紅い結晶
秋の香草
紅い結晶
四十六パーセント。ウェイマス魔法学校の規定年限卒業率だ。裏を返せば残りの五十四バーセントは、学校で過ごす六年間のどこかで、留年するか退学する。
かくいう私もそうだ。といっても五年目までは、順調とは行かないまでも、何とかやり過ごせていた。勉強不足で次々に落第していく同級生を傍らに、私はぎりぎりのところで踏ん張っていた。
暗雲が立ち込めたのは最後の年、六年目だ。魔法学を必死の努力で修めた私の前に立ちふさがったのは、そう、魔術の実技だった。
魔法を実際に行使する能力というのは、語弊を恐れずに言えば、才能によって決まった。こればかりは、座学でどうにかするには限度があった。よくある話だ、私には才能とやらが最初から欠けていたのだ。
私は卒業試験を突破できなかった。
薄々気づいてはいた。思えば兆候は入学当初から表れていた。ある日、軽薄な同級生が実技の授業で、天井まで魔法の炎を上げて教師に叱られている間、私の杖先にはロウソクほどの炎しか顕現しなかった。どれほど魔法学の教科書を読み込んでも、どれほど術式を理解しようと努めても、私のちっぽけな炎は大きくならなかった。
魔術の実技がからっきしだった代わりに、座学の成績はクラスでも上位だった。それだけが、わずかながら私の慰めとなった。田舎からのこのこ出てきた私が、都市で恵まれた教育を受けた、大勢の同級生より勉学で勝っているというのは、私の傷ついたプライドを保つ砦となっていたのだ。彼が現れるまでは。
あれは私が三年生だったときのこと。確か秋ごろだったはずだ。転校生がやってきたのだ。外部から中途で人が入ってくるというのは、非常に珍しいことだった。私を含めほとんどの学生は入学試験を受けて入学している。途中から入ってくるということは、非常に高難易度な編入試験を突破したか、あるいは、学校関係者の上層部にコネを持つということだ。ほとんどは後者だろう。よほど学業優秀で実技に秀でていたとしても、編入試験はそうそう受からないのだから。
教師の案内で部屋へ入ってきたその者の姿を目にし、最初に湧いてきた感情は、ただただ羨ましいというものだった。彼は見るからに自信の満ち溢れた雰囲気を漂わせていた。茶色の奇麗に整えられた髪、端正な顔立ち、体格も非常によく、黒色の学生服を華麗に着こなしていた。きっと、どこぞの金持ちの息子か何かだろう。
彼の名はアルバートといった。彼はあっという間にクラスへ馴染んでいった。当然だった。容姿端麗で、話し上手で、人柄がいい。コネで入った人間かと思っていたが、どうやら魔術も相当こなせるようだ。それを私が知ったのは、最初の実技の授業だった。テーマは、鉱物の魔術による錬成実験。アルバートと私は同じ班だった。彼はクラスで最も美しい鉱物を錬成してみせた。非常によく透き通っていて、混ざり物一つない。まるで宝石のようだった。かくいう私の錬成物は、石ころとしか言いようのない産物だった。居残りまでして何度も、何度も、何度も、魔術でくそみたいに醜い塊を錬成して、やっと実験の条件を満たす成果物を提出できた。
とはいえ、私はアルバートのことを目障りだとか、転校してこなければ良かったのになどとは思わなかった。たとえ彼が、人望があり、親交のある友人がたくさんいて、そして異性の熱い視線や、同性の羨望を一身に集めていたとしても、私にとっては極論、どうでもいいことだった。恵まれた家に生まれ、容姿に恵まれ、才能に恵まれた人間が人気をかっさらっていくのは、至極当然のことだろう。別に不平等を呪うつもりなど、さらさらなかった。私に友達がほとんどいないのも、とても異性に好感は持ってもらえそうはない身なりをしているのも、魔術を行使する能力がからっきしなのも、ある程度は私の努力不足に起因するものだろうし、そうでなくとも、別に誰かに陥れられたから、こうなったわけでもないのだ。誰も責めることができなかった。責任を問うことができるのだとすれば、私だけだ。
