神様でもサイコロを振るらしい

きつねのなにか

神様だってサイコロを振る

「なあ、神様はサイコロを振らないって知ってるか」


 唐突に兆司ちょうじくんが隣の机から話しかけてきた。


「高校三年生にもなれば少しはそういう話も知ってるよ。全知全能の神様は全て知ってるからサイコロでなにが出るかも知ってる。だからサイコロを振らないんでしょ。本当に本当の全知全能だから、過去も未来も知っている。だから振る必要がないのね」


 私が知っている限りのことを答える。

 まあ、こんなもんでしょ。


「うーん、当たらずとも遠からずだな。全ての事柄は必然で決まっている。必然だから偶然で成り立っているサイコロは振らない、という、アインシュタインのころの理論ではそうなる。ただ最新の研究だともの凄い小さな世界の自然はめちゃくちゃ偶然で出来ていているんだ。観察すると全てが確率で出来ている。というか観察するだけで結果が変わる。それはつまり、そこら辺中で自然がサイコロを振っていることにな――」


「はいはい。あとは東大にでも行ってから話しなさい」


「いや、まだ話は……まあいいか。東大どころかオックスフォードに行くから、円香まどかさんにはそこで説明してあげよう」


「そっかーそのときはよろしくねー」


「聞いてないな、まあ今回はここまでにしてやろう」


「神様はサイコロを振らないんだし、一度だけで十分ね。必然は一度だけ、でしょ」


 兆司くんはかなり頭が良い。本当にオックスフォードにでも行ってしまうだろう。

 私はその点……そこそこ。まあ、記憶力だけなら悪くはないけど。


「なんだ二人とも、また冷やかしか。兆司は美人とよく話すよな。本当うらやましいぜ」


「美人って何よ。そんなに美人ってわけでもないじゃない」


「いやいや、ずりーよ。しかしの兆司いってることによく追いつけるよな、唯野ただのさんって」


「追いつけるというか、記憶してるだけというか」


「まあ、兆司のお世話係だしな、唯野さんは。じゃあ、邪魔だし退散するか」


 下村したむらくんが冷やかして帰っていく。


「まいったね、話を聞いてくれるのが円香さんだけだというのに。なあ、そうだろ」


「そう、だね。私だけだもんね。それで、今日も図書室で勉強会するのかな」


「もちろん。テスト前だもんな。円香さんが赤点取らないようにしないと」


 我が校自慢の、綺麗で静かな図書室で勉強会。テスト前は兆司に頼りきりだ。

 なんたって東大にオックスフォードに、という頭脳だ。何でも知っている。


「ここはこうやって公式を使って。ここは古典で習っただろ」


「ふむふむ。覚えた覚えた」


「じゃあ小テストを実施しよう。ちょっと待ってろよ」


「ちょっとだけ待つわね。ちょっと、はい待った」


「子供か」


「ぶー」


 簡単な小テストをすることになった。

 簡単、それは兆司くんにとっては、だけども。


 まあ、頭が良くなっていっているのは事実であって。

 


