【第七章】
蒼月は天の部屋の扉を閉め、自室に戻った。
───上手くできたかな…………。
上手く笑えたのか、話せたのか、わからなくて手が震える。
───これが緊張かぁ………。
蒼月は眠るまでずっと手が震えていた。
*
翌日の昼。ファストフード店のバイトが入っていた蒼月は休憩時間、呼び出しがかかった。
「なんか、女の子がお前のこと呼んでるらしいぜ」
───誰だ?
蒼月は基本、女子とは話さないので呼び出しがかかるほどの仲はいない。
果たして誰なのか。
「あ、こんにちは」
「………こんにちは」
射干玉の長い髪が店の蛍光灯に照らされて鈍く輝いている。蒼月は彼女が一体誰なのか全く見当もつかない状態だ。
「あの……俺にどういったご用で?」
「…………」
蒼月が話しかけても彼女は一向に口を開こうとはしなかった。
気まずい沈黙の時間だけが過ぎてゆく。
「あの」
やっとのことで口を開いた彼女は蒼月にあることを訊いた。
「あなたと天の関係性は?」
───は?
「いや……関係性なんてないよ」
「…………そう」
「あの、とりあえず君の名前を教えてもらっていい?」
「…………どうしてあなたに教えないといけないのよ」
蒼月はその言葉にカチン、ときたが何とか抑えた。
───じゃあ、どうして俺を呼んだんだ!
内心、イライラしながら彼女の話に耳を傾けた。
「あなたとは関係性はないのね………。じゃあ、私の家で保護してもいいかしら」
───何を言っているんだ、この子は。
思わず背筋がゾッとした。
「全てはあの子のためだもの」
───どういうつもりなんだ……?
彼女の笑顔が何故だか不気味に見えた。
「なんで、そうなるんだ?」
「あなたといるより、私といたほうが同性で同年だし、いいでしょ?」
───そんな無茶苦茶な…………。
彼女の横暴さに驚いた。
「何を根拠にそう言っているんだ?」
蒼月も負けじと言い返す。
「何って………私はあの子のためを思って言ってるのよ。根拠なんてあってもないようなものでしょ?」
「違うな。俺は彼女が家で虐げられ、学校ではいじめられの生活に耐えられないと聞いていたんだ。それに君、天さんをいじめる首謀者だろう。違うか?」
刺々しい言い方に彼女は苦い顔をする。
「色々と天さんからは聞いているんだ。自分の私利私欲のために天さんを利用するなら、俺が許さない」
───何で俺はこんなにも怒っているのだろう。
「………あなたごときにあの子と私の関係を言われる筋合いはないわ」
彼女もムキになってきつく言い返す。
そのとき。
「絢寧、あなたこんな下賤な場所にいたの」
彼女の目の前で『母親』とみられる女性が仁王立ちしていた。
───こんな場所を下賤だと…………?
これはあまりにも失礼が過ぎると思ってしまった。
「で、この男は何?」
女性の冷め切った言葉に背筋がぞくりとした。
───駄目だ。………言えない…………。
ぎろりと睨むようにして蒼月を見つめる瞳は何も映されていない。
───何だ、この人。
圧倒的な存在感の上に何者にも勝るオーラ。
「帰るわよ、絢寧。あなたも、忙しいこの子に話しかけないでちょうだい」
───は?
「違うの、お母さん。私が話しかけたのよ」
「そんなわけないでしょう?」
娘の言うことさえ、聞く耳を持たない。
「…………」
「早く帰って勉強しなきゃ」
母親は彼女の腕を掴んで半ば無理矢理店から連れ出した。
「………っ」
去り際、彼女は蒼月の方を向いて何とも言えない複雑な表情を見せていた。
蒼月は複雑な心境のままバイトを続け、家に帰ってもモヤモヤとした気持ちが晴れなかった。
「……バイト、お疲れ様、です…………」
自分の部屋がある二階の廊下の隅で天が立っていた。
「どうしたの、そんなとこで」
蒼月は訊くと天は『何をしたらいいかわからなくて……』と答えていた。
「自分の好きにしたらいいんだよ」
そう言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。
「………鈴子さんのお手伝いをしてたの」
「そうなんだ………。ありがとう」
蒼月は笑顔を見せると、天はパッと下に視線を向けた。
「蒼月〜、天さ〜ん、ご飯よ」
鈴子に呼ばれ、ダイニングに向かった。
*
「どうして私じゃなくて、あいつなのよ……。おかしいじゃない…………」
絢寧は母から強制的に勉強させられながら先ほどのことを思い出す。
『自分の私利私欲のために天さんを利用するなら、俺が許さない』
───何で私じゃないのよ…………!
