことが全て正しいと思い込んでいた。

 しかし、それは間違いだった。

───何もかも間違ってたんだ。

 何もかも。

 何もかも。

 全てが間違っていた。

───ああ、なんて愚かな。

 自分の愚かさに嘆いた。

「じゃあ、あんたなんてっ……あんたなんてっ!もう私の子じゃないわよっ!死んでっ、死んでっ、お願いだからもう死んでっ‼︎」

 紫はどこからナイフを取り出したのか、切先を天に向ける。

「っ…………!」

 思わず二人は目をぎゅっと瞑ってしまった。


「危ないっ!」


 二人を庇う影が、天と絢寧を覆う。

「っ………」

 紫の持つナイフに、蒼月の腹が刺さっていた。

「なっ、なんで………。いやっ、そんなはずはっ…………」

───どうして。

 何故紫の凶行に一瞬躊躇ってしまったのだろうか。

───だって、死にたかったはずなのに…………。

 いや、それどころではない。蒼月が危ないのだ。

「そ、蒼月くんっ………!」

「動かないでっ!」

 蒼月は紫に腹を刺されたまま、天を近づかせないようにしている。

「でもっ…………!」

 すると、騒ぎを聞きつけた警察がやってきて紫を押さえ込んだ。

「離してよっ!あの子を連れ戻さなきゃっ………!」

「大人しくしなさいっ!」

「うるさいわよっ!あの子を殺さなきゃ、またっ…………!」

 取られてしまう、と叫んでいた。

 警察は蒼月の腹の出血を抑えてていて、絢寧は肩に毛布をかけられていた。

「ねぇ、『ママ』。……私はね、『ママ』のお人形なんかじゃないんだよ」

───生きたい。

「『私』は…………あなたのために生きてるんじゃないんだよっ…………!」

───誰かに必要とされたいの。

「もうっ……もう、『私』に関わらないでっ…………!」

───もう、誰かを巻き込みたくないの。

 誰かを傷つけたくないの。

───蒼月くん…………。

 彼に助けてもらった。

 天にとっての唯一の光。

───愛されたいの。

 誰かに乞いたい。

「『私』は私として、生きたいのっ!」


 雛鳥は自身の殻を破った。


 それは、誰かに教えてもらったことはなく。


 鼓動をするように、息をするように、殻を破った。


「天ちゃん……何でそんなこと言うの………?」

 紫は、天の心の叫びに唖然としている。

「ねぇ、あなたはママの子でしょう?私と帰るわよね?だって………───」

 

「あなたは私の母親でも何でもない」


 雛鳥は成鳥になった。


 それはごく当たり前のことで。


 でもそれは、親元を離れるという意味で。

 

 だから天は紫を突き放した。

「…………え?」

 困惑している。

 地面に伏せられている紫と、紫を睨むようにして立っている天。

「天、ちゃん?」

 憐れむようにして見つめられている。

───どうしてどうしてどうしてどうして…………。

 何故なのか、理解ができない。

 どうしてそんな目で見つめるのか、わからない。

「私の気持ち、わかってくれた?」

 そんなこと言われても、わからないのだ。

───私の何がいけなかったの?


 紫は孤独になった。


───ああ、何て愚かな。

 蒼月は意識を失う前、微かに話を聞いていたことで率直に思った感想だった。



  **



 蒼月は目を覚ますとそこは病室だった。

 白い天井が、死を連想させるようで少し怖かった。

『あーあ、死ななかったんだね』

 そんな言葉が聞こえた。

───誰だ?