「どうだ、できたか?」


「うーん、まだ待って。一応理解はしたんだから」


 そう言いながら、私は鉛筆を走らせる。

 彼は、私が「覚えた」と言ったことを絶対に見逃さない。その言葉が、一時的な理解に過ぎないのかどうかをしっかりと試す。


「じゃああと五分だけな。円香さんなら出来る問題だよ」


「そうかな、だいぶ難しいよ。ちょっとは手加減してもいいのに」


「いいや、手加減など必要ない。円香さんは素晴らしい記憶力の持ち主なんだからな。それに、僕がオックスフォードに行ったら、もう小テストをすることはないんだぞ」


 そんな話をしながら小テストの時間が終わる。


「九五点か。東大理Ⅲは無理だな」


「私は文Ⅲがいいな。文章の勉強をしたい。なんちゃって、私の頭じゃ無理よね」


「言ったな。僕の個別塾は無料だが、かなり厳しいぞ」


「ちょっと、本気なの」


 兆司くんは本気だった。

 なんとまあ、私の家に上がり込み徹底的に勉強をたたき込まれた。

 そんな勉強漬けの日に。


「なあ円香、なんで僕が頭が良いかわかるか」


「そりゃあ、天才だからでしょ」


「なんで天才かって意味だよ。僕はね、神様なんだ。ちょっとした」


 なにをいきなりわめいているんだろう。頭がおかしくなったのだろうか。


「勉強の神様ってことかな。もうオックスフォード決まっているんでしょ」


「もうちょっと偉い。サイコロを振らないくらいかな」


「ふーん。全知全能じゃない。わーすごい、なむなむ」


 兆司はちょっと悲しい顔を見せたが、すぐに立て直すと。


「南無は仏教用語だな。まあ、全知全能の神様は仏教をも内包しているけれども。だからさ、そういうわけで頭が良いってわけさ」


 兆司の言うことだし、一応覚えておこう。


        ◇



 神様の兆司と私の記憶力によって、学力はめきめきと上昇。

 夏の終わりには、本当に東大を狙えるところまで来ていた。


「本当に頭よくなっちゃった」


「言っただろ、僕は神様だって」


「本当ね、感謝しなくちゃ。なむなむ」


 そんな話をしつつ、始業式を迎える。


「お、上吉とそのお嫁さんが来たぞ」


「何よ下村くん、兆司とはそんなんじゃないってば」


「いやいや、みんな知ってるぞ、兆司が毎日唯野さんに家に上がり込んでいたことは。毎日何やっていたんだろうなあ」


「ゲスい事は考えるなよ、下村。純粋に勉強を手伝っていただけだ」


 うーん、あんまり良くない。あばずれとか女たらしとかの噂が広がるとまずい、というか広まっているのか。


「私と兆司さんには何もないわよ。ねえ、兆司さん」


「いまさらさん付けしても遅えぞ」


「神様の調整でもするか」


 そう言って兆司は右手を頭の上くらいまで持ち上げると。


「はい、リセット」


 それだけ述べる。


「下村、僕と円香に何かあるか」


「いや、別に。というかなんか騒がせようとしている発言だな、それ」


「――特にないわ。ごめんね、変なこと兆司さんが言って」


 なに、一体。

 なにが起きたの。

 一瞬で私との関係がないかのようなことになった。


「兆司、説明してくれるかしら」


「あとでな」


 放課後、図書室へ向かう。

 いつものように静かで落ち着いた図書室。その隅の席に相対して座った。兆司はいつになく真剣な表情をしていた。


「説明するよ、円香。下村のあの反応は、下村の記憶をリセットしたからだ」


「まさか、記憶でも消したの」


「当たらずとも遠からずかな。量子力学の世界では、観測者が観測、つまり情報を見ることだな、それをすることで、それまでの不確実な情報の重なりが分離して一つに定まる。それが、自然がサイコロを振っている、という部分」


 兆司くんは静かに、しかし流れるように語る。彼の頭の良さは、こんな非現実的な話をも納得させる力を持っていた。


「僕は神様だって言っているよね。それはこの量子的観測未満ならサイコロを振らないからだ。つまり、意味がわかるかい」


「必然的なら操作ができる……ってことかな」


「そう。僕が右手を上げた時、僕は下村が持っていた、君と僕に関する記憶という名の"必然的結果"を、僕が介入する前の、一番彼らが納得するであろう形に上書きしたんだ」


 私は思わず息を飲んだ。彼の言っていることが本当なら、それはほとんど魔法だ。


「つまり、彼らの頭の中では、この夏の出来事が、なかったことになっているの?」


「そうだ。厳密には彼らがその事実を知っていたという必然的結果を”不自然がないように調整した”。下村の夏の時がわからなかったような行動は、僕の調整によってあるべき姿に戻ったってわけさ。わかったかい」