それでも、アルバートのことが、私は本当に羨ましかったのだ。
彼がただの、名家の秀才であれば、別に何でもなかった。あまりに手の届かない人間には、嫉妬すら湧かないものだ。
だがアルバートは違ったのだ。ある日同級生が噂話をしているのを、私は小耳にはさんだ。それによると、どうやら彼は私と同じ、田舎の農村出身らしい。魔術を学ぶ機会など、それまで皆無と言ってよかったはずだ。また聞いたところによれば、アルバートは学業で非常に優秀な収め、能力が卓越していたが故に、パトロンを得て魔法を学んでいるとのことだった。どうせ金持ちの出自だろうと勝手に侮蔑し、自己満足に浸っていた私は、人知れず赤っ恥を書くことになったわけだ。
決定的だったのは定期試験だった。彼の噂話を聞いていた私は、正直彼に成績で勝てると思ってはいなかった。だがせめて彼に肉薄しようと思っていた。他がまったく彼に及ばなかったとしても、せめて座学だけは、彼を何とか追いかけられるような位置にいたかったのだ。結果は散々だった。百点満点だとして、平均点は五十点、私の得点は八十点、そしてアルバートはほとんど満点だったらしい。これが彼に肉薄しているか、それは人によって異なるだろう。だが少なくとも私にとっては、これ以上はとても、彼に追いつけるとは思えなかった。かくして私のちっぽけなプライドは徹底的に砕かれたわけだ。
そして私は理解した。何一つ勝てない人間というのが、この世にはいるのだ。田舎で育ったから、都市の教育は受けられなかったから、魔法を行使する才能がなかったから、確かに全て事実だ。だが実のところ私は、それら厳然たる事実を慰めにして、私自身を守っていたのだ。アルバートは、私の到底認めがたい事実をそのままに、私の自尊心をずたずたに引き裂いていったのだった。
アルバートは全てを持っていたのだ。私が持っているものと、私が持っていないもの、その全てを。彼は輝かしい成功譚の主人公だった。私と同じ田舎の出自で、都市の大勢と比べ圧倒的に不利な状況に置かれながら、勉学と魔術の能力に卓越しており、同級生の信頼、尊敬、羨望を一身に引き受ける、言うなれば星のような存在だった。それと比べ、私の存在感のなんと薄いことか。私は間違っても星などではない。私は光を放ってなどいないので、誰も彼も、私を視認することや、顧みることなどできないのだ。誰も私のことを記憶に留めないだろう。私は脇役ですらなかった。私は出番もないのに何故か舞台へ上がった、とんだ勘違い野郎だった。
私は自らの存在理由を見いだせなくなった。
私は何一つできないし、何かをすることも期待されていない。いない必要性はないが、いる必要性もない。誰も私を祝福などしないし、私のことを呪う人間もいない。
いっそのこと退学し、何もかもきれいさっぱり、あきらめようと思ったこともあった。何度も、何度も。いま思えば、そうするのが最良の選択だった。いっそ向こうから退学を持ちかけてくれれば、どんなに楽かと思った。仮に卒業できたとして、私のような魔術使いもどきが資格を得たとしても、最下位の十二級か、せいぜい十一級どまりだろう。到底、食っていけるとは思えなかった。描いた未来とは随分異なってしまうが、地元に帰って両親の家業を継げば、少なくとも何とか、明日食べるものくらいは確保できたはずだ。
だが私は踏ん切りをつける事ができなかった。それこそが最悪の選択だった。私は選ばねばならないことを選ばないという選択をしてしまった。
私は魔法が、この上なく好きだったのだ。
初めて魔術を見たのは、私が五歳の時だった。村の近くを偶然、魔術士が通りがかったのだ。当時、私の村は極度の不作だった。小麦は枯れ、豆は病にかかり、芋すらまともな実をつけなかった。そんな年が何年も続いていた。餓死者が少しずつ増えていった。