『もう少しだったのになぁ』

 何のことを言っているのか、さっぱり理解できない。

「そぅ……蒼月くん…………」

 傍には天が座っていた。

「よかった………起きてくれた…………」

 心配してくれる誰かがいた。

 数分後には鈴子も入ってきて、蒼月を抱きしめた。

「ほんっとに、心配させて!…………よかったぁ………」

「ごめんね、母さん。……天さんもありがとう」

 ただ、この場にいないのは絢寧だった。

 天に聞くところによると、絢寧は警察に保護されてから親元に返されたそう。

 帰るまで、ずっと天に謝っていたそう。

「そうなんだ。……ちょっとはスッキリできた?」

「うん……」

 ふと見ると、蒼月の心臓部分から伸びている帯がグラデーションのように青や桃、オレンジなど、様々な色が見えた。でも、割合的には桃が多いことに気づく。

「天さん。俺さ、君に伝えなきゃって思ってたことがあるんだ」

「えっ…………」

 それは…………───。


  *


 一方その頃、家に連れ戻された絢寧は母からの叱りを受けた。

「どうして、勝手に出て行ったのよっ!もう、あなたは一か月外に出ることは許しません!学校にも行かなくてよろしい!」

 何て、理不尽な。

───また、爆走してる……。

 いつものことだとわかっていても、今回ばかりは反抗したくなった。

───私も、鯉浦さんみたいになりたいよ。

 全てを捨てられるような、この思い。

「お母さん。……お母さんはそんなに世間の人に見てもらいたいの?」

「当たり前じゃない。外で認めてもらえたら、家も自分も安泰なのよ?」

───ああ、そうか。


 母は子供を心配して言っているのではなかった。


 ただ単純に、世間体を気にしているだけで絢寧のためではない。

「そうなんだね………。じゃあ、私さ………」


 お母さんと、さようならするね。


「えっ?」

 突然の発言に、母は困惑した。

───もう、振り切るんだ。

「⬛︎⬛︎?」

───その名前は捨てることにしたの。

「出ていく、なんて言わないわよね?」

 そんなことはどうでもいいの。

 新しい世界で生きていくの、私は。

「お母さんは一度でも私のこと心配したことあった?ないよね。……そうだもんね、私より世間体のほうが気になるんだもんね」

「そ、そんなことないわよ。さっ、部屋で勉強始めちゃいなさい」

「しらばっくれてももう無駄だよ。…………じゃあね」

「そんなっ、絢寧っ⁉︎⬛︎⬛︎っ!」

───じゃあ、もう『私』の役目は終わりだね、絢寧。

 そうだね、お疲れ様。⬛︎⬛︎。


 そして、おやすみなさい。もう一人の


 自分の中でもう一人の自分が消えていく感覚がした。

───ああ、行っちゃったね。

 ばいばい。もう会うことはないでしょうけど。



  **



「え…………?」

 蒼月のその言葉はどういう意味で言ったのか。

「だから、その………。俺は君に恋情を抱いてるんだよ」

 詩人のような言葉遣いで話す。

「えっと……」

 恋情。恋心を抱くということ。

───何で、今なの…………。

 鈴子といい、蒼月といい、どうして突拍子もなく吐露するのか。

 そこには特別なものはない。

「最初は君に対しては、『心配』だった。でも、だんだんと表情を取り戻す度に俺は君のことが気になってた。自分でもおかしいと思うよ、何で見ず知らずのところからここまで持ってこれたのかなんて。それに……今回もそうだけど、俺は君のことが心配でたまらなかった。でもやっぱり守らなきゃって。あんなことになっちゃったけどさ………」

 天の表情を見ながらゆっくりと喋る。

 それはまるで優しく包み込んでくれるようで。

───私も。

 人を好きになれたりするのかな。

 今はどんな表情をして蒼月を見たらいいかわからない。

「あ、あのぉ……お母さんもいるんだけど〜…………」

 鈴子が恐る恐る気恥ずかしそうにして割って入ってきた。

「別にいいよ」

「そういうもんなのっ⁉︎最近の子って、恥ずかしがり屋が多いらしいからちょっとお母さんびっくりしちゃった」

───ちょっと恥ずかしい…………。

 蒼月の大々的な告白に対する驚きと、鈴子がいる恥ずかしさが相まって、何だかとても複雑な気持ちだ。

 どう反応していいかがわからない。

「……蒼月くんのその気持ちは私にはまだ、わからないの。人とあんまり関わったことがないし、そもそも……人を好きになんてなったこともないし………正直、わからないの」

「そうだよね………迷惑だったかな…………?」

「いや、そんなことはない……よ…………。ただ、今までこうやって言ってくれる人がいなかったから……嬉しいの」

 ぎゅっ、と締め付けられるような。

 罪悪感でも、悲しみでもない。

───この気持ちは何なんだろう………。

 彼を見ると跳ね上がるような鼓動の仕方。

 わからない。

 いや、わかりたくないのかもしれない。

 

『人の表情を伺いながら過ごすのは、辞めたら?』


 誰かの声が聞こえた。

───誰?