絢寧はペンが折れそうになるほどの力を込めた。
「絢寧、勉強は捗ってるの?」
自習の扉ごしから母がいつもの確認をしてくる。
───うるさいな………。もう、やめて。
「お母さん、うるさい」
口が滑った。
「何よ、その言い方!出てきなさいっ!」
───ああ、まただ。
勉強を怠ったり口答えをしたら母は必ず、頬をぶつ。
「開けなさいっ、絢寧っ!」
鍵をかけてはいるが、それでも強行しそうな勢いでドアノブを回す。
「お母さん、いつから私にこんなことさせようって思ったの?」
椅子から離れ、ドアを背もたれにして開けられないようにもたれる。
「あなたは私の理想なのよっ⁉︎あなたはお母さんの言うことを聞いているだけでいいの。その方が家も安泰なの」
ドアノブを回す手は離れない。
「じゃ、じゃあさ、お母さんは私が死んだら……いらない子になるの?」
すると、音が突然消えた。
「絢寧、なんでそんなこと言うの?……あなたしかいないのよ。あなたにしかお母さんの願いは叶わない。いつも言ってるでしょう?あなたの一番を遮る人がいたら粛正しなきゃね、って」
───また、その話。
歪んだ愛情。違った育て方。
───ああ、もういいや。
絢寧の瞳から一粒の雫が落ちた。
「お母さん、私は今までお母さんの言う通りにして、一番もたくさん取った。勉強も頑張った。行っちゃ駄目なところも行かなかった。全部全部お母さんの願いを叶えたでしょ?もう……いいじゃん…………。いい加減、終わりにしてよ」
───ああ、もういいや。
私は頑張った。
私は言うことを聞いた。
私は、………───。
わ、たし、は…………───。
あーあ、壊れちゃったね。
───何………?
『壊れた、壊れた。お前の心』
───何、これ。
『きゃはは。きゃはは』
───飛んでる…………?
『きらきらじゃなーい。くろーいよー』
───妖精……?
『きゃははっ!』
───イグニス・ファトゥスだ…………。
自分が愚かだから来たのかな。
『食べちゃえ』
「⬛︎⬛︎?」
───ああ、その名前で呼ばないで。
忘れたと思ったのに。
「⬛︎⬛︎、何してるの?」
───だから、呼ばないでって……。
絢寧は扉を開けた。
「ああ、出てきたのね」
母は呆れたようにため息をつく。
「……お母さん。…………もう、終わりにしよう……?」
「な、何を言っているの………?」
母は何が何だかわからず、困惑している。
「全部、お母さんのせいだよ」
絢寧は家を飛び出した。
『檻』から逃げた鳥のように走った。
*
一方その頃の天は。
「あっ……ごめんなさい」
「あらら、大丈夫?怪我してない?」
天は鈴子との片付けの最中、皿を落として割ってしまった。
「は、はい………」
「危ないから、早く片付けましょう」
カチャカチャと大きな破片から片付けていく。
「あのね、ここ最近の蒼月ね、天さんのことばかり話してくるのよ」
───何で今、なの……?