 わかるわけないだろう。わかるわけない。でも、事実は目の前で起こっている。


「僕の神様って能力は、全知全能なんかじゃない。全知全能のサイコロの目を望む結果に書き換えるようなものだよ。自然のサイコロには一切通用しない」


「自然のサイコロって、なに」


「未来だよ。今この瞬間までは書き換え可能さ、でも明日の天気はどれだけ泣いても喚いても、神が神にすがっても、変えられないし、わからないんだ」


 私は茫然としながら、鍛えられた自分の頭で今の説明を懸命に理解しようとする。


「僕が東大やオックスフォードを狙えるのは神様だからだけどね。既知のことは何でも知っている。君が僕の指導であそこまで伸びたのは驚いたけどね」


「私の東大は、ただの遊び道具だったってこと?」


 それは寂しいし、少し怒りを覚える。遊びだったってことか。

 将来は遊び相手な女にならないようにしよう。凄くやるせない。


「違う違う、全力で教えたのは事実だよ。神様の全力に耐えきれる記憶力が凄いって事でもある。円香は凄いよ」


 ここで討論が一息つく。

 兆司は本当の神様で、今この瞬間までは事象を操作することができる。

 それは認めるしかない。


「かみさま、か。兆司って凄いんだね」


「普段は神様級の天才ってことで」


「兆司が凄いってのはわかったけど、なんか怖くなっちゃった」


「どうして」


「凄すぎると人って畏怖しちゃうんだよ」



        ◇



 それは大晦日の出来事だった。


 円香の親御さんから僕に電話がかかってきたのだ。


「円香さんが車に轢かれた、ですか。すぐに向かいます」


 全身に汗をかく。動悸が止まらない。

 残念ながらテレポートといった芸当は僕には出来ない。

 とにかく急いで円香が担ぎ込まれた病院へと向かう。


「ああ、兆司くん。円香がね、円香が」


 円香のお母さんが僕に話しかける。かなり動揺している。


「お母さん落ち着いて。お父さん、円香さんの様態はどうなんですか」


「命が消える確率が九割、とお医者様が述べていた。私達は最後の望みに賭けるしかない」


 悲壮な雰囲気でお父さんが言う。憔悴しきった顔が見ていて辛い。


「ICUに居るんですね。様子は見られないのか。でも」


 行かなければ。


 ICUまでの道のりは簡単だった。緊急処置室のところにあるIUCだ、道のりは近い。

 看護師や医者に見つかってもリセット、そう、サイコロを操れば良い。

 そしてICU。


「来ちゃったよ、円香」


 円香はいくつもの管をつながれていて、生体情報モニターの数値は恐ろしいほど低い。



 もう、死ぬ。



「僕はね、神様なんだよ、円香。だからサイコロは振らない。でも、自然はサイコロを振っているよね、未来は操作できないんだ」


 そう。


「普通はね」


 僕は右手を上に持ち上げる。


「やろうと思えばね、未来に関与することも出来るんだよ、なんたって神様だからね。そう、己の全てを捧げれば、一度だけ」


 息を大きく吐く。


「円香、君は死なせないよ。僕の代わりに東大、いや、オックスフォードに行くんだ。ありがとう、会えて楽しかったよ。教えるの凄く楽しかった」


 僕は、サイコロを、止めた。



       ◇



 私は奇跡的に助かった。

 奇跡は繋がる物で身体に欠損が出るとか機能不全が出るとかはなかった。

 今日はオックスフォードに行く旅立ちの日だ。


「まさか唯野さんがオックスフォードに行けるなんてな。どうやってその学力を手にしたんだ」


「下村くんみたく遊んでいないで、ちゃんと勉強したからよ」


「そりゃそーか。でも一人でよく出来たな」


「一人の気はしないんだけどね。まるで誰かが側で見守ってくれたみたい」


 本当に一人でここまで来られたとは当然思えない。誰かいたような気がする。それでも事実として私は一人でここまでやって来たのだ。


「そうそう。ねえ、下村くん、こういう現象を知ってるかな」


 ――神様はサイコロを振らない。――

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