何を見ても死を思い出す

 こめかみに死がある。すべての風景がそのフィルターをとおして映り、痛みが襲いかかってきて、逃れられない。

 わたしの性別は死だ。男でも女でもない。いや、これは意味不明瞭だ。許してほしい。こめかみに死があり、死が常にあり、わたしの言葉も支離滅裂にならざるを得ない。ところで、わたしの性別は死だ。そこは譲れない。そのつもりで受け取ってほしい。生まれたときから、死だった。おまえはどうして笑わないの、と周りから言われたものだ。それは死だからだ。でも、わたしは笑っていた。伝わらなかっただけだ。死は、笑うものだ。男よりも女よりも、笑う性別なのだ。

 こめかみに死がある。四六時中、真夜中まで夢のなかまで、銃を突きつけられているような気分。わたしが死で、わたしのこめかみに常に死があった。

 本を読む。目で文字を辿るのは心地いい。それは谷底へ落ちていく感覚に似ている。遥か下には死が待っていて、そこまで落ちきるのを待っていて、その自由落下の最中によぎっていく風景は、なんと綺麗なものだろう。落ちていくヒーローといえば、なんといってもアリスだ。偉大なる先達者だ。アリスは穴に落ちて、底まで落ちて、ぐしゃぐしゃになって死んだ。それはたしかに、不思議の国だ。死よりも不思議なものがあるだろうか。幼い頃のわたしの幼い友達も、穴に落ちて死んだ。子どもの日常にはいくつも穴が開いていて、生き残った者は忘れてしまうが、生き残れずに穴の底に落ちてしまって、いまも不思議の国をさまよっている子どもたちは大勢いて、幼い頃のわたしの友達もそのひとりだった。その友達のことを思い出すと、いまも動悸がして、手が震える。涙は流れない。いつもこめかみに死があり、涙の邪魔をして、涙は裏切りのように感じてしまう。

 落ちたヒーローとして、アリスの次に挙げるとすれば、ぐっと格が落ちはするが、ルシファーが順当だろう。地獄に落ちた天使とは、ずいぶん笑える見世物ではある。だが、やはり格は落ちる。どこか能天気なアリスに比べて、苦悩する天使のなんとみみっちいものか。幼い頃のわたしの幼い友達は、地獄ではなく不思議の国にいつもいる。

 わたしは紅茶を飲み、コーヒーを飲む。いつも立て続けに飲む。どちらも不味い。飲めたものではない。こんなものをありがたがるやつらの気がしれない。わたしはもちろん罰として飲んでいる。わたしは日常の奴隷だ。こめかみに死があり、いつもそこにあり、わたしはわたしの鎖の感触を手で確かめるように、わたしに幾重もの罰を与える。

 たとえば人と話すのもそうだ。それが、罰以外のなんであろうか。もしも生涯が自分の好きなことだけをするためにあるとするならば、わたしは生涯、人と話すことはないだろう。一生黙ったまま過ごすことだろう。それもこれも、わたしの性別は死だから、そうなのだから、そうなのだ。人と話して、人と触れあって、人と関わって、そのすべてが痛みだ。こめかみに死があり、すべての人間がそのフィルターをとおして現れ、例外なく醜い。容貌の美醜ではなく、行為の美醜でもなく、生そのものが醜い。わたしの性別は死だから、つまり、まあ、そういうことだ。

 いま、わたしはまだ死への途上でこれを書いていて、言葉を綴るということはつまり、まだ死んでいなくて、死につつある人間に文章は書けても、死んだ人間に文章は書けない。死にました、と書いている文章は、つまりまぎれもなくファンタジーであり、わたしはファンタジーをたまらなく好むが、いま、わたしはこめかみに死があり、こめかみにあるこの現実について語りたいのだ。わたしはまだ死んでいなくて、わたしの性別は死で、わたし自身が死で、幼い頃のわたしの幼い友達も死だった。涙はまだ流れない。わたしはまだ落ちている最中で、底までたどり着いていなくて、落ちきった先では、水晶のように透きとおった涙の一滴もあるかもしれないが、いまはまだ砂漠の蜃気楼のように、夢想の果ての、ファンタジーとしての涙しか想えない。

 何を見ても死を思い出す。わたしの性別は死で、わたしはまだ生きていて、わたしはわたしや友達を思い出して、それはあまりにも死でしかなくて、わたしのこめかみに常に死がある。

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