頬が赤くなるのを感じた。
「たまに夜に蒼月の部屋覗くけど、寝言が天さんなのよ。何かあったのかしら」
鈴子は何ともないようにして話すが、こちらとしてはとても恥ずかしい話だ。
蒼月にとって天は大切な存在だと知ってしまった。
───どうしてそこまで…………。
人を想えるのか。理解ができない。
───あ。
鈴子の胸が桃色に染まっている帯が見えた。
───変わった。
すると、インターホンがリビングにまで鳴り響いた。
「はーい」
鈴子は急いでインターホンのカメラ口まで行くと息を飲み込んだ。
『こちらで誘拐されているという情報があったのですが』
おそらく紫が通報したのだろう。
『とりあえず、中を拝見させてもらってもいいですか』
鈴子は恐る恐る玄関扉を開け、中に入れた。
───ああ、見つかった。
もう終わりだと悟った。
「ああ、よかった。無事だったんですね」
先頭に立っていたヴィンテージスーツの男性警官は天を見ると息をついた。
「お母さん、あなたの息子さんから事情は聞いています。ご苦労様でした。ですが、もう少し早めに連絡はして欲しかったですね」
「はい、すみません……」
「いえいえ、こちらこそ紛らわしいことをしてしまい申し訳ありません」
お互い頭を下げ合う。
「挨拶がまだでしたね。私、市内の警察署に勤める警部、
環は胸ポケットから名刺を取り出して鈴子に渡した。
「頂戴いたします」
鈴子は名刺を受け取り、天の方を見た。
「まだ、解決は出来てないのよ。ごめんなさいねぇ」
───そんなこと………私の方が巻き込んで、迷惑かけてるのに…………。
「で、娘さんの母親を虐待の罪で逮捕、で間違いありませんか?」
「ま、『ママ』、は……どうなっちゃうの…………?」
「当然、裁判になりますね」
紫は天を虐待したという罪で逮捕され、裁判で判決が出るだろう。
そういうことが言いたいらしい。
───でも…………。
天にとって唯一の身内。
───私はどうすればいいの…………?
もう戻れない。
───どうしたらいいの………?
依存してしまった。
───終わりにしたいよ。…………。
『ああ、嘆いたね』
愚かなり。
愚かなり。
愚かなり。
『うふふ。染まって染まって、壊れてゆく。あの子みたい』
───何、これ…………。
『⬛︎⬛︎と一緒』
───誰のこと…………?
『恨んで恨んで、憎んで憎んで、泣いて泣いて、殺しちゃえ』
───もう、いいのかな…………?
ふわふわと飛び回る火の粉のような生き物。
───ああ、イグニス・ファトゥスだ。
『あの子が呼んでるよ』
悪戯の大好きな妖精。
じゃあ…………───。
天は何かに引っ張られるように家を飛び出した。
*
その頃の絢寧は高校から数分歩いた先にある公園のベンチで一人蹲っていた。
「終わりにしたい、よ………」
「誰も私を見てくれない」
「みんな私をいい子だって言う」
「でも私はいい子じゃない」
「演じてるだけなの」
ぽつりぽつりと本音が溢れる。
「正しいことって、何なの?」
「何が正義?」
「何が正解?」
「私はどうすればよかったの………?」
わからない。
わからない。
わからない。
「天………ごめんなさい…………───」
そのときだった。
「絢寧」
名前を呼ばれて恐る恐る顔を上げる。
「やっぱりいた」
天だった。
「絢寧も、ちゃんとした人間なんだね」
天が絢寧の隣に座って言う。
「何よ、人間って。私は元々人間よ」
「……絢寧はどんなことでも完璧だったね。授業でもいっぱい挙手してさ、体育では体力測定なんか一番だったじゃん。でも、私……今、絢寧の本音が聞けて嬉しかったの」
淡々と語る天の目に映るものは、絢寧だった。
「………なんでよ。私、あなたを散々いじめたのよ?それでもよく私を褒められたわね」
皮肉ったが、天の表情は変わらなかった。
「そうだね………。私は今まで絢寧にいじめられてきた。でも、私の目から映る絢寧は仕方なくやってるように見えたんだよね」
───どうして。
この子は前を向けるんだろう。
───ごめんなさい。
あなたをいじめて、ごめんなさい………。
「違う、違うの……。私が優越感に浸りたいだけだったの」
───仕方なくなんかない。
「私が一番になるためなの…………」
───私が全部悪いの。
「そうだね。一番になりたいもんね」
私もそうだったと。
───何で。
「言うこと聞かなきゃ駄目だもんね」
───違う。私は、そんなんじゃ…………。
「ああ、そこにいたのね天ちゃん?」
紫が立っていた。
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