ゾーン
船越麻央
地下迷宮の恐怖
「……ここか」
私は待ち合わせ場所に着いた。古い倉庫や廃工場の立ち並ぶ区域だ。時計を確認するとまだ少し時間があった。
私は周囲を見回したが、まったく人影はない。本当に”彼”はここにやって来るのか。しかし信じるしかあるまい。何しろ”彼”はめったに人前に姿を現さない。今回の取材に応じてくれたのは奇跡だと言えよう。
”彼”の到着を待ちながら、私は次第に不安になってきた。たった一人でこんな所に行けと命じた上司を憎らしく思った。しかしこれも仕事である。
そうこうするうちに、私の目に一人の男の姿が飛び込んできた。地味な服装の平凡な中年男。瘦せていて猫背、目立たない印象だ。だが私には分かった。
間違いなく”彼”だ。謎と恐怖の空間「ゾーン」への案内人である。その素性も身分も不明な人物だ。
”彼”は私を認識すると、後からついて来るよう無言で促した。まったく無表情でひと言も言葉を発しない。私は”彼”に従ってその場を離れた。
私と”彼”はまったく言葉を交わさぬまま、ある建物に入った。薄暗いその建物は廃工場だろうか。大きな古い機械や作業机がところ狭しと放置されている。油のような臭いもした。
そんな中を”彼”はスタスタと歩いて行く。私は床に散乱している残置物につまずきながら、”彼”についていくのがやっとだ。私は暗黒異空間の冷気を肌で感じた。
廃墟のような建物内をどのくらい歩いただろうか。周囲は暗くジメジメしていて、いたるところに水溜りが出来ている。雨でも無いのに天井からあちこち漏水しているのだ。通路は人ひとりがやっと通れる狭さだ。
時おりどこからかカーンカーンと鋭い金属音が聞こえて来る。私は恐怖で逃げ出したい衝動に駆られたが、ここまで来たらもはや引き返すことは出来ない。
”彼”は一度も振り返ることなく黙々と進んで行く。時おり立ち止まって、何かを確認しているようだ。闇の深淵「ゾーン」は近いのか。
やがて目の前に地下へと下る階段が現れ、”彼”は躊躇なく下って行く。まるで魔界への入口ではないか。私も懐中電灯で足元を照らしながら”彼”を追った。周りに照明など無いのだが私たちの周囲はほんのりと明るい。しかし相変わらず天井から漏水している。本当にこのまま進んで「ゾーン」にたどり着けるのだろうか。
そもそも「ゾーン」とは何か。異星人の拠点、パラレルワールドへの入口、魔界空間の門、エトセトラ。諸説あるが誰も真相を知らない。今までに何人も究明に挑戦し行方不明になっているおぞましい場所だ。
今回の取材で私は「ゾーン」の真実にたどり着けるのだろうか。あるいはこのまま元の世界には帰れないのかも知れぬ。私は覚悟を決めていた。
ようやく長い階段が終わった。しかしまだ暗い通路は続いている。”彼”は立ち止まった。その時、どこからともなく強風が吹いて来た。同時に甲高い口笛を吹くような音も聞こえる。自然界には無い、この世のものとは思えぬような不気味さである。
案内人の”彼”は初めて振り返ったが、相変わらず無表情である。私は”彼”に声をかけたい衝動に駆られたが、それは約定違反にあたってしまう。黙って”彼”について行くしかないのだ。
ますます強風が吹いて来た。さらに甲高い口笛のような音も次第に大きくなって来た。まさか「ゾーン」に着いたのか。周囲は暗く懐中電灯で照らしても何も見えない。もはや昼も夜も分からぬ。私は狂気に進んでいるのか。この地下迷宮はいったい何なのだ。
気が付くと案内人の”彼”の姿が見えない。こんな所に私を置いてどこに消えたのか。案内の役目が終わったのだろうか。
強風は次第に渦を巻いて来たようだ。例の甲高い音も更に大きくなった。私は暗黒の地下迷宮に一人取り残されたのか。
そして私はようやく悟った。「ゾーン」の真実。
かつて宇宙の彼方から飛来、都市を建設し地球を支配した種族。今は地の底で秘かに力を貯えている彼等が築いた禁断の場所。それが「ゾーン」だ。
遥かな太古、人類どころか恐竜以前に繫栄した邪悪な種族。その末裔が姿を現そうとしている。
渦を巻く烈風と、口笛のような音。間違いなく彼等だ。案内人の”彼”もいない。これはまずい状況だ。もはや引き返すこともままならぬ。私は「ゾーン」に消える運命なのか。このままでは行方不明者の仲間入りだ。
もはや取材どころではない。私は思わず闇雲に駆けだした。とにかくこの「ゾーン」から逃げ出したかった。だがそれは許されぬらしい。周りの空間が歪み上も下も分からなくなった。烈風に煽られ、さらに床に足を取られて転倒し頭を打った。
遠のいていく意識の中で、甲高い口笛のような音を耳にした……。
了
ゾーン 船越麻央 @funakoshimao
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます