エピローグ

 後輩が振ってきた何気ない話題が、俺たちに大きな影響を及ぼした後。

 いつもは時計を睨みながら待つはずのチャイムが不意に鳴り響き、俺たちははっとする。


 互いの定位置に戻ってから言葉を交わすこともなく、それでもふと顔を上げると打ち合わせをしたみたいに目が合う。

 目を合わせては顔を伏せ、合わせては顔を伏せ――を繰り返しているうちに、本日の地域提携ボランティア部の活動は幕を閉じた。


 チャイムとほぼ同時に席を立った後輩が、俺の前に駆け寄ってくる。 


「……せんぱい。そろそろ帰りましょう?」


 そして決意を固めるように一呼吸置いて、後輩はそう言い放った。

 表情はうつむいていてよく見えないが、ちらちらと見え隠れする耳は先っぽまで真っ赤に染まっている。

 

「お、おう。そうだな」


「もちろん一緒に、ですよ」


「あーいやそうしたいのはやまやまなんだけど……逆方向じゃなかったか?」


「あっ」


 俺がそう言った瞬間、後輩は肩を落とした。

 その弱々しい仕草とは裏腹に、握られた拳はわなわなと震えている。


「うう……なにか既成事実を作っておかないと……なぁなぁにされちゃいます」


「そんなことするかよ」


「信用できません」


「どうして信用できない男を選んでしまったのか」


「……そういうところも好きなんです」


「そっかぁ……」


 後輩の寂しそうな声にすぱすぱと答えながら、俺は頭を悩ませる。

 せっかく恋人になったんだ。何かそれらしいことをしておかないと。


 後輩も心配になってしまうようだし。

 とりあえずメンタルケアをしておこうかな。


「安心しろ、俺はお前との関係をなぁなぁにしたりしないぞ」


「信用できませんねぇ」


「お前はなんなんだ。もしかしたらなぁなぁにするような俺が好きってことか。そうしてほしいのか」


「ち、違います!! 私がちょっとメンヘラなだけです!! 心配になっちゃうんです!!」


「大丈夫だよ心配いらないって。今のところは」


「なんで保険貼るんですか!?」


 おっと、失言。

 

「……いや、全然そんな気はないからな。むしろ離さないからな。ほら、ハグするか? ハグ」


 俺は慌てて両手を広げて、後輩を誘ってみる。


「カラダ目当て……発券当日限り有効……カラダの安売りはしませんよ」


「違うわ!! まぁ確かに安易な慰めだったかもな!! ごめんな!!」


 俺はため息をついて、広げた腕をぎゅっと組む。

 こいつけっこう面倒臭いな。


「……せんぱい」


「どうした?」


「私のこと、好きって言ってください」


「え」


 後輩が座ったままの俺にぐっと距離を詰めてくる。

 鼻と鼻がごっつんこしそうな距離。


 荒くなった息遣いが鈍感(らしい)な俺でも分かった。


「まだ、せんぱいの口から聞いてないですよ」


「あ、えと……」


「言ってくれないなら死にます!!」


「命の安売りはやめろ!!」


「じゃあ、言ってください」


「いや待て、覚悟とかタイミングとか諸々な……」


 後輩は俺に構わず、もう詰められないほどの距離を詰めてくる。

 鼻と鼻はとうの昔にごっつんこした。


「せんぱい」


「ちょっと待……」


「言って」


 後輩の鋭いまなざしが突き刺さる。


 俺はヘタレかもしれない。いやヘタレだ。

 たった二文字、立場とシチュエーションが変わるだけでこんなに重くなるものか。


 それでも背負う気概がなければ――彼氏は務まらないってことか。


「……好きだよ」


 勢いで自分から四文字にしてしまった。

 胸が高鳴る。体が熱い。 


「えへへ、せんぱぁい。私もだーいすき、ですよぉ?」


 後輩は満足したのかふにゃっと表情を綻ばせて、俺の胸にゆったりと顔を埋めてくる。


「……なんだよ、カラダの安売り開始か? もう17時だしな」


「私はスーパーのお惣菜じゃないんですよ」


「悪い。照れ隠しだ」


「もう、素直に照れていればもっと可愛いのに」


「どちらにせよ、お前の可愛さには敵わないよ」


「っ!?」


「よし、照れさせ成功」


「…………そういうクサい台詞言うときは照れないんですね、せんぱい」


 好きを口にした火照りも、寄せられた体からほんのりと感じる熱も。

 くすぐったくて恥ずかしくて、まさに顔から火が出そうなのに。


 なんだか、悪い気はしなかった。

 



「あ、そうだ」

 

 そうして後輩と密着していると、俺はふと閃いた。


「どうしたんです? せんぱい」


「帰りに寄りたいところがあるんだ。一緒に行こうぜ」


 そう言うと後輩はするっと俺の腕から抜け出して、立ち上がった。


「そ、そんな!! そんなのいきなり過ぎます!! 私まだ覚悟というか……準備というか……いや正直やぶさかではないのですけど……でもぉ……」


 後輩は指をもじもじ弄りながら、耳の先まで赤くしてぶつぶつ言っている。


「どこだと思ってるんだよ?」


「それはもう、ホ――」


「なんだ、わかってるじゃん。本屋、行こうぜ」


「へっ!?」


 後輩はぴょこんとその場で跳ねて、目を見開く。


「ほんや、honnya……あ、本屋さんですね」


「それがどうかしたか?」


「いえ、なんでもないです」


 さっと俺から目を逸らした後輩は、気まずそうに毛先を弄った。

 一瞬、話が噛み合っていなかったような気がしたが――気のせいだろう。


「ならいいけど。早く行こうぜ、また顧問にどやされる」


「はいです。


 俺と後輩はそそくさと部室を出て鍵を閉めると、並んで歩き出した。


「ところでせんぱい、本屋さんで何か買うんですか?」


「ああ、ちょっとな」


「結婚情報雑誌とか?」


「気が早いにも程があるな」


「……むぅ、じゃあなんなんですか」


 後輩がじとりとした目つきで俺を見つめてくる。

 その視線を受け止めながら、俺はゆっくりと椅子から立ち上がった。



「恐竜図鑑――だな」



 そう言うと、後輩はくすっと笑った。

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せんぱい、トリケラトプスって知ってますか? たべごろう @tabegoromikan

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