比較的裕福な村であれば、都市から魔術士を呼んで、作物がしっかりとれるようにしてくれるような、魔術を頼むところだろう。だが寒村なので、彼らに報酬を支払うことなど到底できなかった。だから、自分たちの村が朽ちていくのをただ座視するしかなかった。
私の村へ立ち寄ったその魔術士は、驚くべきことに、有無も言わず突然、魔術を使用し始めた。突然の来訪者に気づいて集まった村人は皆、恐怖で震えたらしい。何かおぞましい術でも使うのではと思ったそうだ。だがその者が術式を使い終えたとたん、作物はみるみる調子を取り戻していった。打って変わって礼を述べようとした村人たちに対し、その魔術士は一切身分を明かすことなく、報酬を要求することもなく、去っていったそうだ。
魔法は、まるで奇跡のようだった。術式使用時のまばゆい光、作物がひとりでに回復していく信じがたい光景、そして、進んで人の助けにならんと努める魔術士。私は幼いながら、その者が魔術を使用する姿が、言葉では言い表せないほど、かっこいいと思った。
あんな風になりたいと思った。なれると信じていた。
魔法学の学習は困難を極めた。村の学問所にある粗末な教科書を使い、私は必死になって勉強した。苦心の末、都市の魔法学校へ入るための奨学金を勝ち取った。
私はこれまで、内なる私の囁きに、ずっと耳を傾けていた。何となく、魔法が私を未来へと導いてくれる気がしていた。私の進むべき道はそちらだと、私の心が指しているような気がした。だから私は、その方向へ歩を進めたのだ。然るに、どうやら全ては私の勘違いだったようだ。
卒業試験の日だ。私は二十七歳になっていた。かつての同級生はとっくの昔に卒業して、各地で魔術士として活躍していた。私が試験を受けるのはこれで七度目。学校に籍を置けるのは、最長でも十二年と定められていた。つまり、これが最後のチャンスだ。
実技試験の科目は二十個。錬成や治癒、攻撃、防御、生育促進、火や水の生成など、多岐に渡る。二十科目全てを完璧にこなせないといけないわけではなく、各科目の出来を数値化したときの総合点が基準を上回れば、合格となる。
手応えはまずまずといったところだ。今までもこなせていた術式は行使できたし、今までうまくいかなかった大多数の術式は、試験本番でもうまくいかなかった。良くも悪くも、実力を十全に発揮できたという事だ。
一週間後、合格者の受験番号が掲示板に張り出された。私の番号はなかった。
やはりそうか、というのが正直な感想だった。お前には素質がないのだと冷酷にも提示されたことで、却ってせいせいした。これではっきりした、私は最初からここに来るべきではなかったのだ。
周囲を見ると、喜びで顔をほころばせる者、茫然とする者、頭を抱える者、泣き出す者、様々だった。私には、自分が今目にしている全てが、何か現実でないような、他人事のように思えた。傍目から見れば私は、人目も気にせず、間抜けな顔をして突っ立っているのだろう。
本当にこれで終わりなのか。私はあの日の憧れどころか、一介の底辺魔術士にすらなれないというのか。
違うはずだ。私の心は確かに、私を導いてくれていたはずだ。心の底から、魔法を愛していたはず。魔法は私の方を見てくれなかっただけで。こんなはずでは。私は今も魔法が好きなのだ。たまたま人並みの能力すら持たされなかっただけで。こんなはずでは。なぜ私は何ひとつ持ち合わせていないのだ。憧れてしまったのがそもそもの間違いなのか。過ぎた願いを持ってしまったから、罰を受けたのか。
だが、内なる私は今も、私に囁きかけてくるのだ。魔法が私を導いてくれると。私が向かうべきところは、進むべき道は、そこだと。私はそれに従っただけなのに。間違いなどではなかったはずだ。
私が、私を、無慈悲に見捨てた。こんなに信じて、身を委ねたのに。