 辺りは蒼月と鈴子しかいない。

『楽に過ごそうよ』

───そうだね。

 自分の気持ちに正直になれればいいんだ。隠さなくていい。

「私は……これが同じ気持ちかはわからないけど、蒼月くんのこと………いい人だと思ってる」

「ありがとう……」

 正直に話せばいいんだね。

───自分の中にある燻りがなくなっていくような気持ちになる……。

 

 辺りは、オレンジと桃、青の帯に包まれた。


───ああ、何て綺麗なんだろうか。

 こんなにもはっきりくっきり見えていたのだろうか。

「早く元気になってね、蒼月くん」

 面会時間が過ぎていたことに気づいた鈴子と天は、蒼月に一時の別れを告げた。

「うん、ありがとう……。また明日」



  **



 鈴子の家に帰り、天は今後について話をした。

「まだあなたは未成年だから、誰かと養子縁組をしてやったほうがいいと思うのよ」

 確かに、天はまだ未成年という立場。

「そうですね………誰かと養子縁組をしたほうがいいですよね」

「そう。そのことなんだけどね…………家と組まない?」

「えっ…………」

 突然の提案に驚く。

「そうすれば一緒にいられるでしょ?」

 紫はあれから殺人未遂として逮捕され、のちの裁判で審議が決まるという。

 そして、残された天の待遇をどうしようかと鈴子が警察と蒼月で話し合っていたときに『養子縁組』を組むことを考えたそう。

「でもこれは一つの提案であって強制ではないから、あなたの気持ちで組むか組まないかができるから……」

 このまま断ってしまえば、天は帰る場所がなくなる。それは何とかして避けたいところだ。

「ありがとうございます………。養子縁組の話、承諾させていただいてもいいですか?」

「…………!」

 鈴子は何日も迷いに迷ったのだろう。

 その気持ちだけでも嬉しい。

「これから、よろしくね」


 孤独だった少女は唯一の光を見つけてもらった。


 その光は何故だか優しくて。


 暖かく、その少女を包み込む。


「はい、お願いします」

 誰かに認めてもらいたかった。

 でもそれは叶わなかった。

 母の機嫌を損ねると、叩かれ、殴られ、ときには外に放置なんてものはざらだった。

 だから、そうされないように頑張ってきた。母の言われた通りにした。

 でも、無理だった。

 限界だった。

───絢寧と一緒だね。

 同じ状況にあった少女。

「一つ、私からも提案があるのですが…………───」

 未だに救えていない少女がいる。

「判断は、彼女自身だけど………」

 でも、やってみる価値はある、と天は思っている。


「絢寧さんも一緒に組んでみてもいいかもね」


 誰かの行動で救えるものがある。

 支えてもらえる人ができる。

 最後まで見届けてもらえるものがある。

「ありがとうございます」

 


  **



 愚かで愚かで愚かで。

 怠惰な感情で、人を惑わして。

 その心は燃えたり消えたりする。

 炎は消えずとも、その感情だけは燻り続ける。

『大変だったね』

『辞めちゃえばいいのに』

『うふふ。可哀想な子』

『あはは。みっともなーい』

 その声は一人一人の心であり。

 鎮火できないものである。

───お願い、消えて。

 そう願っても燃え尽きはしない。

───ごめんなさい。

 謝っても治るものではなく。


───光が欲しい…………。


 そう、願い続ける。

「見つけたよ」

 また、光が灯る。

「帰ろう、新しい場所へ」

 引っ張られていく。

───さようなら、記憶の『私』。


───さようなら、イグニス・ファトゥス。


 それぞれの思いを抱え、二人、いや三人は新たな世界を一歩踏み出す。



『さようなら、人の子よ』



 新しい場所で幸せに。

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イグニス・ファトゥスー愚かな炎ー @Yozuru-A

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