私は駆けだした。周囲の冷ややかな眼差しを顧みずに、訓練所へ走った。物置の扉を乱暴に開ける。中から練習用の杖を取り出す。なりふり構わず、それを私の胸に突き刺す。流れ出た血が、きれいに結晶化していく。胸元の杖をさらに奥へ押し込む。背中を貫通したところで、全身がゆっくり流れ出た血の結晶で覆われていく。
なんと美しいことかと思った。あの日、ごみの塊を錬成した私にも、こんなにきれいな、深紅の結晶を生成できるのか。
私の姿を見た誰かが人を呼んだのか、教師が私の方へ駆け寄ってきた。どうやら私に、何かの攻撃魔術を使っているようだ。だが私を包み込む結晶は、彼らの術式を受け付けない。
彼らの心に触れてみた。心地よい暖かさを感じた。目に見えないだけで皆、美しい姿をしていると分かった。それならば、もっとふさわしい姿に変えてあげよう。
何やら私を攻撃しているらしい彼は、とたんに、きれいなカーネリアンの橙色をした結晶に変わった。その右はサファイアの青、左はアメジストの紫。
実に美しい。少しばかり拝借しよう。
集まってきた人間を、次々と結晶へ作り変える。そして私の一部として取り込む。彼らの夢や希望、憧憬、愛が、私の内へ流れ込んでくる。悲鳴や絶叫、呻き声が遠くから聞こえてくるが、どうでもいいことだった。肺が鉱石で押しつぶされる音、結晶化で悶える姿、その全てが、彼らをいっそう美しい鉱石へと誘う。
少しすると顔ぶれが変わってきた。話を聞くに、どうやら二級や一級を中心とした、精鋭揃いの魔術士たちが私の元へ集結したようだ。色とりどりの魔術攻撃が私めがけて飛んでくる。私の体を覆う結晶が飛び散っていく。だがそれもすぐに元通りに再生される。魔術士どもの顔がみるみる険しくなっていくのが分かる。少し愉快だ。
彼らの心に、そっと手を伸ばす。なるほど、外からの様子は三者三様なれど、心の奥底には皆、燃え盛る炎のような熱いものを秘めていることが分かった。
彼らを結晶へと形作っていく。コーラルの赤、モルガナイトのピンク、トパーズの黄色、黒曜石の黒色、ラピスラズリの青、エメラルドの緑。そして彼らが私の一部になる。
突然、右肩に衝撃が走った。結晶の覆いがまとめて吹き飛ばされたようだ。
どこからか、もう一人魔術士がやってきていた。なにやら見覚えのある外見だ。
忘れもしない。アルバートだった。
話には聞いていた。魔法学校を卒業後、アルバートは最年少で一級魔術士へ昇格したらしい。豊富な魔法学の知識と、圧倒的な魔術行使の実力で、彼は国中に名を轟かせていた。その彼が、私の前に立っている。何やらすこぶる怒っている様子だ。
私は彼に手を伸ばした。彼が何をその内に秘めているのか知りたかった。彼が何を原動力に日々を過ごしてきたのか、ぜひ見てみたかった。
次の瞬間、私の両腕はいともたやすく切り落とされていた。アルバートは私を拒絶したのだ。
そのとき至極どうでもいい記憶が蘇った。私がアルバートの同級生だった頃のものだ。私の数少ない友人たちのこと。彼らがアルバートと一緒にいるときは、私と一緒にいる時よりもいっそう楽しそうに談笑していた。私が密かに思いを寄せていた人のこと。彼女は、例え世界がひっくり返っても私には絶対に、ほんの一瞬でも見せないであろう屈託のない笑顔を、彼に向けていた。
アルバートはどうしようもない私のことなど、欠片も覚えていないだろう。気にも留めていないだろう。彼は単に、魔物と化したどこぞの魔術使いもどきを処分しに来ただけだ。
だが私は彼のことを忘れてなどいなかった。そして、私はやっと理解した。自分の役割を。
彼の術式が、私に止めを刺す。
アルバート。英雄譚の主人公となった彼に、数多の人間の命を奪った、おぞましい魔物を倒すという、輝かしい功績を手向けること。それこそが、私が私を導いてきた理由、私の、たった一つの存在意味だったのだ。
紅い結晶 秋の香草 @basil_3579
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